レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌(15−2) サッポロビール誕生

2015-06-07 05:00:00 | 日記
先日は札幌滞在中にあってもとりわけ「夏日」の一日となりました。北海道の何箇所かでは30度を超えたそうで、札幌でも29,6度を記録しました。もちろんワタシ的には今年随一の気温です。(成田で瞬間的に同程度の気温を体験しましたが、それはたかだか十分程度でしたので)

この日私と息子は朝からまずモエレ沼公園というところへバスで出かけました。市内からバスで約二十分ほどで公園前に着きますが、ここは総面積189ヘクラールというかなり広い土地(緑地)の中に人口の山、岡、森、ビーチなどが芸術家イサム•ノグチさんのコンセプトに従って展開しています。

大きなガラスのピラミッドもありますが、ノグチさんの考えには「トライアングル」と「円」があったのではないかと思いました。あちこちに「三角」と「円」が見られましたから。

また、これはノグチ氏のポリシーなのかどうか知りませんが、エコにも自己主張が見られ、園内のどこにも「ゴミ箱」がなく「ゴミはお持ち帰りを」を無言で訴えていました。トイレにも手を拭く紙はありませんでした。

さて、どこぞやの幼稚園の園児、それも複数の園?と思われる園児とその父兄が遠足に来ていたのですが、さすが北海道。その程度ではまったく「混雑感」を与えるに至らなく、非常にのびのびとしたのんびり感を楽しむことができました。

そんなだだっ広いところを歩き回ったわりには早く見終わってしまい、昼には私と息子は帰路に付いていました。バス停に着くと、やってきたバスがたまたま「サッポロビール園行き」。サッポロビール園にはジンギスカンがあります。お腹を空かせていた私たちはこれ幸いとバスに乗ってビール園を目指したのでした。




レトロ調赤煉瓦のビール博物館


サッポロビール園は札幌駅からそう遠くはないところに設けられれていますが、ここもテーマーパーク的にビール博物館やガーデングリル館、その他のレストラン館などで構成されています。

ジンギスカンの昼食でお腹を満たした後、私たち父子はビール博物館を見学してみることにしました。

ビール博物館は明治時代風の赤煉瓦の建物で、実際の昔のサッポロビール工場を模したものと思われます。中に入ると受付の若くて綺麗な女性が丁寧に歓迎してくれます。無料なのにいいサービス!

「よろしければガイド付きでご案内できますが?」そらきた! そっちは有料でぼったくる気か?と思いきや、ガイドも完全無料。すさんだ心のワタシはハズかし。(^-^; というわけで、若く聡明でかなりかわいいMさんのガイドで館内を廻ることになりました。ちなみにMさんは「ビール大好き」と本人の弁です。

サッポロでのビール醸造は黒田清隆が北海道開拓庁長官であった時代の1876年頃に始まったそうです。開拓事業の一環であり、そのため「開拓使」のシンボルである北極星(五稜星)がビール瓶にもあしらわれました。現在は金の星ですが、もともとは赤い色でした。ちなみにこの「赤星」は開拓使に関係のある時計台や道庁舎等の建物にもついています。

ビール作りの直接の指揮者は中川清兵衛というドイツで学んだ醸造技師の人でした。 この人のビール作りの簡潔な説明が博物館前に積まれたビール樽に残されています(レプリカですが)。「麦とホップを製すればビイルと謂う酒になる」

当時のビールは「生」が基本で沈殿物も濾過されず、従って賞味期限も三四日だったとか。またビールはやはりヨーロッパに所縁のある文化知識人の嗜好品で、値段も高く中川さんの給料も相当なものだったそうです。




「麦とホップを製すればビイルと謂う酒になる」


1890年台になると、東京では「日本麦酒醸造会社」が恵比寿ビールを発売して人気を得ました。それ以降ビール人気がみるみるうちに上昇し、ビール作りは資本家の投資の的となったそうです。

そして1906年、ついに札幌(サッポロ)、東京(恵比寿と麒麟)、そして大阪に興っていた「旭ビール」が大合同して「日本麦酒株式会社」となり市場の七割を占拠しました。

もともとサッポロビールの前身である「札幌麦酒会社」は現在サッポロビール博物館がある土地に本格的な醸造工場を建てる計画でしたが、こういう成り行きで工場は現在アサヒビールのあの「金団雲」のようなオブジェのある浅草は吾妻橋近くに建つことになりました。

戦後、後の独占禁止法の故に日本麦酒株式会社が分割された折に、アサヒビールは工場を受け継ぎ、サッポロビールは「サッポロ」「ヱビス」の商標を受け継ぎました。サッポロは当初この商標を使わず「ニッポンビール」という新銘柄を発売しましたが、愛飲者の要望により「サッポロビール」が復活したそうです。

可愛らしいMさんのガイドですが、私はメモを取っていたわけではないので、うろ覚えにウィキで補足しての説明です。細かい点で間違いがありましたら、ご指摘願います。

さて、ガイド付きツアーではこの後、美味しいビールの注ぎ方の実演講習やごく初期のサッポロビールの再現版の試飲などもあり結構楽しい時間となりました。Mさん、ありがとうございました。m(_ _)m

サッポロビール、一時期はアイスランドのレストランでも置いていたんですけどね、バブル崩壊後は撤退してしまいました。復活してほしいものです。アサヒもそうですが、日本のビールはアイスランドの人の間でも人気があるようですし。

ところでアイスランドでは、売買をしなければ個人がビールやワインを作ることは許されています。実はワタシもビールは醸造していたことがあります。「聖トーマ印」ビールについては、いずれ機会をみて書いてみたいと思います。(*^^*)


応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サッポロ北街ひとり日誌(15−1) 札... | トップ | サッポロ北街ひとり日誌(15−3) 新... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事