25日(月).娘の就職祝いに自転車を買いました.娘は大喜びですが,こちらは自転車操業です ということで,わが家に来てから228日目を迎え,ブルー・マンデーでちょっぴり憂鬱なモコタロです
また月曜日が来てしまった はやく土曜日がこないかなぁ
閑話休題
昨日,初台の新国立劇場でリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」を観ました キャストは元帥夫人にアンネ・シュヴァーネヴィルムス,オックス男爵にユルゲン・リン,オクタヴィアンにステファニー・アタナソフ,ファー二ナルにクレメンス・ウンターライナー,ゾフィーにアンケ・ブリ―ゲル,マリアンネに田中三佐代,警部に妻屋秀和ほか,指揮はシュテファン・ショルテス,演出はジョナサン・ミラー.管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団です
新国立の「ばらの騎士」は2007年,2011年に続いて今回が3回目ですが,いずれもジョナサン・ミラーの演出です 前回2011年の公演は4月10日の初日に観ましたが,あの時は東日本大震災の影響で,外国人歌手陣のキャンセルが相次ぎ,上演するかしないか相当悩んだ末に,ほとんど代演によって挙行されたのでした また,新日本フィルが初めて新国立劇場のオーケストラ・ピットに入るということで話題を呼びましたが,指揮者アルミンクは原発事故を憂慮して帰国したため,代わりにマンフレッド・マイヤーホーファーがタクトをとったのでした
人気のオペラ公演とあって,会場はほぼ満席です ハンガリー生まれのシュテファン・ショルテスが指揮台にあがり,序曲が演奏されます.リヒャルト・シュトラウスらしい感情を煽り立てるロマンティックな音楽です あまりにも有名なオペラなので筋書きは省略しますが,全3幕,休憩時間を入れて4時間の大作です
今回を含めて3回の公演を観て疑問に思ったのは,第1幕の終盤で元帥夫人(マルシャリン)が,窓を伝う雨の跡を見ながらタバコを吸うシーンです マッチを擦ってタバコに火を点け,吸って白い煙を吐き出しているので,本物のタバコを吸っているように見えます.歌手にはタバコは大敵のはず あれは本物のタバコなのか?あるいは巧妙な仕掛けの施された小道具なのか? あえてタバコを吸うシーンを登場させた演出の意図が良く分かりません 演出の秘密を『煙で捲こう』ということなのか?つまらないシャレでした.吸いません
このオペラの見所,聴きどころは少なくありませんが,何と言っても最大の聴きどころは第3幕終盤の元帥夫人,オクタヴィアン,ゾフィーの三重唱です 中年の人妻である元帥夫人と17歳数か月のオクタヴィアンは不倫関係にある訳ですが,元帥夫人は,いつか愛人が若い女性の元に去って行くと感じています.そこにゾフィーが現われた訳です.この三重唱はこの3人の複雑な心境を見事に歌い分けています
今回この公演を観て一番感動したのは,その三重唱の後,二人の若者を残して元帥夫人が去って行くシーンです.ドイツ出身のソプラノ,アンネ・シュヴァーネヴィルムスは歌も最高でしたが,その後ろ姿で元帥夫人の”若さへの決別”を表現していました その佇まいが素晴らしかった このときの元帥夫人の気持ちは,ある程度の人生経験がなければ分からないでしょう.いずれにしても,歌が上手いだけではオペラはダメだということをこの歌手に教わった気がします
このオペラのタイトルとしてリヒャルト・シュトラウスが考えていたのは「オックス」でしたが,彼の妻パウリーネ(悪妻として有名)の命令によって「ばらの騎士」に変更されたと言われています それほど,このオペラにおけるオックス男爵の存在は大きい訳ですが,ドイツ生まれのユルゲン・リンは,そこそこ好色で,そこそこ貴族の血筋を感じさせる男爵の性格を見事に演じていました
オクタヴィアン(=マリアンデル)を演じたステファニー・アタナソフはウィーン生まれのメゾソプラノですが,元帥夫人とゾフィーとの間で揺れる若者の心境を見事に歌い上げていました
ゾフィーを歌ったアンケ・ブリ―ゲルはドイツ生まれのソプラノですが,初々しさの中にも芯のある役柄を演じていました
ファー二ナルを演じたクレメンス・ウンターライナーはウィーン出身のバリトンですが,娘を犠牲にしてでも貴族の仲間入りをするのだという土地成金の父親を”真面目に”演じていました
出番は少なかったのですが,2人の日本人歌手が光っていました.一人は「テノール歌手」を歌った水口聡です.この人の歌は聴いていて気持ちがいいです もう一人は警部を演じたバスの妻屋秀和です.新国立オペラでは常連の歌手ですが,何を歌っても何を演じても素晴らしい稀有な存在です
ところで,演出上,今回も分からなかったのは第3幕フィナーレのシーンです ホフマンスタールの台本では「オクタヴィアンとゾフィーが舞台を去る時,ゾフィーはハンカチを落としていく.誰もいなくなった舞台へ,元帥夫人のお小姓がゾフィーの落としたハンカチを取りにやってきて,慌しく幕が下りる」となっているはず.しかし,ミラーの演出ではそうはなっていません
聴衆は,いつゾフィーがハンカチを落とすのか,と固唾をのんで注目していますが,最後までゾフィーはハンカチを落とさず去っていきます 落ちがあるはずが落ちがない・・・新米の落語家の話を聞いているような落ち着かない気分です お小姓がハンカチの代わりに持ち去った紙切れのようなものは,マリアンデル(=オクタヴィアン)がオックス男爵を罠にかけるために送った手紙ではないか,と勝手に解釈していますが,本当のところはどうなのでしょうか???
さてこの公演について最後に付け加えるとすれば,シュテファン・ショルテスの指揮のもとロマン溢れる演奏を展開した東京フィルハーモニー交響楽団の素晴らしい演奏です 在京オケの中で最大の楽員数を誇るオーケストラの中から選ばれた精鋭の演奏だったのでしょう