産経新聞2007年4月25日夕刊にジャーナリストの
武田徹さんが、
『環境問題-オートバイ的感覚の必要性』というコラムを投稿されていた。
武田徹さんは、高校生から大学院までバイクに乗っていて、
最近ビッグスクーターにリターンライダーとなった。
自分の皮膚感覚で感じた環境問題についてコラムしている。
とても良い内容なので、無断で一部抜粋させていただく。
(本当はいけないことなのですが。。。。。)
*中略した部分に筆者の言いたいことがあるかもしれませんが、
そこのところはお許しください。
(略)
そんなオートバイは独特の感覚をライダーにもたらす。
言ってみれば速度が空間を圧縮し、環境の中の要素をすべて
過剰な方向に増幅する。
(略)
こうした進化過程で消費エネルギー量は幾何級数的に増え、
狭い範囲で環境を自分都合に変える人間文明に至っては
マクロ的な環境問題を起こしつつもある。
とはいえ温暖化や都市のヒートアイランド現象などは、
話題になる割りに対応に今ひとつ本腰が入ってないように思う。
それは環境変化を肌で感じられないからだろう。
(略)
しかしオートバイは違う。
自動車のエアコンが大気を熱する都市の温暖化について、
身一つで空間の中に放り出されているライダーは、
自分の肌で確かに感じられる。
(略)
だから、環境から独立してゆく進化の方向を敢えて逆立ちさせ、
環境を濃縮してダイレクトに伝えるオートバイ的な媒体装置=
メディアを意図的に設計、社会の適当な場所に配置して、
僅かな環境変化をより確かに感じる機会を増やしてやる。
こうして戦略的逆文明化とでも呼ぶべき手法によって、
私たちは環境の危機をリアルに感じ、その対策へとよりスムーズに
踏み出せるのではないか。
いや、オートバイ的なものでなくて、オートバイそのものでも
もちろん良い。
世論形成に寄与できたり、世の中の流れを変え得る立場にいる
中高年が更に多く筆者と同じくオートバイに回帰した時、
社会全体の環境問題への取り組み方も変わるのではないか。
筆者は密かにそんな期待も寄せているのだ。