平成28年12月10日 土曜日 米子駅に到着しました。
玄関を出てすぐ目に付くのが「米ッ子(こめっこ)合掌像」というモニュメントです。米子だけに米ッ子です。これは漢字の「米」という文字を視覚的に具体化したそうですが、籾殻から玄米が頭を出しているようにも見えますが、各国の人々を合掌して迎える形を取り入れたとのことです。
右手に歩いて行くと、「山陰鉄道発祥の地」の案内板があります。山陰地方初の鉄道は明治35年開業の山陰本線の米子駅・御来屋駅間と、これから乗る境線です。
そして、その側には「躍動(発展・活力)、にぎわい(活気・光)、出逢い(交流)」をテーマに、鳥取県が整備した「だんだん広場」がありますが、そこにはこんなモニュメントがありました。見たところこの説明板は見当たりませんでした。
駅に戻って、境線に乗ります。
境線は、鳥取県の米子駅から弓ヶ浜半島のほぼ中心部を通り境港市の境港駅に至る、17.9kmのJR西日本の路線です。
使われている車両には、平成5年の水木しげるロードが完成したのに合わせて『ゲゲゲの鬼太郎』のイラストを車体に描いたものです。また、平成17年からはゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪を駅名の愛称に採用しています。
どの車両が使われるかについては、改札口に表示されていました。
これから乗る車両は、「鬼太郎列車」と「ねこ娘列車」になります。
境線が発着する0番のりばは、通常「ぜろばんのりば」と呼称されますが、米子駅では番号の読みである「れい」に掛けて「霊番のりば」とも呼称されるそうです。
米子駅の愛称は、「ねずみ男駅」。
車両の違いはラッピングだけではなく、シートや天井の絵も違います。
米子市のホームページの「米子の民話散歩」に、「双頭レール」の項があり、次のように書かれています。
「…米子駅は、山陰線・伯備線・境線が交差する拠点の駅ですが、この駅舎に、明治のはじめ、日本を走った鉄路のレールが使われていることをご存じですか?
それは明治3年(1870)外国で造られ日本に運ばれてきた、上下が同じ型をしたレールで上部が磨耗すればひっくり返して下部を使うように造られた「双頭レール」といわれたものです。しかし、このレールは、使ってみたら安定性が悪く、すぐにお払い箱になりました。その後、流れ流れて米子に来て明治35年(1902)米子駅舎新築時の建築資材に活用され、今に至っています。日本の鉄道の歴史を物語る、貴重なお宝です。…」
米子 09:35発
鳥取からの特急「スーパーまつかぜ3号」が遅れているため、その到着を待ってからの発車と言うことで、3分程遅れての発車です。
博労町 09:38着 09:38発
線路ぎりぎりまで、民家が建っています。
富士見町 09:40着 09:40発
後藤 09:42着 09:43発
JR西日本後藤総合車両所後藤工場への車両の入出場のため、この駅まで電化されています。
来春運行開始のJR西日本の「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の試運転列車が止まっていました。
営業運転は10両編成ですが、試運転は4両編成で行っているようです。
また、本来の外観は深緑色ですが、保護のためラッピングしているようで本来の色には見えません。
三本松口 09:45着 09:46発
河崎口 09:49着 09:49発
弓ヶ浜 09:52着 09:53発
和田浜 09:56着 09:57発
大篠津町 09:59着 09:59発
左手に、米子空港が見えてきます。
米子空港 10:02着 10:03発
空港の最寄り駅なので、「一反木綿駅」の愛称かと思ったら、「べとべとさん駅」でした。
大篠津町駅・中浜駅間は、平成20年に米子空港の滑走路拡張に伴い、経路が変更になった区間です。旧大篠津駅が米子空港ターミナル近くに移転し米子空港駅と改称され、大同時に地元からの大篠津の駅名存続の要望を受け、御崎口駅を大篠津町駅と改称され、それぞれの駅の妖怪駅名も継承されたため、米子空港駅が「べとべとさん駅」になったそうです。
中浜 10:05着 10:06発
鳥取県の砂丘地で栽培されている代表的な作物が「鳥取白ねぎ」です。弓ヶ浜で栽培が始まったといわれるだけあって、米子市から境港市にかけて至る所でねぎ畑があります。
高松町 10:07着 10:08発
余子 10:09着 10:10発
上道 10:12着 10:13発
馬場崎町 10:15着 10:15発
境港 10:17着
1分ほどに遅れを挽回し、境港駅に到着しました。
これから「水木しげるロード」を歩きます。
つづく