御胎内祠の先にあった石鳥居をこえると、その先の地面に洞窟の入口が現れた。
これが御胎内の名前の由来となった富士山溶岩洞穴か。鳥居の前にあった説明によると
元々は数十メートル程の洞窟だったとの事だが、陥没して今の規模になってしまったらしい。
屈んで内部へ進入しようとすると、少し先の左手側に小さな石像が目についた。
三皇子を抱えた木花咲耶姫の像だ。安産祈願のシンボルとして祀られている。
その像を中間点に洞窟を奥へ行くと、すぐに出口へ上っていける梯子へ到着する。
梯子の奥にも少し空間があり、ここにもう一つの安産祈願シンボルである確珍犯も。
ハシゴを上って外へ。振り返ると入口のあった石鳥居の辺りが見える。
という感じで、やはり現在の規模は然程大きくないのだ。かつて登山者を
調べていたとされる須山口の役所も今となっては形跡すら見当たらない。
気を取り直して須山御胎内より幕岩を目指して再び登山道を登っていく事にしよう。
御胎内の北側で道はクランク状に折れ、その曲がり角には水ヶ塚へ続く分岐がある。
この辺りから徐々にルートは傾斜もきつくなり、山らしい道に変わっていくのだった・・・
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これが御胎内の名前の由来となった富士山溶岩洞穴か。鳥居の前にあった説明によると
元々は数十メートル程の洞窟だったとの事だが、陥没して今の規模になってしまったらしい。
屈んで内部へ進入しようとすると、少し先の左手側に小さな石像が目についた。
三皇子を抱えた木花咲耶姫の像だ。安産祈願のシンボルとして祀られている。
その像を中間点に洞窟を奥へ行くと、すぐに出口へ上っていける梯子へ到着する。
梯子の奥にも少し空間があり、ここにもう一つの安産祈願シンボルである確珍犯も。
ハシゴを上って外へ。振り返ると入口のあった石鳥居の辺りが見える。
という感じで、やはり現在の規模は然程大きくないのだ。かつて登山者を
調べていたとされる須山口の役所も今となっては形跡すら見当たらない。
気を取り直して須山御胎内より幕岩を目指して再び登山道を登っていく事にしよう。
御胎内の北側で道はクランク状に折れ、その曲がり角には水ヶ塚へ続く分岐がある。
この辺りから徐々にルートは傾斜もきつくなり、山らしい道に変わっていくのだった・・・
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