5月5日(水・祝)。昨日の朝日朝刊コロナのページに「コロナ おしゃべり感染なぜ」という記事が載っていました 超々訳すると、
「理化学研究所などの研究チームがスーパーコンピューター『富岳』を使って飛沫の飛び散り方を計算している 通常の会話を想定し、英語で「ワン、ツー・・・」と数字を読み上げていくシミュレーションでは、口から1分間に大小合わせて9千個の飛沫が出るという
会話だけでも2~3分間で、せき1回に匹敵する飛沫が飛ぶ
会話より大きな声を出す歌の場合は、1分ほどで せき1回分の飛沫量となる
漂う時間や範囲は飛沫の大きさによって違い、直径0.01ミリ程度以上の比較的大きな飛沫は近くにすぐに落下するが、0.005ミリより小さな飛沫は10分間以上、周辺の空間を漂う
近畿大学の吉田耕一郎教授(感染制御学)によれば。飛沫を防ぐのに大切なことは、大声を出さないことだという
大声を出すと飛沫がたくさん出やすく、遠くにも飛びやすい。『ぱぴぷぺも』といった破裂音でも飛沫が発生しやすいので注意が必要だ
」
マスクが手放せない毎日が続きますが、大声で話すのはやめて内緒話に徹しましょうね
ということで、わが家に来てから今日で2307日目を迎え、ジョンソン英首相が、公邸の改修費を与党・保守党の政治献金から融通し、それを公表していなかった疑いが浮上、5月6日投票の地方選を前に大きな騒ぎになっている というニュースを見て感想を述べるモコタロです
首相は改修して婚約者や長男と暮らしているそうだけど 悔悛が必要かもしれないな
昨日、夕食に「真鯛の塩焼き」「タコの山掛け」「生野菜サラダ」「ジャガイモの味噌汁」を作りました 何となく「火曜日は魚の日」が定着してきたように思います
渋谷のシアター・イメージフォーラムでトーマス・ハイゼ監督による2019年製作ドイツ・オーストリア合作映画「ハイゼ家 百年」(モノクロ・カラー:3時間38分)を観ました
この映画は、旧東ドイツ出身の映画監督トーマス・ハイゼの家族が19世紀後半から保管してきた遺品(日記、手紙、写真)を使い、ハイゼ家が歩んできた激動の100年を、監督自らのモノローグで語った驚異的な作品です 遺品が伝える歴史は、第一次世界大戦に始まり、ホロコーストによって引き裂かれた家族の過去、熾烈を極めた空襲、戦後の秘密警察スタージによる支配、ベルリンの壁崩壊後も終わらない戦争と分断に失望する東ドイツの人々の感情について語っています
この映画は次の5つの章から構成されています
第1章「祖父ヴィルヘルムの記憶」(1930-1940年代)
第2章「母ロージーの記憶」(1940年代)
第3章「ハイゼ家の記憶」(1960年代)
第4章「トーマスとアンドレアスの記憶」(1970年代)
第5章「全てが終わった場所から」(1990年代ー2000年代)
この映画を監督したトーマス・ハイゼは1955年東ベルリン生まれ。国営映画会社デーファで監督助手として務めた後、70年代後半からドキュメンタリーを制作し始める 80年から85年にかけて制作した全5作のドキュメンタリーは体制にとって相応しくないとされ、ベルリンの壁が崩壊するまで上映が禁止された
現在はベルリン芸術アカデミーの教授を務めている
3代にわたるハイゼ家の歴史を大雑把に概観すると、①博士で教師の祖父ヴィルヘルムはユダヤ人であるエディトと結婚したため、迫害に遭う。②ヴィルヘルムとエディトとの間に生まれたヴォルフガング(教授・哲学者)はローゼマリー(ドイツ文学者)と結婚するが、ヴォルフガングが社会主義に否定的で大学から排除され、一方 妻ロージーは社会主義の成功を信じていたが最後には失望せざるを得なくなる。③ヴォルフガングとロージ―との間に生まれたトーマスは、東ベルリンでの生活を振り返りながら、ベルリンの壁崩壊以降の東西ドイツの統一とその後の統一ドイツ、そして移民の流入による現在のドイツのあり方について考えを巡らせる、という流れだと思います
途中で10分間の休憩がありますが、全編3時間38分は長い、と感じます 小説のようなストーリーがあるわけではなく、自然の風景や街や列車などの”風景”を背景に手紙が朗読されていく形式を取っているので、眠気が襲うことがあります
これほど長いドキュメンタリーなら、ナレーションを入れて時代背景を説明してから手紙の朗読に入るとか、工夫のしようがあるとあると思うのですが、トーマス・ハイゼ監督の手法なので仕方ありません
全編を観終わって思うのは、旧東ドイツに暮らした人々に限らず、ドイツの人々は東西ドイツの統一を含めて、この100年の間にそれぞれ語り尽くせない家族の歴史があったんだろうなあ、ということです