14日(木)。わが家に来てから今日で2296日目を迎え、トランプ米大統領の支持者が連邦議会議事堂を襲撃した事件を巡り、ペンス副大統領は12日、民衆党のペロシ下院議長に書簡を出し、副大統領と閣僚が大統領の職務を停止させる手続きを定めた憲法修正25条は、懲罰や(大統領職の)剥奪ではなく、大統領の医療的・精神的な無能状態のときに使われるべきだと主張し、同条を発動しない意向を伝えた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
まさにトランプが「精神的な無能状態」だからなのだ 4年後はペンスさん出馬して
昨日、夕食に「肉じゃが」と「生野菜とワカメのサラダ」を作りました あとは卵納豆と豆腐の味噌汁です。和食はいいですね
昨夕、サントリーホールで「都響スペシャル2021」1月度コンサートを聴きました プログラムは①ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」、②ブルックナー「交響曲 第3番 ニ短調 ”ワーグナー” 」(1873年初稿版)です 演奏はエリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団です
オケは通常配置ですが、客の入りは市松模様配置と同様程度と思われます それでも、緊急事態宣言発令中にしては結構入っている方だと思います 自席は1階11列16番、センターブロック左通路側です。オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという並び。コンマスは矢部達哉、隣に四方恭子というダブル・コンマス態勢です この公演に賭ける都響の意気込みを感じます
1曲目はワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」です この楽劇はリヒャルト・ワーグナー(1813‐1883)が1857年から59年にかけて作曲、1865年にミュンヘンで全曲が初演されました
白髪のインバルが登場し指揮台に上がりますが、なぜか彼は指揮棒を2本携えています 指揮の途中で思い余って吹っ飛ばしてもいいようにという配慮でしょうか・・・まさか 2本人でもないのに・・・
冒頭の「トリスタン和音」が奏でられると、一気に現実から離れ、ある意味不安定な、夢心地の世界に持っていかれます こういう名演で聴くとワーグナーの毒にどっぷり漬かりそうです とりわけチェロ軍団が素晴らしい演奏を展開していました
プログラム後半はブルックナー「交響曲 第3番 ニ短調 ”ワーグナー” 」(1873年初稿版)です この曲はアントン・ブルックナー(1824ー1896)が1872年から73年にかけて作曲しましたが、その後第2稿、第3稿が出されました ブルックナーは1873年9月、交響曲第2番と第3番の楽譜を携えて、バイロイトのワーグナー宅 を訪問しましたが、ワーグナーは第3番の方に興味を示しブルックナーを激賞したため、この曲をワーグナーに献呈しました そのためこの曲は「ワーグナー交響曲」と呼ばれています 第1楽章「中庸に、神秘的に」、第2楽章「アダージョ/荘厳に」、第3楽章「スケルツォ:かなり急速に」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ」の4楽章から成ります
この演奏を聴くに当たって、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのCD(1970年・第3稿)で予習しておきましたが、実際にインバルの指揮で初稿版による演奏を聴くと、第1楽章、第4楽章を中心にかなり違いのあることに気が付きます 最も顕著なのは初稿版ではゲネラル・パウゼ(全休止)が多用されているということです あるメロディーが演奏されたかと思うと、急に音楽が止まり、まったく別のメロディーが演奏され、するとまた急に音楽が止まり、今後は前のメロディーが再現される・・・と言った具合に、作品がブツ切りにされている印象があります いわばメロディーのパッチワークを聴いているような印象です それだけに作品全体が冗長になっているようです しかし、そうしたことを割り引いても、インバル指揮都響の演奏は素晴らしいものがありました
ブルックナーの交響曲では、とりわけ金管楽器の活躍が目立ちますが、冒頭からフィナーレまでホルンが素晴らしい演奏を展開しました そして、オーボエ、フルートを中心とする木管群、さらに厚みのある弦楽セクション、とくにチェロの活躍に目覚ましいものがありました
インバルは都響のメンバーの持てる力を最大限に引き出し、終始スケールの大きな演奏を展開しました
終演後、楽団員が楽屋に引き揚げた後も拍手が鳴りやまず、インバルだけが繰り返しカーテンコールに呼び戻されました 聴衆のスタンディングオベーションに笑顔で手を振っていたインバルがとても印象に残りました コロナ禍の中、よくぞ来日して名演を届けてくれました 世界中でコンサートが休止されている中、インバルの指揮によりフルオーケストラでブルックナーの交響曲が聴けるということがいかに素晴らしいことか、という思いを抱きながら家路につきました
音楽業界は本当にがんばっていますよね!
新日本フィルはオンライン配信で新しいサービスを始めるようですし。
でも、それでも、生の演奏を聴くことに勝る喜びはないんじゃないかなと思います。
私はかつてCD派でしたが、4000枚位になったとき、置き場所に困ったこともあって、ライブ派に切り替えました。
演奏者と聴衆が同じ空間の中で音楽を共有することがとても大事なことだと思います。
そして何よりもライブは、修正が利かない「一期一会」の出会いであることが一番の魅力だと思います。
これからも自分の足で歩ける限り、コンサート会場に通いたいと思っています。
モットーは「反省はしても、後悔はしないように生きよう」です