6日(金)。4月6日は「新聞を読む日」で、今日から「春の新聞週間」が始まりますが、もう一つ、ロシア生まれのイーゴル・ストラヴィンスキーの命日でもあります 彼は1882年に生まれ、1971年4月6日にニューヨークで生涯を閉じました
ストラヴィンスキーといえば、ロシア・バレエ団率いるセルゲイ・ディアギレフの依頼により「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」の3大バレエ曲を作曲し、一世を風靡した作曲家です
2年程前に、「シャネル&ストラヴィンスキー」という映画がありましたが、ココ・シャネルはパリに滞在中のストラヴィンスキー一家を自分の別荘に住まわせるなど、経済的に援助していたことが分かります 別荘はパリの5番街にありました(?)。シャネルの5番、なんちゃって
私のストラヴィンスキーとの出会いはズービン・メータ指揮ロスアンゼルス管弦楽団による「春の祭典」のLPレコードでした 当時は録音技術が優れたレコードとしても話題になったLPで、第1部の序奏に続く”春の兆しと若い娘たちの踊り”のところでは、レコード針が飛びそうな勢いでした。CDでは、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による演奏が一時期決定版になりました。”色彩感豊かで鋭い切れ味の演奏”とでも表現すればいいでしょうか
最近、ストラヴィンスキーの音楽がらみで良かったと思ったのは映画「Pina」で、ピナ・バウシュの主宰するドイツ、ヴッパタール舞踏団が踊った「春の祭典」です。まさに音楽と舞踏の一体化が図られていました
Pinaといえば、3日付の朝日夕刊に作家の池澤夏樹氏が、映画Pina/ピナ・バウシュ 躍り続ける命」と「Pina・バウシュ 夢の教室」を観て感じたことを書いています。
「舞台と屋外を縦横無尽に踊り回るいくつもの身体を見ていて、ここでいちばん強い原理は重力だと思った」「人間は跳べるけれども飛べないという厳粛な事実に戻って考えれば明らかだ。現代の表現者は安易に人間を飛ばせすぎる 早い話が宮崎俊はあんなに少女たちを飛行させるべきではなかった。あれですべてがバーチャルになり、自然の抵抗感がなくなり、生きることぜんたいが軽くなった」「揺るがない価値が欲しい。これだけは絶対に大丈夫という指標が欲しい。ピナ・バウシュはぼくにとってそういう指標になった」
とくに「重力」についての考えは新鮮に感じました 感性の鋭い作家は”舞踏”をそういう風に捉えているのか、と感心しました そして、なぜか「飛びます、飛びます」と言ってあの世に飛んでいったコント55号の次郎さんを想いました
閑話休題
今日はモーツアルトが「交響曲第29番イ長調K.201」を完成した日です。1774年4月6日のことでした。「交響曲第25番ト短調K.183」とともに、ザルツブルク時代の若きモーツアルトの代表作で、今の時期に相応しい穏やかで気持ちのよい曲です。オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア・オーケストラのCDがお薦めです