11日(月).わが家に来てから214日目を迎え,白ウサちゃんから蓄財状況を尋ねられ,返答につまっているモコタロです
いくら貯まった?って訊かれても きのう始めたばかりだしなぁ
閑話休題
昨日,初台の新国立劇場でヴェルディの歌劇「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」を観ました 新国立劇場の「椿姫」は2002年,2004年,2008年,2011年に続いて今回が5回目の公演になりますが,前回までがルーカ・ロンコーニによる演出だったのに対し,今回はヴァンサン・ブザールによる新制作です 私は過去3回は観ていると思います
キャストは,ヴィオレッタにベルナルダ・ポブロ,アルフレードにアントニオ・ポーリ,ジェルモンにアルフレード・ダザ,フローラに山下牧子,ガストン子爵に小原啓楼ほかで,指揮はイヴ・アベル,管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団です
物語はーパリの高級娼婦ヴィオレッタは,富豪の息子アルフレードから求愛されるが,ためらう しかし真摯な愛に心を開く.二人は郊外の田舎家で暮らし始めるが,アルフレードはヴィオレッタが自らの財産を処分して生活費を捻出していたことも知らない.そんな中,アルフレードが不在中,彼の父ジェルモンがヴィオレッタを訪ね,自分の娘の縁談のためにも息子と別れてくれと頼みこむ ヴィオレッタは涙を呑んで身を引く決意をする.これを彼女の裏切り行為だと捉えたアルフレードは夜会で彼女を罵倒する しかし,やがてそれが誤解であることが分かった時にはすでに遅く,再会を喜んだヴィオレッタは肺炎が悪化し,ベッドの中で愛するアルフレードの腕に抱かれて息絶える
カナダ出身のイヴ・アベルの指揮で悲しい序曲が始まります.数あるオペラの序曲の中でもこれほど悲しい序曲はないでしょう 幕には「マリー・デュプレシここに眠る」というフランス語が浮かび上がります.このオペラの主人公のモデルになった実在の人物の名前です これから始まるオペラは彼女の短い生涯を描いた物語であることを暗示しています
幕が開き,ヴィオレッタと夜会に参加する人々が登場します.女性に関しては一人として同じ衣装を着けている人はいません 間もなく有名な「乾杯の歌」の合唱が始まります 舞台は床と左側の壁が鏡張りになっていて,人々の姿と影が映ります.中央には古いピアノが1台置かれ,その上にワイングラスがピラミッド状に積まれています それ以外に舞台に存在する物はありません.極めてシンプルな舞台です ちょっと気になるのは,舞台の右側がオーケストラ・ピットの方に三角形にせり出していることです.これはどういう意味があるのか・・・・それは最後の最後に分かります
ところで,演出家による「プロダクション・ノート」によると,このピアノはこのオペラが作られた19世紀に製作されたピアノだということです 19世紀と現代を繋ぐ象徴的なアイテムとして全ての幕に登場します
ヴィオレッタ役のベルナルダ・ボブロはスロベニア生まれのソプラノですが,このオペラのタイトル・ロールは11年にシュトゥットガルト歌劇場,12年に英国ロイヤルオペラで演じ,賞賛を浴びているとのことです 最初,舞台に登場した時は,あまりにも整いすぎた顔に無機質な感じを受けましたが,歌を歌い,演じるのを観ているうちに人間味のある表情が見て取れるようになりました 歌は文句なし,とにかく美しい歌声で,人を感動させる力を持っています ヴェルディはこのオペラのヒロインを「優雅な容姿で,若く,情熱的に歌うソプラノ」であることを求めましたが,その意味でボブロは最適任者であると言えるでしょう 第1幕の「ああ,そはかの人か~花から花へ」,第2幕の,ジェルモンとの二重唱,第3幕の「さようなら,過ぎた日よ」,アルフレードとの二重唱「パリを離れて」・・・いずれも感動的に歌い上げました これまで何度か聴いてきたヴィオレッタの中でも屈指のヒロイン役です
アルフレード役のアントニオ・ポーリはイタリア生まれのテノールですが,最近では英国ロイヤルオペラなどで歌っているそうです.歌は文句なしなので,いま一歩,より演技が上手になると完璧だと思います
ジェルモン役のアルフレード・ダザはメキシコ生まれのバリトンですが,ベルリン州立歌劇場のファースト・バリトンとして活躍しているとのことです 最初聴いた時は,ちょっともごもごしていて何を歌っているのかよくわからない感じだったのですが,歌に力があり,次第に説得力を持って迫ってきました
この公演でもう一つ特筆すべきことは,イヴ・アベル指揮東京フィルによる演奏です.序曲はもちろんのこと,アリアの伴奏にしても,オーケストラ自らが歌い,嘆き,泣いていました
演出上よく分からなかったのは,第2幕パリ郊外の田舎家のシーンです.空には何故か白いパラソルが浮かんでいます.あのパラソルは何を意味しているのか.さっぱり分かりません
さて,第3幕ではピアノがベッド代わりになっており,ヴィオレッタがピアノの上で寝ています.「そこまでやるか」と思いましたが,演出家の意図があるのでしょう また,舞台の手前側のヴィオレッタと,舞台の奥のスペースとの間は薄いレースのような膜で隔てられ,直接ヴィオレッタと他の人物とが触れ合えないようになっています.あたかも,幕の向こう側はヴィオレッタの手の届かない夢の世界であるかのようです
演出家のヴァンサン・ブサールはプロダクション・ノートに次のように書いています
「『椿姫』には表社会,裏社会,現実の社会と夢の世界という相反する二つの世界の間に生じる問題が描かれています それは,現代にも通じる非常に重要な問題です.西洋の女性にしろ日本やアジアの女性にしろ,いずれも男性社会の中で生きているという共通項があります.男性社会の中で負けたくない,存在を認めてほしい,男性社会を見返したい,という思いは共通して持っているのではないでしょうか 物語の核にあるテーマは,時代や国を超えて今の女性たちすべてに共通するものだと思います.日本の観客の皆さんにこうしたテーマを感じ取ってもらえたらありがたいですし,またそのために私は,今回のプロダクションをつくりあげたのです」
演出家の意図が明確に現われていたのがこのオペラの最後の場面です これまでのオーソドックスな演出では,ヴィオレッタはアルフレードの腕に抱かれて息を引き取ります.しかし,ブサールの演出では,ヴィオレッタとアルフレードの間は薄い膜で隔たられているのです.それではヴィオレッタはどういう結末を迎えたのか・・・それが今回のプロダクションで一番主張したかったテーマだったのではないかと思います 何故,舞台の一部がオーケストラ・ピット側にせり出しているのか・・・ここでその意図が明確に分かります これからこのプロダクションでご覧になる方のため,より具体的に書くと楽しみが減ってしまうのでこれ以上書けないのが残念です
いずれにしても,ブサールは「椿姫」の演出に新しい局面を切り開いたと言えるのではないでしょうか