子孫は 両親を通じて祖先の魂魄を受けるので
末法の世になると 祖霊から継げる魂が少なくなり
祖霊から継ぐ魄や業障が増大して 悪世の様相を呈するようです。
昨今 少子化、結婚願望があっても叶わない人が増えているという理由に、
祖先の因果を受けている事が原因と思われる事が数多くあり、
今の時代こそ 業障や悪因縁を除き 一霊四魂を増長させる事が
特に必要と思われます。
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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わたしの知っている方も、
不倫の挙句に…
夫と子供を捨てて、相手の方と一緒になりましたが…
その後…身ごもる度に…流産を繰り返し
最後には、手術が出来ない場所に
腫瘍が出来て…お亡くなりになりました............。
まだ…40代でした.....。
この方の家系には…
癌の人は、1人もいらっしゃらないとの事で…
単なる、偶然とは思えません......。
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子供がいないって同じ女としてどーなの。と思っておりまして
私と同じ考えの人達が結構いらしたので
毎日覗いて、たまに書き込みしては
こんな私でも見下す対象がいるって優越感に浸れて
日々のモヤモヤのお手軽な掃け口にして結構楽しんでしました。
けれど、娘も、息子の嫁までも不妊。
60代で孫がいないのは私だけになってしまった
孫を連れて歩いている同年代の方々を見てとても寂しくて
子供がいない方に直接嫌がらせをしたわけでは無いのに
因果応報なのなら神様は随分意地悪だわ
娘の婦人科の病気も私のせいなのかと思ってしまって
今まで自分がした行いを振り返ると
インターネットだけでは無く、
隣り近所や親戚の子供がいない方々も見下して
秘かに優越感に浸っていた日々を思い浮かべてしまいました
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結婚して四年経ってもこどもができず悩んでいた時期に
義姉から突然の呼び出しがあって一対一で会うことになった
開口一番「作らないの?できないの?できないなら原因は?
性病?お祓いついていってあげようか?こどもいない夫婦なんて変よ」
欲しいのにできないと義実家には言っていたのにこの言い草に
頭真っ白になって気づいたら自宅のリビングで泣いてた
相手も悪いと思うけどいきなり帰ったこちらも失礼だったと思い
すいませんでしたと電話したら
「こっちは本気で心配してるんだからしっかりしてください
お祓い○日でいいかしら」と返ってきたので旦那に話して距離をおくことにした
それからしばらく経ち
義姉も結婚五年目を迎えたけどこどもが欲しいけどできないと聞いたので
呼び出して「作らないの?以下略」をそっくりそのまま言ってやった
なんてこと言うの!!恥を知りなさいと言われたので
こっちは本気で心配してるんですよ!!お義姉さんこそしっかりしてください
こどもいない夫婦なんておかしいですよ
と言ってやった
あっちはもう自分の言ったこと覚えてないみたいだったけどすごくスッキリした
旦那経由で過去にあなたが言ったことですよ、と伝えてもらいましたが
そんなこと言った覚えないと宣ったそうです
ちなみに義姉と疎遠になってから二人のこどもを授かりました
自分では気づいてなかったけど義姉がストレスになっていたのかもしれません
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中学生のときのいじめっ子は、
「いじめられた子の悲しい顔が面白いからいじめる」と公言していたクズだったけど
その後自分が苛められる立場になってた。急に掃除とか真面目にやっていた。
因果応報なのかなぁ。
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私が妊娠中、旦那が言ったんだけど、現代の科学をもってすれば子供が健常なのが当たり前。
違う場合はお前のせいだ…だそうだ。
妊娠中に子供の病気発見したら即治療でも出来るのかwと笑ったんだけど
その後、旦那の妹さん2人が子供を1人ずつ産んだけど、2人も障害があった。
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芸能界でも不倫や枕営業してのし上がったりワイドショーのリポーターの様に
人の不幸を飯のタネにしてきた様な人って
多かれ少なかれ孤独死とか早死にしている人が多いよね
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私が中学生の頃、私、友人A、友人Bの3人グループで行動していました。
友人Aは人に順位を付けたがる性格で、私を見下していました。
ある日、友人Aは「この3人の中で最初に結婚するのはAで、
次はB、私ちゃんは結婚遅そう、ていうか、結婚できなさそう」
と言いました。
あれから、20年が経ち、私はこの話をすっかり忘れていました。
中学時代モテなかった私は高校、大学でなぜかモテ期が到来し、大学卒業後、結婚。
Bは、私が結婚した1ヶ月後、結婚。
中学時代、モテていたAは30過ぎてもまだ独身。
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近所の建設会社の社長の奥、会社が儲かっていることをいいことに、ブランド品を買い込んだり、
ホストクラブで豪遊するなど、金を湯水のごとく使っていたくせに、町内会費は1銭も払わず、
来客があっても家の中に一切上げなかった。
その上、朝の10時ごろに近所の家に手ぶらで遊びに行き、朝のお茶、昼食、午後のお茶を出して
もらわなければ家に帰らないという人だった。
社長夫婦の娘は小学生のときから不登校で、中学には一度も行かなかったという。
当時、地元では不登校の子が行ける高校は定時制か通信制しかなかったが、親の金の力で私立の
DQN高に何とか入った。
娘は高校でも不登校になったが、DQN高から「寄付金さえ出せば進級や卒業させる」と言われ、
数千万単位の寄付金を納めることになったが、娘が高3の夏に建設会社は倒産して一家は夜逃げ。
今、社長一家はボロアパートで暮らし、社長は日雇い、奥は深夜のパート、娘はフウゾク嬢になっている。