家によって、その家風がある。
家風なんて、偉そうなものでなくても、
流儀のようなものがある。
夏、一緒に過ごすいとこたちに接していると、
我が家との違いに気付くことも多かった。
我が家では、父が時々、言葉遣いが悪いとか、
態度が生意気だ、などといって、
突然怒り出すことがあった。
父方の家は、長幼の序や、言葉遣いもみな気をつかっていて
兄弟でも、敬語をつかっていた。
そういう育ち方できたので、
母方の家族の自由さが、時に秩序のないものに思えたり、
馬鹿にされたように感じたりするのだと思う。
一匡邑で過ごす毎日は、
親戚とはいえ、よその家庭のようすを垣間見る日々だった。
おじ、おばをつかまえて、
○○ちゃんと呼ぶのには、私は抵抗があった。
あ、これが家庭による差だなと、感じた。
我が家では、時々爆発する地雷が存在したが、
地雷のない家族もあるんだと、妙にうらやましかった。
その頃は、我が家は堅苦しくて、と思っていたが、
年を経ると、いろいろな家庭を見聞きできて、
よかったんだなと、思える。

地雷のない家! クリック!
写真は、山中湖畔の芽吹き
家風なんて、偉そうなものでなくても、
流儀のようなものがある。
夏、一緒に過ごすいとこたちに接していると、
我が家との違いに気付くことも多かった。
我が家では、父が時々、言葉遣いが悪いとか、
態度が生意気だ、などといって、
突然怒り出すことがあった。
父方の家は、長幼の序や、言葉遣いもみな気をつかっていて
兄弟でも、敬語をつかっていた。
そういう育ち方できたので、
母方の家族の自由さが、時に秩序のないものに思えたり、
馬鹿にされたように感じたりするのだと思う。
一匡邑で過ごす毎日は、
親戚とはいえ、よその家庭のようすを垣間見る日々だった。
おじ、おばをつかまえて、
○○ちゃんと呼ぶのには、私は抵抗があった。
あ、これが家庭による差だなと、感じた。
我が家では、時々爆発する地雷が存在したが、
地雷のない家族もあるんだと、妙にうらやましかった。
その頃は、我が家は堅苦しくて、と思っていたが、
年を経ると、いろいろな家庭を見聞きできて、
よかったんだなと、思える。

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