雨曇子日記

エイティライフの数々です

英語を身につける ということ

2012-03-29 10:12:35 | エッセー

「この薬を飲み、一晩ぐっすり眠れば、不思議なことに、翌朝目覚めた瞬間から、あなたは英語が話せるようになっています。外国人の話す英語がじつに鮮明に耳に飛び込み、内容さえ分かるのには驚きです。その代り日本語を話せなくなったということは絶対にありませんから、心配はいりません。お試しセットを無料でお分けしています。すぐお電話下さい。」
 
 このようなコマーシャルが流れたとしたら、英語を身につけたい人がどっと飛びつくだろうか。

 しかし、似たような宣伝があらゆるメディアで終日流され「ほんとにただ聞くだけでいいのかな。赤ん坊が言葉を覚えるようにある日急に英語が口から飛び出し、英語放送が楽々理解できるようになるのかな。」と思ってしまう。
 恐ろしいことだ。

 では、楽々英語を身につけたいという願望は間違っているのか?いや、それは誰しもそう思っているのだから、間違いではないと思う。

 ただ、大人が赤ん坊になれるか、という問題がある。赤ん坊は「どんなことも知らなくてあたりまえ」という前提で周りの人があらゆることを、懇切丁寧に教えてくれる。それを赤ん坊は、無心に受け入れる。「馬鹿にするな」などと言わない。 

 「そんな理屈をこねて、おまえは英語学習意欲に水を差す気か」と叱られそうだが、そんな気はもうとうありません。
 私も70代ながら、英語力を身につけたいと思っている。
 最近は、電車に乗っても英語のアナウンスをよく耳にする。まず、ここからと思い、それを理解しようと努めているが、左のドアが開きます。と言う時の「the left side オン ザ ドア will open」のオンがよく聞き取れない。
 それでは、と、中学1年の「基礎英語講座」を耳元にラジオを置き聞き流してみた。これならよく分かる。しかし、それでも反復練習を繰り返さないとついていけない。年齢、体裁を捨て、それこそ赤ちゃんのように無心にレッスンについていけば、いささかの進歩は見られるだろうというメドはついた。

 メドは付けてもまだその状態にとどまっている私ですから、今までくどくどと書いてきたことはあまり気にしないで下さい。