曹洞宗の僧 良寛は、天保 2 年( 1831 ) 1 月 6 日 74 歳で亡くなった。
桑原武夫編岩波新書「一日一言」一月六日の欄は良寛をとりあげ、次のように書いてある。
この日死んだ村の聖者。越後出雲崎の人。
18 歳で出家。諸国行脚ののち越後に住み、
無一文で托鉢に生きた。詩歌と書にすぐれていた。
冬ごもり 春さりくれば 飯乞ふと
草のいほりを 立ち出でて 里にい行けば
たまほこの 道のちまたに 子どもらが
今を春べと 手まりつく ひふみよいむな
汝がつけば 吾はうたひ あがつけば
なはうたひ つきてうたひて 霞立つ
長き春日を 暮らしつるかも
霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ
ネットには“良寛忌”をテーマとした記事がたくさん出ていた。次の句は、その中から拾ったもの。
肥の国の毬唄きこゆ良寛忌 栗山恵子
笑み賜ふ自画像のあり良寛忌 野田しげ子
“はじめての「般若心経」サライ編集部”には、次のような一節があった。
<心無罣礙>の生き方を徹底したのが良寛だ。
ある日、庵に客が訪ねてきたので、鉢に水を汲んで足をすすがせた。
翌朝、客が起きると、良寛はその鉢で粥を炊いている。
足を洗った鉢で食事を作るなんて、と客は仰天するが良寛は平気だ。
きれい・汚いという区別をとうに捨て去っているからだ。
この区別する心が<罣礙>である。
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