レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Without a trace ... 三十三年間の不在

2020-02-07 12:00:00 | 日記
「ヨウン・オーラブスソン− 1987年12月24日

ヨウン・オーラフスソン、船長(注:あるいは船頭)は1940年7月8日に生まれた。彼はソウルラウクスホブン(注:レイキャビクから車で45分ほどの距離にある海岸の町)、エイイルスブロイト26に住んでいた。友達や船の関係者の間では人気があった。冗長ではないが、いつも気安かった。離婚していて子供がふたりいた。

1987年の12月24日、ヨウンは息子を連れてクヴェーラゲルジィ(注: 隣り町)へ行き、息子を母親と姉のところへ送り届けた。彼はクリスマスのプレゼントを、もう一か所に届けた後、もう一度ここに戻り、それからレイキャビクへ出向いてそこで夜を過ごす予定だった。

19時になった頃でもヨウンは子供たちのところに姿を現さず、行方が気遣われるようになった。すると、ヨウンはプレゼントを届けるはずだったところにも現れなかったことが明らかになり、行方の捜索が始められた。

翌日のクリスマスの日、ヨウンの車がソーイズの川の橋の横で見つかった。川を中心にしての捜索はなお幾日も続けられたがヨウンの発見に繋がる手がかりは得られなかった。




関係地の地図


半年後、ヨウンの死が確定し、追悼の会がもたれた。ヨウンの遺族は、彼の後方不明をなんら不可思議なものとは考えず、ただ悲しい出来事と受け止めていた。

上記の行方不明の件について、情報を持っている方、指摘のある方、もしくは別の行方不明事件についての情報のある方は(.....略) まで連絡を願います。情報提供者に関しては、すべて内密に秘匿されます」

これは、実際にFacebookのIslensk Mannshvorfイースレンスク・マンスクボルフ「アイスランドの失踪事件」というページに記載されている事件です。Mann は「人」hvorfは「消えること」を意味しますので「人が消えること」がMannhvorfです。

アイスランドの誇る世界的ミステリー作家のアルナルドゥル・インドリーザソンの人気シリーズのエルレンドゥル捜査官も、このmannshvorfに尋常でない関心を持っているように描かれていたのを思い出しました。

彼の場合は、自分に弟が豪雪の中で消えてしまった、という個人の体験がある設定だったと思います。

ここにあるヨウン・オーラブスソンさんの事件は、小説ではなく実際に起こった事件です。

実はこの失踪事件に、今年になって大きな進展がありました。ヨウンさんが発見されたのです。というか、実際には「発見されていた人骨がヨウンさんのものと確認されたのですが。

このニュース、それだけではなくちょっと心に浸みるものがありましたので、ご紹介したいと思っていたのですが、少し日数が経ってしまいました。

ニュースが届いたのは先月の23日でした。「1987年に失踪した人と身元が確認された」という見出しでした。




身元の確認を伝える先月のRUVのニュース
Myndin er ur RUV


RUV(国営放送)のニュースによると、この失踪の発覚から約七年後の1994年の10月、南海岸の海へ注ぐOlfusarosオルブスアウロウスという川と海が入り混じったようなところの砂地で、人間の頭蓋骨の一部が発見されました。

1994年というと、私はもうレイキャビクに移っていましたが、このニュースのことは何も覚えていません。アイスランド後はまだまだの時期だったですから、当然かも。

発見場所のオルブスアウロウスという場所は、ヨウンさんが住んでいたソウルラウクスホブンの町の近所で、さらに彼の車が発見されたソーイズの川のずっと下流に当たります。

発見された頭骸骨には、下顎が欠けており、歯は上顎に一本残っていただけだったそうです。当時の警察関係者は技術や分析術をを駆使して身元の特定に努めましたが、当時の技術では及ばず、頭蓋骨は保管庫へ移されてしまいました。

昨年の3月末に、もう一度この骨の年齢鑑定を試みようということになりました。その結果、この骨は1970年近辺のものであろうという結果になったそうです。この「70年近辺」というのは、骨の生年ではなく、一万年前ではなく「1970年頃に由来するもの」という意味であるようです。

そこからさらに骨から採取したDNAを、スウェーデンの研究所へ鑑定依頼しました。その結果、今年の一月になって、問題の頭蓋骨は1987年に失踪したヨウンさんのものであることが確認されたそうです。




1994年に頭蓋骨が発見された川と海の境目オルブスアウロウス
Myndin er ur Google.earth


ニュースは、この事実がヨウンさんの残したふたりの子供に伝えられた、と報じて結んでいます。三十三年前に行方が分からなくなってしまった父親が、ようやくはっきりした形で帰ってきたことになりますね。

ところがニュースはここで終わりませんでした。

このヨウンさんの」子供ふたりのうちのひとりがビルギッタ・ヨウンスドティールさんという女性だったからです。

ビルギッタさんはもと国会議員で、経済破綻以降の十五年間くらい、アイスランドの政治を引っ張ってきた人です。「ピラター」(海賊党)という新党を立ち上げて、とにかくリベラルの先っぽの先まで行ったような主張を繰り広げていました。

最近はピラターの内部でもめごとがあったようで、干されたような形で議員活動からは身を引いていますが、アイスランドでビルギッタさんを知らない人はいません。

超リベラルでブレークする前は「緑の党」で事務局長のようなことをしていて、その頃私も緑の党に出入りしていたので、多少ビルギッタさんとは面識があります。それでもその後の発展の故に、なんというか、あまり近づかないような距離になっていました。

ニュースのインタビューで、ビルギッタさんは「悲しいということもあるけど、それよりも肩の荷が降りたというか、ホッとしたというか、そういう気持ちです。これできちんと埋葬してあげられる」

普段のリベラルな海賊の雰囲気はまったくなく、フツーに胸の内を語っていたように思いました。

そういえば、緑の党にいた頃、お母さんが亡くなったんです。よく知らないのですが、お母さんはこれまたリベラル系で詩人だったと聞いています。

その時もビルギッタさんはショックを隠そうとしないで、自身のブログで「しばらくお休みにします」と言って喪に服していました。お悔やみのメッセージを送ったのを覚えています。




The リベラルのビルギッタさん
Myndin er ur Ruv.is


ですが、ビルギッタさんのお父さんがこういう形で失踪していたことは知りませんでした。

クリスマス・イブの晩に寄ってくれるはずのお父さんが来ない。そしてそのまんま消えてしまう。というのは子供にとってはどういうものなのでしょうか? しかも、以降、クリスマスになる度に、いなくなってしまったお父さんのことを嫌でも思い出すわけですよね。

人それぞれにいろいろなものを引きずって生きてるんだなあ、と感じさせられました。

三十三年前、ソーイズの橋のたもとで何が起こったのかは、もはや解明不可能でしょうが、それでも三十三年間の失踪に決着が着いたことは良かったことなのだろうと考えます。

その決着も自然にやってきたわけではなく、多くの人たちが捜索をしたり、掘り起こしたり、検定したりして辿り着いた決着です。人は独りでは生きられないし、独りでは死ぬこともできないものなのでしょう。

ヨウンさんの冥福を祈ります。またビルギッタさんと弟さんにも慰めと平安がありますように。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする