甲子(きのえね)の年は政治上の変革が起こる運にあるという思想によって、日本では、 964 康保元年から、 1564 (永禄 7 )を除き明治になるまでずっと甲子年には改元が行われてきた。
文化元年は甲子年にあたり、本来は享和 4 年となるべきところを「文化」と改元したのだ。
しかし、 1 km ほど離れた塚崎村の庚申塔は 享和 4 年となっている。
「歴史散歩事典」で調べてみると、文化の改元は 2 月に行われているので、 2 月造立のこの青面金剛の場合は、享和 4 年でいいのだ、と分かった。
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