見晴らしの丘より再び鉢巻山山頂へ続く道を進み、田倉崎砲台跡へと到着。
右へカーブした地点に、また古い消火栓があった。ここが田倉崎砲台跡こと
家族の広場の入口。側面の塀は掩蔽壕跡で頭上には吊り橋が横切っている。
掩蔽壕の隣に2門の砲座跡があり、この組み合わせが横に計3つ続く。
1ヶ所目の砲座は、その丸い形がそのまま植え込みに流用されていた。
掩蔽壕と砲座の間に、掩蔽壕の上へと続いている石段が作られてある。
この階段から、広場の入口上に掛けられていた吊り橋へ行く事ができる。
広場の上段は、わんぱくアスレコースと呼ばれ所々に様々なアスレチックが
設置されているが、この吊り橋の先がそのコースのスタート地点になっていた。
2つ目の砲座跡と掩蔽壕跡。ここの砲座跡は完全に撤去され芝地と化している。
壁に開いている穴は、28cm榴弾砲の弾を入れておく弾室らしいが
現在は薪置き場になっていた。これじゃあ弾室じゃなくて暖室だな。
家族の広場をパノラマ撮影。下のエリアにも様々なアスレチックが。
広場南隅にある管理小屋横のフェンス内には井戸の跡も残っている。
広場の出口の方には、キャンプファイヤーをやりそうな場所もあった。
時間も迫ってきたので、最後に丘の上にある鐘つき塔を見ていこう。
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右へカーブした地点に、また古い消火栓があった。ここが田倉崎砲台跡こと
家族の広場の入口。側面の塀は掩蔽壕跡で頭上には吊り橋が横切っている。
掩蔽壕の隣に2門の砲座跡があり、この組み合わせが横に計3つ続く。
1ヶ所目の砲座は、その丸い形がそのまま植え込みに流用されていた。
掩蔽壕と砲座の間に、掩蔽壕の上へと続いている石段が作られてある。
この階段から、広場の入口上に掛けられていた吊り橋へ行く事ができる。
広場の上段は、わんぱくアスレコースと呼ばれ所々に様々なアスレチックが
設置されているが、この吊り橋の先がそのコースのスタート地点になっていた。
2つ目の砲座跡と掩蔽壕跡。ここの砲座跡は完全に撤去され芝地と化している。
壁に開いている穴は、28cm榴弾砲の弾を入れておく弾室らしいが
現在は薪置き場になっていた。これじゃあ弾室じゃなくて暖室だな。
家族の広場をパノラマ撮影。下のエリアにも様々なアスレチックが。
広場南隅にある管理小屋横のフェンス内には井戸の跡も残っている。
広場の出口の方には、キャンプファイヤーをやりそうな場所もあった。
時間も迫ってきたので、最後に丘の上にある鐘つき塔を見ていこう。
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