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人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

サム・メンデス監督「1917 命をかけた伝令」を観る ~ 脅威の超ロング・ワンカット映像:早稲田松竹 / 「新型コロナウイルスはときどき空気感染する」 ~ 米疫病対策センターの見解

2020年10月11日 07時25分22秒 | 日記

11日(日)。昨日の朝日夕刊に「『空気感染』 米でまた見解改訂」という見出しの記事が載っていました    超訳すると、

「米疫病対策センター(CDC)は10月上旬、新型コロナウイルスについて『空気感染はときどきある』と見解を改訂した     この見解を出すまでに二転三転した   CDCは飛沫感染や接触感染が主な感染ルートだという立場を取っており、それは今も変わらない    国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長は『飛沫感染や接触感染では説明がつかないケースがたくさん報告されている。ようやくCDCも空気感染を認めざるを得なくなった』と話す。ただ、「『空気感染』という言葉には、遠くまでウイルスが運ばれ感染が広がるというおどろおどろしいイメージがあるが、実際はそうではない」ともいう。ウイルスを含んだ小さな粒子や飛沫が乾いたものが空気中に数分間~数時間残ることがあり、2メートル以上離れていても感染する可能性があるというのが、CDCの指す『空気感染』のイメージだ    西村氏は『日本ではすでに換気の重要性や3密回避が言われてきたので、特に対策は変わらない』と指摘する

要するに自宅から外に出たらマスクをする、ということです 映画館やコンサートホールでは、今やマスクをしていないと入場できません

ということで、わが家に来てから今日で2201日目を迎え、ホワイトハウスは9日、トランプ米大統領が10日にホワイトハウス南庭で公的なイベントを開催し、トランプ氏が建物のバルコニーから数百人を相手に「法と秩序」をテーマに演説すると明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     コロナ陰性が未確認のまま多くの人の前で演説だって? 法と秩序はどこにある!?

 

         

 

昨日、早稲田松竹でサム・メンデス監督による2019年製作イギリス・アメリカ合作映画「命をかけた伝令」(119分)を観ました

第一次世界大戦の真っ最中の1917年4月、フランスの西部戦線では防衛線を挟んでドイツ軍と連合国軍のにらみ合いが続き、消耗戦を繰り返していた そんな中、若きイギリス兵のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン・チャールズ=チャップマン)は重要な任務を命じられる それは一触即発の最前線にいるマッケンジー大佐率いる1600人の部隊に、明朝までに作戦中止のメッセージを届けることだった その部隊にはブレイクの兄も配属されていた この伝令が間に合わなければ味方兵士全員が、撤退と見せかけて反撃に出るドイツ軍の罠にはまって命を落とし、イギリスは敗北することになる タイムリミットが迫る中、2人は命を賭けてミッション遂行のため戦場を駆け抜ける

 

     

 

この映画は、2人の若きイギリス兵が、一触即発の最前線にいる仲間1600人の命を救うべく、重要な命令を一刻も早く伝達するため、様々な危険が待ち受ける敵陣に身を投じて駆け抜けていく姿を描いた作品です

驚くべきは、2人の兵士が上官に呼ばれ塹壕を通って作戦本部まで歩く冒頭のシーンから、最後の伝令をマッケンジー大佐に届けるシーンまで、超ロング・ワンカットで撮影していることです カメラは2人の後をどこまでも追い続けます。いったいどうやって撮影したのか、と驚異と興味を感じます 先日観た「凱里ブルース」でも同様のワンカット映像が見られましたが、この作品はそれを超えています もちろん、超ロング・ワンカットとは言っても、テクニック的には何カ所かで切り、うまくつないでいます その瞬間は塹壕だったり、暗闇だったりします。しかし、それは必要最低限に抑えられていて、ほとんどシームレスと言ってもよいほど切れ目が判らないように撮影されています それはあたかも、このミッションは時間がすべてであることから、カメラを止める余裕はないと主張しているかのようです そのことが、観る側が常に彼らと共に行動しているような臨場感を生み、半端ない緊張感を醸し出しているように思います

意外だったのは、最後まで2人が伝令を最前線に届けるのかと思っていたら途中でアクシデントが起こり、1人が死亡してしまうことです しかし、それが別のドラマを生むことになります

「映画を観ることで戦争を体験する」ような映像体験でした

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東響第687回定期演奏会(12/5) ⇒ 出演者変更 / ソフィア・コッポラ監督「ヴァージン・スーサイズ」&「ロスト・イン・トランスレーション」を観る ~ 新文芸坐

2020年10月10日 07時24分16秒 | 日記

10日(土)。東京交響楽団から12月5日の第687回定期演奏会の出演者変更通知が届きました 通知ハガキによると、当日予定していた指揮者ミケーレ・マリオッティとピアノ独奏のロベルト・コミナーティは本人の都合により来日できなくなり、代わりに鈴木雅明氏が指揮を、児玉桃さんがピアノ独奏を務めることになったとのこと なお演奏曲目は①モーツアルト「ピアノ協奏曲第21番K.467」②シューベルト「交響曲第8番”ザ・グレイト”」で変更ないとのことです このところ「バッハ・コレギウム・ジャパン」の音楽監督・鈴木雅明氏が在京オーケストラに呼ばれる機会が増えているようです NHK交響楽団の10月度公演はNHKホール、東京芸術劇場、サントリーホールでのコンサートはすべて鈴木雅明氏が指揮をとります 「バッハ・コレギウム・ジャパン」のファンとしては嬉しいのですが、特定の指揮者があちこちのオーケストラで振ることは良いことばかりとは言えないのではないか、と思います 同じ日本人指揮者であれば、先行投資として、もっと若手にチャンスを与えた方が良いのではないかと思うのですが、どうでしょうか

ということで、わが家に来てから今日で2200日目を迎え、米国を代表する医学誌「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」は7日、トランプ政権の新型コロナウイルスの対応について「危険なほど無能」と指摘し、「彼らに仕事を続けさせることで、さらに何千人もの米国人を死なせるべきでない」と、トランプ氏の再選に反対する論説を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     無能に加えて コロナの薬漬けになって副作用が心配されるトランプは 危険極まる

 

         

 

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」「生野菜サラダ」を作りました   唐揚げは娘も私も大好物なので2週間に1度は作ります。ビールが進みます

 

     

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で「ヴァージン・スーサイズ」と「ロスト・イン・トランスレーション」の2本立てを観ました

「ヴァージン・スーサイズ」はソフィア・コッポラ監督による1999年製作アメリカ映画(98分)です

1970年代のミシガン州に住むリズボン家の美しい年子の5人姉妹(テレーズ、メアリー、ボニー、ラックス、セシリア)は、近所の少年たちの一番の興味の的だった 姉妹の厳格な母ミセス・リズボン(キャスリーン・ターナー)は、娘たちの外出をほとんど禁じ、野暮ったくて慎み深い恰好を強制していた ある日13歳の末娘セシリアが手首を切って自殺を図る。なんとか一命を取り止めたが、精神科医から彼女の外界との接触の少なさが原因と指摘された数学教師のミスター・リズボンは妻を説得し、ホームパーティーを開いて男の子たちを招待する しかし、パーティーに馴染めないセシリアは2階から飛び降り自殺を図り死んでしまう その後、4人は学園祭のパーティーに招かれたが、ラックス(キルステン・ダンスト)だけがその夜 家に戻らなかった    それをきっかけに、4人は家から出してもらえなくなる。そして、彼女たちはそれぞれ命を絶つ   ヘビトンボが上空を舞う6月のことだった

 

     

 

この映画は、アメリカの作家ジェフリー・ユージェ二デスが1993年に発表した「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」をもとに、ソフィア・コッポラが映画化したものです

分からないのは、なぜ4人揃って自殺をしなければならなかったのか、ということです 確かに家に幽閉され、学校にも行けず、大好きなロックのレコードも捨てられたりしたら、いつかは欲求不満が爆発するだろうと思います。しかし、それが親に向かわず、自分自身を消す方向に動くというのは順番が違うような気がします この映画は、少年たちの回想によって語られているので、少女たちの自殺を通して描いた、少年たちの物語でもあると言えるのかもしれません

 

         

 

「ロスト・イン・トランスレーション」はソフィア・コッポラ監督による2003年製作アメリカ映画(102分)です

CM撮影のために東京にやってきたハリウッドの初老の男優ボブ・ハリス(ビル・マーレイ)。カメラマンの夫に同行して東京にやってきてホテルの部屋で過ごす若い妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)。2人はホテルのバーで出会い、お互いの生活や結婚、不眠について語り合う それからホテル内で顔を合わせるうちに親しくなっていく。年齢も性別も違う2人が夜の都市を彷徨い、そして別れの時がくる

 

     

 

この映画は、コッポラ自身が若い頃に日本に滞在したことがあり、その体験をもとにした半自伝的作品だと告白しています

トランスレーション(translation)は翻訳と言う意味ですが、この映画のタイトルは「翻訳不能」とでも訳せばよいのか 「言語だけでなく、夫と妻、男と女、老人と若者など、現代社会における人間関係の相互理解の難しさ」をテーマにしているとのことです 冒映画の冒頭は、ボブがサントリーウイスキー「響」のテレビCMを撮影しているシーンですが、ディレクターが日本語で『響』は高級ウイスキーだから、それらしく台詞を言って演技をしてほしいということを長々と注文を付けると、通訳の女性が「台詞をもっとゆっくりと」とだけ訳します ボブが通訳に「彼はもっとたくさんしゃべっていたようだが?」と訊いても無視されます これは言語上の翻訳の問題です

可笑しかったのは、しゃぶしゃぶを食べた翌日、二人は「昨夕の料理はひどかったね。自分で料理させるんだもの」と語り合っていたことです これはtranslationというよりも食文化の違いですね

この映画は東京が舞台なので、今から17年前の新宿や渋谷や秋葉原などの様子がそのまま映し出されていて、懐かしく思いました

ボブとシャーロットの関係っていいな、と思います ボブが帰国のためタクシーで空港に向かう途中、街中でシャーロットの姿を見つけて、タクシーを降りて彼女に声をかけ、人混みの中で彼女を抱きしめ、彼女の耳元で何かを囁くと、シャーロットは涙を浮かべて頷きます それから ボブはシャーロットにキスして、タクシーに戻り、空港へ向かいます

あのシーンでボブはシャーロットに何を囁いたんだろうか? ものすごく印象に残るシーンです ソフィア・コッポラは素晴らしい映画を残したな、と思います

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読響11月19日の定期公演 ⇒ 出演者・曲目変更 / 望月衣塑子 ✕ 佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」を読む ~ 政権の二人の天敵が語る「あるべきジャーナリズム」

2020年10月09日 07時18分25秒 | 日記

9日(金)。読売日響から11月19日の「第603回定期演奏会 出演者・曲目変更のお知らせ」が届きました    通知ハガキによると、当日出演を予定していた指揮者アレホ・ペレス氏とチェロ奏者イサン・エンダース氏はコロナ禍の影響により来日不能となったため、指揮者を鈴木優人に代え、プログラムも次のように変更するとしています

【変更前】

①メシアン「忘れられた捧げもの」

②エトヴェシュ「チェロ合奏協奏曲」

③ショスタコーヴィチ「交響曲第12番ニ短調”1917年”」

【変更後】

①シャリーノ「夜の自画像」

②シューベルト「交響曲第4番”悲劇的”」

③ベリオ「レンダリング ~ シューベルトの未完の断片を用いて」

なお、政府による客席数の緩和措置を受け、手持ちのチケットで入場できるとしています また、欠席の場合は払い戻しに応じるとしています 私としては、ショスタコーヴィチの「1917年」が聴けなくなったのは 払い戻しに値する変更だと思いますが、オーケストラの窮状を鑑みて変更後のプログラムで聴くことにします

また、別のハガキにより11月30日開催の「第27回読響アンサンブル・シリーズ」は、手元のチケットで聴けるとの案内が届きました プログラム(「鈴木優人プロデュース『四季』&ケージ」)に変更はないとのことです

ということで、わが家に来てから今日で2199日目を迎え、賭けサイトのプレディクトイットによると、7日のバイデン氏の(勝利確率)レートは9月中は50セント台後半で推移していたが、トランプ氏がコロナ感染後に急上昇、トランプ氏が5日に退院してからも上昇し67セントとなった一方、トランプ氏のレートは37セントまで下がった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     感染への同情票を狙って早期に退院したけど  世間はトランプの正体を見極めてる

 

         

 

昨日、夕食に「豚もやし炒めのおろしポン酢かけ」「生野菜サラダ」「冷奴」を作りました 「豚もやし~」はコスパ抜群で美味しいです

 

     

 

         

 

望月衣塑子 ✕ 佐高信「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(講談社+α 新書)を読み終わりました    望月衣塑子 (もちづき・いそこ)さんは1975年 東京生まれ、慶應義塾大学法学部卒。東京新聞社会部記者。安倍政権時代、記者会見で菅官房長官に何度も食い下がって質問攻めにして一躍有名になった記者です 一方、佐高信(さたか・まこと)氏は1945年山形県生まれ、慶應義塾大学法学部卒。高校教師、経済誌編集者を経て評論家になり現在に至る。4月12日のTBS系の「サンデーモーニング」で「安倍が首相になったこと、あるいは首相であること自体が日本にとっての緊急事態だ」とコメントして物議を醸した、「安倍政権の天敵」です

 

     

 

本当はこの本を安倍政権時代に読むつもりで購入したのですが、予期しない時期に首相を辞任してしまったので面食らいました しかし、当時、官房長官だった菅義偉氏が「安倍政権を継承する」として首相となり、日本学術会議が推薦した会員候補6人を「総合的・俯瞰的」観点から任命しないなど、しっかり安倍政権を継承しているので、同じようなものだと思い 読み進めました

この本は次の各章から構成されています

〇序章に代えての往復書簡

 ①望月衣塑子より いまこの国を蝕んでいる本当の病根

 ②佐高信より   官主主義と分断と

第1章「芸能と政治が切り結ぶ 映画『新聞記者』の衝撃」

第2章「告発と報道 権力中枢に斬り込むために」

第3章「権力と新聞の危険な関係 記者の存在意義とは何か」

第4章「隠蔽と沈黙をぶち破れ 森友問題の新たな核心」

第5章「命と生活を懸けて コロナがジャーナリズムに突きつける」

〇あとがきにかえて 望月衣塑子というひと(佐高信)

〇あとがき ジャーナリズムの危機と光明と(望月衣塑子)

この本の中で二人の論客が主張したいと思っていることは、最後の「あとがき」で望月さんが分かり易く要約しています

「既存のマスメディアが、問題だらけなのは言うまでもない 賭けマージャン問題は、起こるべくして起きた問題だ。記者クラブ制度の中で、長年にわたって育まれてきた権力とメディアの『癒着』は、SNSが発達してきた現在、世論から厳しい批判の目にさらされていることを、メディアに携わる私たちはもっと自覚しなければいけない (内閣記者会は)長年、安倍政権のメディアコントロールを許してきた。首相会見も官房長官会見も、時間制限や指名の偏りに抗議の声を上げず、司会進行の主導権を奪われても抵抗せず、会見のあり方を改革しようとしてこなかった    内閣記者会は世間からも見放されつつある オフレコ取材を重視し、会見が形骸化すれば、会見も記者クラブも存在の意義がなくなる。このままでは日本のジャーナリズムは完全に崩壊することになる。政治部記者はもっと危機感を持つべきだろう

また、特に首相や政権幹部に対する取材は、普段から相手の懐に飛び込んで信頼関係を築く必要性から、”嫌われて本音を引き出すことが出来なくなる”ことを恐れて、時に書くべきことを書かなくなるという記者(特に政治部の”番記者”)の立ち位置については、次のように語っています

「相手の懐にまで深く入り込む取材は、時にスクープや深い解説記事を書くためには必要だ しかし、権力の内側を描けないようではただのなれ合いにしか見られない なぜ、私たち記者が、懐に入り込む必要があるのか。権力の内側に潜む問題を、内部をよく知る記者として世に出し、その問題を問うためではないのか 心が通じた相手を、最終的にはペンの力で斬らなければならないときもある

望月さんは現代の新聞記者の特徴を次のように語っています

「いまの記者は、みな揃っておとなしく、サラリーマン化が進んでいる。型にはまったこと以上の行動をするのを極端に恐れるあまり、取材相手を追及し、本音を吐き出させようとする気迫が感じられない

昨日の朝日朝刊「オピニオン欄」は「官房長官は裏方か」というテーマで3人の論客が語っていますが、そのうちの一人、元内閣官房長官・藤村修氏が記者会見について次のように語っています

「米国の記者会見だと、ベテランの記者が質問しますよね。日本では、官邸の記者は若手が多い。質問が少し稚拙に感じることもありました キャリアを積んだ記者が厳しい質問を浴びせ、官房長官も逃げずに相対するようになれば、歯止めにつながるのではないでしょうか

たしかに新聞社は、”首相番”や”官房長官番”など、いわゆる”番記者”には若手の記者を当てるケースが多いと思います しかし、ベテラン記者が厳しい質問を浴びせても、望月記者のように官邸側から「あなたに答える必要はない」と言われたり、質問回数を制限されたり、コロナ禍を理由に各新聞社の出席人数を1社1人と限定されて出席できなくなったりすると、手の施しようがありません ただ、新聞記者の皆さんに忘れないでほしいのは、皆さんは政府の代弁者ではなく国民の知る権利を守るために真実を報道するのが仕事だということです

なお、第1章「芸能と政治が切り結ぶ 映画『新聞記者』の衝撃」のタイトルにある映画『新聞記者』は、望月記者が書いた内閣官房と女性記者の闘いを描いたエンタメ小説が原本になっています 藤井道人監督、シム・ウンギョンと松坂桃季の主演により2019年に映画化(113分)され、第43回日本アカデミー賞の作品賞、主演男優賞、主演女優賞の3部門を独占しました   内容は加計学園問題を彷彿とさせるエンターテインメントです 興味のある方は2019年7月25日付toraブログをご覧ください

 

     

 

また、望月記者の日常の取材活動を追った森達也監督によるドキュメンタリー映画『 i 新聞記者ドキュメント』(2019年製作:120分)は、同年12月20日付toraブログをご覧ください

どちらの映画も予想外に多くの人々が映画館に来ていて意外な感じがしましたが、みんな政治に対して不満があるのだと思います

 

     

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新日本フィル 第625回定期演奏会 ≪ジェイド≫ 公開リハーサルを聴く ~ 熊倉優指揮によるチャイコフスキー「交響曲 第4番 ヘ短調」 / 新日本フィル「第九」のチケットを取る

2020年10月08日 07時24分40秒 | 日記

8日(木)。わが家に来てから今日で2198日目を迎え、新型コロナウイルスに感染してホワイトハウスで治療中のトランプ米大統領は6日午前、15日にフロリダ州マイアミで開催予定の第2回大統領候補者討論会について「楽しみにしている。素晴らしいものになるだろう!」とツイートで意欲を示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     コロナウイルスをまき散らすのは ホワイトハウスだけじゃ 飽き足らないようだな

 

         

 

昨日、夕食に「野菜と挽肉のドライカレー」を作りました 私の定番料理ですが、目玉焼きを乗せると辛さが緩和されてマイルドになり、とても美味しいです

 

     

 

         

 

昨日正午から、すみだトリフォニーホールで新日本フィル「第625回定期演奏会≪ジェイド≫」の公開リハーサルを聴きました これは、同フィルの賛助会員・維持会員の特典の一つとして実施されているプログラムです 8日(本日)19時からサントリーホールで開かれる本番では①ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」(Vn:竹澤恭子)②チャイコフスキー「交響曲第4番」の2曲が演奏されます

ホール入口で新日本フィル事務局の登原さんに検温をしてもらい入場しました 座席は自由なので1階13列13番、センターブロック左通路側を押さえました このホールはまだ、前後左右が空席の市松模様の座席配置になっています 配布された「入場券」を見ると、チャイコフスキー「交響曲 第4番 ヘ短調」のリハーサルのみ公開されるようです

この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1877年から翌78年にかけて作曲、78年にモスクワで初演されました 第1楽章「アンダンテ・ソステヌート ~ モデラート・コン・アニマ ~ モデラート・アッサイ、クアジ・アンダンテ ~ アレグロ・ヴィーヴォ」、第2楽章「アンダンティーノ・イン・モード・イン・カンツォーナ ~ ピゥ・モッソ」、第3楽章「スケルツォ:ピッツィカート ~ オスティナート:アレグロ ~ メノ・モッソ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・コン・フォッコ」の4楽章から成ります

ステージ上のオケの配置を見ると、弦楽器は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの新日本フィルの並びになっています コンマスは豊嶋泰嗣氏です。オーボエは今回も元新日本フィル首席で東京藝大で教鞭をとっていた小畑善昭氏がスタンバイしています    首席だった古部賢一氏が東京音楽大学准教授として教鞭をとる関係で3月末で退団し、4月から客員首席となっているため、正規の首席が不在の状況になっています    オーボエは「オーケストラの要」なので何とかしなければならないのではないか、と心配しています

熊倉 優が指揮台に上がり、第1楽章の演奏に入ります 冒頭のホルンとファゴットの集中力に満ちた総奏が素晴らしい その後で展開されるファゴットの河村幹子、クラリネットのマルコス・ぺレス・ミランダ、フルートの野津雄太の演奏が冴えています 熊倉氏は冒頭こそゆったりしたテンポで進めましたが、その後は比較的速めのテンポで押して緊張感に満ちた音楽作りをしていました 第2楽章では冒頭の小畑氏のオーボエが郷愁を誘いました この楽章でも河村幹子のファゴットが冴えわたりました 第3楽章は弦楽器による小気味の良いピッツィカートが響きました 第4楽章は金管、木管、弦・打楽器総動員による凄まじいまでの快進撃が展開します。フィナーレは圧巻でした

熊倉氏は演奏を途中で止めて注意事項を伝えることなく、全4楽章を通しておさらいしました こうしてリハーサル前半は12時47分に終了し、休憩に入りました

リハーサル後半は13時5分に再開されました 熊倉氏は、今度は演奏しては止めて注意事項を伝え、次の演奏に入り、また止めては注意事項を指摘し、といった形でリハーサルを進め、15分の短時間で終了しました

公開リハーサル修了後、熊倉氏が事務局の西さんのインタビューを受けましたが、コロナ禍でコンサート活動の中止が相次いだため、「今回が8か月ぶりの聴衆を入れてのコンサートになる」とのことでした また「無観客の演奏と聴衆を入れての演奏では何かが違う 聴衆からはエネルギーをもらえる」と語っていました。新日本フィルの印象を訊かれると、「現在28歳ですが、このオケは楽員の年齢層が幅広く、年配の人から見ると(自分は)赤ちゃんのようなものだと思うが、温かく見守ってくれて有難い」と語っていました

今回の≪ジェイド≫公演は当初、上岡敏之の指揮、フランス国立放送響コンミスのサラ・ネムタヌのヴァイオリン独奏により①メシアン「ほほえみ」②ショーソン「詩曲」③ラヴェル「ツィガーヌ」④ストラヴィンスキー「春の祭典」が演奏される予定でしたが、コロナ禍の影響でドイツ在住の上岡氏、フランス在住のサラ氏が来日できなくなったため、指揮者、ソリスト、演奏プログラムが総入れ替えになったものです 

コロナ禍はオーケストラにとってはとんだ災禍ですが、海外在住の音楽家が来日できない現在は、若手の指揮者や日本人アーティストにとっては大きなチャンスです 新日本フィルは7月度の ≪ルビー≫ シリーズで、上岡氏に代えて若手の太田弦氏を指揮者に迎え、シューベルト「交響曲 第8番」他を演奏しています また、12月6日の「クリスマス・スペシャル」では角田鋼亮氏を、1月3日の「ニューイヤー・コンサート」では中田延亮氏を起用します。小澤征爾氏だって、上岡敏之氏だって、小林研一郎氏だって、若い時は未知数だったのです 若手にチャンスを与え 育てていこうという新日本フィルの姿勢は素晴らしいと思います   コロナ禍のもと、今回のコンサートで新日本フィルを指揮して「禍を転じて福と為す」ことができるかどうかは 若い熊倉優氏の双肩にかかっています

頑張れ、熊倉 優  頑張れ、新日本フィル 

 

     

 

         

 

12月20日(日)午後2時からすみだトリフォニーホールで開かれる新日本フィル「第九」コンサートのチケットを取りました プログラムはベートーヴェン①交響曲 第1番 ハ長調 作品21、②交響曲 第9番 ニ短調『合唱付き』作品125です 出演はソプラノ=小林沙羅、アルト=林美智子、テノール=西村悟、バリトン=加来徹、合唱=二期会合唱団、指揮=広上淳一です

ネット予約で出遅れたため、S席がソルドアウト、辛うじて3階RBのA席を取りました トリフォニーホールの3階席、しかもバルコニー席で聴くのは初めてです

 

     

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テリー・ギリアム監督「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」& ジム・ジャームッシュ監督「デッド・ドント・ダイ」を観る ~ ショスタコーヴィチ「ジャズ組曲~ワルツ」も流れる

2020年10月07日 07時17分00秒 | 日記

7日(水)。昨日の日経夕刊・総合面に「英シネワールド 米英の全映画館閉鎖へ」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、

「映画館運営で世界2位の英シネワールドは5日、米国と英国の全映画館を一時閉鎖すると発表した 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、映画会社が新作公開に消極的なためとしている 一時閉鎖の対象は同社が英国で運営する『シネワールド』『ピクチャーハウス』の127館と、傘下で米国2位のリーガル・シネマズが運営する536館だ。最大で4万5千人が当面失業する 再開時期は未定だという。全米劇場所有者協会は、新型コロナのパンデミックで米国の中小の映画館のうち約4分の3が経営破たんの危機にさらされていると警鐘を鳴らす 同業界で働く約10万人が失職する可能性があると指摘する 政府による財政支援を求める書簡を米議会に送った。書簡にはマーティン・スコセッシ氏ら著名監督も名を連ねた

アメリカとイギリスはまだ感染拡大が目に見えて続いているので、こういう状況になっているのでしょう 一方、日本では映画館の「定員の半分以下」という制限が解除されましたが、私が行きつけのミニシアターだけをみると、早稲田松竹のように「定員の3分の1」のままのところもあるし、ギンレイホールのように定員の3分の2まで拡大したところもあるし、新文芸坐のように人数制限を撤廃したところもあります いずれにしても、かつてのように「閉館」するような状況にはなっていません 映画ファンとしては嬉しい限りですが、映画館側も観衆側も感染症対策(換気、検温、手指のアルコール消毒、マスク着用など)をしっかりした上で、暗い過去へ後戻りしないように留意しなければなりません

ということで、わが家に来てから今日で2197日目を迎え、新型コロナウイルスに感染し 入院していたトランプ米大統領が5日に退院したが、病院を出る直前に「すぐに選挙運動に戻る!フェイクニュースはニセの世論調査ばかり出す」とツイートし、ホワイトハウスに着くと マスクを外して敬礼した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     フェイクはトランプの存在そのもの  今や 歩くコロナクラスター発生源 と言われる

 

         

 

昨日、夕食に「サバの塩焼き」と「生野菜とアボカドのサラダ」「ジャガイモと玉ねぎの味噌汁」を作り、「カツオの刺身」と一緒に食べました 魚の塩焼きではサバ塩が一番好きです

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でテリー・ギリアム監督「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」とジム・ジャームッシュ監督「デッド・ドント・ダイ」の2本立てを観ました

「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」はテリー・ギリアム監督による2018年製作スペイン・ベルギー・フランス・イギリス・ポルトガル合作映画(133分)です

仕事への情熱を失っていた若手CM監督のトビー(アダム・ドライバー)は、スペインの田舎で撮影中、謎めいた男からDVDを渡される それはトビーが10年前の学生時代に監督し,賞にも輝いた「ドン・キホーテを殺した男」だった 映画の舞台となった村が近くにあることを知ったトビーは、現地を訪れるが、ドン・キホーテを演じた靴職人の老人ハビエル(ジョナサン・プライス)が自分を本物の騎士だと信じ込むなど、村の人々はトビーの映画のせいですっかり変わり果てていた トビーをドン・キホーテの忠実な従者サンチョ・パンサと思い込んだハビエルは、トビーを無理やり連れだし、冒険の旅に出る

 

     

 

この映画は、「テリー・ギリアムが幾たびか映画化を試みるも、そのたびに製作中止となるなど なかなか実現しなかった企画で、構想から30年を経てやっと完成に漕ぎつけた」というのが謳い文句です なるほど、撮影はスペインを中心に各国に及び、上映時間も2時間13分を要するなどスケール感が出ています しかし、私から見ると、何でもかんでも盛り込み過ぎのドタバタ喜劇にしか思えませんでした

唯一良かったのは、舞踏会シーンとエンドロールでショスタコーヴィチ「ジャズ組曲第1番」の第1曲「ワルツ」を流していたことです この曲はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が1934年に作曲した3つの曲から成る作品(第2曲「ポルカ」、第3曲「フォックストロット」)です 名前は「ジャズ組曲」ですが、曲想としてはダンス音楽に近い作品です この映画ではフルオーケストラで演奏しているのか、スケールの大きな音楽として聴こえました

テリー監督が、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」を使わず、ショスタコーヴィチを使ったのは、R.シュトラウスだとズバリそのものになってしまうからでしょうか

 

         

 

「デッド・ドント・ダイ」はジム・ジャームッシュ監督による2019年製作スウェーデン・アメリカ合作映画(104分)です

アメリカの田舎町センターヴィルにある警察署に勤務するロバートソン署長(ビル・マーレイ)とピーターソン巡査(アダム・ドライバー)、モリソン巡査(クロエ・セビニー)は、他愛のない住人のトラブルの対応に日々追われていた しかし、ダイナーで起こった変死事件から事態は一変する 墓場から死者が次々と蘇り、ゾンビが町にあふれかえっていく 3人は日本刀を片手に救世主のごとく現れた葬儀屋のゼルダ(ティルダ・スウィントン)とともにゾンビたちと対峙していく

 

     

 

この映画はゾンビをテーマにしたブラック・コメディです 地球の地軸が傾いたことから世界各地で異変が起こり、死者が復活するという話です テーマが人をおちょくっています。「死人は死なない」ですから この映画ではカントリー&ウエスタン調のテーマ音楽「THE  DEAD  DON'T  DIE」が頻繁に流れますが、ゾンビのイメージとは真逆の明るい曲調で シュールです

パトカーがゾンビたちに囲まれる中で、ロバートソン署長がピーターソン巡査に「一つ聞きたいんだが、君は『何か良くないことが起こりそうだ』といつも落ち着いて言うが、なぜそう冷静になれるんだ?」と訊くと、「台本を読んだからね」と答えます 「台本って、最後まで書いてある台本か? 誰から手に入れたんだ?」と訊くと、「ジムからもらったんだ」と答えます。すると署長は「俺は自分の台詞の台本しかもらってないぜ」と文句を言います。つまり、ピーターソン巡査役のアダム・ドライバーはジム・ジャ―ミッシュ監督から台本の全てを貰っているのに、ロバートソン署長役のビル・マーレイは自分の台詞の部分しか貰っていないというギャグをかましているのです これは過去の作品でコンビを組んできた監督と役者だからこそ生きるギャグです

この映画を観て、ゾンビと闘う時は、首をちょん切らなければならないという教訓を得ました この知識が役に立たないことを祈るばかりです

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今敏監督アニメ映画「東京ゴッドファーザーズ」&「パプリカ」を観る ~ 第九も流れる:新文芸坐

2020年10月06日 07時28分58秒 | 日記

6日(火)。わが家に来てから今日で2196日目を迎え、新型コロナウイルスに感染し2日から入院中だったトランプ米大統領は一時発熱したものの早くも5日 退院したが、退院にあたり国民に対し「COVIDを恐れ、自分の生活を支配させてはならない」と呼びかけた。しかし、米疫病対策センター(CDC)の指針によると、コロナ患者について発熱の症状がある場合には自主隔離したうえで①発症から10日経過②解熱剤を使用せずに下がってから24時間経過という条件を満たすまで他人と接触しないよう求めている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「コロナなんて怖くない」と一番言ってはいけないことを言った  どこまで無能か!

 

         

 

昨日、夕食に「手羽元の甘酢さっぱり煮」「生野菜とワカメのサラダ」「冷奴」を作りました あとは、娘が漬けたキュウリと大根のぬか漬けです。「手羽先~」は最後の詰めが甘く、焦がしました。反省しています

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で今敏監督による映画「東京ゴッドファーザーズ」と「パプリカ」の2本立てを観ました

新文芸坐はこの日、いつもの「中高年の巣窟」から「若者の殿堂」に様変わりしました 圧倒的に若者が多く、とくに女性が多いのには驚きます。アニメの人気恐るべしです

「東京ゴッドファーザーズ」は、今敏監督による2003年製作アニメーション映画(92分)です

新宿でギンちゃん、ハナちゃん、ミユキのホームレス3人組が一緒に暮らしていた ギンちゃんは酒とギャンブルに溺れ妻子に逃げられた中年男、ハナちゃんはゲイバーを首になったゲイ、ミユキは警察官の父親を刺して逃げて来た家出少女。クリスマスの夜、彼らはゴミ捨て場で1人の赤ん坊を拾う ずっと子どもを欲しがっていたハナちゃんは、赤ん坊が「清しこの夜」に捨てられていたことから勝手に「清子」と命名する 3人はわずかな手掛かりを頼りに親探しの旅に出る。雪降る街を彷徨い歩きながら、様々なトラブルに見舞われる彼らだったが、ついに本当の両親に辿り着く

 

     

 

「ゴッドファーザー」というとフランシス・コッポラ監映画でお馴染みの「黒幕」的なイメージが付きまといますが、本来の意味は「名付け親」を意味します この映画では、ハナちゃんが「清子」と名付けていますが、3人そろって赤ん坊のために奮闘するので複数形になっているのです ハナちゃんが「この子は奇蹟を起こす」と言うとおり、3人は清子のお陰で命拾いをしたりします また、親探しの旅をしている過程で、ハナちゃんはゲイバーのママと再会し、ギンちゃんは実の娘と再会を果たし、ミユキはラストシーンで警察官の父親と再会します 赤ん坊を本当の両親に届けてあげたいという3人の温かい気持ちが奇跡を呼び起こしたのです

傑作だったのは、「諭吉さんが泣いてらあ」「諭吉さんが笑ってらあ」です。諭吉さんとは1万円札のことです。福沢諭吉の顔のセンターを中心に縦に綴れ織りにすると泣いているように見え、逆に折ると笑っているように見えるのです しかし、ですよ、家に帰って実際に1万円札を折ってみましたが、上手く泣かせることも笑わせることもできませんでした あれはアニメ上のフェイクだったのか

エンドロールで流れるテーマ音楽は「No.9」。つまりベートーヴェンの「第九」です 劇中でも第4楽章の合唱が流れるシーンがありますが、この映画にピッタリです

今敏(こん・さとし)監督のアニメ映画は初めて観ましたが、プロットもしっかりしているし、絵もきれいだし、アニメだからと侮れないと思いました 残念ながら今敏氏は膵臓癌で亡くなっています

 

         

 

「パプリカ」は今敏監督による2006年製作アニメーション映画(90分)です

千葉敦子の表の顔は精神医療研究所に勤めるセラピー機器の研究者、裏の顔は”パプリカ”というコードネームを持つセラピストである 時田浩作が発明した 夢を共有するセラピー機器”DCミニ”を使い、日々患者の迷える心をケアしていた しかし、ある日、その”DCミニ”が研究所から何者かによって盗まれてしまい、それを悪用して他人の夢に強制介入し、悪夢を見させて精神を崩壊させる事件が発生するようになる 敦子たちは犯人の正体や目的、そして 終わりのない悪夢から抜け出す方策を探る

 

     

 

この作品は筒井康隆の同名小説を今敏監督が映画化したものです テンポも速く、カラフルな映像なのでアニメ映画としては魅力的な作品だと思います どうしても分からないのは、タイトルの「パプリカ」です 原作を読んでいないので何とも言えませんが、どういう意味を持たせているのでしょうか 「パプリカ」は言うまでもなく「カラーピーマン」のことです 昔、中身のない話を「話がピーマン」と言っていましたが、主人公の千葉敦子の分身である「パプリカ」は中身が空っぽであるとは思えません

ところで、「セラピー機器”DCミニ”」とはどんな機械なのか、と想像するに、現代で言えば夢が「バーチャルリアリティー」で再現されるのに近いのかな、と思ったりしました

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新国立オペラ、ブリテン「夏の夜の夢」を観る ~ 藤木大地はじめオール日本人歌手によるニューノーマル時代の初日公演 / うがいの予防効果はあるか?

2020年10月05日 07時14分02秒 | 日記

5日(月)。昨日の朝日朝刊「新型コロナ」のページに「うがいの予防効果 はっきりせず  ~ 厚労省『科学的根拠ない』」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、

「新型コロナウイルス対策で、世界保健機構(WHO)や厚生労働省などが手洗いやマスク着用を勧めているが、うがいの効果については、はっきりしていない 新型コロナに効果はあるのか? 厚労省の担当者に取材すると、新型コロナに対するうがいの効果について、『科学的に確立されたエビデンス(根拠)はない。とくに推奨はしていないが、否定するものではない』と説明する 感染症の予防効果に関しては、京都大学の研究チームが2005年に国際医学誌に発表した論文が、うがいが風邪予防に効く可能性を示した 風邪の流行する冬季に18~65歳の387人に協力してもらい、①水でうがいをする②うがい薬でうがいをする③積極的にうがいをせずそれまで通りの習慣を続ける、の3グループに分けて、2か月にわたって風邪をひくかどうかをみた。うがいは1日3回してもらった すると、水でうがいをするグループがもっとも風邪を引きにくく、積極的にうがいをしないグループに比べて風邪をひいた人の割合が36%少なかった 一方で、うがい薬でうがいをしたグループは1割ほど少なかった なぜ水うがいをしたグループが、風邪をひきにくいのかについて、詳しい理由はわかっていない ただ、実験をした京都大学の川村名誉教授は、うがいはウイルスが持つ、増殖に欠かせない酵素『プロテアーゼ』を取り除く可能性もあると考えている 川村氏は『うがいは手間もコストもかからず、薬やワクチンのように副作用もない。やって損になることはないのではないか』と話す

これからの季節は、新型コロナとインフルエンザの両方を意識して感染予防をしなければなりません その意味では、「手洗い・マスク着用」に加えて「水うがい」を習慣とするのが、何もしないよりはベターだと思います 私は、外出先から家に帰った時には 必ず水うがいをして薬用ハンドソープで手指の消毒をしています

ということで、わが家に来てから今日で2195日目を迎え、菅義偉首相は3日午前7時半ごろから東京・原宿のパンケーキが有名な店で、内閣記者会の所属各社の首相番記者と懇談を行ったが、朝日、東京、京都各紙は欠席し、ともに日本学術会議問題などを会見などで説明すべきだとの考えを伝えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     パンケーキにつられて深い記事が書けたら世話がない  会食より会見を求めるべし

 

         

 

昨日、初台の新国立劇場「オペラパレス」で、2020/2021シーズン開幕公演、ブリテンのオペラ「夏の夜の夢」を観ました     このオペラはベンジャミン・ブリテン(1913-1976)がシェイクスピアの原作に基づき1960年に作曲した作品です

本公演は当初、デイヴィッド・マクヴィカーの演出により上演する予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大を受け、オリジナル演出の舞台装置・衣装を使用し、同感染症の拡大予防対策を講じた「ニューノーマル時代の新演出版」によって上演されました    また、海外在住の招聘歌手陣はコロナ禍に伴う出入国制限措置により来日できなくなり、当初から出演予定の藤木大地をはじめオール日本人歌手の出演となりました    また、指揮者もマーティン・ブラビンスから飯森範親に代わりました

 

     

 

キャストは次の通りです

オーベロン=藤木大地、タイターニア=平井香織、パック=河野鉄平、シージアス=大塚博章、ヒポリタ=小林由佳、ランサンダー=村上公太、ディミートリアス=近藤圭、ハーミア=但馬由香、ヘレナ=大隅智佳子、ポトム=高橋正尚、クインス=妻屋秀和、フルート=岸波愛学、スナッグ=志村文彦、スナウト=青地英幸、スターヴリング=吉川健一。児童合唱=TOKYO FM少年合唱団、管弦楽=東京フィル、指揮=飯守範親、演出・ムーヴメント=レア・ハウスマンです

 

     

 

【物語】貴族の娘ハーミアは許婚ディミートリアスとの結婚を拒絶し、相愛のライサンダーとともにアテネ近郊の森に駆け落ちする    ハーミアを追いかけるディミートリアスと、彼に片思いするヘレナも二人の後を追いかけて森の中へ。そこでは妖精の王オーベロンと妃タイターニアがインドから来た小姓を取り合って夫婦喧嘩の真っ最中だった 王の命令で惚れ薬を手に入れた妖精パックは、ディミートリアスと誤ってライサンダーの瞼に薬を塗る。一方、妃はパックの悪戯によりロバ頭になった職人ポトムに夢中になる こうして妖精パックの勘違いや悪戯が二組のカップルを混乱に貶めていくが、最後にオーベロンが魔法を解かせ、アテネ大公シーシアスの結婚式に合わせて彼ら二組も結婚式を挙げる

 

     

 

私がオペラを観るのは、2月6日の新国立オペラ「セヴィリアの理髪師」以来なので、実に8か月ぶりです 私にとっては待望の開幕公演です 会場は1階1列目と2列目がコロナ感染拡大予防のため空席になっていますが、それ以外の席は結構埋まっています 私だけでなく多くの聴衆にとって待望のオペラ公演だったのでしょう

会員先行発売では座席を指定できない仕組みになっていました 主催者側が指定した座席は2階3列15番、センターブロック左通路側です。かなり優遇してくれたと思います

オーケストラ・ピットの中にスタンバイするのは東京フィルの35人の奏者です。2月の「セヴィリア~」の時は東京交響楽団でしたが総勢49人でした 曲目にもよるのでしょうが、ピットの中は3密空間なので、ソーシャルディスタンスを図るため人数を制限したと思われます

指揮者・飯森範親が指揮台に上がり第1幕に入ります 生まれて初めて聴く曲、しかも”現代曲”なので緊張します 第1幕はブリテン独特の音楽の流れに慣れるのに時間がかかりました ただ、事前にプログラム冊子を買って「あらすじ」から「作品解説」や「専門家の寄稿」まで読んで オペラの全体像が頭に入っていたので、予習なしとはだいぶ違うと思います

歌手陣では、オーベロンを歌ったカウンターテナーの藤木大地が期待通りの透明感のある美しい歌唱を披露し聴衆を魅了しました

タイターニアを歌った平井香織は国立音大大学院修了の二期会会員ですが、良く通るソプラノでした

パックを歌った河野鉄平は身体能力が抜群で、舞台狭しと走り回り、声に力がありました

今回女性陣で一番印象に残ったのはヘレナを歌ったソプラノの大隅智佳子です 東京藝大大学院修了の二期会会員ですが、高音に伸びがあり、存在感が抜群でした

ハーミアを歌った但馬由香は武蔵野音大大学院修了の藤原歌劇団員ですが、説得力のあるソプラノでした

男性陣ではランサンダーを歌った村上公太が印象に残りました 東京音大卒、新国立オペラ研修所第6期修了のテノールですが、力強い歌唱で会場を圧倒しました

ディミートリアスを歌った近藤圭は国立音大大学院首席修了、新国立オペラ第9期修了のバリトンですが、魅力のある声質で演技力もありました

児童合唱のTOKYO FM少年合唱団の皆さんは、透明感のある歌声を披露し、大健闘でした

飯森範親指揮東京フィルは、歌手に寄り添いながら、夢の中の世界のような浮遊感に満ちた音楽を奏で、聴衆を魅了しました

演出では、それぞれのカップルが密に接近するのを避けるシーンが各所で見られ、これがコロナ禍における「ニューノーマル」演出なのだろうな、と思いました

ただ1つだけ演出で気になる点がありました 第3幕で職人たちが集まってアテネ大公シーシアスの結婚式で余興劇「ピラマスとシスビー」を演じるシーンがあります 余興劇の内容は、「ピラマスとシスビーは石垣の穴を通じて愛を囁き合う ライオンに襲われたシスビーは命からがら逃げるが、彼女が残した血染めのマントを見て、ピラマスは彼女が死んだものと思い、命を絶つ ピラマスが死んでいるのを見てシスビーも後を追う 全員でベルガマスクを踊って劇は終わる」というものです シスビーが死んだあと、職人が「このあと、エピローグにしましょうか?  それともベルガマスクにしましょうか?」と尋ねると、結婚して大公婦人となったヒポリタが「ベルガマスクにして。でも短い方がいいわね」と答えます この余興劇は、そういう種類の”早く終わった方がいいような”退屈な芝居という位置づけにあります

この劇をポトム、クインス、フルート、スナッグ、スナウト、スターヴリングたちが演じるのですが、観ていると、どうも もどかしいのです ”早く終わった方がいいような退屈な芝居”なので、歌手たちはいかにも学芸会的に演じているのですが、観ている側は 間延びして笑うに笑えない状況に陥ってしまいます この部分は演出上、他にやりようがないのかな、と思ってしまいます これが純粋な「演劇」であれば、いかようにも やりようがあるのでしょうが、オペラとなると難しいのかも知れません しかし、よく考えてみると、退屈な芝居を退屈に感じるように演じているわけだから、演出家の意図の通りに演じられていることになります われわれは、まんまと演出家の術中に嵌ったのかもしれません

以上の通り、オール日本人歌手によるオペラ公演としては大成功だったと思いますが、カーテンコールで 歌手たちが手をつなげず 隣人との間合いを図っているのを見て、これがコロナ禍におけるカーテンコールの「ニューノーマル」なんだろうな、と思いました

8か月ぶりのオペラ鑑賞でしたが、やっぱり総合芸術のオペラはいいな、とあらためて思った公演でした

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山下洋輔のベートーヴェン / 中山七里「夜がどれほど暗くても」、柚月裕子「盤上の向日葵(上・下)」、A.ホロヴィッツ「その裁きは死」、五木寛之「大河の一滴」を買う

2020年10月04日 07時19分13秒 | 日記

4日(日)。昨日の日経夕刊第1面のコラム「あすへの話題」にジャズ・ピアニストの山下洋輔氏が「インタビュー」というテーマでエッセイを寄せています 超訳すると、

「今年はベートーヴェン生誕250年にちなんだ行事が多い 自分にも16日に東京芸術劇場でベートーヴェンを弾いてほしいという依頼がきた それについてのインタビューの申し込みが新聞7紙からあったが、共同記者会見というわけにもいかないので、一人一人の記者と会った 大体似た質問になる。これについては「何度も同じことを聞かれても怒らずに答えるように」と昔、相倉久人氏から教わった 『さっき答えただろうが!』と怒ってはいけない 質問するのは毎回違う人なのだから、同じことを聞かれても初めてのような顔をして、にこにことお答えするのがゲーノー界のオキテらしい 『ジャズマンが上手にベートーヴェンを弾きますという内容ですか?』と聞かれるが、その逆で、ヤマシタのおかげでベートーヴェンがこんなにめちゃくちゃになりました、という内容になることは間違いない ベートーヴェンの曲やテーマを借りて、それをヒントにしてジャズのように変奏や即興演奏をやってしまうつもりなのだ このようなことを、2日間で7回やりとりした。いやあ光栄ではありましたが、くたびれました

10月16日(金)午後7時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれる このコンサートは「ミーツ・ベートーヴェン・シリーズ」の第3回公演という位置づけにあります ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」~第2楽章、同第14番「月光」~第1楽章、エリーゼのために、第九交響曲~第2楽章、第5交響曲「運命」~第1楽章などが、弦楽四重奏団などとの協演により演奏されます

奇才・山下氏のことなので、肘打ち奏法を交えて弾きたい放題 弾きまくるのだろうと思います     聴きに行きたいのは山々なのですが、当日は新日本フィルと読売日響のコンサートをハシゴするので 残念ながら行けません   海の砂浜で演奏するわけではないので ピアノは燃やさないと思いますが、チケットを買った人はマスクを忘れないで 楽しんできてください

ということで、わが家に来てから今日で2194日目を迎え、マクナニー米大統領報道官は2日の声明で、新型コロナウイルスに感染したトランプ大統領が「数日間」にわたって首都ワシントン郊外の米軍医療施設に入院すると明らかにしたが、世界各国の首脳からはお見舞いのメッセージが寄せられた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     いくら史上最低最悪の大統領だと言っても  世界経済への影響は大きいから 心配だ

 

         

 

まだ未読の本が2冊あるのに、またまた池袋のジュンク堂書店で本を5冊買いました たぶん病気だと思います

1冊目は中山七里著「夜がどれほど暗くても」(ハルキ文庫)です 「中山七里は7人いる」と言われる多作家の最新文庫版です 今度はどんなどんでん返しが待っているのか

 

     

 

2冊目と3冊目は柚月裕子著「盤上の向日葵(上・下)」(中公文庫)です 絶好調の柚月裕子の最新文庫版は将棋界の話らしいです

 

     

     

 

4冊目はアンソニー・ホロヴィッツ著「その裁きは死」(創元推理文庫)です 傑作「カササギ殺人事件(上・下)」、「メインテーマは殺人」に次ぐ最新文庫版です

 

     

 

5冊目は五木寛之著「大河の一滴」(幻冬舎文庫)です これは女優の黒木瞳さんが新聞の書評欄「私の1冊」で推薦していた本です

 

     

 

いずれも、未読の2冊を読み終わってから読んで、当ブログでご紹介していきます

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「コロナ禍 音楽との新しい関係」~ 金子三勇士 ✕ 水野蒼生による対談:朝日の記事から / 門馬直美著「ベートーヴェン 巨匠への道」を読む ~ 知られざるベートーヴェンも

2020年10月03日 07時17分01秒 | 日記

3日(土)。昨日、池袋の新文芸坐で今敏監督によるアニメーション映画「PERFECT  BLUE」と「千年女優」の2本立てを観るつもりで開演40前に行ったのですが、「前売りで完売し、当日券はありません」と冷たく言われました 間近、いや、マジか!と思いましたが、ネット予約ですべて売り切れたとのこと また、本日上映の同監督による「東京ゴッドファーザーズ」と「パプリカ」も、残席は最前列左右の端だけという状況とのことでした ただ5日(月)の「東京~」と「パプリカ」はまだ余裕があるというので座席指定を取っておきました アニメ映画ということで、余裕で当日券が買えると甘く見ていたのが間違いでした アニメ映画にはヲタク的な熱烈なファンが大勢いると考えるべきでした アニメ・ファン 恐るべし

ということで、わが家に来てから今日で2193日目を迎え、トランプ米大統領は2日、自身とメラニア夫人が新型コロナウイルスの感染検査で陽性だったとツイッターで表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     自身の管理能力も 国の管理能力も 微塵もないことが露呈した  誰が選んだんだ!?

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」と「キャベツの中華スープ」を作りました やっぱりワインが合いますね

 

     

 

         

 

昨日の朝日朝刊「第2東京面」に「コロナ禍 音楽との新しい関係」と題する対談が載っていました 対談しているのは、日本人の父とハンガリー人の母のもとに1989年に生まれたピアニスト・金子三勇士氏と、1994年生まれで ザルツブルク・モーツアルテウム大学を首席で卒業し、クラシカルDJとして2018年にドイツの名門レーベル・グラモフォンから初のクラシック・ミックスアルバムをリリース、今年3月に2枚目の「BEETHOVEN」を発表した指揮者・水野蒼生氏です

二人の対談で興味を引かれたのは、「生演奏とライブ配信」の問題です 金子氏は次のように語ります

「6月に信州上田の野外ステージでコンサートを開いた オンラインで音楽番組風のライブ配信も始めた トーク番組のように司会をしてゲストを招いて演奏する 客が書き込んだコメントにその場で答えるライブ感。ふたを開けてみたら自分の負担がかなり大きかったが 会場で演奏するだけがライブなのか、ということに辿り着く オンラインで聴く機会があれば『やっぱり生も聴きたい』となるし、オンラインだからできる挑戦をしたい

一方、水野氏は次のように語ります

「5月の大型連休の『ラ・フォル・ジュルネ音楽祭』が中止になり、代わりにインスタグラムでのDJライブを3日間、自室から送ったが、いつもとは違う緊張感があった ライブ配信の方が客とのコミュニケーションが活発。これまでステージと客席に二分されていたのが、ネットを介しおしゃべりできて存在がとても近い 客の声をガッツリ聞ける機会は貴重だ。コロナ後も生かせるツールだと思う 一方で、『何をもってリアル、ライブというのか』というのが分からなくなってきた ネットなら地球の裏側にいる人とだって、その瞬間を共有できるし

次に「欧州で音楽教育を修めた二人に、東京の音楽シーンはどう映るか」について、水野氏は次のように語ります

「都内にプロのオーケストラが9つもある。そんな街は世界中ない。クラシックをモチーフにした『蜜蜂と遠雷』とか『のだめカンタービレ』とか、ドラマ、映画にも大きな影響を受けた なのに本来のエネルギーを発揮できていない 見せ方や方向を少し変えれば、もっと力を持つはず 恩返しをしたい、もっと楽しもう、とクラシカルDJを試みている

一方、金子氏は次のように語ります

「世界中のアーティストを生で見られ、刺激にあふれる街 でも、まだ出会えていない人も多い。ハンガリーでは、学生証があれば無料で劇場の空いている席に座らせてくれた

最後に「アフターコロナ、音楽はどうなるか」に関して、水野氏は次のように語ります

「今までのスタイルに戻すのではなく、インスタライブも生の演奏会も、うまくすみ分ける時代になっていく 両方の価値を認知してもらう活動をしなくては

一方、金子氏は次のように語ります

「広島で久しぶりの公演後、サイン会ができない代わりにツイッターで感想を募集したら、率直で面白かった 客は生のコンサートとオンラインとを自然に分けて楽しんでいる 我々は一人でも多くの人に良い音楽を届ける。そこは変わらない

この対談を読んで、二人に共通しているのは「クラシックの演奏を会場で聴くだけがライブではない。オンラインによるライブ配信は世界中の人に同時に音楽を届けることが出来る。この双方を共存させながらクラシック音楽の普及を図るべきではないか」ということだと思います

私の考えは、「ライブはあくまでもコンサート会場で、演奏家と聴衆とが同じ空間の中で音楽を共有する”体験”である」と思っているので、「ライブ配信は生演奏を聴く間接的な手段に過ぎない」と思っていますが、実際にはコンサート会場で生で演奏を聴ける人の数は限られているし、近くにコンサート会場がないとか、あってもクラシック音楽が演奏されないとか、物理的に聴けない状況下にある人が多数いらっしゃることは意識しなければならないと思います そうは言うものの、私が東京から離れられないのは、複数のコンサート会場、映画館、大型書店が比較的近くにあるからです

 

         

 

 門馬直美著「ベートーヴェン 巨匠への道」(講談社学術文庫)を読み終わりました   本書は1987年に春秋社から刊行された「ザ・ベートーヴェン」を2020年8月に文庫化したものです 門馬直美氏は1924年、東京生まれ。東京大学理学部卒業。放送局勤務の後、常葉女子短期大学教授、洗足学園音楽学部教授、サントリー音楽財団顧問などを務める。音楽評論家として活動。2001年死去。門馬直美氏と言えば、私にとっては月刊誌「レコード芸術」のレコード評でお馴染みの音楽評論家でした

 

     

 

著者の門馬直美氏は「あとがき」の中で次のように書いています

「この本は、『ベートーヴェンに関することども』といった内容を持ち、ベートーヴェンの人間性とその音楽を多面的・多角的にとらえてみようという意図で書かれた したがってこれは、ベートーヴェンのたんなる伝記でもないし、その作品の解説書でもない。ひとつのテーマを設定し、それを掘り下げてゆくというスタイルで、本書の各章は構成されている

門馬氏の解説どおり、本書は次の各章と途中の「インテルメッツォ」から構成されています

《プロローグ》  波乱の生涯・スケッチ

第1話「ベートーヴェン以前のボン」

第2話「ボンの人々」

第3話「青春のボン」

《インテルメッツォ》  ベートーヴェンの愛 ~ 婚約説をめぐって

第4話「第十交響曲のゆくえ」

第5話「『シンフォニア・エロイカ』の謎」

第6話「メルツェルさん、さようなら」 ~ メトロノーム考

第7話「『ウェリントンの勝利』の顛末」

《インテルメッツォ》 ベートーヴェンと宗教 ~ フリーメーソンだったのか?

第8話「イギリスへの夢」 ~ ニートとの交際をめぐって

第9話「あるパトロンの末路」 ~ ラズモフスキー伯爵の場合

第10話「オペラのライヴァル」 ~ 同時代人ウェーバー

第11話「奇妙な交友関係」 ~ 肥満チスト・シュパンツィヒ

《インテルメッツォ》 ベートーヴェンの生活

第12話「『第3の故郷』ボヘミア」

第13話「ヴァイオリン・コンプレックス」

第14話「コントラバスとマンドリン」

第15話「ダンス音楽への愛着」

《エピローグ》「『歓喜』の背景~日本人とベートーヴェン」

まず最初の「《プロローグ》  波乱の生涯・スケッチ」を読むと、ベートーヴェンの生い立ちから、ボンでの少年時代、ウィーンでの青年時代、”傑作の森”の充実期、後期の時代、晩年の孤高の時代までを概観することができます

「生い立ち」を読んで私が初めて知ったのは、ベートーヴェンの祖父のことです 門馬氏の解説によると、

「ベートーヴェンの祖父(ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン:巨匠と同じ名前)は1733年にリエージュからボンに移住してきた。もともと歌手で、ボンの宮廷楽団に加わり、61年には楽長になったほどの人である ドイツの女性と結婚して3人の子どもをもうけたが、そのうちただの一人、次男のヨーハンだけが成長した。このヨーハンがベートーヴェンの父親である。祖父はベートーヴェンが3歳のときに死去しているが、ベートーヴェン家では祖父のことがしばしば話題になり、幼いベートーヴェンの心に出世の目標となっていたことは充分に考えられる 祖母は、酒の商売を内職にしていたことから、やがてアルコール依存になってしまった。父ヨーハンは、祖父の口利きで宮廷のテノール歌手となったが、才能も祖父ほどにはなく、忍耐力にも乏しくて、祖母と同じように酒の魔力に惹かれて、ついには酒なしでは生活できないようになってしまう

父親のアル中は知っていましたが、祖父も立派な音楽家だったことは初めて知りました

内容的に興味深かったのは第6話「メルツェルさん、さようなら」 ~ メトロノーム考です。

ヨーハン・ネーポムク・メルツェルは、1808年に「宮廷室内機械技師」という称号を受けたほどの優れた技術者で、「メトロノーム」の発明者として有名です しかし、この本によると、実際の発明者はオランダ人技師ヴィンケルだというのです メルツェルはヴィンケルの発明した機械のアイディアをパクって、振子の長さを示す段階の数値を記入し「メトロノーム」と命名して特許申請したというのが真相のようです ヴィンケルはメルツェルを相手取って訴訟を起こしますが、メルツェル勝訴の判決が下された時には、すでに「メトロノーム」は売れに売れ、メルツェルは莫大な利益を上げていたそうです 実にしたたかな男です 彼にはレーオナルト・メルツェルという弟がいましたが、彼も「宮廷室内機械技師」の称号を持つ優秀な技術者でした ベートーヴェンは難聴に苦しんでいましたが、この弟レーオナルト・メルツェルが彼のために補聴器を作りました 「メトロノーム」で一儲けした兄ヨーハンが補聴器も作ったと勘違いされることが多いそうです

また「《インテルメッツォ》 ベートーヴェンと宗教 ~ フリーメーソンだったのか?」も興味深いものがあります 門馬氏によると、ベートーヴェンがボンにいた時には、フリーメーソンへの加入が一種の流行ともいえる現象になっていたといいます その上で次のように書いています

「ボン時代にベートーヴェンがフリーメーソンに加入していた可能性は充分にある ベートーヴェンが1792年にボンでシラー『歓喜に寄す』に共鳴して作曲を企てたことも、すでにフリーメーソンの思想を抱いていたからではないかと考えられてくる シラーは、この詩を1785年にドレスデンでフリーメーソンのために書いたのだった そして、当時のドイツのフリーメーソンの会員たちは、この詩を自分たちの思想を歌ったものとして愛唱していたという ベートーヴェンがこの詩を気に入っていたことも事実である。いうまでもなく、このシラーの頌歌は、のちに第九交響曲に使われることになった この時期においても、フリーメーソンの自由・平等・博愛の精神が胸中にあった、とみるのは考えすぎだろうか とにかく、ベートーヴェンが自由・平等・博愛を求め、憧れていたことは、周知の通りである

門馬氏は、「ベートーヴェンが現実にフリーメーソンの会員だったと ここで断定しているわけではない」と付言していますが、相当その考えに傾いていることは確かなようです

「《インテルメッツォ》 ベートーヴェンの生活」を読むと、ベートーヴェンがビールよりもワインを好み、料理では魚料理が大好物だったことなどが分かります

270ページほどの文庫本ですが、活字が小さいので内容的にはかなりの文章量になっています しかし、章立てに従って読む必要もないので、時間がある時に興味のある章を読むなど自由に読み進むことが出来ます ベートーヴェン・イヤーの今、読んでみてはいかがでしょうか

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ヘレン・レディ / ジャック・ドゥミ監督「ロシュフォールの恋人たち」&「ロバと王女」を観る ~ ミシェル・ルグランの音楽が冴えわたる:新文芸坐

2020年10月02日 07時22分14秒 | 日記

2日(金)。昨日の朝日朝刊「死亡欄」にヘレン・レディさんの死去記事が載っていました

「オースラリア出身の歌手。9月29日、ロサンゼルスで死去(享年78歳)。親族が発表した。豪メディアによると近年は認知症と診断され、第一線を退いていた 渡米後の1972年に発売されたシングル曲『アイ・アム・ウーマン(私は女)』は、女性の地位向上運動の賛歌として親しまれ、全米ヒットチャートの1位に 73年3月に同曲でグラミー賞を豪州人で初めて受賞。伝記映画が今年、米豪などで公開された

いま 手許に1枚のLPレコードがあります 

アルバム・タイトルは「Helen  Reddy I Am Woman」です

 

     

 

今からン十年前の70年代のことです 新聞関係団体の事務局(社団法人)に入職して3年が経とうとしていた時のことでした 当時、日本とアメリカの新聞記者の間で、お互いの国をよく理解したうえで報道しようという機運が盛り上がり、「日米記者交換計画」というプロジェクトが進められていました その年はアメリカの記者団を受け入れる順番の年で、全米から主に地方紙の記者 十数人が来日して、2週間の日程で 日本の文化人の講演を聞いたり、広島原爆記念館や大相撲大阪場所の見学など全国各地を訪問しました その時、私がそのプロジェクトの担当者になったため、来日記者団のスケジュール表の作成から、講師(司馬遼太郎氏 等)との折衝、同時通訳の手配、訪問先との折衝、全国各地への訪問旅行の同行に至るまで、2週間にわたり記者団に付きっ切りで行動を共にしていました 国内旅行には外務省の外郭団体の職員も一緒に同行しました 2週間のスケジュールが無事に終わり 銀座の某レストランで歓送会が開かれたのですが、お開きの直前に、視察団が「お世話になったお礼に」と、「Helen  Reddy I Am Woman」と「Let me be there  Olivia Newton=John」の2枚のLPレコードをサプライズ・プレゼントしてくれたのです    当時から私はクラシック音楽一辺倒だったので、ポピュラー音楽は門外漢だったのですが、この時は 自分の努力が報われたと思い、あまりの嬉しさに涙が出るほど感動しました   ヘレン・レディとオリヴィア・ニュートン=ジョンの名前に接すると、あの時の記者たちの嬉しそうな顔を思い浮かべます ヘレン・レディさんのご冥福をお祈りします

ということで、わが家に来てから今日で2192日目を迎え、自民党の杉田水脈衆院議員が9月25日に党本部であった会議に出席した際に、女性への性犯罪に絡んで「女性はいくらでもウソをつける」と発言したと出席者が証言していた問題について、杉田氏は1日、自身のブログで「ご指摘の発言があったことを確認した」と認め、「女性を蔑視する意図はまったくございません」と釈明した  というニュースを読んで感想を述べるモコタロです

 

     

     自分が平気でウソをつくからと言って 女性全般に拡大解釈するのはトランプ流だ

    

         

 

昨日の夕食は「牛タン塩焼き&ハラミ焼肉」と「生野菜と卵(ぬか漬け)のサラダ」にしました あとは娘が漬けた「キュウリとオクラの ぬか漬け」です 肉料理にはワインですね

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でジャック・ドゥミ監督「ロシュフォールの恋人たち」と「ロバと王女」の2本立てを観ました

「ロシュフォールの恋人たち」は、ジャック・ドゥミ監督による1967年製作フランス映画(127分)です

フランス西南部の海辺の街ロシュフォールは年に一度の祭を2日後に控えて賑わっていた 街には音楽家を志すソランジュ(フランソワーズ・ドルレアック)とバレリーナを志すデルフィーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)という双子姉妹が住んでいた 二人はこの街を出てパリで花を咲かせたいと思っていた。それと同時に運命の恋人の出現を待っていた 姉妹の母親イヴォンヌ(ダニエル・ダニュー)はカフェの女主人で、店は常連客で賑わっていた 客の中には、今回の祭でオートバイの曲乗りを見せるエチエンヌ(ジョージ・チャキリス)とビル(グローバー・デール)の二人組や、理想の女性を求め、その女性の人物画(デルフィーヌの顔)を描いている水兵のマクサンス(ジャック・ペラン)がいた 祭の日がやってきた。エチエンヌとビルにショーの出演を頼まれたソランジュとデルフィーヌ姉妹も舞台に立ち、歌と踊りを披露した 二人組に「自分たちと一緒にパリに行って大芸術家になろう」と誘われた姉妹は彼らに着いていくことに決める しかし、ソランジュは以前、通りで出会った魅力的なアンディ(ジーン・ケリー)とパリへの出発直前に再会する イヴォンヌも十年前に些細なことで別れてしまった恋人で、今は楽器店を経営するダム(ミシェル・ピコリ)と再会する デルフィーヌは幸福そうなソランジュたちと別れ、男性二人組と一緒にトラックに乗りパリを目指して出発するが、途中でヒッチハイクをするマクサンスを拾い、パリを目指す

 

     

 

映画を観るまで、ミュージカルだとは思いませんでした 私はちっとも知らなかったのですが、双子の姉ソランジュを演じたフランソワーズ・ドルレアックはカトリーヌ・ドヌーブの実姉だそうです。どうりでよく似ていると思いました この映画はミュージカルなので、双子の姉妹をはじめ、登場人物が歌い踊るのが最大の魅力です これらはすべてミシェル・ルグランによる音楽です しかし残念ながら、イヴォンヌ役のダニエル・ダニュー以外はプロの歌手による吹き替えです それにしてもフランス語は美しい 音楽と言えば、ソランジュが作曲して即興で演奏するピアノ協奏曲は見事な作品ですが、これもミシェル・ルグランによる音楽です 彼はジャズなどポピュラーな音楽だけでなくクラシックの素養もあるので、聴きごたえがあります

どうでもいいことですが、ソランジュというのは、ショパンのパートナー、ジョルジュ・サンドの娘と同じ名前ですね

台詞で面白かったのは、水兵のマクサンスがイヴォンヌの店にやってきて、「何とナントに行くことになったんだよ」とシャレを言って二人して大笑いするシーンです もちろんこの部分はフランス語のジョークを言って笑っているわけですが、フランス語でナント言っているのか分かりませんが、よく日本語のジョークを合わせて翻訳したものだと感心しました

 

         

 

「ロバと王女」は、ジャック・ドゥミ監督による1970年製作フランス映画(89分)です

病床の王妃は夫である王(ジャン・マレー)に、再婚するなら自分より美しい女性を選ぶように言い残してこの世を去った 世継ぎを望む王が求婚したのは、何と実の娘である王女(カトリーヌ・ドヌーブ)だった。困った王女はリラの妖精(デルフィーヌ・セイリグ)に相談し、結婚の条件として様々な無理難題を王に突きつける しかし、王は王女の要求通りに空の色、月の色、太陽の色のドレスを次々と婚礼の贈り物として与え、ついには王国の富の根源である宝石のフンをするロバを殺してその皮までをも王女に贈る 王女はロバの皮を身にまとって王国を脱出する。王女はある国で森の小屋の下女として雇われる その国の王子(ジャック・ペラン)が森小屋にいる王女を目にして恋に落ちる 恋の病で病床にある王子は、彼女にケーキを作ってくれるよう家来を通じて頼む 王女はケーキの中に自分の指輪を入れて焼き、家来に持たせる。ケーキを食べた王子は指輪を発見し恋心が通じたと知る そして、その指環がぴったり合う女性と結婚すると宣言する 王国中の未婚の女性が集められ、一人一人試していったが誰も指輪が合う者がいなかった。しかし、最後に「ロバの皮」が指にはめるとピッタリと合い、王女の身分も明らかになる 王子と王女はリラの妖精と王女の父である王も駆けつけ、自分たちも結婚を宣言する

 

     

 

この映画はシャルル・ペローの童話「ロバの皮」をジャック・ドゥミ監督が実写映画化したミュージカル映画です

指輪をガラスの靴に変えれば「シンデレラ」です

この作品もミシェル・ルグランによる音楽が全編を通じて流れます 一番印象的なのは冒頭とラストに流れる「パッサカリアとフーガ」風の音楽ですが、これもバッハではなくミシェル・ルグランの作曲によるものでしょう

アッと驚いたのは、王とリラの妖精のカップルが登場するラスト・シーンです 何とヘリコプターに乗って空からやってくるのです この映画、いったいいつの時代の設定だい とツッコミを入れたくなりました

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