新年の誓い「Forever Young」はすでに崩壊した感がありますが、その残骸をしつこく引きずって歩いています。
老人性の健忘症は最近のことから忘れていく、というようなことを聞いたおぼえがあります。その通りで、なぜ「Foever Young」を新年の誓いにしたのだろうか?とその理由さえ忘れてしまいました。
まあブログに書いたのですからあとで見れば 思い出すでしょうが、ちらっと考えたのは、最近「∆∆三十周年」とか「XX二十周年」とかという機会がわりと頻繁にあったんですね。その影響があったのかもしれません。
例えば去年は私が洗礼式を受けてから三十五周年、牧師になってから二十五周年でした。ついでに一昨年は、再び独身になってから十五周年でもありました。
こういうのが出てくるといやでも「三十五年経った」「二十年過ぎた」という宣告をされているようなものです。
っていうか、こういうのを気にすること自体がすでに「老人化」(「老化」とはビミョーに違う)であるように思われてきました。
で、実際にこの域に達してしまうと、「二十周年」「二十五周年」などというものはいくらでもあるんですよ。去年は私の息子の「生誕二十五周年」でしたし、再来年は娘がそうなります。その前に来年は私が氷島に渡ってから「二十五周年」。
考えてみれば当たり前のことで、大学出たあたりから、所帯を持ち、子供が生まれる頃までの期間というのは、平均的に考えていろいろなことを始める時期でもありましょうから。
ですからなにかにかこつけて「何十周年」とやるのはいささかバカバカしいように思われます。なにか本当に大切なこと、気にかけていることにだけ「何十周年」の札を下げたい気がします。
そのような意味で考えても今年が「二十周年」と謳いたいことが一つあります。「なんだ、やっぱりあるのか?」と言われそうですが、あるんです。それは「日本語教室」です。
日本語教室は在アイスランドの邦人の方々がボランティアベースで進めてきた活動で、言うまでもなく私たちの子供達に日本語を教えることを目的にしています。
日本語教室の模様についてはこちらも
先のブログを書いたのはもう三年半前のことですので、多少の変化はあります。ますます赤ちゃんが増えているのです。嬉しいことです。
逆に年長の子の方はやはり順次「卒業」していきます。私の娘は大学に入ってもしばらくは続けていましたが、やはり卒業しました。まあ、これも自然なことです。
クリスマス前、日本のおじいちゃん
おばあちゃんにクリスマスカードを作っています
日本語教室を始めた頃は、私のところは息子が六歳、娘が三歳くらいの時でした。正直言って、何月の何日に始まったか?は不明なのです。1996年の春より前に始まったのは確かだと思います。記憶の断片がありますので。
当時はまだ結婚していましたが、基本的に子供達を日本語教室に連れて行くのは「私の仕事」でしたので、土曜の朝はむしろ普段より早く起きるくらいの感じでした。
というのは当初より教会の施設を貸してもらって集まっていましたので、私が「キーマン」で、開け閉めをできる人が他にいなかったので、一番先にいくという宿命があったのです。これは途中三年間ほど、アイスランド大学の教室を借りた期間以外は原則ずっと続いています。
それほど苦労した感がなく続けられたのは、私は日本で教会学校の先生を大学生の頃からしていましたので、ああいう雰囲気に慣れていたというか、土曜と日曜の違いはありますが、「身にしみついて」いたような活動だったからだと思います。
というわけで、今でも大体の時は一番初めに教会に着き、鍵を開け、明かりをつけ、コーヒーを入れ、お茶を沸かして準備をしておきます。子供達が来たらすぐにクラスを始められるようにしておきたいのです。
でも、ふと気がつきました。学生の頃通っていた教会で、毎日曜日、朝早く来て玄関をきれいにしてスリッパを並べ、週報(プログラムのようなもの)をきちんと受付台に整理して準備をしてくれているおじいさん、おばあさんがいたのです。
やはりこれこそ「老人化」ではないか! 逃げようがないとはこのことか?いや、待て。エーチャンを見よ、スプリングスティーンを見よ! 今こそ戦いでしのぎを削るのだ。
「Forever Young!」バンザイ!
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
老人性の健忘症は最近のことから忘れていく、というようなことを聞いたおぼえがあります。その通りで、なぜ「Foever Young」を新年の誓いにしたのだろうか?とその理由さえ忘れてしまいました。
まあブログに書いたのですからあとで見れば 思い出すでしょうが、ちらっと考えたのは、最近「∆∆三十周年」とか「XX二十周年」とかという機会がわりと頻繁にあったんですね。その影響があったのかもしれません。
例えば去年は私が洗礼式を受けてから三十五周年、牧師になってから二十五周年でした。ついでに一昨年は、再び独身になってから十五周年でもありました。
こういうのが出てくるといやでも「三十五年経った」「二十年過ぎた」という宣告をされているようなものです。
っていうか、こういうのを気にすること自体がすでに「老人化」(「老化」とはビミョーに違う)であるように思われてきました。
で、実際にこの域に達してしまうと、「二十周年」「二十五周年」などというものはいくらでもあるんですよ。去年は私の息子の「生誕二十五周年」でしたし、再来年は娘がそうなります。その前に来年は私が氷島に渡ってから「二十五周年」。
考えてみれば当たり前のことで、大学出たあたりから、所帯を持ち、子供が生まれる頃までの期間というのは、平均的に考えていろいろなことを始める時期でもありましょうから。
ですからなにかにかこつけて「何十周年」とやるのはいささかバカバカしいように思われます。なにか本当に大切なこと、気にかけていることにだけ「何十周年」の札を下げたい気がします。
そのような意味で考えても今年が「二十周年」と謳いたいことが一つあります。「なんだ、やっぱりあるのか?」と言われそうですが、あるんです。それは「日本語教室」です。
日本語教室は在アイスランドの邦人の方々がボランティアベースで進めてきた活動で、言うまでもなく私たちの子供達に日本語を教えることを目的にしています。
日本語教室の模様についてはこちらも
先のブログを書いたのはもう三年半前のことですので、多少の変化はあります。ますます赤ちゃんが増えているのです。嬉しいことです。
逆に年長の子の方はやはり順次「卒業」していきます。私の娘は大学に入ってもしばらくは続けていましたが、やはり卒業しました。まあ、これも自然なことです。
クリスマス前、日本のおじいちゃん
おばあちゃんにクリスマスカードを作っています
日本語教室を始めた頃は、私のところは息子が六歳、娘が三歳くらいの時でした。正直言って、何月の何日に始まったか?は不明なのです。1996年の春より前に始まったのは確かだと思います。記憶の断片がありますので。
当時はまだ結婚していましたが、基本的に子供達を日本語教室に連れて行くのは「私の仕事」でしたので、土曜の朝はむしろ普段より早く起きるくらいの感じでした。
というのは当初より教会の施設を貸してもらって集まっていましたので、私が「キーマン」で、開け閉めをできる人が他にいなかったので、一番先にいくという宿命があったのです。これは途中三年間ほど、アイスランド大学の教室を借りた期間以外は原則ずっと続いています。
それほど苦労した感がなく続けられたのは、私は日本で教会学校の先生を大学生の頃からしていましたので、ああいう雰囲気に慣れていたというか、土曜と日曜の違いはありますが、「身にしみついて」いたような活動だったからだと思います。
というわけで、今でも大体の時は一番初めに教会に着き、鍵を開け、明かりをつけ、コーヒーを入れ、お茶を沸かして準備をしておきます。子供達が来たらすぐにクラスを始められるようにしておきたいのです。
でも、ふと気がつきました。学生の頃通っていた教会で、毎日曜日、朝早く来て玄関をきれいにしてスリッパを並べ、週報(プログラムのようなもの)をきちんと受付台に整理して準備をしてくれているおじいさん、おばあさんがいたのです。
やはりこれこそ「老人化」ではないか! 逃げようがないとはこのことか?いや、待て。エーチャンを見よ、スプリングスティーンを見よ! 今こそ戦いでしのぎを削るのだ。
「Forever Young!」バンザイ!
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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