人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ヨハネス・ロバーツ監督「海底47m 古代マヤの死の迷宮」、エイドリアン・グランバーグ監督「ランボー ラスト・ブラッド」を観る ~ 新文芸坐

2020年10月21日 07時18分29秒 | 日記

21日(水)。わが家に来てから今日で2211日目を迎え、英政府は19日、ロシアの情報機関が3月以前に東京五輪・パラリンピックの関係団体などに対し、サイバー攻撃を仕掛けていたと発表したが、ロシアはドーピング問題で両大会からの除外処分を受けている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアは 反体制派を毒殺しようとしたり 五輪を妨害しようとしたり 恐ろしあだ~

 

         

 

昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 「ハッシュドビーフ」にはワインですね

 

     

 

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でヨハネス・ロバーツ監督「海底47m  古代マヤの死の迷宮」とエイドリアン・グランバーグ監督「ランボー ラスト・ブラッド」の2本立てを観ました

「海底47m  古代マヤの死の迷宮」はヨハネス・ロバーツ監督による2019年製作イギリス・アメリカ合作映画(90分)です

いじめられっ子のミア(ソフィー・ネリッセ)とサーシャ(コリーヌ・フォックス)は親違いの姉妹だが、お互いに仲は良くない 父親から、船の下部に窓が付いているボートで、ガラス越しのサメ鑑賞ツアーへ参加するように勧められ、現地に行った そこには 同じツアーに参加するいじめっ子たちがいた すると、アレクサ(ブリアンヌ・チュー)とニコール(システィーン・スタローン)から、彼女たちと同じツアーに参加するより観光客が来ないスリリングな所に行って楽しもうと誘われる 穴場スポットに移動し、4人で海底に潜ると そこは海底洞窟で 中には古代マヤ文明の遺跡が沈んでいた   迷路のようになっている遺跡を進んでいくと、盲目の巨大サメが泳いでいた    ボンベの空気が少なくなっていく4人に凶暴なサメが襲いかかる   4人は生還できるのか

 

     

 

この作品は2017年に公開された映画「海底47m」の続編です 新文芸坐は、どういう意図で今回の2本の映画を組み合わせたのか、と不思議に思っていたら、「ランボー」のシルベスター・スタローンの娘システィーン・スタローンがニコール役で映画デビューを果たしているのです

この映画はサメを登場させるパニック・スリラーですが、思っていた以上にドキドキしました 海中だけで よくもあれだけの映像が撮れたものだと感心します   予想としては女子4人組が全員生還して、めでたしめでたしで終わると思っていたのに、そう甘くはなかったのが意外でした

映画の最後に「この映画の撮影でサメは殺されたり傷ついたりしていない サメに殺された人間は世界で何人もいない。逆に多くのサメが殺されている」という旨のクレジットが表示されますが、今の時代 このような、サメは凶暴な生きものではないんだという”言い訳”を流さないと動物愛護団体からクレームが来るのだろうな、と思いました

 

         

 

「ランボー ラスト・ブラッド」はエイドリアン・グランバーグ監督による2019年製作アメリカ映画(101分)です

グリーンベレーの戦闘エリートとして活躍していたジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)は、いまだにベトナム戦争の悪夢にさいなまれていた ランボーは祖国アメリカに戻り、故郷のアリゾナの牧場で古い友人のマリア(アドリアナ・パラッザ)、その孫娘ガブリエラ(イベット・モンレアル)とともに平穏な日々を送っていた しかし、ガブリエラが自分を捨ててメキシコに渡った父親に会いに行き、人身売買カルテルに拉致されたことで、ランボーの穏やかだった日常が急転する 娘のように愛していたガブリエラ救出のため、人身売買組織のボス、ビクトル・マルティネス(オスカル・ハエナダ)の根城を急襲する しかし、ガブリエラは麻薬で廃人同様になり死んでしまう。復讐心に燃えるランボーはグリーンベレーで会得した様々なスキルを総動員し、戦闘準備を整え、彼らを要塞化した自宅におびき寄せる

 

     

 

「誰かを救出するため」「最初はやられっ放し」「最後は復讐を果たす」というパターンの原点は、黒澤明の「七人の侍」ではないか、と思います 中でも、多くの敵を相手に一人で復讐するため、自宅や納屋や地下に様々な仕掛けを施し、相手を罠に嵌めるやり方は、「七人の侍」そのものです

この映画は「ランボー」シリーズの第5弾に当たります 思い返せば「ランボー」第1作が製作されたのが1982年だったので、37年もの間 シルベスター・スタローンが主役を張り続けたことになります  エンドロールの背景に「ランボー」の過去の作品におけるシルベスター・スタローンの若き日の雄姿が動画で映し出されます     この映画のタイトル「ランボー ラストブラッド」の通り、このシリーズは本作をもって幕を閉じます 彼は1946年生まれなので今年74歳。もういいでしょう お疲れさまでした、と言います

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「明日を担う音楽家たち」のチケットを取る / イ・ウォンテ監督「悪人伝」、バリー・ウォン、ジェイソン・クワン監督「追龍」を観る ~ 新文芸坐

2020年10月20日 07時20分58秒 | 日記

20日(火)。わが家に来てから今日で2210日目を迎え、ワイヤレスイヤホンの落し物が増えており、JR東日本によると、東京近郊だけで3か月間で約950個が線路に落ちていた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     JR東日本は「落としちゃイヤーホン‼」キャンペーンを始めた という耳寄りな話が

 

         

 

昨日はすごく寒かったので夕食は「みそ鍋」にしました 材料は豚肉、鶏肉団子、しめじ、キャベツ、もやし、豆腐、長ネギです お酒はやっぱり熱燗ですね 〆はラーメンにしました。満腹です

 

     

     

 

         

 

12月7日(月)午後7時から東京オペラシティコンサートホールで開かれる「明日を担う音楽家たち」のチケットを取りました これは文化庁と日本オーケストラ連盟の主催によるコンサートで、4人の若手演奏家が協奏曲を演奏し、高関健指揮東京シティ・フィルがバックを務めます プログラムと演奏者は以下の通りです

①ボッテジー二「コントラバス協奏曲 第2番 ロ短調」=コントラバス独奏:菅沼希望(新日本フィル首席)

②ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調」=ヴァイオリン独奏:楢井悠樹(N響第1ヴァイオリン奏者)

③ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調」=ピアノ独奏:石井楓子(第2回ドイツ・ブラームスコンクール優勝)、トランペット:松木亜希(東京シティ・フィル)

④シューマン「ピアノ協奏曲 イ短調」=ピアノ独奏:加藤大樹(第7回東京音楽コンクール第1位・聴衆賞)

若い人たちの演奏を聴くのは清々しくて好きです

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で韓国映画「悪人伝」と香港映画「追龍」の2本立てを観ました

「悪人伝」はイ・ウォンテ監督による2019年製作韓国映画(110分)です

凶悪なヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)が、ある夜 後ろの車から追突され 何者かによってめった刺しされる    奇跡的に一命を取りとめたドンスは、対立する組織の犯行を疑い、犯人捜しに乗り出す 一方、警察側で捜査にあたるチョン・テソク刑事(キム・ムヨル)は暴力的な手段も辞さない荒くれ者として署内でも問題刑事として知られていた チョン刑事は、まだ世間の誰も気づいていない連続無差別殺人鬼がこの事件の犯人だと確信し、その手掛かりを求めて犯人と対峙したドンスに付きまとう ドンスとチョン刑事はお互いに敵意をむき出しにするが、狡猾な殺人鬼(キム・ソンギュ)を突き止めるにはお互いの情報が必要であると悟り、共闘して犯人を追い詰めることにする

 

     

 

この映画はヤクザの組長を演じるマ・ドンソクの不敵な面構えが、いかにもダークヒーローといった雰囲気をまとっていて、「悪人伝」というタイトルに嵌っています ヤクザと警察が共闘して犯人を捕獲するという あり得ないストーリー ですが、ヤクザのドンス組長が犯人を殺そうと復讐心に燃えているのに対し、警察のチョン刑事はあくまでも逮捕して牢屋にぶち込むことを最優先に考えています そこで、追い詰めた犯人の奪い合いが始まります 確たる証拠もないまま裁判が進む中、犯人と対峙して生き残った唯一の証人として出廷したドンスは、自分も刺されたが、犯人も胸に傷を負っているはず、と証言して有罪判決につなげます しかし、これではドンスの恨みは晴らせません 別件逮捕されたドンスは自分を犯人と同じ刑務所に収監するようチョン刑事に裏で話をつけます ドンスはそこで個人的な落とし前を付けようとしていたのです この辺のストーリー展開は面白いと思いました

 

         

 

「追龍」はバリー・ウォン、ジェイソン・クワン監督による2017年製作中国・香港合作映画(128分)です

中国の潮州から仕事を求めて香港にやってきたホー(ドニー・イェン)は、ヤクザ同士の争いに参加して警察に逮捕されるが、ホーの腕力に目を付けた警察署長のロック(アンディ・ラウ)に助けられる そのことに恩を感じたホーは、黒社会でのし上がっていき、今度はその立場からロックを助けるなど、2人は次第に友情で結ばれていく

 

     

 

この映画は、1960年代の香港に実在した香港マフィアのボス、ン・シックホーと 警察署長ルイ・ロックをモデルとして、汚職が蔓延していた警察と彼らと繋がっていた黒社会との関係を描いた作品です

この映画もヤクザと警察が結託して目の前の問題に対処するというストーリーですが、日本の小説で言えば柚月裕子「孤狼の血」の世界ですね

ところで、ホーの弟が麻薬漬けになると、ホーは「麻薬に手を出すな」と非難しますが、弟から「自分は麻薬取引の元締めをやっているのに、麻薬をやめろと言うのはおかしい 兄貴がその商売を辞めるんなら俺も麻薬は止める」と言い返されます 比較の問題であれば、これは弟の方が正論でしょう 実在した2人の主役のうちホーは、英国人殺しの罪で収監され刑期を全うした後も香港に残り 最後は癌で死去しましたが、一方のロックはアメリカに逃亡し天寿を全うしたとのことです 悪い奴ほど長生きするようです

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湯浅卓夫 ✕ 新交響楽団でシベリウス「交響曲第1番」&「カレリア」組曲、芥川也寸志「交響三章」を聴く ~ コロナ禍を乗り越えて演奏会を迎えた楽団員の皆さんに敬意を表します:新響 第251回演奏会

2020年10月19日 07時19分09秒 | 日記

19日(月)。トッパンホールから11月28日(土)14時から開催予定の「ルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズ・シュトゥットガルト」の公演中止の連絡があり、「ああ、助かった」と思いました。実はこの日、午後3時から東京オペラシティコンサートホールで「バッハ・コレギウム・ジャパン」の定期演奏会があるのに、手帳のスケジュール表を見間違えてチケットを買ってしまったのです 完璧なダブルブッキングです。クレジット決済だったので即契約成立でチケットが送られてきて「万事休す」だったのです 「こうなったら、どちらかのチケットを誰かに進呈するしかないな」と諦めていたところでした それで、公演中止の連絡があったので救われた思いがしたのです これで、私に関わるコンサート中止は合計116公演(うち延期7公演)となりましたが、世の中、何が起こるか分かりません。何事も最後まで諦めてはいけないという教訓を得たような気がします

ということで、わが家に来てから今日で2209日目を迎え、トランプ米大統領が17日、ミシガン州マスキーゴンで開催した選挙集会で、ホイットマー州知事(民主党)を批判した際、支持者らがホイットマー氏について「彼女を刑務所に入れろ!」と熱狂して連呼したが、トランプ氏は「全員を刑務所に入れろ!」とつぶやき、止めようとするそぶりはせず、その後も集会で「彼女に注意せよ」などとホイットマー氏への攻撃を続けた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     刑務所に入るべきはトランプだということが 大統領選で負けて明らかになるだろう

 

         

 

昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで新交響楽団 第251回演奏会を聴きました     プログラムは①シベリウス「カレリア」組曲、②芥川也寸志「交響三章」、③シベリウス「交響曲 第1番 ホ短調 作品39」です   指揮は湯浅卓夫です

主催者側が指定したのは1階M列13番、センターブロック左通路側の理想的な席です 会場は前後左右が空席の市松模様の配置です

 

     

 

オケのメンバーが配置につきます 弦楽器は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの新響の並びです    いつもは堀内真美さんと内田智子さんが前半・後半で交替してコンミスを務めていますが、この日は男性のコンマス(名簿によると小松篤司さん?)が努めます 演奏者をざっと見渡すと、いつもいるあの人この人が見あたりません この半年間のコロナ禍の元 それぞれの事情があったのでしょう 各人が仕事を持ちながら練習を重ねて本番に臨むというアマチュア・オーケストラならではのご苦労があったのだと思います

現在、東京藝大名誉教授を務める湯浅卓夫氏が指揮台に上がり1曲目のシベリウス「カレリア」組曲 作品11の演奏に入ります 

この曲はジャン・シベリウス(1865-1957)が1893年に作曲、同年ヘルシンキで初演されました 「カレリア」とはフィンランド南東部とロシア北西部に広がる森と湖の地方のこと。作品は第1曲「間奏曲」、第2曲「バラード」、第3曲「行進曲風に」の3曲から成ります

「間奏曲」ではホルンが何とか踏ん張りました 「バラード」ではコーラングレの哀愁を帯びた演奏が心に沁みました 「行進曲風に」は一転、明るく元気になるような曲想で、思わず足で拍子をとっていました。軽快な演奏でした

2曲目は芥川也寸志「交響三章」です この曲は芥川也寸志(1925-1989)が1948年に作曲、1950年10月に尾高尚忠指揮日本交響楽団(現・N響)により公開初演されました 第1楽章「カプリッチョ:アレグロ」、第2楽章「ニンネレッラ(子守歌):アンダンテ」、第3楽章「終曲:アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります

第1楽章はファゴットから入り、クラリネットのアイロニカルな主題を経てフルートに受け継がれます 躍動感にあふれた軽快な音楽に引き込まれます 第2楽章では、中間部のオーボエ独奏による主題が美しく響きます 第3楽章は、芥川の師匠である伊福部昭譲りのリズム感に満ちたオスティナート(執拗な反復)による躍動的な音楽が展開し、このオーケストラの創立者でもある芥川の音楽の特徴を前面に押し出します 胸のすくような爽快な演奏でした

 

     

 

プログラム後半はシベリウス「交響曲 第1番 ホ短調 作品39」です この曲はシベリウスが1899年に作曲、同年4月に作曲者自身の指揮により初演されました 第1楽章「アンダンテ・マ・ノン・トロッポ~アレグロ・エネルジーコ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ」、第4楽章「フィナーレ:アンダンテ ~ アレグロ・モルト」の4楽章から成ります

第1楽章冒頭はティンパニのトレモロに乗せてクラリネットが重心の低い序奏を静かに奏でますが、アマチュアにしては素晴らしい演奏です その後に入ってくるヴァイオリンのテーマはいつ聴いても感動的です ティンパニが素晴らしい 新響の演奏を聴くと、いつもこのティンパニの男性の演奏に魅了されます。中高年の星です 第2楽章はホルンのアンサンブルが素晴らしかった 第3楽章の力強い演奏に続いて 間断なく第4楽章に入りますが、冒頭の弦楽器の総奏が力強く かつ 美しい    木管楽器群も頑張っています    この楽章はオケ総力を上げての渾身の演奏でした

新響は当初、ストラヴィンスキー「春の祭典」を取り上げる予定だったそうです しかし、コロナ禍のもと大規模編成による作品の演奏は困難であることから「古典への回帰」を目指し、シベリウスを選んだとのこと コロナ禍のこの半年間、練習会場の確保やら楽団員の日程調整やら、何より感染しないように3密を避けて練習を重ねる必要性やら、いろいろなご苦労があったと思います それらのハードルを乗り越えて この日の本番を迎えられた新交響楽団の皆さんの奮闘に敬意を表します そして素晴らしい演奏をありがとうございました 次のコンサートでは市松模様を脱し、通常の座席配置によるコンサートが開かれることを切にお祈りしています

         

【コンサート余話】

休憩時間にロビーでプログラムを読んでいたら、「失礼ですが、toraさんですか?」と男性から声を掛けられました 「そうです」と答えると、「ままはは です ブログに1階M列と書いてあったので、もしかしてトラさんかと思いました。私は同じM列の近くの席です」とおっしゃいます ままはは(ブログネーム)さんは時々toraブログにコメントを寄せてくださる方です 名刺をいただきましたが、珍しいお名前で、金融機関を退職され、現在は川越で経営労務事務所を営んでいらっしゃるとのことでした 立ち話での音楽談義に花が咲きましたが、とても時間が短いので「そのうち飲みましょう」と言ってお別れしました    いつになるか分かりませんが、楽しみが一つ増えました

コメント (2)
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秋山和慶 ✕ 神尾真由子 ✕ 読売日響でプロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、レーガー「モーツアルトの主題による変奏曲とフーガ」、レスピーギ:組曲「鳥」を聴く ~ 読売日響 第602回定期演奏会

2020年10月18日 07時17分23秒 | 日記

18日(日)。昨日の日経朝刊別刷り特集「NIKKEIプラス1」のコラム「マナーのツボ」が「マスク越しの会話」について取り上げていました 超訳すると、

「マスクに慣れてきたが、声が小さくて相手の言っていることが聞き取れず『えっ』と聞き返すことが続いた お店などビニールシートが間を遮っている場所では、さらに伝わりづらい 『声は2割大きく、滑舌しっかりと』がきちんと伝えるためのポイントとなる そのための発声練習「口の体操・アエイオウ」を覚えておくと便利だ これは日本語の母音を口の開け方順に並べたものだ 『ア』はあくびのように大きく、『エ』は横にひいて指1本入るぐらい、『イ』は口角をあげて二コちゃんマーク、『オ』は唇をつぼめ、『ウ』はさらに力を入れて前に突き出す。コツは意識して『アエイオウ』と口を動かすこと

この記事を読んで、先日池袋の某喫茶店で経験したことを思い出しました 当然、店側も私もマスクをしていました。私が「ホットコーヒーのMをお願いします」と注文すると、なんとアイスコーヒーのSサイズが出てきました。間近、もとい、マジか と思いましたが、料金は同じだったので「まあいいや」と思ってそのままアイスコーヒーを飲みました。それにしてもホットとアイスを取り違えるだけならまだしも、サイズまで取り違えられたのは生まれて初めての経験でした   これを機に、できるだけ大きな声で注文するようになりましたが、「口の体操・アエイオウ」は役に立ちそうです。さっそく実行しようと思います

ということで、わが家に来てから今日で2208日目を迎え、米国の新型コロナウイルス感染者が16日、累計で800万人を超え、冬本番を控え感染の「第3波」に警戒が強まっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     自身がコロナに罹る危機管理能力ゼロのトランプが大統領の国だから 無理もないな

 

         

 

16日(金)19時からサントリーホールで読売日響 第602回定期演奏会を聴きました プログラムは①レスピーギ:組曲「鳥」、②プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品19」、③レーガー「モーツアルトの主題による変奏曲とフーガ」です   演奏は②のヴァイオリン独奏=神尾真由子、指揮=秋山和慶です

読売日響だからなのか、サントリーホールだからなのか分かりませんが、座席配置は市松模様ではなく通常の配置をとります 先日の東響のときも同じだったのでサントリーホールの方針なのでしょうか しかし、市松模様配置にしても満席にはならないほどの寂しい客入りです まだコロナ禍に不安を感じてコンサートに来られない聴衆がかなりの割合でいるような気がします

そんな中、オケのメンバーが登場する直前に最前列ど真ん中の席に向かうサスペンダーじいさんを発見しました 8か月ぶりぐらいです。いつものように大きな荷物を背負っているので超目立っています コンサートの再開はじいさんとの再会を意味していました。思わず ため息がでました 多くの会員のため息が聞こえてきそうな気がしました

さて、オケの配置は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの読響の並び。コンマスは長原幸太です 1941年生まれ、東京交響楽団の音楽監督・常任指揮者を40年間務め、読響とは9年ぶりの共演となる秋山和慶氏が登場し指揮台に上がります

1曲目はレスピーギ:組曲「鳥」です   この曲はオットリーノ・レスピーギ(1879-1936)が1927年に作曲、同年サン・パウロ市立劇場で初演されました 第1曲「前奏曲」、第2曲「鳩」、第3曲「雌鶏」、第4曲「ナイチンゲール」、第5曲「かっこう」の5曲から成ります

第1曲「前奏曲」はバロック風の音楽が奏でられ、後に出てくる雌鶏やかっこうの鳴き声も聴こえてきます 第2曲「鳩」は意外にも我々が知っている忙しない動きの鳩ではなく、オーボエの哀愁に満ちた音楽で表されます 平和の象徴として描いているのだろうか 蠣崎耕三のオーボエが素晴らしい 第3曲「雌鶏」はコケコッコーではなくコッ、コッ、コッと鳴き続けます 第4曲「ナイチンゲール」はフリスト・ドブリノヴのフルートが静かに美しく鳴きます 最後の「かっこう」ではフルートを中心に「かっこう」のさえずりを表します それにしても、レスピーギという作曲家は、「ローマの松」「ローマの噴水」「ローマの祭」のローマ三部作にしても、この「鳥」にしても、描写的な音楽を好んで作曲していたんだなあ、と思いました

2曲目はプロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品19」です この曲はセルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)が1916年から翌17年にかけて作曲、1923年10月にパリで初演されました 第1楽章「アンダンティーノ」、第2楽章「スケルツォ:ヴィヴァーチッシモ」、第3楽章「モデラート ~ アレグロ・モデラート」の3楽章から成ります

ソリストの神尾真由子が白と黒を基調とする、パリコレから抜け出してきたようなエレガントな衣装で登場、秋山氏の指揮で演奏に入ります 神尾の演奏は作曲者の指示の通り「夢見るような」ソフトで幻想的な雰囲気に満ちたものでした 第2楽章は一転、プロコフィエフと言うよりもショスタコーヴィチを彷彿とさせる躍動感に満ちた音楽が展開します 第3楽章は強弱により明暗を示した演奏が見事です 秋山 ✕ 読響はピタリとつけてソリストを盛り立てました

 

     

 

プログラム後半はレーガー「モーツアルトの主題による変奏曲とフーガ」です この曲はマックス・レーガー(1873-1916)が1914年に作曲、翌1915年1月に初演されました 主題はモーツアルト「ピアノ・ソナタ第11番K.331 ”トルコ行進曲付き”」の第1楽章です この曲は「テーマ(主題)」と「8つの変奏曲」と「フーガ」から成ります

オーボエ、ファゴット、クラリネットといった木管楽器によってお馴染みの「テーマ」が奏でられて曲が開始されます 次いで8つの変奏曲が展開しますが、曲想としてはブラームスを思わせる響きが印象的です ドイツの作曲家レーガーは同じドイツ出身のバッハ、ベートーヴェン、ブラームスという3大Bを熱烈に賛美していたそうですが、作品にもその影響が端的に表れています 最後のフーガは長大で、第1ヴァイオリンの奏でるテーマに第2ヴァイオリンが加わり、さらにヴィオラとチェロが加わり、最後にコントラバスが参集して厚みを増していき、さらに管楽器が加わって壮大なフーガを構成していきます 聴きごたえのある演奏でした

演奏が終わると客がぞろぞろと客席を離れて帰途に着きます 事前のアナウンスで「感染予防のため時差退出をお願いしたい。アナウンスがあるまで着席していてほしい」と告知されていましたが、どうやらお構いなしの様子です 東響定期公演の時は協力する人が多かったと思います 読響会員は終電時刻が早い人が多いのでしょうか もちろん私はアナウンスに従いました

帰りがけにロビーの一角で配布していた定期会員継続特典CDを頂いてきました 私は定期演奏会と読響アンサンブルの会員なので引換券が2枚あるので2種類のCDをゲットしました

1枚は常任指揮者セバスティアン・ヴァィグレの指揮によるベートーヴェン「交響曲第3番変ホ長調”英雄”」です

 

     

 

もう1枚はヴァィグレの指揮によるワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、モーツアルト:歌劇「魔笛」序曲、鈴木優人の指揮によるラモー:歌劇「優雅なインドの国々」組曲、山田和樹の指揮による伊福部昭「SF交響ファンタジー第1番」のカップリングCDです

 

     

 

2枚とも さらっと聴いてみましたが、伊福部昭のゴジラのテーマを中心とする「SF交響ファンタジー第1番」がとても面白かったです

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外山雄三 ✕ 上野耕平 ✕ 新日本フィルで大澤壽人「サクソフォン協奏曲」、ベートーヴェン「交響曲第7番」他を聴く~《ルビー》第34回定期演奏会

2020年10月17日 07時19分43秒 | 日記

17日(土)。わが家に来てから今日で2207日目を迎え、韓国の人気アイドルグループBTSが所属する芸能事務所「ビッグヒットエンターテインメント」が15日、韓国株式市場に上場し、時価総額が8兆7300億ウォン(約8千億円)となった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     メンバーの誰かが兵役に取られたりスキャンダルに巻き込まれたら株価はどうなる

 

         

 

昨日、夕食に「肉じゃが」と「生野菜サラダ」を作りました 昨日の午後はコンサートのハシゴだったので、午前中に作り置きしておきました こういう日は朝から忙しいです

 

     

 

         

 

昨日、午後2時から すみだトリフォニーホールで新日本フィル「《ルビー》第34回定期演奏会」を、午後7時からサントリーホールで読売日響「第602回定期演奏会」を聴きました ここでは、新日本フィル《ルビー》演奏会について書きます

プログラムは①外山雄三「交響曲」、②大澤壽人「サクソフォン協奏曲」、③トマジ「アルト・サクソフォンと管弦楽のためのバラード」、④ベートーヴェン「交響曲 第7番 イ長調 作品92」です 演奏は②③のサクソフォン独奏=上野耕平、指揮=外山雄三です

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの新日本フィルの並び。コンマスは西江王子です 座席は前後左右が空席の市松模様です。11月末まではこのままの配置でいくようです

 

     

 

1曲目は外山雄三「交響曲」です この曲は外山雄三(1931年~)が名誉指揮者を務める大阪交響楽団の委嘱により2018年(87歳の時!)に作曲、翌2019年2月に作曲者自身の指揮で初演された単一楽章形式の交響曲です

外山氏は とても89歳とは思えない矍鑠たる足どりで指揮台に向かいます 冒頭のブラスによる力強い響きが印象的です 中間部は弦のアンサンブルが美しく、重松希巳江のクラリネットが華を添えます そして再び力強い響きが戻りフィナーレを迎えます 全体を通して聴いた印象は、枯れた作曲家からは決して出てこないエネルギーを感じました

2曲目は大澤壽人「サクソフォン協奏曲」です この曲は大澤壽人(おおさわ  ひさと:1906-1953)が1947年に作曲した日本初のサクソフォン協奏曲と言われています 大澤壽人はボストン大学音楽学部とニューイングランド音楽院で学び、その後、フランスに渡りパリのエコール・ノルマル音楽院で学んだという日本人としては稀有な作曲家です 大澤壽人で思い出すのは2017年度「サントリー芸術財団  サマーフェスティバル」で、片山杜秀氏のプロデュースにより大澤壽人の①コントラバス協奏曲(世界初演)、②ピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」、③交響曲第1番(世界初演)が演奏された同年9月3日の公演です コントラバス独奏は都響の佐野央子さん、ピアノ独奏は福間洸太朗氏で、山田和樹指揮日本フィルの演奏でした ピアノ協奏曲第3番の「神風協奏曲」は「神風特攻隊」の神風ではなく、朝日新聞社所有の飛行機「神風号」のことです この曲の第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」ではサクソフォンによるバラード調の音楽が奏でられますが、その公演でサクソンフォンを吹いていたのが上野耕平氏でした 昨日のコンサートの直前に開かれたワンコイン講座での小室敬幸氏の解説によると、上野氏は「大澤壽人という人はこんなに素晴らしい曲を書いているのか」と感銘を受け、調べてみたら「サクソフォン協奏曲」を作曲していることが分かったので、是非演奏したいと思い、自分で音符を書き起こしたとのことです したがって今回の演奏は上野氏の熱望によって実現したプログラムだったと言えます

この協奏曲は故・オヤマダアツシ氏の解説によると単一楽章とのことですが、外山氏は3つの楽章に分けて指揮をしました 冒頭はティンパニの連打を背景にクラリネットとファゴットが主題を奏でます ジャズの要素が取り入れられているな、と感じます 中間部では上野氏の独奏サクソフォンが良く歌います 興味深かったのは最後の部分で、なぜか外山雄三氏の代表作「管弦楽のためのラプソディー」の民謡調の音楽が聴こえてきて、思わずニヤリとしてしまいました これを聴いて、アメリカとヨーロッパで活躍したクリスチャンの大澤壽人と言えども、やはり日本的なDNAは音楽に表れるのだなと思いました なお、大澤は自筆スコアのタイトル部分に並行して「ラプソディ」という文字を書いていたそうです

参考までに前出の大澤壽人「ピアノ協奏曲 第3番 ”神風協奏曲” 」は「交響曲 第3番」とのカップリングでCD化されています。素晴らしい曲です。是非聴いてみてください

 

     

 

プログラム前半の最後はトマジ「アルト・サクソフォンと管弦楽のためのバラード」です    この曲はアンリ・トマジ(1901-1971)が1938年に作曲した作品で、スザンヌ・マラールという詩人による道化師の憂鬱をテーマにした幻想的な詩にインスピレーションを受けて作曲したものです   「アンダンティーノ」「ジーグ」「ブルース」の3楽章から成ります

「アンダンティーノ」ではアルト・サクソフォンのアンニュイな雰囲気が良く出ています  「ジーグ」では乗りのいい音楽が奏でられます   「ブルース」では再び  嘆きのような物憂い(アンニュイ)な雰囲気の音楽が奏でられますが、フィナーレは速いパッセージで明るく結ばれます    この曲では、上野耕平氏の表現領域の広さと完璧なまでの技巧の裏付けを感じました

かくして、年齢差61歳の協演による珍しいサクソフォンを主役とする2曲の演奏に 惜しみない満場の拍手が送られました

 

     

 

プログラム後半はベートーヴェン「交響曲 第7番 イ長調 作品92」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1811年から翌12年にかけて作曲、1813年にウィーンのルドルフ大公邸で私的に初演され、同年ウィーン大学講堂で公開初演されました 第1楽章「ポコ・ソステヌート:ヴィヴァーチェ」、第2楽章「アレグレット」、第3楽章「プレスト」、第4楽章「アレグロ・コン・ブリオ」の4楽章から成ります

新日本フィルはこの曲を今年8月4日(火)の「フェスタサマーミューザ2020」参加公演で演奏しています 指揮は 9月1日から新日本フィルの Composer  in  Residence  and  Music  Partner に内定していた久石譲氏でした 正直言って、私は久石譲という名前で連想したのは「となりのトトロ」の のんびりしたテーマ音楽でした ところが、演奏が始まるや その先入観は見事に打ち砕かれ、高速テンポによる軽快な音楽運びにビックリしました 良い意味で予想を裏切られた気がします したがって、「同じ曲を同じオーケストラが演奏するのに 違う指揮者がタクトをとるとどうなるのか」が最大の関心事になります

第1楽章冒頭の和音は、ズシンとくる重さを感じました 音楽が重力を持っているかのようです 想像以上に遅いテンポです しかし、それだけにベートーヴェンの「第7番」の構造が明確に浮き彫りにされます 第2楽章はさらに遅くなりますが、弦楽セクションのアンサンブルが極上の美しさです 第3楽章でベートーヴェンの求める速度は「プレスト」ですが、外山 ✕ 新日本フィルの演奏は、せいぜい「アレグレット」です しかし、ここまでくると演奏の遅さを感じなくなってきます いつの間にか「これが普通のベートーヴェンなんですよ」と説得されてしまっているかのようです これには既視感(聞き覚え?)があります。それは1960年代に大活躍したオットー・クレンペラーの演奏です。スローテンポながら説得力があるのです それは第4楽章「アレグロ・コン・ブリオ」に至ってさらに明確になりました。普通の指揮者であれば第4楽章だけはテンポアップしてフィナーレを飾ります しかし、外山氏はまったくテンポを上げず、スローテンポのままフィナーレに向かいます 低弦のうねりが素晴らしい 外山氏はベートーヴェンの演奏に対する確固たる信念を持っています それは、8月に新日本フィルを指揮した久石譲氏の第7番が「ベートーヴェンはロックだ」というコンセプトだったのに対し、外山氏の第7番は「現代のスピード感に溢れるベートーヴェンの演奏に対するアンチテーゼ=異議申し立て」だということです 私には、外山氏が「コロナ禍でこれまでの行動様式が見直しを余儀なくされる中、演奏についても一度落ち着いて考え直してみませんか」と問題提起しているように思われました

クレンペラーが生きていたら、きっと外山氏のような指揮をしただろうな、と思います クレンペラーが大好きな私にとっては申し分のない素晴らしい演奏でした

いずれにしても、同じオーケストラでも指揮者が違うと全く違う演奏になる これがクラシック音楽を聴く醍醐味です

 

     

 

この日は、新日本フィル事務局パトロネージュ部の登原さんと開演前、休憩時間、演奏後に「フェイス・シールドの着用や市松模様の座席配置はいつまで続くのか」や「この日の演奏の感想」から、私のブログの話題に至るまで、いろいろとお話しができてラッキーでした 登原さんから「マスクを着用しない入場者とのトラブルもある」という話も出ましたが、私も社団法人の事務局に長年勤め、講座・セミナーを運営した経験があるので、そういうご苦労は良く理解できます 一人の客がマスクをしないためにその会場でコロナ感染者が出た場合、そのオーケストラだけでなく、オーケストラ全体が再び厳しい規制の対象に置かれることになります 「俺は主義としてマスクはしないんだ」というトランプみたいな頑固な客に対しては、理詰めで根気よく説得することが求められます

このことに限らず、事務局の皆さんのご苦労は大変だと思いますが、オーケストラを支え、ひいては日本の文化を支えるために頑張っていただきたいと思います 頑張れ新日本フィル

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道尾秀介著「満月の泥枕」を読む ~ 発見された頭蓋骨は誰のものか? 宗教団体や暴力団も登場して奪い合いが始まる

2020年10月16日 07時17分30秒 | 日記

16日(金)。アマオケ・新交響楽団から10月18日(日)午後2時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれる「第251回演奏会」の座席指定券が送付されてきました 今回はコロナ禍の影響で、主催者側が座席を指定しています。「1階M列〇〇番」という座席番号を見て既視感を覚えました それはそうです。前日(14日)の「芸劇ブランチコンサート」の座席番号とまったく同じだったからです 長い間人生をやっていると、時にこういう予想外のことが起こります

一方、東京都交響楽団から「11月演奏会のお知らせ」が届きました 11月15日(日)、同23日(月・祝)、同28日(土)のいずれも14時開演ですが、すでに15日は「東京交響楽団」、23日は「新国立オペラ」、28日は「バッハ・コレギウム・ジャパン」の各コンサートの予定が同じ時間帯に入っています なぜ「狙い撃ち」のように同じ日時に設定されるのか  と思うほど最悪の日程です    長い間コンサートを聴いていると、こういうとはしょっちゅう起こります

ということで、わが家に来てから今日で2206日目を迎え、米国の名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックは13日、2021年6月までの今シーズンの公演を全て中止すると発表したが、これは新型コロナウイルスの感染を防ぐためで、全公演の中止は178年の歴史で初めてのことである  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     コロナ死亡者21万人の米国の中で ニューヨークは特に厳しいから やむを得ないか

 

         

 

昨日、夕食に「豚肉と野菜のみそ炒め」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 「豚肉~」は初挑戦ですが、美味しく出来ました

 

     

 

         

 

道尾秀介著「満月の泥枕」(光文社文庫)を読み終わりました 道尾秀介は1975年、東京都出身。2004年に「背の眼」でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー 2011年に「月と蟹」で直木賞を受賞したほか、数々の文学賞を受賞しています 当ブログでは作品が文庫化されるたびにご紹介してきました

自分の不注意で一人娘を失い、妻とも別れ、酒浸りになった凸貝二美男は姪の小学4年生・汐子と下町の安アパートで暮らしている ある日、凸貝が公園で酔い潰れていると、誰かが池に突き落とされた音を聞く 凸貝は朧げな記憶を頼りに、人が殺されて池に放り込まれるのを目撃したと交番に届け出る しかし、旧知の警官・剛ノ宮は酔って公園で寝ていた凸貝の話を信用しない 後日、凸貝を訪ねてきた汐子の同級生・嶺岡猛流(たける)は、「凸貝が見たのは自分の伯父・嶺岡将玄が祖父・嶺岡道陣を殺した現場だ。公園の池に沈んでいるはずの死体を探し出して欲しい」と依頼する 凸貝は貧乏アパートの仲間たちと捜索に乗り出す。彼らは夏祭りの行事に乗じて池に潜り込み、頭蓋骨を引き上げる。これは道陣の頭蓋骨なのか?  身体はどこにあるのか?  さらに、この頭蓋骨を狙っている者たちがいた 彼らは何者で何が目的で狙っているのか? 事態はとんでもない方向に向かっていく

 

     

 

この小説は、登場人物の何人かが嘘をついています 「こういうことがありました」と書いていながら、後で「実は嘘でした。本当はこういうことでした」という具合です それによって読者は惑わされるわけですが、小説の手法の一つであることは否定できません

ところで、この小説では第2章の会話の中でベートーヴェンの「第九」が年末に演奏されることについて触れています アパートに住人・香苗さんが「第九」について語ります

「昔、オーケストラの演奏者たちが貧乏だったせいなんですって。収入がなくて、年を越せるかどうか危ない感じだったときに・・・第九って、絶対にお客さんが入る演目だったのよ。だから収入が見込めたの。それで年末にやるようになって、いつのまにか恒例になったんですって

ちなみに香苗さんの夫・老原氏は若いころ交響楽団でヴァイオリンを弾いていたという経歴をもっています この老原氏は、おならと声をはもらせるという特技の持ち主で、香苗さんはそのハモリを聴いて「おならが少し高かったわ」と鋭い指摘をするという特技の持ち主です

「第九」の話に戻ると、 香苗さんの言う通り、日本で年末に「第九」が演奏されてきたのは、オーケストラの楽団員の「年越し資金の確保」の側面が強かったようです 作品の魅力に加えて、全国各地で開かれる「第九」公演の多くは、音楽大学の学生による合唱団が入り、合唱団員の家族・友人・知人などが客として見込めるため、チケットが多くさばけるという事情もあるようです 今年はコロナ禍の影響で、例年より「第九」公演の回数が圧倒的に少なく、感染症拡大防止の観点から合唱団の人数も制限しなければならないため、盛り上がりに欠ける年末になりそうです それだけに過渡期の「第九」になるので、貴重な機会となります 私は12月20日の新日本フィルの「第九」を聴きに行きます

本筋に戻ります この小説は 貧乏アパートの住人たちが魅力的に書かれているし、最後には宗教団体や暴力団が絡んでくる予測不能のストーリー展開は、さすがは道尾秀介だと思います さらに、凸貝と警官・剛ノ宮の過去に悲しい共通点があったというストーリーも魅力的な展開です しかし、「満月の泥枕」というタイトルの意味が不明だし、これだけのことを書くのに500ページも必要だったのか、と言えば疑問符が付きます 次作に期待したいと思います

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シューベルト「ピアノ五重奏曲 イ長調 ”ます”」他を聴く ~ 第25回 芸劇ブランチコンサート「芸劇 ”シューベルティアーデ” 」 / 飲食時飛沫拡散~隣席は正面の5倍

2020年10月15日 07時20分26秒 | 日記

15日(木)。昨日の日経朝刊に「飲食時飛沫拡散 隣は正面の5倍  ~ 理研が『富岳』で計算」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、

「理化学研究所は13日、世界最高の計算速度を誇るスーパーコンピューター『富岳』を使い、飲食時の飛沫の拡散などを計算した結果を公表した 飲食店での食事を想定し、縦60センチ、横1.2メートルのテーブルに4人が座り、一人の発話者がマスクをせずに正面と隣、斜め向かいに座ったそれぞれの人に顔を向けて会話した際のシミュレーションをした その結果、話をする人の正面よりも隣に座る方が、約5倍の飛沫を浴びることが分かった 斜め向かいだと、正面の4分の1にとどまった 湿度が低いと飛沫が小さくなり拡散しやすい結果も出た

この実験のポイントは「顔を向けて会話をした場合」の拡散状況だということです 顔を向けて話をしたら一番近くの人に多く飛沫が届くのは当たり前と言えるでしょう 相手にそっぽを向いて話すのが一番安全かもしれませんが、それでは失礼に当たるので、せいぜい斜め向かい側に向かって話すのがマシだという程度でしょうか

ということで、わが家に来てから今日で2205日目を迎え、トランプ米大統領は13日、納税記録やその他財務記録の開示を求めるニューヨーク州検察当局の召喚状を有効とした下級審の判決について、執行を一時的に停止するよう連邦最高裁判所に申し立てた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     開示されると 政治だけでなくビジネスでも無能だというのがバレるから焦ってるな

 

         

 

昨日は、夕食に「メカジキの照り焼き」「生野菜サラダ」「ジャガイモと玉ねぎの味噌汁」を作り、刺身の盛り合わせとともにいただきました 和食はいいですね

 

     

 

         

 

昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで「芸劇ブランチコンサート『第25回 芸劇”シューベルティアーデ”』」を聴きました このコンサートは当初6月17日に開催される予定でしたが、コロナ禍の影響で延期となった振替公演です プログラムはシューベルト①幻想曲D940(ピアノ連弾)、②ピアノ五重奏曲”ます”です 出演は①のピアノ連弾=清水和音、仲田みずほ、②のヴァイオリン=伊藤亮太郎(N響コンマス)、ヴィオラ=佐々木亮(N響首席)、チェロ=佐山裕樹、コントラバス=新井優香、ピアノ=清水和音です

今回初出演の仲田みずほは東京音大ピアノ演奏家コースを首席で卒業 第33回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリほか受賞歴があります 佐山裕樹は桐朋学園大学チェロ科を首席で卒業。第13回ビバホールチェロコンクール第1位ほかの入賞歴があり、現在、桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマコース在籍中です コントラバスの新井優香は東京藝大器楽科卒業。第9回横浜国際音楽コンクール弦楽部門大学の部第2位などの入賞歴があります

このコンサート・シリーズは、今回から市松模様でなく通常の座席配置に戻りました 結構たくさんの聴衆で埋まっているのを見て、「ああ、これが正常なコンサートのスタイルなんだよな」と思いました

 

     

 

1曲目はシューベルト「幻想曲 D940」(ピアノ連弾)です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828))が亡くなる1828年の初めに作曲されました 当時31歳だったシューベルトが18歳の片思いの相手、エステルハージ伯爵令嬢カロリーネに献呈しました

仲田みずほが第1、清水和音が第2ピアノを弾きます 悲し気な哀愁漂う曲想は、なるほど片思いの無念さが滲んでいるかのようです この曲に限らず、シューベルトの音楽を聴いていると、モノローグ(独り言)を聴いているような感覚になります ほの暗いロマンを湛えた素晴らしい演奏でした

演奏後にトークがあり、清水氏が仲田さんに「シューベルトを演奏してみてどうでしたか?」と訊くと、「やってみると結構難しいところがありました」と答えます。すると、清水氏が「確かに。手が交錯するところがあるし、ペダルが多いし・・・」と解説を始め、仲田さんが聞き役に徹していると、「もっとしゃべってよ」と促します しかし、傍から見ていると司会進行役を兼ねている清水氏がしゃべり過ぎです 話し上手な人は相手が多く話せるように仕向けるものです ピアニストとしてはプロだとしても進行役としては失格です

 

     

 

2曲目はシューベルト「ピアノ五重奏曲 イ長調 ”ます”作品114」です この曲はシューベルトが1819年に作曲、同年ウィーンで初演されました 第4楽章が歌曲「ます  作品32」の主題による変奏曲であることから「ます」の愛称で呼ばれています この曲の大きな特徴は、ピアノ+弦楽四重奏ではなく、ピアノ+ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの編成から成ることと、全5楽章から構成されていることです 第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「スケルツォ:プレスト」、第4楽章「アンダンティーノ(主題と変奏)」、第5楽章「アレグロ・ジュスト」の5楽章から成ります

5人の奏者が配置について演奏に入ります 全体を通して聴いた印象は、ヴァイオリン・伊藤とヴィオラ・佐々木のN響コンビが抜群のアンサンブルをリードします 佐山裕樹のチェロは第2楽章、第4楽章を中心に良く歌います 新井優香のコントラバスはチェロに代わって通奏低音を担いますが、5人の中で一番楽しそうに演奏していました 清水和音のピアノはトークと違い、差し出がましさがなく、弦楽器とのアンサンブルに良く溶け込んでいました

仲間内でサロン風にシューベルトの音楽を楽しむ「シューベルティアーデ」に相応しい、楽しく親密なコンサートでした

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バーツラフ・マルホウル監督「異端の鳥」を観る ~ 次々と少年を襲う過酷な苦難の先に待っていたのは・・・映画史に残る不朽の名作:TOHOシネマズ シャンテ

2020年10月14日 07時13分17秒 | 日記

14日(水)。わが家に来てから今日で2204日目を迎え、トランプ米大統領は12日、新型コロナウイルス感染を経て見合わせていた選挙集会を激戦州の一つ南部フロリダ州で開き「米国をかつてなく偉大にする」と呼びかけ、ツイッターに「バイデンのオハイオでの集会にはほどんど誰も来なかった。わたしは2016年よりもはるかに多くの支持と熱狂を得ている」と書き込んだ  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「はるかに多くの支持と熱狂を得ている」と思っているのはトランプだけだと思う

 

         

 

昨日は私の誕生日だったので、ちょうど仕事休みだった娘が「ハンバーグ」と「オニオンスープ」を作ってくれました 娘が料理を作ってくれたのは何年ぶりだろうか? とても美味しかったので2個いただきました。満腹です

 

     

 

手ごろなホール・ケーキが売り切れていたので、バースディ・ケーキはカットした苺ショートケーキになりました ロウソクは諸般の事情により割愛しました  フォークの位置が変です

     

 

         

 

昨日、日比谷のTOHOシネマズ シャンテで、バーツラフ・マルホウル監督による2019年製作チェコ・スロヴァキア・ウクライナ合作映画「異端の鳥」(モノクロ・169分)を観ました

舞台は、第2次世界大戦でナチスドイツとソ連が戦う東欧のどこか。ホロコーストを逃れて独り田舎に疎開した少年(ペトル・コラール)は、預かり先である一人暮らしの叔母が病死した上に火事で家が消失したため身寄りを無くし、たった一人で旅に出ることになる 少年は東欧のスラブ系の農民たちとは異なった外見をしていたため、行く先々で彼を「異物」と看做す人間たちから酷い仕打ちを受けながらも、なんとか生き延びようと必死でもがき続ける

 

     

 

この映画は、ポーランドの作家イェジー・コシンスキが1965年に発表した同名小説を原作に、チェコ出身のバーツラフ・マルホウル監督が11年の歳月をかけて映画化した作品です

この映画を観ようと思ったのは、10月9日付の日経夕刊「シネマ万華鏡」で映画評論家の中条省平氏がこの作品を取り上げ、絶賛していたからです

この作品は、少年の出会う人物の名前を付けた9つのエピソードから構成されています 「マルタの章」「オルガの章」「ミレルの章」「レッフとルドミラの章」「ハンスの章」「司祭とガルボスの章」「ラビ―ナの章」「ミートカの章」「二コデムとヨスカの章」です

少年は呪術師の女オルガの助手となった時、感染病に冒されて高熱を出し、地面に埋められる療法を受けるが、カラスの群れに襲われる からくも災難を逃れて川に流されて辿り着いた粉屋では、嫉妬深い主人のミレルが妻と使用人の男との不倫を疑い、男の両目をスプーンで抉り出すところを目撃する 粉屋をそっと抜け出した少年はレッフという鳥売りの男と出会う。彼にはルドミラという恋人がいたが、奔放な彼女は不特定多数の男たちと関係を持っていた ある日、レッフは戯れに、小鳥の羽にペンキを塗って空に放す。鳥の群れに合流しようとした小鳥だったが、色を塗られた小鳥は”異質な存在”だった 小鳥は他の鳥たちから突かれ、羽をもがれて地面に墜落する。それはまさに少年の姿そのものだった

森の中で、コサックの男たちに目を付けられた少年は、「ユダヤ人」として無理やりドイツ軍の駐屯地に送られる 老いた兵士ハンスと共に線路を歩き、行き止まりまで行くと、兵士は銃を構えて空砲を撃つ。射殺されるはずの少年は老兵士に助けられたのだった その後、少年は心優しい司祭に拾われ侍者として教会に仕えるようになる 司祭は病に侵されて余命いくばくもないことから、少年を信者のガルボスに預ける。しかし、彼は性的虐待者だった 少年は山の中でナイフを拾い隠し持っていたが、それがガルボスに見つかり、拾った場所まで案内するよう命令される ガルボスに殺意を感じた少年は一計を案じて、彼を無数のネズミがうごめく深い穴倉に落とし入れる

少年はいつしか口がきけなくなっていた 雪原を彷徨う少年はラビーナという若い女に拾われる。彼女は年老いた男と一緒に暮らしていたが、やがて老人は死んでしまう ラビーナの欲望は少年に向かう。彼は彼女を受け入れるが、次第に彼を邪見に扱うようになる 反感を持った少年はラビーナの山羊を殺し、その頭部を窓から投げ入れる その後、彼は山道で老人に追いはぎを働く。彼はもはや、やられっ放しの少年ではなく、自分の身を守るためには人を襲うまでになっていた

少年は戦災孤児としてソ連軍の駐屯地で保護される。寡黙な狙撃兵のミートカは言葉を話せない少年に親近感を覚え、別れ際に拳銃をプレゼントしてくれる 街で物売りから「ユダヤ人」と罵倒された少年は、彼の後をつけていき銃殺する 彼は自分を攻撃する者に対しては躊躇なく反撃を加える強い人間に変身していた ある日、見知らぬ男が少年を迎えにきた。彼は少年にこう言う。「一緒に帰ろう。母さんが待っている」。父親とバスの座席に座った少年は窓ガラスに「ヨスカ」と書く。それは両親が付けた彼の名前だった

 

     

 

この映画の原題は「The  Painted  Bird」(色を塗られた鳥)です 少年は「オリーブ色の肌に黒髪」で、「白い肌で金髪」の東欧系の農民たちとは異なった外見をしていたため、「ジプシーかユダヤ人の浮浪者」と看做されていました 「色を塗られた鳥」は「少年」の比喩なのです。単に肌や髪の毛の色が違うという理由だけで残酷な仕打ちを受けるのです。これを映像で表したのが「レッフとルドミラの章」です

日本でも戦争中、都会から田舎に疎開した子どもが「言葉が違う」という理由でイジメに遭っていたということは、様々な小説やエッセイで描かれています この映画は「人間というものは自分たちのグループと違う種類の他人=異物がコミュニティーに入ってくると徹底的に排斥しようとするものだ。それは人間の本性であり国や時代を問わない」ということを訴えているようです コロナ禍における現代の日本に置き換えれば、感染者数の多い東京から地方に行った東京ナンバーの車が「〇〇県に来るな!」といたずら書きされたり、白い目で見られたりするのと似ているかもしれません

この映画の大きな特徴は、第一に35ミリ・モノクロフィルムによる「リアリティー」の創出です デジタルにない独特の質感が見事です 次に、台詞が極端に少なく、話される言葉はスラヴ諸民族の間の人工共通語である「インタースラヴィック」という言語を使用していることです これは、物語の舞台が「東欧のどこか」であり、チェコでも、スロヴァキアでも、ポーランドでも、どこでもないことを表したかったからです さらに、映像に被せるBGMが一切ないということです 冒頭のシーンで、少年が老婆の家にある古いピアノでベートーヴェンの「エリーゼのために」を弾くシーンがありますが、決してBGMとして使われているわけではありません 最後の特徴は、少年を演じたペトル・コトラールの存在感です 彼は俳優ではなく 普通の少年とのことですが、その澄んだ目が印象的です いずれにしても、ごく普通の少年に これでもか と残酷な苦難が次々と襲いかかりますが、最後に希望の光が差すのがせめてもの救いです

この映画ではBGMが使われていない、と書きましたが、エンディング・テーマは流れます イスラエルの作曲家ナオミ・シュメルによる「ユーカリの木立」という歌で、ルドミラ役のイトカ・チュヴァンチャロヴァ―によって歌われています 1963年にヘブライ語で作詞・作曲されたこの歌の内容は「昔々、ヨルダン川のほとりにあるユーカリの森のそばで、父と母は家庭を持った。時は過ぎて、美しかった母の髪は白くなった。けれど、川の流れは今も変わらず、ユーカリの森とともに、静かにそこに佇んでいる」というものです 抒情的な歌を聴きながら、われわれは少年の苛酷な半生を振り返ることになります

この映画を観終わって思い出したのは、昨年10月に渋谷のシアター・イメージフォーラムで観たタル・ベーラ監督「サタン・タンゴ」です 1994年製作のこの映画は上映時間=7時間18分の超長尺作品ですが、やはりモノクロ映像で台詞が少ない映画でした 興味のある方は2019年10月4日付toraブログをご覧ください 「異端の鳥」との大きな違いは「サタン・タンゴ」が長時間ワンカット映像が特徴だったのに対し、「異端の鳥」はカット割りが細かいということですが、映像のリアリティーについては共通しています 「異端の鳥」は「サタン・タンゴ」とともに不朽の名作として映画史に残ることでしょう

 

     

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アンジェイ・ワイダ監督「灰とダイヤモンド」を観る ~ ショパン「英雄ポロネーズ」も流れる:早稲田松竹

2020年10月13日 07時15分54秒 | 日記

13日(火)。わが家に来てから今日で2203日目を迎え、トランプ米大統領の選挙陣営が最近、米国立アレルギー感染研究所のファウチ所長がコロナについて「これ以上の対策をとれるとは思えない」と語り、トランプ氏を評価したと受け取れる広告を始めたことに対し、ファウチ氏は11日、米メディアで「私の許可を得ていないし、文脈を無視するものだ」と批判した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     支持率で2桁の差を付けられたトランプ陣営は 得意のフェイクで何でもやってくる 

 

         

 

最近、夜寒くなって来たので昨日の夕食は今秋初の「みそなべ」にしました 材料は豚バラ、鳥だんご、キャベツ、しめじ、ネギ、もやし、豆腐です これからの季節、なべ が増えると思います

 

     

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でアンジェイ・ワイダ監督による1958年製作ポーランド映画「灰とダイヤモンド」(モノクロ・103分)を観ました

時はドイツ軍が連合軍に降伏した1945年5月8日。郊外の閑散とした田舎道で2人の男、マチュク(ズビグ二エフ・チブルスキー)とアンジェイ(アダム・パヴリコフスキ)が礼拝堂の下の草むらに横たわっている。やがて見張りの知らせを受けて2人は起き上がり、マチェクは銃を構え、道を走って来たジープに向かい発砲、乗っていた2人の男を殺す 暗殺の任務を終えた2人はそのまま逃走し町のホテルに入る。バーで酒を飲んでいると 太った男がホテルに入ってくるのに気が付く。フロントで名乗る彼の名前と身分を耳にしたマチェクは顔色を変える 彼こそ、2人が狙っていたソビエトから帰国したシュチューカ共産党地区委員会書記(ヴァ―ツラフ・ザストルジンスキ)だった ワルシャワ反乱軍の生き残りマチェクたちはポーランドのレジスタンスを見捨てたソ連に対し深い憎悪を抱いていたので、その手先であるシュチューカも同罪と考えていた 暗殺に失敗したことを知ったマチェクはシュチューカの隣に部屋を取る。その夜、ホテルではシュチューカの帰国を祝うパーティが町長主催で開かれることになった。ナチスが降伏したこともあり、参加者は羽目を外してバカ騒ぎをする マチェクは暗殺のチャンスを狙いながら、バーの給仕女クリスチナ(エヴァ・クジジェフスカ)と密かに逢引きし、廃墟になった教会で戦争中の思い出を語り合う マチェクは今の仕事から足を洗いクリスチナと人生をやり直したいと思うようになる やがてシュチューカは、幼い頃に手放し、今やマチェクと同様に反ソビエト運動家となっている息子と再会するために外出する マチェクは彼の後を追って外へ出る。シュチューカより前を歩くマチェクは懐からピストルを取り出し振り向きざまに何発もシュチューカに撃ち込む 虫の息になったシュチューカはマチェクに向かって倒れ込み、彼の腕の中で息を引き取る ホテルに戻ったマチェクは血で汚れた体と服を洗い、クリスチナに別れの挨拶をした後、再び外に出て逃亡を図る。しかし、保安隊とぶつかり逃げ出したため、彼らに追われる羽目になる 保安隊の撃った弾が彼の身体に命中した。マチェクは洗濯物の白いシーツが翻る空き地に逃げ込み保安隊から逃れる。傷を押さえながら広いごみ溜めにやってくるが、そこで力尽きて苦しみながら死んでいく

 

     

 

この映画は、イェジ・アンジェイェフスキが1948年に発表した同名小説をアンジェイ・ワイダが映画化した作品です ワイダ監督の「世代」「地下水道」とともに「抵抗三部作」と呼ばれています

この映画は昔、一度は観ているはずですが、映画を観るまでストーリーが思い出せませんでした 初めて観たようなものです

印象的なのは、マチェクがシュチューカを銃殺したあと、突然花火が上がるシーンです この花火は、ポーランドがナチス・ドイツから解放された5月8日を祝う記念の花火だったのです この夜、ホテルでは夜を徹したパーティーが開かれていましたが、最初のうちはウインナ・ワルツが流れていたのに、飲んで上機嫌になった一人の紳士が、楽団に向かって「諸君、わが国の誇るショパンのポロネーズを踊ろうではないか」と叫びます 疲れ果てていた楽団員はしぶしぶ「英雄ポロネーズ」の演奏を始めますが、音程が狂った楽器による不協和音に満ちたポロネーズが流れ、人々はそれに合わせて踊り出します ドイツから解放された記念すべきポーランド復活の日が、疲労感に満ちていたものだったということを暗示しているようです

ところで、タイトルの「灰とダイヤモンド」は、19世紀のポーランドの詩人ツィプリアン・ノルヴィットの詩の一節によります それは、「すべてのものは、みな燃え尽きて灰となるが、それでも、その灰の中に燦然と輝くダイヤモンドが残ることを祈る」という内容です 人違いで殺された2人の男たちは文字通り「灰」になりますが、共産党のシュチューカ書記も、彼を殺したマチェクもダイヤモンドとして残ることは出来ませんでした いったい誰が輝くダイヤモンドとして残ったのでしょうか? この後、世界は米ソの2大強国による冷戦時代を迎えます

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地球温暖化と異常気象の因果関係 / テレンス・マリック監督「名もなき生涯」を観る ~ 洗練された映像と厳選された音楽で描く感動的なヒューマンドラマ:早稲田松竹

2020年10月12日 07時18分24秒 | 日記

12日(月)。昨日の日経朝刊・サイエンス面に「異常気象の原因『明言』~温暖化影響、コンピューター計算」という記事が載っていました 超訳すると、

「『猛暑や豪雨は地球温暖化のせい?』『地球が温暖化しているから、異常気象が増えている?』などの問いに対し、研究者が『わからない』と返答するのがこれまでは正しかった ところが最近、猛暑や熱波について『温暖化さえなければ、この異常気象は発生しなかったはず』と明言する研究者が現れた 異常気象と温暖化の関係をコンピューターで読み解く新しい手法が世界中で実を結びつつある 新手法は『イベント・アトリビューション』と呼ぶ。気象庁気象研究所の今田由紀子主任研究員らが18年7月の猛暑の原因について迫っていたとき、埼玉県熊谷市で国内観測史上最高の41.1度を記録した コンピューターでは『温暖化の影響がある現実の地球』と『温暖化の影響がない架空の地球』を再現した 『18年夏』以上の猛暑の発生確率を『温暖化がない』条件で計算すると『ほぼ0%』との結果が出た。一方『現実の地球』の確率は『19.9%』だった。この数値の差こそが猛暑と温暖化の関係を示唆する『証拠』だった 『温暖化がなければ、18年7月の猛暑は起こり得なかった』。今田氏らが19年5月に科学誌で論文を発表すると、大きな反響を呼んだ。世界の研究者も声を上げ始めた。20年のロシア・シベリアの熱波は、温暖化していない地球なら8万年間に1回未満の頻度だったといい、温暖化のために起きたとみられた オーストラリアで19年9月から20年初めにかけて続いた大規模な森林火災は、英国などの研究者らが調べ、温暖化が影響したと発表した

この記事を読んで 私が驚いたのは、これまで常識だと思っていた『猛暑や豪雨は地球温暖化のせい』『地球が温暖化しているから、異常気象が増えている』という見解は、必ずしも明確ではなかったということです これまで新聞やテレビの報道により、これらの事象は「既定の事実」だと思い込んでいたことになります しかし、超高速コンピューターの出現により、その因果関係が明確になってきたということなので、これからも科学に基づいて世界規模で地球温暖化対策を推進していく必要があるでしょう 11月の米大統領選挙で無知・無能・科学無視のトランプが当選しない限り、地球の環境はより良い方向に改善されていくと思います

ということで、わが家に来てから今日で2202日目を迎え、トランプ大統領の主治医は大統領の最新の健康状態について、他人にウイルスを感染させるおそれはなくなったと発表したが、トランプ氏は12日にもフロリダ州で支持者集会を開くと表明した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     支持者たちは マスクも着けずに密集するから危険だ ということを理解していない

 

         

 

早稲田松竹でテレンス・マリック監督による2019年製作アメリカ・ドイツ合作映画「名もなき生涯」(175分)を観ました

物語の舞台は第2次世界大戦下のドイツに併合されたオーストリア。山と谷に囲まれた美しい村で、フランツ(アウグスト・ディール)は妻ファ二(バレリー・パフナー)と3人の幼い娘と暮らしていた 彼は激化する戦争に狩りだされるが、ヒトラーへの忠誠と兵役を拒否したことから収監される 裁判を待つファ二は手紙で夫を励ますが、彼女自身や子どもたちも地元の村で裏切り者の妻・子どもとして村人たちから酷い仕打ちを受けていた フランツは最後までナチスに加担するよりも自らの信念に殉じる道を選ぶ 遂に運命の日がやってきて、フランツに死刑の判決が下される

 

     

 

この映画は、第2次世界大戦下のドイツに併合されたオーストリアで、ヒトラーへの忠誠と兵役を拒み続け、自分の信念と妻と子供たちへの愛だけに支えられ、36歳で処刑されたフランツ・イェーガーシュテッターという実在の農夫の物語をテレンス・マリックが映画化したヒューマンドラマです

フランツはナチス支配下にある地元の教会の司祭から「祖国への義務がある」と言われ、村人たちからは「裏切り者」と罵られ、妻ファ二の姉からは「これ以上、妹を苦しめないで」と責められます さらに 裁判を前に、弁護士から「これにサインをすれば処刑は免れる。それを拒否することで何かが変わるのかね? サインは形だけのものだ。サインしたからといって生活は何も変わらない。もうすぐ戦争も終わる。家族のためにもサインすべきだ」と説得されますが、彼は頑なに拒否します それは、「神のもとで自分に嘘はつけない」という強い信念があったからであり、妻ファ二が 本当はサインをして自分や子どもたちのもとに無事に帰ってきてほしいという強い気持ちを抑えて「あなたのすることは、そのまま受け入れます」とフランツに伝えたからです ここに、フランツ同様 ファ二の意志の強さを感じます

この作品は、戦争で他国の支配下に置かれると人々はどういう状況に追い込まれるかを見事に描いています 声高に「戦争してはならない」と主張しているわけではありませんが、究極の反戦映画と言えます

この映画の大きな特徴はオーストリア・チロルの山岳地帯の美しい風景と、数々の静謐な音楽が物語にそっと寄り添っていることです 自然の風景ではベートーヴェン「第九」の第3楽章が流れ、フランツが出征するため列車に乗り込むシーンではバッハ「マタイ受難曲」のコラールが流れます このほか、現代音楽家のアルヴォ・ペルトやペンデレツキによる静謐な音楽が随所で流れています エンドロールで流れていたのはドヴォルザークの音楽だったようです あわせて、教会の鐘、鳥のさえずり、牛や羊の鳴き声、カウベル、水車など、自然の音がまるでBGMのように聴こえてきます

この作品は「岩波ホールで上映するような映画」と表現すれば分かってもらえるでしょうか 3時間弱の長尺ですが、観終わった後で「良い映画を観た」という満足感があります

「名もなき生涯」は「1917  命をかけた伝令」と2本立てで、早稲田松竹で23日(金)まで上映中です 私が映画を推薦することは滅多にありませんが、この作品は強くお薦めします

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