昼食をとったフランチレストランから市街地の方に歩き出し、大輪寺の境内に入った。
真言宗豊山派の、由緒の深そうな寺だ。
(これが山門で仁王さんもいた)
(いくつもの堂宇があり、新しい仏像も作ってあった)
この寺を出て町の中心地に向かうと、つぎつぎに寺が現れた。その一つ、浄土宗の弘経寺に入る。
(10年も結城に滞在した与謝蕪村の句碑・襖絵もあるとか)
(墓地に入ったら苔むした墓石がずらりと並んでいた)
(堂宇の一つ)
後で調べたところ、この寺は一度も火災にあったことがないとのこと。この古色蒼然としたたたずまいもうなづける。
結城市には59もの寺があり、そのどれもが風格があり、乱れがない。街の景観に収まっている。
「追記」
寒月や門無き寺の天高し
宿かせと刀投げ出す吹雪かな
斧入れて香におどろくや冬木立
などの句で知られる与謝蕪村は、寛保2年(1742)俳句の兄弟子、砂岡雁宕(がんとう)を慕って結城に来た。この弘経寺に寄寓し、その間宇都宮に行ったりしたが、この地に10年も滞在した。
句碑の「肌寒し己が毛を噛む木葉経」は、この寺に伝わる狸が木の葉に書いたといわれれる「木葉経」に題をとったものと思われる。(蕪村仮寓の寺と思うと一層この寺が床しく感じられる)
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