「外来語」(外頼語)が使われる理由として
1)教養の披露と優越感
2)カッコよさとオシャレ感
3)新鮮で斬新
4)簡単、手軽、便利
5)短い表現で済む
と表記されているが、確かにそんな理由が多いと思う。
「あまりにも無神経に無分別、無頓着、無節操、無造作に「外頼語に
現を抜かしてきた日本人」などなど・・・と決めつけられても、誰が
言い出したか知らないが、それらを使わなければ話せないような、現代
の風潮だ。もしも純日本語だけで話すとしたら、日常会話はかなり
不自由になるのではなかろうか。
「また、ますます増えてくる高齢者の大多数が「外来語」の弱者で
あるが「住民に寄り添った行政心がけている」というのはあまりに
厚顔無恥・・・」そうとまで思わないが、それは確かだと感じる。
私の考えでは時代とともに、言語も変わってくるのがごく自然では
ないかと思う。他国の事情は知らないが、私も一応物書きの端くれと
して、書くときにはかなり言葉を選んでいるが、もしも著者の言う
ような、純日本語だけで書かなければならないとしたら、大変難しく
なるはずだ。言葉は生き物と言うが、なくなっていく言葉も多いが
新しくできる言葉もある。確かにあまりにも横文字が多く、理解でき
ないことも、高齢者だけでなく、すべての人か感じているのではなかろうか?か?
例えば「トイレ」だが、これらは日本語になっていて音感も良いし
便利な言葉だと思うが、そんな言葉も実に多い。中には横文字の羅列で
話す人もいる、私の個人的な考えでは、できるだけ日本語を使い誰でも
理解できる会話をしたい。でも先日ある人と話していて「コンサバティブ」
(保守的)と言ったら、「それどういう意味?」と聞かれたが、気づかずに
会話にカタカナ語が入っているのだ。日本語は「アジアのフランス語だ」
と大昔聞いたが、それはボキャブラリー(語彙)が抱負で、鼻濁音が
あるからではないかと思った。でも鼻濁音が全く使えない地方もある
のだそうだ。東京出身の私は、せめて美しい日本語で話したい思うが
「横文字なしては到底無理ではないか」と感じが、皆様はどう思われますか?