レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

適応...変化...と「正体見たり!」 適応編

2012-11-14 05:00:00 | 日記
前回は日本人としてアイスランドに適応できない部分をご紹介しました。今回は適応できた...してしまった?...せざるを得なかった?部分です。

私は日本で三年間新橋のサラリーマンをしていたことがあるのですが、それでもビジネス最前線にいたわけではありません。ですから本当に人を蹴落としても...という熾烈な世界は知らず、凡庸なレベルをさまよっていました。

要するに常識的な世界の住民だったわけです。で、その常識日本では例えば仕事を得るのに自己推薦をせずに、周り、特に上長のものが押してくれるのを待つ。得意なものがあっても「オレはこれに長けてるんだ」という顔はしない。という様なことが大切でした。

有り体に言うと控えめ、謙遜を持って旨とする、と言うことでしょうか。ところがです。これはアイスランドでは機能しません。始めの何年か、こちらでもこの凡庸ニッポンのポリシーでやってました。というか、それが当たり前だったし。

そこで「これはオレが得意な分野なんだよね」と内心ほくそえんでいても「いえいえワタクシなどは」と謙遜に振る舞っていました。でもそうすると「あっ、そう。ダメなの」とあっさりと仕事は目の前を通過して行ってしまいます。

やっぱヨーロッパは自己主張の土地か?嫌だなあ、と思いました。自分で自分を売り込むのは結構しんどいです。でもそこを変えないと生きて行けない。グリョート(ご飯を牛乳で煮て砂糖をまぶして食べるという信じられない食い物)を拒否してもいい、強風の中でも雨傘を使おうと四苦八苦してもいい。生活できるから。でも、自己売り込みには適応しないと...生活できない。(*_*)

私は新聞等によく自分の意見とかを投稿しますし(もちろん仕事に関する分野です)、それをし始めてから仕事が軌道にのってきました。もともと作文系には強かった(小学校時代にはお昼の「校内放送」で作文を読まれました。小学校六年間の唯一のメダル)のですが、小さな国とは言え、新聞に意見を載せることは世間にもの申すこと。やはり緊張はしました。

えらそうに書いても、内容が「そんなことみんな知ってるでしょ」的なレベルだったら恥をさらします。始めの頃、意見を送ってもなかなか載せてもらえずおずおずと新聞社に電話して「やっぱり、使ってもらえませんか...?」「何て言う題?ああ。それ明日」

ああ、よかった...その投稿が載ると周囲の人が「いい意見、考えだね」とリアクションをくれました。

それから車輪は回り始め、数年後には記事が掲載されないと「何で?同じ政治家の意見が頻繁に掲載されてるでしょ。ひいきですか?それとも日本からの移民の意見は後回しでいいって言うこと?」というクレイマーもどきになれるくらいまで適応しました。

それ以来ずーっと自己推薦=出たがり屋路線で通してきています。でもこれって、多少哀しいものがありますね。変わってしまったワタシ、みたいな。

いや、ちょっと待って。もしかして出たがりの方が本当の自分か?正体か?本当の出たがり屋根性が謙遜の衣を脱いで出てきただけじゃないの?凡庸ニホンジンに潜む緑の怪人か?

バナー博士か超人ハルクか?人の「正体」って何なんでしょうね?



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