レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「自分色」の美しさ

2012-10-25 05:00:00 | 日記
先日ネットで見た「有吉君の正直さんぽ」でオーラを撮る写真屋さんが出ていました。ある人の写真を撮ると色付きでその人のオーラも写るんだそうです。信じますか?へへ)

オーラかどうかは知りませんが、その人が自分自身であり自分を大切にすることができている時には、「自分色」の美しさが出ているんだろうと感じます。これは私自身の体験からそう思えるのです。

前回、私の仕事のことを書きましたが、移民牧師としての私のところに相談に来る人は、七割方がトラブルの故の相談です。残ったうちの二割が文化関係の相談、一割が結婚などハッピーなお話しです。

トラブルにも色々あるのですが、人間の弱さというか個人の力ではどうにもならないような局面にさらされているのが庇護申請者と呼ばれる人々です。実質難民なのですが、事情により故国を命からがら抜け出して、安全な国まで密航を続けて庇護(アサイラム)申請をする人たちです。家族連れもありますが、大半は個人です。

このアサイラム申請者は1997年頃のNATOの旧ユーゴ空爆以降からアイスランドにも来始めました。当時はどのように対処をするかというシステムができておらず、私などもずいぶんと時間を彼らと共に費やしました(今でもシステムは十分、というにはほど遠いですが)。

その頃知り合った人にコソボからの若者A君がいました。これは実は三人組の男性たちのひとりだったのですが、A君は一番若くおとなしく、英語もしゃべれなかったのであまり存在感があるとは言えませんでした。うなだれてすごすごあとの二人について行く、という感じでした。

当時の政府は保守政権で、なぜかアサイラム申請者は皆嘘つきで犯罪者だ、というような偏見を強く持っていました。当然、申請拒否を前提にして処遇されます。時間はかかる、することがない、情報をもらえない、と言うようなみじめさを味あわせるためにあるのではないか、と思えるようなプロセスの中で、A君は一度、貨物船での国外脱出を図りさえしました。

何ヶ月もかかった後で、ようやくしぶしぶの滞在許可が出ました。ただ、始めから自活しなくてはなりません。公式に難民認定されると、国際協定に準じた色々な権利が与えられます。しかし、A君を始め多くのアサイラム申請者は「難民ではないが、人道上の観点からここにいさせてやる」というような結論を得ることが多いのです。

その後音信は途切れました。三年くらいしてスウェーデンのTVがアイスランドでの難民をテーマに取材に来て、その案内をしながらA君を尋ねました。驚きました。A君はすでに自分のアパートを買っていたのです。英語もものすごく上手になっていました。「Mr.トーマ、毎日12時間以上働いています。休みはありません。床木材を貼る仕事です。おかげで収入も順調に増えてきてます」

このA君に街で行き会っても気がつかなかったと思います。全くの別人でした、いい意味で。

こういう体験は何度もします。家族で逃げて来たルーマニアの女性もそうでした。小ちゃな女の子に加えて、お腹に赤ちゃんがいて、これからどこで暮らせるのかも分からずに、鬱のようになっていました。すったもんだの後で許可をもらいましたが、生活はしんどかったはずです。

これも三、四年ぐらいしてから大学できれいな女の人に声をかけられました。「こんな美人の知り合い、いたっけ?」と思いましたがくだんのルーマニア女性でした。日を改めて食事に呼んでもらいました。借り家でしたが子供たちも大きくなっていて暖かい家庭でした。その時はまた「自分色」を感じましたね。「家庭色」と言ってもいいのかな?

人が自分色を取り戻すプロセスに参加できるのはうれしいことです。それぞれに「自分色」を大切にしてもらいたいと感じます。

それにしても、私にも「自分色」はあるのでしょうか?あったとしても、もはや色褪せてるのかも...?


コメント (1)
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