初詣は行ったものの、いつもいただいている破魔矢が神明神社にはありませんでした。
そこでいただきに行ったのが方県津神社(かたがたつじんしゃ)でした。
元日の夜(神明神社の翌晩)に行ってみたところ、破魔矢などの売り場?はありました。テント仕立てにしてありましたが、夜は誰もおられません。前夜、大晦日明けなら間違いなくおられたに違いありません。
そこで1月3日日産で福袋をもらったあとで行ってみました。むかしあった公民館はなくなり駐車場になってました。これ幸いと参詣して破魔矢をいただいてきました。昼間はテントに人がおられたので、めでたくゲットできました。
ここ方県津神社(かたがたつじんしゃ)の祭神は下の写真にも出ている丹波之河上摩須郎女命(たにはのかわかみのますのいらつめのみこと)です。そして注目すべきなのは式内社の文字です。式内社(しきないしゃ)とは延喜式神名帳に載っている神社のことだそうです。だから式内社といえば、少なくとも平安時代からある、古い、伝統のある神社ということになります。
長良の氏神さまは一般的には長良天神さんですが、由緒書きを見ると室町時代創建らしく、方県津さんの方が由緒正しいといえそうです。またここは以前の家から100mくらいのところにあり、小学校の校区内にあることから初詣に最もふさわしい神社と言えそうです。
神明神社:現在の自宅に最も近いが校区外
長良天神:校区外
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元日の夜(神明神社の翌晩)に行ってみたところ、破魔矢などの売り場?はありました。テント仕立てにしてありましたが、夜は誰もおられません。前夜、大晦日明けなら間違いなくおられたに違いありません。
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ここ方県津神社(かたがたつじんしゃ)の祭神は下の写真にも出ている丹波之河上摩須郎女命(たにはのかわかみのますのいらつめのみこと)です。そして注目すべきなのは式内社の文字です。式内社(しきないしゃ)とは延喜式神名帳に載っている神社のことだそうです。だから式内社といえば、少なくとも平安時代からある、古い、伝統のある神社ということになります。
長良の氏神さまは一般的には長良天神さんですが、由緒書きを見ると室町時代創建らしく、方県津さんの方が由緒正しいといえそうです。またここは以前の家から100mくらいのところにあり、小学校の校区内にあることから初詣に最もふさわしい神社と言えそうです。
神明神社:現在の自宅に最も近いが校区外
長良天神:校区外
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上州一ノ宮まで公用で出向いたのですが、近く下り宮で有名な貫前神社があります。そこもスルーして古墳を見てしまいました。
孫に受験生があれば、加納天満宮ですし、
岐阜市内に出れば、伊奈波神社ですし、
笠松町に出れば、八幡神社です。
兵庫県の生活が長いので、七五三も
あちらの神社でした。
歴史ヲタクだと思ってましたので意外です。それに神社を通り越して古墳ですか!別に有名どころへ行く必要はないですけど、身近な神社くらいは・・・神信心でご利益があるかどうかはわかりませんが。
ひとつ、この三が日でわかったことがあります。日本で一番多い神社、八幡神社の総本社が大分の宇佐神宮だということです。就職して1年目に偶然行きましたが、そんな凄いとこだとは全く意識の外でした。人間なんて所詮そんなものです。
古代の地形が。
「現在 『桝・マス』と呼ばれてるが、『摩須』の転化であろう」
・・・それこそ、「摩須」の表してるものが「桝」
だったかもしれませんよね、万葉仮名では。
リンク先の「方県津神社詳細」を読んで思いました。
あの辺りで標高18mちょっとなので海が入り込んでいたといわれればそうかもしれないです。猿投神社の古地図などを見ると岐阜山(金華山か)の西北部も海になってます。
http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/zatugakuzatubun.html
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