ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

インナーヴォイスの命じるままに生きる

2017-09-14 02:19:42 | エッセー
 もっとも新しい健康に関する情報をを知るため、私はある研究会に
出席している。その日は、あの「ナサ」で開発され、宇宙飛行士も必ず
身につけているという器具を紹介された。それは腕時計のように小さく
体の中の状態が瞬時に分かり、悪い部分を自動調整されるそうだ。
 紹介されたのはほんの短い時間で、興味を持った私は、もう一度詳しく
説明を受けるため、その会社を訪れた。
 難しいその内容は理解できないが、実際にそれを使って、その「自分の
体の中の健康度13項目」について、チェックをおよそ90分受けた。

 するとその機器の使用前と使用後のデーターが、はっきり数字で表示される。
つまりわづかの時間で、私の体は最高の状態にコントロールされたのだと
説明され、極端に好転した数字を見ながら大いに納得した。
 考えられないほど高価ではあるが「もしかしたら、私達夫婦が年齢と上手に
付き合うために大変役立つ」と判断し、買い求める事を決意した。
 その機器によると、その日は、瞬時に私の体は自動調整されもっとも良い
状態になっているはずだ。しかし・・・自分の体には超敏感と思っていたが
自分的には何らの変化も感じられなかったし、その日はいつもよりよく眠れ
なかった。随分若い頃ある霊能者に「目は前を見ているが心の目はずっと
先を見ている」と言われた事があった。
 
 それは過去の数多くの経験で、「なるほど」と大変実感できたが、この
最新の機器はきっと私の体に合わないのだと感じた。
 あの時数値が極端に変化したほど、実際には体は変わっていないと思い
その購入をキャンセルすることに決めた。
 美しく年齢を重ねることは大変難しいし、何とかイージーにできればと
思った自分が間違っていたのだ。自分の年齢をを叩き台に考え工夫し
毎日細胞レベルで自分をコントロールしているが、機器に頼らず自然体で
努力した方が良い、と私の心の目はずっと先を見てメッセージを出して
いるのだろう。たとえ私が何をやっても、他人を迷惑をかける訳ではないし、
「これからもインナーヴォイスを信じて、その命じるままに生きよう」
と思った真夜中だった。
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認知症になってから早や7年半

2017-09-13 11:17:45 | エッセー
 夫の様子がおかしいと感じ、ネットで調べ都内の認知症治療では三大病院
と言われる、世田谷区の有名な「都立松沢病院」がその一つだと分かった。
 私はすぐに予約を取り、夫に「あまりにも物忘れが多いし
心配だから」と、精神病院で診察することを勧めた。
 妻とは言え長年の心理カウンセラーだから、夫は素直に従い、息子も付
き添ってくれ「都立病院精神科」を受診した。
 すると幸運な事に、すぐにMRI検査を受けられ「アルツハイマー型認知症」
と診断された。初めは3カ月に一度一人で病院へ行ったが、それができなく
なった。精神科の先生に勧められ、介護認定を受けたときは「要支援1」
だった。
 
 それから7年半経ったが、確か一年に一度「介護度の認定審査」があるが
今日はその日だった。今まで夫は「要介護1」だったが、介護度の認定は
医師と介護認定員、ケアマネなどの意見で、設定されるようだ。
 現在の夫の状態は、生年月日、住所、名前はハッキリわかるが、自分の年齢
月日は分からない。先日も足の激痛で突然まったく歩けなくなり、救急車で
病院へ搬送され、原因が分からず治療をして痛みが取れたので、その日は家へ
帰ってきた。すると、私が気づかない間にお風呂へ入ったので驚いたが、短期
記憶は全然できない。しかし7年半も介護度が進まないのは稀有らしい。
 はたして今度は介護度は変化するかどうかは分からないが、私は一応プロ
として、夫には次のように対応している。
   1絶対に怒らせない。
   2プライドは傷つけない。
   3愛情表現は豊富に。
   4存在価値を意識させる。 。
   5家事に協力してもらう。 

 でも、ホンネでは時折どうしようもない気分に襲われる事もある。
私は夫の介護のためスタジオを止めたけれど、実は早く止め過ぎたと後悔
したほどだ。それは、これほど長年良い状態をキープできるとは思っていな
かった。介護する妻として本当に幸せと感じることは、
   ◇まったく確執がないこと。
   ◇人間的に誰より尊敬できること。
 夫は明るく、まじめで、穏やかな性格で、大変家庭的だったことなども
幸いしているのだろう。同じ事を何度もくり返したり、今言ったことも
すぐ忘れるなど、忍耐も大変必要だが、もしもご家族に認知症の方が
いたら、ご参考になればとご紹介した。いずれにしても・・・・
 これからも介護は一生続くのだろうが、何とか気分を晴らすために自分
なりに色々工夫はしている。今日もお昼を食べてから、映画を見に行ったが、長時間でなければ、自由に行動できるのもとても助かっている。
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もうすっかり秋

2017-09-12 07:17:37 | エッセー
 寝室の窓を開けて寝て、あまりの風の冷たさに目が覚めた。
一気に秋が深くなってくる。オンザ・ベット・レッスンを終わり、ベランダに
出たら涼しいと言うより、寒いと感じた風が吹いていた。
 この一年程の習慣になった「太陽のエネルギー」を取り入れると、朝から
元気になった気がする。風を全身で受けてから、まだ私の朝の修行は続くが
その35年にわたる長い習慣。それが、私の若さと健康の元だと思うと同時に
「自分はこれからどんな風に年齢を重ねていくのだろう?」と、期待感にも似た
高揚感に包まれた今朝だった。

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素直な気持ちを綴る毎日

2017-09-11 09:02:11 | エッセー
 子供の頃から本が大好きだったが、小学校低学年から父の書斎から
そっと本を持ちだして、いつも自分の部屋で隠れて読んでいた。
 あまり良く分からないが、難しい字には仮名がふってあり、そのため
随分難しい字を、誰より早く読めるようになった。
 沢山あった父の蔵書は、戦災で家を焼かれ一冊も無くなった。
その時父は「本と写真だけは本当に惜しかった」と、ため息をついていた
のを今でも忘れない。父の書斎のコノ字型の書棚に沢山あった本の中から
誰もいないときに、やさしそうな本を、ちょっとドキドキしながら選んだ
楽しさは、子供心にとても刺激的で、今でもハッキリ覚えている。
 私はさまざまな本を乱読した文学少女で、私立の女子中学へ通っていたが
電車の中で座った途端に本を広げるので、クラスでも有名だった。

 そして今・・・物書きのはしくれとはなったが、今は本の依頼がないが
好きなことが自由に書けるブログと出合って、多分12年間ほとんど休みなく
書いている。でもしばらく前に突然アドレスを変えたので、読んで下さる方は
おそらく5分の一ぐらいに激減した。でも書くのがとても楽しく、今では完全な
生きがいになった。私はたとえ言いたいことがあっても、批判や攻撃はほとんどしなので、読者から時折メールを頂くが、感謝の方が多く、苦情や批判などは
今まで全然ない。このところ私達夫婦や、身の回りで色々な事が続いて起きたが、 何故か昨夜に続いて、最近よくある無音電話。
 それはもしかしたら?でもまさか・・・などと考えてここ2・3日熟睡
できない。


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目は見ていても心の目は見ていない

2017-09-10 07:43:21 | エッセー
先日友人と喫茶店で待ち合わせをしていたが、早めに行って本を読む
つもりで家を出た。私が行った駅の喫茶店は、その時とても混んでいて
二人掛けの席が一つだけ空いていて、そこに座って本を読んでいた。
 後から友人が来ても、見つけてくれると思って本に没頭していたが、約束
時間になっても友人が来ないことに気づき、視線を上げ入り口を見たら、そこ
に友人が立っていた。そして「さっき中に入って奥の方まで見たけれど、と
ても混んでいて、まだきていないのかと思って一度外に出てしばらく待っていた」と言うではないか。

「さっきその席の前を通ったけど、気がつかなかったし、本を読んでいた人
がいたのは知っていたけど、周りにすっかり溶け込んで分からなかった」のだ
そうだ。私は黒地に案外華やかな花模様のチュニックを着ていたが、席の後ろが
黒だったので、周りに溶け込んでいたのだろうと、後で話したが、そんなこと
もあるのだと気づいた。人間の目ってとても不思議で、違うと思うとそこにい
ても見えないのだ。意識(視線)と無意識(イメージ)とで、私達は生かされて
いる事実を実感し、心理カウンセラーとして、その心の持つ不可解を感じた。
 私は心の力を強めるため、毎日視覚に関わる修業をしているが、より心して
行わなければと心を引き締めた。

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