2004年7月26日に父が79歳で永眠しました。
※父が79歳で永眠しました - KOfyの「倍行く」人生 2004年07月26日
妹が仏壇に供えた日本酒を供養のために飲みました。
父が好んで飲んでいたのは白鹿だったと思います。
毎日、飽きずにマグロの刺し身で2合のお酒の晩酌を楽しんでいました。
最後のお茶碗一杯のご飯を美味しくいただけるだけの酒の量に収めておかないと
駄目だぞとよく言っていたことが思い出されます。
キャンドルランタンを供養のために灯して父の好きだった鮪の赤身を
ほんの少しだけ添えて日本酒を飲みました。
満年齢で79歳という今ではとても若いときに永眠してしまいました。
当時毎日介護していた母も今年の8月10日には95歳になります。
※母の介護の様子 - KOfyの「倍行く」人生 2019年08月26日
毎日、母の介護にストレスが溜まりますが、少しでも元気で長生きしてもらいたいです。
近いうちに、父の形見のキャンプ道具のエピガスのバックパッカーストーブで
キャンプ飯を作って父を忍びたいと思います。
※父が79歳で永眠しました - KOfyの「倍行く」人生 2004年07月26日
妹が仏壇に供えた日本酒を供養のために飲みました。
父が好んで飲んでいたのは白鹿だったと思います。
毎日、飽きずにマグロの刺し身で2合のお酒の晩酌を楽しんでいました。
最後のお茶碗一杯のご飯を美味しくいただけるだけの酒の量に収めておかないと
駄目だぞとよく言っていたことが思い出されます。
7月26日は2004年に79歳で永眠した父の18回目の命日です。当時17歳で高校生だった次女も2児の母になりました。妹が仏壇に御供えしたワンカップ大関を供養で頂きました。 pic.twitter.com/n1CcKXEzcD
— KOfy (@toyokozy) July 26, 2022
キャンドルランタンを供養のために灯して父の好きだった鮪の赤身を
ほんの少しだけ添えて日本酒を飲みました。
満年齢で79歳という今ではとても若いときに永眠してしまいました。
当時毎日介護していた母も今年の8月10日には95歳になります。
※母の介護の様子 - KOfyの「倍行く」人生 2019年08月26日
毎日、母の介護にストレスが溜まりますが、少しでも元気で長生きしてもらいたいです。
近いうちに、父の形見のキャンプ道具のエピガスのバックパッカーストーブで
キャンプ飯を作って父を忍びたいと思います。