雨曇子日記

エイティライフの数々です

2018 加須街歩き ③

2018-01-09 16:13:03 | 関東の小都市歩き

 

街の中央を西から東に流れる“会の川”に架かる石橋群の中でも、かってはひときわ目を惹いたであろう“不動橋”は、関東三大不動の一つ玉嶹山不動院総願寺の門前にあります。

 

                         (山門を境内側から撮りました)

                          (山門の仁王さんです)

 

霊験あらたかな不動さんが立派なお堂に祀られているのですから、近在から、特に江戸からも、多くの参詣客が訪れたに違いありません。

 

                         (不動堂を正面から見る)

                       (奉納された銅製の灯明台)

                      (不動堂の大屋根)

         (節分会に豆を撒く人たちの名、この寺は年男が撒くものは自前だそうである)

              (なぜ傾いているのか不明だが年季の入った松)

 

文化財として、行田市忍城の門があります。

 

                              (一枚板の扉)

                          (門の上部)

 

かっての繁栄を偲びながら駅に向かい、途中の和菓子店で「鯉のぼり最中を買いました。

 

 

 

 


2018 加須街歩き ②

2018-01-08 17:09:22 | 関東の小都市歩き

うどん界の絶対王者・香川県に戦いを挑む恐れを知らない埼玉県は、「生めん」「ゆでめん」の生産量において、香川県 47. 080 小麦粉使用トンに次ぐ 24. 403 トンで 大差をつけられての 2 位だが、3 位群馬県の 14. 387 トン  には大差をつけている。

その「うどん県埼玉」にあって“加須うどん”は有力なブランドだ。(データは 「J タウンネット」より引用)

1 月 6 日(土)千方神社参拝のあと、東武線の踏切を渡って久下(くげ)のうどん店を目指した。

 

 

交通量の多い道路わきの立派な店だ。

 

 

この店の一オシは“味噌仕立てけんちんうどん 800 円”だ。

 

 

“天ぷら釜揚げうどん 1200 円”もうまかったそうだ。

 

 

店を出て、車は多いが人はさっぱり見かけない道を北に進んだ。

 

 

 

道端の民家の前に猿田彦大神の石碑を見つけた。猿田彦は、日本神話ニニギノミコト降臨の際先頭に立って道案内をした神様だ。

 

                 (このあたりは昭和を感じさせる町並みだ)

 

通りを突っ切って更に北に進むと「会の川」に出た。この川に架かる橋がみな石橋であることに気づいた。

 

 

 

 

 


2018 加須街歩き ①

2018-01-07 22:40:01 | 関東の小都市歩き

                          ( 東武線加須駅北口)

 

1 月 6 日(土)東武伊勢崎線で加須に来ました。

最初に行ったのは近くの千方(ちかた)神社(中央 2 丁目)です。

 

 

ウイキペディアによれば、明治 5 年に村社「千万社」ができ、大正 2 年に「千方神社」に改めたのだそうです。なお、「千方」(ちかた)というのは平将門を討った藤原秀郷の六男の名です。何か深い歴史がありそうですが、それ以上のことは分かりません。

 

 

境内は 446 坪と広く、その大部分は広場です。

 

 

広場の周りを、いろいろな神社、石碑が取り囲んでいます。

 

                             (浅間神社)

                          (八坂神社の屋根の部分)

                               (稲荷神社)

 

注目すべきは、文化財に指定されている「石敢當」(せきかんとう)でしょう。

 

               

 

説明版にありますが、道路の突き当たりや門、橋などに置いて禍を防いだのです。中国伝来の悪魔よけの一種です。沖縄や九州地方では今も多くみられ、沖縄では土産物にもなっていますが、関東ではほとんど知られず、江戸時代のものは埼玉県では 2 基しかないそうです。

 

石碑では日露戦役記念碑がありましたが、山形有朋の書というのはめずらしいのではないかと思いました。

 

               

 

 

 

 

 

 

 


懐かしい「陸王」の街 行田市

2017-12-26 21:06:04 | 関東の小都市歩き

 

TBS ドラマ「陸王」が 12 月 24 日(日)第 10 話で終わった。

経営難の足袋製造業「こはぜ屋」がランニングシューズ「陸王」開発に成功し、融資を渋っていた町の銀行を見限って大銀行をメインバンクとするまでに成長をとげる物語だ。

一つの目標に向けて皆が力を合わせ努力し報われるストーリーが支持を得たのだろう、最終視聴率は 20 %を超え有終の美を飾った。

物語が終わった今は、懐かしい「陸王」の街だ。

 

                     (舗道にはめ込まれた道案内表示)

 

行田市には、映画「のぼう城」で有名な忍城があり、「陸王」でもしばしばその姿が映りました。

 

 

ドラマ「陸王」の成功は、実際にある「ニューイヤー駅伝」(あっ、これは毎年TBSが放送していますね)「豊橋ハーフマラソン大会」とのコラボ、何千というエキストラを使ってのマラソン場面の盛り上げ、茂木選手役で走る竹内涼真のカッコよさ、など、いろいろな要因がある。

最後のマラソン大会の場面では、増田明美さんの実況解説もあったし、マラソンの瀬古さんは、「こはぜ屋」の長男役山崎賢人(熱演)の就職面接での試験官の席に座っていた、なぜか堀尾アナもいた。また、テニスの松岡修造さんは長いセリフを言う大役を担っていた。

多分TBS は、このドラマの成功のため、ドラマの「こはぜ屋」のようにチーム一丸となって製作に当たったのだろう。大成功でめでたしめでたし。

兎も角大いに楽しませてもらいました。

 

 

 

 


うどん&古刹・・・加須市を歩く  ③

2017-12-12 18:16:51 | 関東の小都市歩き

 

加須市の古刹といえば関東 3 大不動の一つ総願寺です。

関東 3 大不動とは、まず、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺、ここまでは異存のないところですが、3 番目は 3 つの候補があり、一つは埼玉県加須市不動ヶ丘不動尊 総願寺、または、埼玉県飯能市 高山不動尊常楽寺、または、神奈川県伊勢原市 雨降山大山寺、と、それぞれの寺が名のりをあげています。

ともかく、うどん屋さんの角を曲がって人気のない参道を進み総願寺に来ました。

 

 

金色の仁王門は、朱色だったものを平成の改修で塗り替えたのだそうです。

 

仁王門の奥に不動堂があります。

 

 

この総願寺にはどのような由来があるのでしょう。

私がネットで調べたところによると、次のようです。

 

仁和 2 年( 886 )光孝天皇が重い病にかかり、弘法大師の姪の子にあたる円珍(智証大師)が不動明王を彫って祈願したところ病は平癒しました。以後、この不動明王像は大切に保管されていましたが、あるとき護衛の役人が武州吉見へもって帰ってしまいました。その後大洪水が起こって不動尊像は流され加須の地に漂着しました。

さらに時代が下って、元和 2 年( 1616 )高野山の僧 総願上人がこの地を訪れた時、不動明王のことを知り、この地「丘村」を「不動ヶ丘」と変え総願寺を建立し不動明王を祀りました。

現在の不動堂は、天保 15 年( 1844 )龍蔵寺を建てた羽生市の宮大工 7 代目の三村正利さんによるものです。入母屋造り、桁行 5 間梁間 5 間銅板葺きです。

 

こちらは本堂で、これも三村さんの手になるものです。

 

                            (鎌倉時代の板碑)

 

総願寺の門前に、「五家宝」という素朴なきな粉菓子を売る店があります。

 

                         (店の天井の装飾)

 

参道はかっての繁昌をしのばせます。

 

 

街中を流れる「会の川」の立派な石橋が、かってのこの地の繁栄ぶりを偲ばせます。

 

 

 

 


うどん&古刹・・・加須市を歩く  ②

2017-12-10 20:28:31 | 関東の小都市歩き

 

寺は、無着山龍光院龍蔵寺といいます。

昔この近くを流れる利根川に白龍が住み村人を苦しめていたのを、教蔵上人という坊様が退治しここに寺を建てたのが始まりで、それは、文和 4 年( 1355 )南北朝時代のことでした。

もっとも、この本堂は江戸時代に入って、天保 6 年( 1835 )近くの羽生市川俣の宮大工三村家の七代目三村正利さんが、 9 年の歳月をかけて建造したもので、加須市内では最大の木造建築です。

桁行 5 間、梁間 5 間、入母屋造り瓦葺きです。

 

               (内陣の天井には龍と天女が描かれているそうです)

 

境内には樹齢 650 年の大銀杏があります。この木に因み、加須市の木は銀杏です。

 

 

境内の古い石仏の中に平成の“勢至丸”像がありました。法然上人の幼少時の勢至丸が刻まれた石仏はめずらしかったので、背面を見ると、ある信者さんが先祖の供養のために建てたものと分かりました。

 

 

この寺の文化財の一つに、9 通の朱印状があります。

江戸幕府がこの寺に 22 石を安堵したお墨付きです。朱印は将軍のみに許された印なのだそうです。

家光㊞の慶長のものから、貞享、享保、延享、宝暦、天明、天保、安政、万延、と 9 通そろっているそうです。

 

 

なお、仁王様のいる山門は明治 5 年の神仏分離令の影響で廃寺に追い込まれた羽生市「大聖院」のものを 20 両で買い求めここに移築したのだそうです。

 

                                          ( 古 仏 眼 山 )


うどん&名刹・・・加須市を歩く ①

2017-12-09 20:39:08 | 関東の小都市歩き

                    (東武伊勢崎線加須駅改札口)

 

行田市が足袋の街なら、こちらは“こいのぼり”と、加須市は意気込んでいるようです。

 

                            (加須市市役所)

          (立派な市役所の庁舎を入ると“こいのぼり”迎えてくれます)

                       (顔を出して写真撮影ができます)

                     (市役所の各窓口が並んでいます)

 

明治 42 年創業の手書き製造の店“橋本弥吉智商店”さんは、12 の色彩を 18 の工程でつけていくという伝統的製法で有名でしたが、平成 28 年 9 月閉店となりました。

残ったのは 3 店。製造から販売まで手がけており、 3 店でも一つの街にそろっているのは珍しいのだそうですが、それだけではインパクトが弱いのではないでしょうか。 

 

もう一つの目玉、“うどんの街”の方を探訪することにしました。(といっても、うどんのはしごは無理ですから、一店集中です)

 

                       (駅北口にある看板)

                           (駅北口ロータリー)

 

どこに行こうかと迷った末、国道 125 号沿いの店“子亀”に行きました。

 

                   (乗用車 30 台の駐車可・50 席の大型店です)

                               (入口の様子)

                  ( 私たちが食事中にほぼ満席になっていた)

                          (厨房あたりの様子)

                     (鍋焼きうどん 1300 円)

                       (冷汁うどん定食 1000 円)

 

味・値段・店の雰囲気などすべて期待以上でした。

 

店を出て、道路越しに屋根の一部が見えた寺に立ち寄ってみました。

 

                 (立派な山門がいきなりどーんと聳えびっくりした)

                    (そして、この本堂の立派さに驚かされた)

 

 

 


錦秋の鎌倉 ②

2017-11-28 17:38:25 | 関東の小都市歩き

11 月 24 日(金)、北鎌倉駅に到着したのは、午前 11 : 04 です。

西口を出て、駅前の持ち帰り稲荷ずし店“光泉”に立ち寄りました。小津安二郎さんもファンだったそうです。

 

 

この店は注文してから作るので時間がかかります。“一時間後”と言われました。名前を告げて「光照寺」へ行きました。

鎌倉街道を右に行く観光客はほとんどいません。

 

 

クルスの紋が掲げてあるということは、この寺が隠れキリシタンをも檀家として受け入れていたということかも知れません。

境内をぐるっとひとまわりして寿司屋さんに戻り、折り詰( 650 円)を受け取ったあと、今度は浄智寺に来ました。

 

       (鎌倉十井の一つ“甘露の井”です。ここの湧水は甘露だったのでしょう)

 

高麗門の惣門の先に鐘楼門がありました。

梵鐘は江戸時代初期のものですが、門は 2007 年の再建です。

 

 

こちらは、仏殿とその仏です。

左から、阿弥陀仏、釈迦、弥勒菩薩で、いずれも南北朝時代の仏像です。過去・現在・未来の三世仏です。

 

 

仏殿の裏手に観音菩薩像がありました。こちらの像も南北朝時代のものです。

 

 

崖下の“やぐら”を拝観しました。

 

 

江の島七福神の“布袋様”もありました。お腹が観光客に撫でられて黒光りしています。

 

 

晩秋の浄智寺は静かなたたづまいでした。

 

 

 

        

 

 

 

 


鎌倉の錦秋

2017-11-25 19:17:57 | 関東の小都市歩き

11 月 24 日(金)北鎌倉に行きました。

 

 

平日でしたが、かなりの人出でした。

北鎌倉駅に一番近い円覚寺の観光です。

 

 

瑞鹿山(ずいろくさん)円覚寺(臨済宗)は元寇のあった弘安四年( 1281 )の翌年、弘安五年に、北條時宗によって建てられました。開山は、弘安二年に宋より帰化した無学祖元です。

鎌倉五山第二位の格式を持ちますが、いかめしい感じは少しもなく親しみやすい寺です。

 

 

門を入って正面の仏殿は、大正 12 年の関東大震災で倒れたのを昭和 39 年に再建したものです。

 

               (天井の壁画は前田青邨監修・守屋多々志作)

                      (本尊は宝冠釈迦如来)

 

仏殿の奥、方丈と呼ばれる住職居住の建物からは、心字池を配した庭を眺めることができます。

 

 

方丈を出てさらに奥に進むと、左手に創建当時からあったと言われる妙香池がありますが、このあたりからの紅葉は満開一歩前という感じでした。

 

 

塔頭の一つに如意庵という寺がありますが、そこは、水・木・金の週 3 日、“安寧”というカフェをオープンしています。

 

           (抹茶セット 1000 円・ほうじ茶が特に香よくおいしく感じられた)

                 (テーブル席から窓越しに眺めた庭の風景)

 

お寺カフェを出て境内最奥の黄梅院へ向かう途中上空にタカ科の鳥を見ました。

 

 

ハチクマ?サシバ?鳥の名は分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 


足袋蔵の街行田市 ③

2017-11-23 18:08:26 | 関東の小都市歩き

 

行田市はそもそも忍(おし)城の城下町です。

「豊臣軍にケンカを売ったでくのぼうがいた」をキャッチコピーとした映画“のぼうの城”(2012. 11. 公開 ・ 野村万蔵主演)は力作で、数々の賞を総なめにして話題となった。

忍城本丸跡にかっての櫓をモデルに、昭和 63 年三階櫓の城が作られました。

 

                          (昔は時の鐘・今は除夜の鐘)

 

三階櫓の窓から四方を眺めました。

 

                         (東・・・住宅が連なっている)

                    (北・・・利根川を超えれば群馬県館林市)

                 (西・・・両神山はこちらの方向に見える)

           (南・・・手前は忍中学、南東の方向にさきたま古墳公園がある)

 

城を出て紅葉の道を歩きました。

 

 

散策の最後は、「栄冠足袋」で知られた奥貫商店です。

住宅部分は Cafe “閑居”に、蔵は、パン工房やギャラリー、事務所になっていました。

 

 

駅に戻ると、はや暮色がたれこめていました。