レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

この人、何語を話す?

2012-10-11 05:00:00 | 日記
外国暮らしでいると様々な言葉の問題に日常的に遭遇します。アイスランドへやってくる移住者の多くは、特に最初の年々にはアイスランド語を日常語にしようと意欲を燃やします。

拙い言葉を他者に対して使ってみる、というのは大概の場合勇気を必要としますね。外国人が頑張って「ゴーザン・ダイイン(こんにちは)」アイスランド人が「Hi, How are you?」何で英語が返って来るの???

この現象は新聞や移民関連の会合等でもかなり何度も取り上げられ、そういう態度だから移民がアイスランド語を学ぶのが遅くなるのだ、というアイスランドでは珍しい自己批判まで聞かれます。

もっともこの自己批判の裏には自らの体験のエンド-スメントがあるようで、多くのアイスランド人が「デンマークでデンマーク語で話し始めたら、みんな英語に切り替えて来る。バカにして、もう!!」と不平を口にします。デンマーク人の母国語に関する非寛容もよく批判されるところです(それにしてもデンマーク人とオランダ人は本当になまりのないきれいな英語を話しますね)。

私もこのアイスランド語で話しかけているのに、英語で返されるということはよく経験します。何年か前、ダウンタウンのカフェに行った時、若いウェイターが英語で注文を聞いて来たのでアイスランドで答えました。飲み物を持って来た時も英語で話しかけてきたので、頑固な奴だな、と思いました。

その後私の連れが来て、くだんのウェイター君を見てびっくり。知り合いなんだそうです。「あなたいつアイスランドへ来たの?」「一ヶ月前です」彼はアイスランド来たてのデンマーク人だったんです。彼が英語で話しかけて来たのは私の故ではなく、彼自身がアイスランド語が話せなかったからです。こりゃ私の早とちり。m(_ _)m

私の子供たちも同じような体験を日本でしますよ。この間娘と帰国した際、機内でのフライトアテンダントは日本人の方でした。「お飲物は何を召し上がりますか」と私に聞いた後で娘に「What would you like to drink?」
どうも日本人とはちょっと違って見えるようで。

スウェーデンは移民に関しては先進国です。最近はいろいろ否定的なニュースも伝わってきますが、進んでいる点もたくさんあります。ストックホルムとかではもはや誰がスウェーデン人かを見かけで判断することはできません。だから(私が旅行者として体験した範囲でですが)もちろん、第一声はスウェーデン語できます。で、えっ?という顔をするとすぐに英語でもう一度繰り返してくれます。調整済みのギアのような滑らかさ。

成田でも同じようですね。お土産屋さんで何か買うと、日本語で応対してくれつつも料金は必ず電卓を示しながら言ってくれます。もしかして日本人みたいな外国人、ということもあるからなのでしょう。

以前は私もアイスランド語で話しかけて、英語で返されるとムッとしたものですが、今はそう気になりません。大概の場合は旅行者と思われてる時ですから。実害がないし、こっちも楽なので英語で話しを続けてしまうこともあります。

言葉は人と人をつなぐ大切なもの。心がつながるような使い方をすべきであって、心をギスギスにする道具にはしたくないものです。



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納豆、なっとう、ナットウ

2012-10-09 05:00:00 | 日記
食の話しをもう少し。ネット購買等もあり便利になったとはいえ、全ての日本食材がアイスランドで手に入るわけではありません。そのひとつが納豆です。ノルウェーやイギリスあたりまでには納豆はやって来ているようですが、アイスランドまでは来てくれていません。消費人口が圧倒的に小さいですからね、仕方ないかも。

ただ、そんなことにめげずに自分で納豆を作る、という頼もしい邦人の方もいくらかいらっしゃいます。実は昨日の私の遅めの昼食は、知りあいの女の子が分けてくれた手作り納豆でした(それと「一杯でしじみ70個分のちから」のみそ汁)。夏にもらって残ったものを冷凍しておいたものです。美味しかったですよ。

納豆作りは過去何回か別々の人がチャレンジしていたのは知っていたのですが、今回はお若いなでしこ女性軍の地下活動だったようです。ひとりの女性が帰国した折りに「納豆菌」なるものを通販で買い、持ち帰ったのを仲間に分けてくれたのが活動の始まりだったとか。

聞くとその「納豆菌」は三本くらいのアルミ製のアンプルが一箱に入っているそうです。一見して何かのバイオ兵器のように見えるので空港で検査されたらやばいかも、ということでした。

私に納豆を分けてくれた女性は(姪のようなものなのですが)、初めて作ったものも夏の初めに分けてくれました。その時は豆が少し固くて味はいいんだけど改善の余地あり、という審査結果でした(審査員は私)。

そこで彼女は圧力釜を借り出し(貸してくれたのは納豆菌を持ち帰った本人、組織の長です)、豆をきちんと柔らかくして菌をしこんだそうです。Youtubeでも見たのですが、納豆作りとはこの菌を仕込む段階で、絶対に他の雑菌が混じらないように気をつけなければいけないそうですね。「じゃないと、みょうちくりんな菌が培養されたものを腹に入れることになる」と解説の男性が言っていました。納得。

で、姪が作ってくれた二度目の納豆はばっちりOK。味も柔らかさも完璧でした。まあ、ここまでよく研究してトライするものだ、とただただ最敬礼です。



姪の手作り納豆 第2号


そういう美味しい納豆がずらりと並ぶ日本のスーパー。羨ましいです。

ここでひとつ疑問があります。先日、常温で日持ちする空港専売の準生ラーメンのことに触れましたが、なぜ同じように常温で日持ちする納豆がないのでしょうか?納豆菌は生きているから止めることができない?

それはそうなんでしょうが、現代日本の知性と技術を生かせば、納豆菌の活動を抑える触媒とか、納豆菌を仮死状態に保存する方法とか、必ずあるのではないかと信じます。

それができるようになれば、世界の隅々まで納豆を送り込んで行くことができるはずです。そういう地の邦人は喜ぶでしょうし、さらに言えば納豆がまさに WORLD FOOD のステイタスを確立することも夢ではないと思うのです。

他のヌードル類やスシ関連に比べて、納豆はまだまだ売り込みが消極的なのではないでしょうか?アイスランドのスーパーにも色々な納豆のパックがずらりと並ぶ日が来たらうれしいなあ。
頑張れ納豆、YES, YOU CAN!



コメント (2)
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ラーメン全国大会

2012-10-07 05:00:00 | 日記
ネットでのコミュニケーションの発達はここ十年で日本とアイスランドの
距離を信じられないくらいに縮めました。それに比して目立たなくはありますが、物品の流通も各段に盛んになった気がします。

こちらへ移った当時は(二十年前)、スーパーで日本米(カリフォルニア米を含めて)は手に入らず、アンクル・ベンを箸で食べようと苦労したことを覚えています(今でもあれが「お米」であるのか疑いますが。失礼。m(_ _)m)。

また、当時アイスランド人は鶏肉を食することも少なく、お店では丸々一羽の冷凍しか売っておらず、鶏肉を使った中華などを食べたい時には解凍して肉を切り取る、という壮大な解体準備作業に作る前から疲れてしまったものでした。

今は値段は高いですが、生チキンが各パーツごとに売られています。まさしく「日本の常識は必ずしも世界の常識にあらず」の逆バージョン(この場合は日本の方が優れもの)ですね。

ネット通販でも色々なものが買えますね。感激したのはラーメンです(もちろんワタシ、大のラーメン好きです)。ただしこれはインスタントではなく、生でもありません。生は賞味期限が短いのと、「要冷蔵」という壁があります。ただ、皆さんもご存知と思いますが、成田の空港などでは味も食感も生と同じで、かつ三ヶ月常温で日持ちするという「準生」のラーメンを売っています。

以前は帰国する度に帰りがけにこのラーメン(「ラーメン大会」のように全国の名ラーメンが呉越同舟になっているものがあります)をいくつも買い込んで、重いにもかかわらずアイスランドまで「運び」ました。運び込んでからは冷凍庫に入れておけばしばらく安泰です。

ところが先日来日本からの通販購買を再学習していた際、この「ラーメン大会15食入り」をある店で購入できることがわかりました! 私的にはこれはかなりな「!」です。これでもう「ラーメンがない!」という近未来的な強迫観念に駆られて、片手にスーツケース、背中にバックパック、そしてもう片方の手にラーメンのヘビーなお土産袋を提げて空港をうろつかなくても道はあるのです。

もちろんお金はそれなりにかかりますが、人間って(私だけかな?みんなを引き込んでゴメン)それを手に入れる方法がある、というだけで落ち着くものですね。そうなると別にストックしてなくても安心できます。

とは言いながらも、それでも私はかなりストックが欲しい性質ですが。

そういう性格の人がオイル ・ショック時のような買い占めを起こすのでしょうね。いや、待って。オイル ・ショックのような記憶がインプットされるとこういう性格の人間が造り出されるのか?これは鶏と卵の水掛け論になりそうです。

日本でのように、いつでも自分の食べたい物が必要な量だけ買える、しかもかなり美味しい、という食の高文明にはアイスランドはまだまだ追いつきません。追いつくこともないでしょう。それでも過去を振り返るならば、確かに前進しているようです。

感謝、感謝。



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バイキング・ロケ

2012-10-05 05:00:00 | 日記
先日、アイスランドでは希少性の利益が在住の邦人にも回って来て、日本ではなかなかできないような体験をすることがある、というようなことを書きました。一昨日またそのような体験をしました。

今回は短編映画のエキストラです。「The Conquest」という短編で監督(女性)と制作はフランス人。その他は出演者やロケ地等アイスランドという仏-氷島映画です。アイスランド人の助監督の男性から直接電話があり、日本人男性のエキストラがどうしても必要なのでやって欲しい、とのこと。邦人男性は少ない在住邦人の中でも少数で、「邦人男性」という条件の場合は例外なく打診されます。まったくの棚ぼた?です。v(^_^)

数が欲しかったらしく公募もされていましたが、結局参加した邦人は私とS君という留学生の二人だけでした。平日の午後でしたし、そう簡単に集れるものでもないでしょう。S君の場合は演劇関係の勉強をしているので勉強の意味もあり納得できますが、私の場合は単に出たがりなだけです。

アイスランド人らも含めて20人弱のエキストラ軍団。他の人たちは劇団関係の人もいるらしく、顔見知りが多いようです。専用バスに集められレイキャビクから40分ほどのクレイバヴァトンという湖へ。この畔でロケです。

到着すると、電話してきた助監督がバスに現れ「皆さんの役は観光客で、バイキング・ショーを見ています。バイキングは戦いを始め、一人が勝って相手の頭を切り落として高く掲げますから、皆さんは興奮して拍手喝采してください」何と言う野蛮な話しだ。「生首は作り物ですから」当たり前だろ!

エキストラといいうのは全体の話しについてはほとんど何も知らされません。自分に言われたことをするだけです。その部分がどんな流れの中でどういう使われ方をするのかも分かりません。そういう点では少しコワイものもありますね。とんでもない作品だったらエキストラの人格まで疑われるかもしれないですから。

しばらく待たされてからいざ出陣。バスを降り20メートルはあろうかという砂の崖に近い急斜面を降りて湖畔へ。あいにくこの日はものすごい強風で、湖の方から湖畔に立っているエキストラ陣に正面から吹き付けてきます。寒いのなんの。

ポジションに付くと監督登場。フランス人の女流監督と聞いていたのでさぞかしあでやかな女性だろうと期待していたのですが、まるで昔のアニメの「アラレちゃん」そのもの。160センチとおぼしき小柄な身体に、二十歳そこそこにしか見えない童顔(事実は34歳)で、トンボ眼鏡の向こうからニコニコしながら最後の説明。

「日本人の人はショーの最後に気前良くチップをあげてください」ここでも希少性?の御利益で立ち位置が一番前になりました。「何で日本人がチップあげるんですか?」とまじめなS君。確かにそうだけど、カメラ映りが保証されるんだから。

それから小一時間。アラレちゃんは意外や?プロの監督らしく、強風と寒さにも負けず入り念に映像をチェックして「もう一度」の連発。五分ほどのカットを結局6回くらい繰り返したでしょうか?こっちはチップの小銭を掴むのが難しくなるほど指が寒さで麻痺してきました。やっとOKです。



撮影の合間にポーズを取るバイキング
ちょっと卑猥なバイキング踊りもウケてました。


「この短編はフランスとドイツで映画祭に出展されます。もしかしたらアイスランドでも見れるかもしれません」と助監督。ワーイ。そうだよ、アイスランドでやってくれなかったら出演してもつまらいでしょ。こんな寒い思いして。しかも無報酬で。

ところが最後の思いがけぬ難関。さっき降りた20メートル級の砂地を今度は登らなくてはならない。足下が砂の急勾配を登るのは大変なことですよ。やっとよじ登った時は息も絶え絶え。バスの入り口で助監督さんは笑顔で 一人一人に握手してくれます。「手伝ってもらってありがとう」 握手を返しながら 「ハーッ、、、ハーッ、、、」

映画とソーセージは出来たものを楽しむものであって、作ってるところを見てはいけない、って前に誰かが言ってました。でも、つまらなくはないと思いますけどね。寒風と急勾配の砂崖にめげなければ。

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二つの世界

2012-10-03 05:00:00 | 日記
ブログを始めてから一ヶ月余り経ちました。これまで毎日書くようにしてきたのですが、今月から週三回のアップへとスローダウンしようと思います。何事も始めは張り切ってするけど、だんだん疲れてくるから....だと思いますか?そういうわけではないんです。

人それぞれ性格がありますね。いくつものことを同時並行して行える人もいれば一度にひとつしか集中できない人。ものごとの切り替えがスッキリクッキリできる人もあればどうしても引きずってしまう人、等々。

私自身はあまり多くのことを一度にできない性格です。私は牧師ですが、例えば結婚式があるとすれば、その日に他の行事がなるべく入らないように手配します。その結婚式に集中したいからです。ところがこういうことをさばくのが上手な牧師さんもいらっしゃって、同じ日に結婚式とお葬式のように政治家のようなスケジュールを容易くこなす方も多くあります。

さて、私はアイスランドに住む日本人です。当然のことながら日本は故郷ですし日本語は母国語です。その一方で現在生活している生活の現場はアイスランドであり、アイスランド語が生活用語です。ここで私の一度にひとつのことしか集中できない性格がひっかかってきます。
私は一度に日本かアイスランドか、どちらかにしかホームを持てないと思うのです。

今から十年ほど前くらいまでは、自然と自分の生活の場は一方付けられました。アイスランドにいる間はアイスランドが98%を占め、日本は遠くの場所。帰国の予定が近着くと日本の割合が増し、帰国から戻ってしばらくは日本後遺症が続きますが、二週間後にはまたアイスランドへ戻っている。そんな感じでした。

ところが今、ネットで日本のTV番組はほとんど同時にアイスランドでも見れますし、邦人同士でのネットでのチャットも日常化。日本との関係を保とうと思えばズルズルべったり、いくらでも続けられます。こうなってくると、物理的にはアイスランドにあって、精神生活的には日本にいる、というような現象も可能になってきます。

そういう状況でも立派に生きていける人もいるでしょう。しかし、私はダメです。私は日本か、アイスランドか、どちらかに一方付けないとダメです。

で、昨今の自分自身の状況を見てみると、どうもアイスランドにいながら日本にばかり思いを馳せている、というような二足のわらじというか、生産性が分断された日々になっていないかをチェックする必要があるようです。

と、いうことでブログの回数も押さえることにした次第です。ブログ自体は楽しいことですし、ものを書くのも好きな方ですし、そのこと自体は問題ないのですが、そのブログが何か逃避の場になってはいけませんので。

これは日本-アイスランドの問題ではありません。私個人の性格的問題です。ご理解あれ。
m(_ _)m




コメント (2)
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