ロンドン最後の夜です。
6時にSさん宅に伺いました。
約束してあったジョン・ホワイト博士との会食のためです。
最初にも触れましたが、Sさんの奥様のお病気がシリアスだったため、
Sさんは、会食は今回はお止めになるということで、ホワイト教授と我々三人になりました。
伺った時は、ホワイト教授が、
今度出版する俳句の翻訳の最終稿を仕上げていらっしゃるところでした。
一茶と蕪村ともう一人(忘れました)の作品を、50ずつ選んで
翻訳し、それも五七五に発音がなるように翻訳なさったそうで、
その一句一句を、お二人で検討なさっている所でした。
しばらく、その作業が終わるのを待っていましたが、
そこに、Sさんが呼んでくださった、留学生のHさんがみえました。
最初の日にご紹介した、お墓の拓本を作ってくれた方です。
それが専門ではないが、Sさんのお知り合いの篆刻で有名な方からの指示で
拓本をとってくださった方です。
で、その方と話をしていたところ、研究しているのは歴史で
特に泰緬鉄道について、研究しているとのこと、
そういえば、大学の時、地理の浅井得一先生が泰緬鉄道の話を良くされていたのを思い出し、
その旨話したら、対面鉄道を調べていくうえで、浅井得一とは、キーになる人物とのこと、
その人を知っている人に初めて会ったと、ビックリなさっていました。
そうこうしているうちに、俳句の翻訳の検討がおわり、
お墓の報告その他いくつかの話をしました。
ホワイトさんは、日本美術史の大家で、日本の事をを良くご存じです。
Sさんは、鈴木大拙のもとで修養を積んだというので、
お知り合いも多彩な方々がいらっしゃり、お話も多彩です。
・ウィリアムソンの伝記(最初の日に紹介した)の英文を今作成している。
翻訳を頼んでいた方が、ご家族の介護の都合でできなくなり、
今は、ケンブリッジ大学の日本語統括をしている方に頼んでもうすぐ完成する。
出版社をさがしているところ。
その時、翻訳家はいっぱいいるけど、信頼できる翻訳は、
日本語がしっかりした人でないとなかなか頼めない。
今回仕上げてくれた方は、教えた学生に、あらゆる分野の人がいて、
科学なり、歴史なり、彼女の知識では分からない分野は、
それぞれの専門家にみてもらっているとのことで、いいものができるだろうとのことだった。
・日本に行ったとき、「ウォルター・ウェストンと上条嘉門治」の本のあとがきを
ホワイトさんが頼まれ、それをSさんが翻訳したので、
そのご本を頂いた。
夫は山が好きで、嘉門治小屋にも縁があるので、
今度行ったら、ホワイトさんからもらったと見せるんだと、
お二人のサインを頂いた。
・Sさんの奥様は、フランクフルトで夫のはとこZさんと懇意にしていて
福岡さん、ご縁があったのですねとのこと。これについては、前回も少し伺っていたのだが
私は、夫と知り合う前に、Zさんのところで3年間働いていた経緯があり、
その時にドイツのゴールデンプランを日本に紹介することに関係していて、
奥様と話せたら、たぶんそのあたりの話ができたのにと、不思議な思いだった。
(残念なことに、この翌日、奥様は亡くなられたと、帰ってから頂いたお知らせにあった。)
ごく短い時間でこれらの話をしていて、とても刺激的だった。
それから、ホワイト教授と一緒に食事に。
彼は、94歳。元ロンドン大学の副学長さん。
食事の場所はロンドンの中心ピカデリーサーカスあたりとのこと。
タクシーでもいいが、道が混むのでと、地下鉄で行く。
オイスターカードは持っているかと聞かれ、持っていると答えると
私はゆっくりだが、歩けるのでと、地下鉄で行動。
ちょうどラッシュアワーで、込み合っていた。
しばらく立っていたが、席があくと、私に座れという。
あくまでもLady firstなのである。
94歳の人をさしおいて、座れないので、どうぞどうぞとやり取りしていた結果、
我々三人ともが席を譲られた。
ピカデリーサーカスから歩いて5分ぐらい、会員制のクラブに。
アテネクラブといい、
アカデミックなクラブで、古くはダーウィンも会員だったとか。
ネクタイ着用のドレスコードがあり、少し前までは女性は入れなかったそうな
ちょっと緊張して、食事を頂く。
ホワイトさん、地下鉄に乗っている時は、よれよれのジャンパーを着ていて
足を擦りながら歩くといった風だったが、
ここに着くと、赤いワイシャツがおしゃれで、
ワインを選ぶときなど、いかにも慣れている感じで、さすがと思わせた。
蟹のコキールと舌平目を頂き、美味しいワインを三人であけた。
終わって、二階にあがり、コーヒーを頂く。
部屋の雰囲気は、ハリーポッターの映画の世界のよう。
なかなか体験できない貴重なお食事を頂いた。
ホワイトさんがタクシーに乗られるのを見届け、ホテルに。
ピカデリーサーカスでのクリスマスのイルミネーションが、シンプルできれいだった。
これで、ロンドンは終わり。次はフランスへ。
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6時にSさん宅に伺いました。
約束してあったジョン・ホワイト博士との会食のためです。
最初にも触れましたが、Sさんの奥様のお病気がシリアスだったため、
Sさんは、会食は今回はお止めになるということで、ホワイト教授と我々三人になりました。
伺った時は、ホワイト教授が、
今度出版する俳句の翻訳の最終稿を仕上げていらっしゃるところでした。
一茶と蕪村ともう一人(忘れました)の作品を、50ずつ選んで
翻訳し、それも五七五に発音がなるように翻訳なさったそうで、
その一句一句を、お二人で検討なさっている所でした。
しばらく、その作業が終わるのを待っていましたが、
そこに、Sさんが呼んでくださった、留学生のHさんがみえました。
最初の日にご紹介した、お墓の拓本を作ってくれた方です。
それが専門ではないが、Sさんのお知り合いの篆刻で有名な方からの指示で
拓本をとってくださった方です。
で、その方と話をしていたところ、研究しているのは歴史で
特に泰緬鉄道について、研究しているとのこと、
そういえば、大学の時、地理の浅井得一先生が泰緬鉄道の話を良くされていたのを思い出し、
その旨話したら、対面鉄道を調べていくうえで、浅井得一とは、キーになる人物とのこと、
その人を知っている人に初めて会ったと、ビックリなさっていました。
そうこうしているうちに、俳句の翻訳の検討がおわり、
お墓の報告その他いくつかの話をしました。
ホワイトさんは、日本美術史の大家で、日本の事をを良くご存じです。
Sさんは、鈴木大拙のもとで修養を積んだというので、
お知り合いも多彩な方々がいらっしゃり、お話も多彩です。
・ウィリアムソンの伝記(最初の日に紹介した)の英文を今作成している。
翻訳を頼んでいた方が、ご家族の介護の都合でできなくなり、
今は、ケンブリッジ大学の日本語統括をしている方に頼んでもうすぐ完成する。
出版社をさがしているところ。
その時、翻訳家はいっぱいいるけど、信頼できる翻訳は、
日本語がしっかりした人でないとなかなか頼めない。
今回仕上げてくれた方は、教えた学生に、あらゆる分野の人がいて、
科学なり、歴史なり、彼女の知識では分からない分野は、
それぞれの専門家にみてもらっているとのことで、いいものができるだろうとのことだった。
・日本に行ったとき、「ウォルター・ウェストンと上条嘉門治」の本のあとがきを
ホワイトさんが頼まれ、それをSさんが翻訳したので、
そのご本を頂いた。
夫は山が好きで、嘉門治小屋にも縁があるので、
今度行ったら、ホワイトさんからもらったと見せるんだと、
お二人のサインを頂いた。
・Sさんの奥様は、フランクフルトで夫のはとこZさんと懇意にしていて
福岡さん、ご縁があったのですねとのこと。これについては、前回も少し伺っていたのだが
私は、夫と知り合う前に、Zさんのところで3年間働いていた経緯があり、
その時にドイツのゴールデンプランを日本に紹介することに関係していて、
奥様と話せたら、たぶんそのあたりの話ができたのにと、不思議な思いだった。
(残念なことに、この翌日、奥様は亡くなられたと、帰ってから頂いたお知らせにあった。)
ごく短い時間でこれらの話をしていて、とても刺激的だった。
それから、ホワイト教授と一緒に食事に。
彼は、94歳。元ロンドン大学の副学長さん。
食事の場所はロンドンの中心ピカデリーサーカスあたりとのこと。
タクシーでもいいが、道が混むのでと、地下鉄で行く。
オイスターカードは持っているかと聞かれ、持っていると答えると
私はゆっくりだが、歩けるのでと、地下鉄で行動。
ちょうどラッシュアワーで、込み合っていた。
しばらく立っていたが、席があくと、私に座れという。
あくまでもLady firstなのである。
94歳の人をさしおいて、座れないので、どうぞどうぞとやり取りしていた結果、
我々三人ともが席を譲られた。
ピカデリーサーカスから歩いて5分ぐらい、会員制のクラブに。
アテネクラブといい、
アカデミックなクラブで、古くはダーウィンも会員だったとか。
ネクタイ着用のドレスコードがあり、少し前までは女性は入れなかったそうな
ちょっと緊張して、食事を頂く。
ホワイトさん、地下鉄に乗っている時は、よれよれのジャンパーを着ていて
足を擦りながら歩くといった風だったが、
ここに着くと、赤いワイシャツがおしゃれで、
ワインを選ぶときなど、いかにも慣れている感じで、さすがと思わせた。
蟹のコキールと舌平目を頂き、美味しいワインを三人であけた。
終わって、二階にあがり、コーヒーを頂く。
部屋の雰囲気は、ハリーポッターの映画の世界のよう。
なかなか体験できない貴重なお食事を頂いた。
ホワイトさんがタクシーに乗られるのを見届け、ホテルに。
ピカデリーサーカスでのクリスマスのイルミネーションが、シンプルできれいだった。
これで、ロンドンは終わり。次はフランスへ。
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教科書のお話だったので、そうかなと思っておりました。でも、浅井先生とお仕事で知り合っていらしたとは、驚きです。たしかに、脱線話がお好きで、いつもおでこの上に、メガネをのっけたそんな姿が思い出されます。Wikipediaの浅井得一のページを見ると、陸軍との連携で軍人としての行動がでています。あの先生からは思いつかないことでした。
浅井先生に執筆いただいたのは、中学校の地理教科書です。
地理の浅井得一先生
私がかつて編集を担当していた地理教科書の、執筆者のお一人です。
脱線話が大好きな先生でした。また、大の巨人フアンで、
巨人が勝った翌日の新聞は全紙買うんだと言っておられました。
先生は泰緬鉄道に関りがおありだったんですか。
映画「ビルマの竪琴」はこの鉄道建設に纏わる話でしたね。