宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

(ド狸が紛れ込んでいる確率)

2009年08月11日 | Weblog



♪人生いろいろ
http://www.youtube.com/watch?v=R7UBtP7zQYo

ζ~(∂_∂)~ζ♪


「教派神道」なんて
消してしまいたかったわ
高知も北九州も
消えておしまいと

「本庁」焼きなおしたり
六代名乗ってみたり
本部ばかりを責めて
穢し 過ごしたわ

ねえおかしいでしょ 元年ころ
ねえ滑稽でしょ 元年ころ
会報「侵入」に 偽証がいっぱい
偽証の中に 冒涜がいっぱい

道士いろいろ 迷いもいろいろ
私だって時々 咲き乱れるの


抗議は突然来るわ
冥罰もそうね
そして条件反射で
神に祈るのよ
盗られた宮地の宝も
軽い師弟関係も
一度悟ってわかる
神の悲しみよ

今返すのよ 私たち
今戻すのよ 私たち
改悛に 希望がいっぱい
希望の中に 神さまいっぱい

道士いろいろ 迷いもいろいろ
私だって時々 咲き乱れるの

道士いろいろ 迷いもいろいろ
私だって時々 咲き乱れるの
道士いろいろ 迷いもいろいろ
私だって時々 咲き乱れるの
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「大海原の絵」

2009年08月11日 | Weblog

(画像はクリックされましたら拡大します。)

画像は、タリズマン研究家の朝倉三心氏によって紹介された、
「大海原の図」です。
この絵について、同氏はこのように説明されています。

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人々に幸福をもたらす、海の良いパワーをそのまま画面に
描き込んだ絵を見つけたいと思い続けていた所、山の絵を
紹介してくれた某さんが、また一人の画家と引き合わせてくれた。

縁とは不思議なもので、何年もかかって見つからなかったものが、
目に見えない糸によって繋がれ、求めていた絵に巡り合うので
ある。

海の絵を描く画家は多いし、美術的に見て価値のある絵も
多い。
パワーのある絵も見かけたが、海そのものをズバリ描いた
絵は少なかった。
船や海岸の風景の一部として海を描いたものが大部分で、
海が主体になった絵は、波にポイントが置いてあった。

某さんの紹介してくれた荒武画伯の絵は、まさに海そのもの
だけが描いてあり、細かく洗練された手法とタッチで、微妙な
色彩を生かしながら、大胆な構図で、それぞれの海の美しさを
余す所なく表現してあった。

どの絵を眺めても、しばらく画面を見ていると、自分が実際、
その海岸に立っているような感覚になるのは不思議であった。
そして、近くの波頭から、目は水平線の彼方まで移動していき、
海と空と一体になった、苦しみも悲しみもない、無限とも言うべき
場所に、心が吸い込まれてゆくのである。
そこには、深い安らぎと救いがあり、空や海の色から出る
活力と相まって、まさに海のパワーがそのままにじみ出た
絵となっていたのである。

海の持つ強い動のパワーも、穏やかで全てを包み込む静の
パワーも、荒武画伯の絵には存在した。
良い絵と云うよりも、素晴らしい絵との対面であった。

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画伯自身は、「絵の中の海と空とが一体になる場所には、
純粋な神が存在しており、この絵を所有する人に、何らかの
良い働きをしてくれると信じています。
私の絵は、まさしく生命と神の宿った絵なのです。」と言われ
いますが、朝倉氏によると、画像の絵は「砂浜に打ち寄せる波は
荒く見えても、全て必要なものを運んでくれる幸運の波である。
この絵は海のパワーの再現として、気力と勇気をもたらし、
事業運や人間関係の良運を与えてくれる」と解説されています。

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