県道 282 号(柏ー印西線)は、今でこそ立派な道で、このあたりで橋が流されるような水害が起こるとはまず考えられません。
でも、昔は大変な難所だったようです。それを証明するように、中之橋の東詰には如意輪観音像と架橋記念碑が建っていました。
5 基の記念碑は、天保 14 年(1843 )、明治 12 年、明治 24 年、大正 6 年、大正 13 年のものです。
明治は兎も角、大正になっても橋の建設を住民の寄付に頼っていたとは驚きです。当時の行政は、田舎の小道には手を差し伸べなかったということでしょう。
柏市史編さん委員の中村勝氏の論文「手賀沼ー江戸物流の道」は、明治 12 年の改築工事の注目点として、費用を地元の大井村以上に橋から東に 8 ㌔も離れた布瀬村・手賀村が負担していることは、当時カモ猟が最盛期だったことで、この道による物流が必須だったことをあげています。
なるほど、石碑一つからでもいろいろなことが読み取れるのだ!
この道のバスストップ「中之橋」には、形の崩れた石仏がありますが、これは、水難よけではないかと思いました。
近くに中之橋公園があります。
やはり近くにある「中村順二美術館」に行きました。
館長であり郷土史家の中村 勝先生にお目にかかることができました。
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