10日(水)。新型コロナウイルスワクチンについては、「感染予防」「発症予防」「重症化予防」のメリットと、「副反応」「感染」のデメリットがあると言われていますが、昨日の朝日新聞夕刊に「ワクチン接種者同士、マスクせず会える 米CDC、ガイドライン」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、
「米疾病対策センター(CDC)は8日、新型コロナウイルスワクチンの接種を受けた人たちに向けての初めてのガイドラインを発表した ワクチン接種を受けた人々同士ならば、屋内でマスクを着用せず、ソーシャルディスタンシングも取らずに会うことが出来るとした 対象となるのは、必要なワクチン接種(米ファイザーと独ビオンテック、米モデルナのワクチンの場合は2回、米ジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンの場合は1回)を終えて2週間を経過した人たち。ただCDCは、ワクチン接種を受けた人も公共の場では引き続きマスクを着用したうえで、大規模な集会を避け、ソーシャルディスタンシングを確保することは必要だとしている」
日本ではこれからですが、いずれガイドラインを設定する必要も出てくるでしょう その前にわれわれは、各自でワクチンのメリットとデメリットを勘案して、接種するかしないかの判断をしなければなりません
ということで、わが家に来てから今日で2251日目を迎え、この1年あまりの政治家の「ワースト性差別発言」に、ネット上の投票で、自民党の杉田水脈衆院議員の「女性はいくらでもウソをつける」発言が選ばれたが、これは昨年9月に党本部の会合で性暴力被害者支援に関して述べたもので、「やっとの思いで性被害を申告した人に対して、あまりにも心無い言葉だ」などの批判の声が多く集まった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トップ当選おめでとうございます! 「女性は」ではなく「私は」だと思ってるよ
昨日、夕食に「チンジャオロース」を作りました 今回が初挑戦だと思いますが、美味しく出来ました
昨日、新文芸坐でルキノ・ヴィスコンティ監督による1954年製作イタリア映画「夏の嵐」(114分)を観ました
時は1866年のオーストリア占領下のヴェネツィア。フェニーチェ歌劇場でオーストリア軍のフランツ・マーラー中尉(ファーリー・グレンジャー)と反占領軍運動の指導者ロベルト・ウッソ―二侯爵(マッシモ・ジロッティ)の決闘の話が持ち上がる リヴィア(アリダ・ヴァッリ)は従兄のロベルトを救うため、フランツを桟敷席に招き、決闘の申し出を断るように頼む その結果決闘は免れたが、フランツの密告によりロベルトは捕まって流刑になってしまう リヴィアは夫のセルピエーリ伯爵(ハインツ・モーグ)に助けを求めたが、取り合ってくれない その後、フランツと再会したリヴィアは彼に言葉巧みに言い寄られ、恋に落ちてしまう 秘密の部屋を借りて逢引きを重ねる二人だったが、ある日、約束の時間になってもフランツが現れないのでリヴィアは彼の宿舎に行ってみた。しかし彼の姿はなく、仲間の将校から彼の遊び癖を聞かされる やがて開戦し、リヴィアはフランツに会えないまま、夫とアルデーノに行くことになる。すると、フランツが人に知れないように突然現れ、リヴィアの思いが再燃してしまう リヴィアはフランツ愛しさのあまり彼を匿い、ロベルトから預かった義援金を渡して、兵役を免れるための医者への買収資金にし、フランツを除隊させる 彼を追ってヴェローナへ行くと、酔っていたフランツは娼婦のクララ(マルチェッラ・マリアー二)を彼女に会わせ、口汚く罵る ショックを受けたリヴィアは軍に、フランツは金で医者を買収し兵役を免れたと密告し、フランツは銃殺刑になる リヴィアはフランツの名を泣き叫びながら暗い夜道を歩いていくのだった
この映画の原作はカミロ・ボイトの短編小説「官能」で、イタリア・オーストリア戦争を背景に、ヴェネツィアの侯爵夫人とオーストリア軍の将校との破滅的な恋をオペラ的に描いた作品です
映画の冒頭はフェニーチェ歌劇場が舞台ですが、舞台上ではジュゼッペ・ヴェルディ(1813‐1901)の歌劇「イル・トロヴァトーレ」の第3幕の終盤、マンリーコのアリア「燃えさかるあの炎」が歌われ、次のシーンは第4幕のはじめ、レオノーラのアリア「恋はばら色の翼に乗って」が歌われます イタリアといえばオペラ、オペラといえばヴェルディということでしょうか しかも「イル・トロヴァトーレ」は復讐劇です この映画でも、最後は裏切られたヒロインが復讐を遂げるので、ストーリーの結末を暗示した選曲と言えると思います
この映画で、テーマ音楽のように終始流れているのはアントン・ブルックナー(1824‐1896)の「交響曲第7番ホ長調」の第1楽章「アレグロ・モデラート」と第2楽章「アダージョ」です 第2楽章の執筆中は最も敬愛してきたワーグナーが危篤だったため、ブルックナーはワーグナーの死を予感しながら作曲を進め、1883年2月13日にワーグナーが死去すると、彼を悼むコーダを追加し、同年9月5日に全4楽章を完成させました そのブルックナーはオーストリア生まれです
このことから想像できるのは、ヴィスコンティ監督は「1866年のオーストリア占領下のヴェネツィア」という舞台に、時を同じく(19世紀後半)して作曲家としての人生を過ごしたイタリアのヴェルディとオーストリアのブルックナーの音楽を対比させるように起用したのではないかということです
ところで、オーストリア軍のフランツ・マーラー中尉の名前は、明らかにウィーンを中心に作曲家・指揮者として活躍したグスタフ・マーラー(1860‐1911)に因んで付けられています ヴィスコンティは、後に「ベニスに死す」(1971年製作)でマーラーを思わせる老作曲家アッシェンバッハを主役として登場させています ヴィスコンティ監督にとってマーラーは特別な存在だったのではないかと思います
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