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90年代の某誌の、丁度今の季節に書かれたエッセイからです。
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【友の人生を思い 幸せを祈る気持ち】
話は多少逸れてしまいましたが、卒業に限らず、春は人間関係が
変化する時です。
今ここの30人の人がいたとして、30人で食事をしたとすると、
その30人が再び集まって同じように食事出来る事は、殆どの場合は
二度とないでしょう。
幾人の人が幸せな結婚をして幸せに暮らしていけるのか、大きな
悲しみや苦しみを味わう人も、恐らくはいるのではないか……。
30人の内の幾人が本当に幸せでいられるのか、門出には言葉に
ならない感慨があります。
そんな時、私達は自分の未来を思う気持ちを持つと同時に、
人の人生に対する思いを持つ事が大切だと思うのです。
みんなの幸せを願う事で、私達は新環境に巣立つ自分自身を
無意識に励ましているのです。
みんなの健康を願う事で、自分の健康も無意識に気遣うように
なり、自分の健康を結果的に保障しているのです。
私達はあまりに、自分と他人とを分けて考え過ぎているのです。
他人に対する思いが、そのまま自分に対する思いに繋がるという
心の法則を、つい忘れてきているのです。
人より抜きん出る事、人よりも有能である事、人よりも多く持つ事、
人よりも美しい事、人よりも速い事、人よりも強い事……私達は
何時しかそうした罠にはまり、孤独の道へとグングン迷い込んでいるの
です。
自分が空腹の時に救われる方法は食べる事です。
では、食べられない時に救われる道はあるのでしょうか?
それは、自分が空腹であるように、同じ空腹で苦しんでいる者は
いないかと、同情の気持ちで思いを馳せる事です。
それが出来る時、空腹で苦しみながらも、私達は自分を保つ事が
出来るのかもしれません。
勿論、私に飢えに耐える自信はありませんが、もしも自分と同じ
ように苦しんでいる人に、少しでも思いを馳せる事が出来たなら、
その苦しみは随分違ったものになると思えるのです。
自分が傷ついた時には、同様に傷つけられている人の事を思い、
自分がこれまで傷つけてきた人の事を思い返す事。
自分が悲しみの中にいる時は、同様の悲しみを持つ人の事を
思い、その悲しみを取り除いてあげられるようになる事。
こう言うと、そんな馬鹿な、自分が苦しい時に、何で人の事など
考えられるのか、と思うかもしれません。
でも、苦しい時に何とか助かろうと、自分だけの事を考えて
行動していってもどうにもならず、苦しみを超えられない事は多いの
です。
自分勝手に考えて乗り越えられる苦しみなら、とっくに乗り越えて
いるとも言えます。
どうせ弱い私達なのです。
元気な時は、どうしても自分勝手に生きていってしまうでしょう。
しかしその結果、どうあがいてもどうにもならない時には、自分と
同様の苦しみを持つ人に思いを馳せる事で、私達は結果的に
自分を救っていけるのです。
毎年、春の出会いと別れの季節に思う事は、人は何人の人の
幸せを祈ってあげられるのか、という事です。
私達が友人の苦しみを思い、ひそかに祈る時、いつの日か、
友人と同等の苦しみが自分に押し寄せたとしても、それを乗り切る事が
出来るという事です。
逆に友人の不幸をひそかに笑う者は、その友人の不幸と同等の
不幸が自分を襲った時、それを乗り越える事は出来ないのです。
よく考えれば、これは簡単な道理なのです。
いかに多くの人生に思いを馳せ、それらの人生の幸せを祈る事が
出来るか……。
一時でも縁を持った人との別れに、その人の幸せを祈る事で、
私達は初めて自分自身の未来を築いていけるのです。
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