ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
YAWARAちゃんと野村忠宏
6年前の2000年の今日、YAWARAちゃんこと田村亮子が3度目の
五輪で遂に金メダルを獲得した日だ。
初出場だった92年はセミファイナルで優勝候補のブリッグスに
勝ちながらファイナルでフランスのノバクに敗れ銀。
続いて93年、95年の世界選手権を連覇し優勝候補筆頭で乗り込んだ
アトランタでもセミファイナルで最大のライバルであるキューバの
サボンに勝ちながらファイナルでケー・スンヒに敗れてまたしても銀。
ただし我々がガックリきていた直後にファイナルでイタリアの
ジョビナッツォを破って金を獲得し溜飲を下げさせた、当時最軽量の
48㌔級と60㌔級は柔道最終日だったので最後に金が取れて安堵した
のもだったが翌日は「悲運、YAWARA」などの見出しが躍り野村が
金を獲得した事よりもYAWARAちゃんが金を取れなかった事の方が
トップに来てしまった。
そして迎えたシドニーではセミファイナルで苦戦したが、ファイナルで
ロシアのプレトロワを秒殺ともいえる速攻で一本勝ちすると
直後に野村も1分足らずの秒殺で連覇を達成、この大会から最軽量級は
初日になったので金メダル獲得第1号、2号となった。
ただ新聞の扱いは「YAWARA悲願の金」で野村は価値ある連覇なのに
刺身のツマ状態になった。
その後2人は再びアテネでアベック金を獲得する。
野村の3連覇は前人未到の偉業だがそれでもYAWARAちゃんの連覇に
世間の耳目は集まりまたしてもワリを喰っている。
ただ2人とも言えるのだが最も体重維持が難しい最軽量級での連覇と
いうのはもの凄い偉業だと思う。ある意味世間の目から無視されやすい
野村には気の毒だが65㌔級に上げればもう少し注目されるのかも知れない。
でも現実的には難しいか。
本来なら野球ネタを行きたかったのだがホークス打てなさすぎで
何と最下位チームに痛すぎる引き分け、気分が悪い。
ならばアビスパはと思ったら横浜相手に0-1から久保の退場で
1人多くなりながら攻めあぐみ逆に坂田から決められ0-2になった
ところで「ダメだこりゃ」という事でTVを消した。結果は1-3。
鬱憤を晴らすどころか、かえって鬱憤が溜まるため福岡出身のYAWARA
ちゃんネタでいきました。
福岡スポーツネタで1つ忘れていた、大関・魁皇休場!
晩節を汚す前に引退せ~や。
五輪で遂に金メダルを獲得した日だ。
初出場だった92年はセミファイナルで優勝候補のブリッグスに
勝ちながらファイナルでフランスのノバクに敗れ銀。
続いて93年、95年の世界選手権を連覇し優勝候補筆頭で乗り込んだ
アトランタでもセミファイナルで最大のライバルであるキューバの
サボンに勝ちながらファイナルでケー・スンヒに敗れてまたしても銀。
ただし我々がガックリきていた直後にファイナルでイタリアの
ジョビナッツォを破って金を獲得し溜飲を下げさせた、当時最軽量の
48㌔級と60㌔級は柔道最終日だったので最後に金が取れて安堵した
のもだったが翌日は「悲運、YAWARA」などの見出しが躍り野村が
金を獲得した事よりもYAWARAちゃんが金を取れなかった事の方が
トップに来てしまった。
そして迎えたシドニーではセミファイナルで苦戦したが、ファイナルで
ロシアのプレトロワを秒殺ともいえる速攻で一本勝ちすると
直後に野村も1分足らずの秒殺で連覇を達成、この大会から最軽量級は
初日になったので金メダル獲得第1号、2号となった。
ただ新聞の扱いは「YAWARA悲願の金」で野村は価値ある連覇なのに
刺身のツマ状態になった。
その後2人は再びアテネでアベック金を獲得する。
野村の3連覇は前人未到の偉業だがそれでもYAWARAちゃんの連覇に
世間の耳目は集まりまたしてもワリを喰っている。
ただ2人とも言えるのだが最も体重維持が難しい最軽量級での連覇と
いうのはもの凄い偉業だと思う。ある意味世間の目から無視されやすい
野村には気の毒だが65㌔級に上げればもう少し注目されるのかも知れない。
でも現実的には難しいか。
本来なら野球ネタを行きたかったのだがホークス打てなさすぎで
何と最下位チームに痛すぎる引き分け、気分が悪い。
ならばアビスパはと思ったら横浜相手に0-1から久保の退場で
1人多くなりながら攻めあぐみ逆に坂田から決められ0-2になった
ところで「ダメだこりゃ」という事でTVを消した。結果は1-3。
鬱憤を晴らすどころか、かえって鬱憤が溜まるため福岡出身のYAWARA
ちゃんネタでいきました。
福岡スポーツネタで1つ忘れていた、大関・魁皇休場!
晩節を汚す前に引退せ~や。
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地元の利かなんか知らないが、仏の一方的な攻撃に耐えるのが必死だった日本選手。
案の定、ほとんど一本負けだった。
柔道のシロウトが見ても、配色濃厚だったし。
ヘーシングに神永が押さえ込まれたときも、こんな心境だったのか?
やはり4年に1度のオフ年(奇数の年には世界選手権、あとはオリンピック)ですからね。
何とか言いながらモチベーションに欠けるところはありますから仕方ないですね、とはいえモチベーションが少し落ちただけで完敗するのだから世界のレベルは高いです。
見に行ったのですがパは少々うとい自分は
オーダーを見て『ホークスってこんなメンバ
ーだったっけ?』と思うほど選手がわかりま
せんでした、『打たれる気しないなぁ』等と
ビール飲みながら連れと軽口叩いてたらホントに
山本昌が完封してしまいあまりシャレじゃ
なくなってしまったのを覚えています。
いやその通り。
4月に行った時は川崎までがいなかったのでまるで
雁ノ巣(雁ノ巣はホークスの2軍の試合場)ホークスと
我々は言ってました。
九州のファンは例え勝っても点が入らないゲームは
嫌いで1-0で勝っても「勝っただけ」と言いますし
7-8あたりで負けても「面白かった、勝敗は時の運。いつも勝つわけいかんからな」で終り。
つまりセクハラ前社長のせいでここまで弱体化しているのですよ。評論家は誉めますがね、きっちりした守りの
野球ができると・・・・・・最悪ですこんなの。
取られれば1敗、146試合(+7)をいかに
前者の方が多くフィニッシュするか?が重要
・・・と今の監督になってから、もともと
そういう気持ちはありましたが、考える様に
なりましたねぇ。でも1試合1試合(直接球場
に行ったならなおさら)の結果に一喜一憂する
のも長いシーズンの楽しみ方ですしね。
なにせウチの監督はあんなにまわりがはやし
たててた15~17日の阪神戦も『ノルマは
1勝』と言い切ってましたから(笑)
現監督は54年生まれでまだ守りの野球全盛の時代を過ごした人ですからねぇ。
私も20代前半まではそういう考えでしたが松永玲一氏の
「パワー野球への挑戦」という本を読んで考えが変わりました。今年の甲子園が盛り上がったのは点の取り合いの試合が続きましたから最後までどちらが勝つか分からない展開ほど観客を痺れさせるものはありません。
甲子園常連校は5点獲られたら10点取る野球を志向してますしその志向でないといい選手が獲れないようです。
だから点を取り合うスタイルがこれからは主流になると
思います。
ただ現・監督の冷静な戦略を組んだ戦い方は大いに評価できますよ。
取ってそのまま完封勝ちというのがありました
勝ったのは嬉しいけど・・・やっぱり点入れた
ところで『燃えよドラゴンズ』歌いたいんじゃ~~~!!
と言うのが本音です。
『燃えよドラゴンズ』といえば2002年から
かの水木一郎氏が歌っているのですが・・・
確かそれ以前にダイエーホークスの歌を
歌っていた様な覚えがあるんですが・・・?
水木アニキはホークスの歌は歌ってませんよ。
ドームができた頃にホークスタウンの歌があってそれを
子門真人が歌ってましたけどあまり話題になりませんでした。
「燃えろドラゴンズ」は最初坂東英二が歌ってましたね
引退間際の長嶋さんが本人がいる前で記者達に「いい歌だよね、これ坂東英二が歌っているんだって」と言って爆笑された話を坂東本に書いてました。
優勝した年でバージョンが違いますがノリのいい歌ですね。点が入らない事には流れませんからね^^;
これが記憶の片隅に残っていたようです。
ちなみに85年には『中日ドラゴンズ球団歌勝利の叫び』と言う曲を出していたようです。
このミョ~に長いスパンの間に我が水木のアニキに
なにがあったのでしょうか?って仕事ですしねぇ(笑)
92年までは今はなき平和台球場を使ってまして、11月は「来年からドームだ」と張り切っていた頃です。
そんな頃に歌ってたとはアニキおそるべし。
85年とはかなり古いですね。「勝利の雄たけび」なら
ピッタリと思いますが。
ここまでの古いネタをありがとうございます。