6月8日紀伊國屋サザンシアターで、マーガレット・エドソン作「ウィット」を見た(文学座公演、演出:西川信廣)。
<ネタバレあります>
ウィットに富んだ表現で生と死を詠う17世紀のイギリスの詩人ジョン・ダン。
彼の研究に取り組んできた英文学者ビビアンは医者から末期癌を告知される。
受け入れ難い現実に彼女の心は大きく揺れ動く。
己の半生を振り返り、ジョン・ダンの「聖なるソネット」を通して改めて生と死について思考するビビアン。
看護師から延命治療を受けるか否かの判断を迫られた彼女の出した答えとは・・・(チラシより)。
1995年アメリカ・カリフォルニア州にて初演、1998年ニューヨークデビュー、翌年ピューリツァー賞受賞の由。
風変わりな芝居はいろいろ見てきたが、これもまた変わったストーリーと構成。
冒頭、主人公ビビアン(富沢亜古)はパジャマ姿で点滴のコードをつけたまま客席に向かって話しかける。
彼女は大学の英文学の教授で50歳。独身で、かなりの偏屈者。自分の知性に絶対の自信を持っている。
突然末期の卵巣癌の宣告を受けた彼女は、病院で出会うスタッフたちに対して表面上は普通に応対しながら、心の中では相手を辛辣に批判したり評価したりする。
まあ長年教師をしていた習慣が、病気になったからといって急に抜けるわけはない。職業病みたいなものだ。
ただ、その都度、彼女は客席に向かって自分の気持ちや意見を述べるのだ。医者が病状について説明している間でさえ、それにおかまいなしに。
つまり独白がやたらと多い。そこが、この芝居のユニークなところ。
医師は彼女に対して、強力な抗がん剤を1ヶ月ごとに投与し、間隔を空けてそれを8回繰り返すという新しい治療法を試したい、と言う。
それが医学の進歩に貢献するから、と言って同意書に署名を求める。
彼女はその時ぼんやりしていたのだろうか、彼女らしくもなく深く考えることなく署名する。後で「もっと質問すればよかった」と後悔する。
彼女はこれまでのことを思い出す。5歳の頃、父と交わした会話。大学院生の時、恩師(新橋耐子)に厳しく指導されたこと。大学で若い学生たちに講義した時のこと・・・。
家族のいない彼女には見舞いに来る人もいなかったが、ある夜、その恩師が訪ねて来る。
恩師は大胆にも彼女のベッドに入って、ひ孫のために持っていた絵本を読んで聞かせる。
「家出したいと思った子ウサギ」の話。これがなかなかいいお話。恩師の言う通り、神の愛を象徴的に表しているようだ。
彼女は最期の時が来ても延命治療をしないことにし、書類に署名していた。
だが、ある時、若い研修医ジェイソンは彼女の容態の悪化に気がつき、あわてて馬乗りになって心臓マッサージを始める。
入ってきた看護師のスージーが「何してるの!?」と言って彼を突き飛ばすと、彼はコードブルーを呼ぶ。たちまちサイレンのような音が鳴り響き、
青い服を着た4人の男たちが入ってきて、てきぱきと延命措置を始める。スージーが「やめて!同意書があるのよ!」と叫ぶが誰もやめない。
すると、少ししてジェイソンが苦しそうに叫ぶのだ、「僕が間違えた!」と。
その途端、4人は動きを止め、1人が同意書を確認し、「日付は昨日だな。(ジェイソンの方を向いて)こいつは・・・研修医か。同意書があるのに
俺たちコードを呼びやがって」と皆でジェイソンをにらみつける。
ジェイソンは膝をついて頭を抱え、「おお、神よ」と煩悶するのだった・・・。
彼はスージーに突き飛ばされてハッと我に返ったらしい。彼が自分の行為を罪と捉えていることが確かに伝わってくる。
この若い研修医の内心の葛藤と良心の勝利が、最も心打たれる場面だ。
自分たちの業績、手柄、「医学の進歩」のために患者の意思を尊重しない強引な手法・・・現代に通じる医療の大きな問題を扱った作品だということが
最後になって分かる。
1995年初演の作品だからそれほど昔の話ではないが、米国ではやはりキリスト教が大きな力を持っていることも分かる。
コミカルなシーンもあるので、最初はどういう芝居なのか観客は戸惑うが、要するに、この芝居には2つの側面がある。
一つは強い個性を持ったビビアンという人の人物像。
そしてもう一つは現代医療の陥る危険性という問題。
作者は、家族、いや遠縁の親戚か知人の体験を元にこの芝居を書いたのだろうか。
独創的で魅力的な芝居を見ることができた。
<ネタバレあります>
ウィットに富んだ表現で生と死を詠う17世紀のイギリスの詩人ジョン・ダン。
彼の研究に取り組んできた英文学者ビビアンは医者から末期癌を告知される。
受け入れ難い現実に彼女の心は大きく揺れ動く。
己の半生を振り返り、ジョン・ダンの「聖なるソネット」を通して改めて生と死について思考するビビアン。
看護師から延命治療を受けるか否かの判断を迫られた彼女の出した答えとは・・・(チラシより)。
1995年アメリカ・カリフォルニア州にて初演、1998年ニューヨークデビュー、翌年ピューリツァー賞受賞の由。
風変わりな芝居はいろいろ見てきたが、これもまた変わったストーリーと構成。
冒頭、主人公ビビアン(富沢亜古)はパジャマ姿で点滴のコードをつけたまま客席に向かって話しかける。
彼女は大学の英文学の教授で50歳。独身で、かなりの偏屈者。自分の知性に絶対の自信を持っている。
突然末期の卵巣癌の宣告を受けた彼女は、病院で出会うスタッフたちに対して表面上は普通に応対しながら、心の中では相手を辛辣に批判したり評価したりする。
まあ長年教師をしていた習慣が、病気になったからといって急に抜けるわけはない。職業病みたいなものだ。
ただ、その都度、彼女は客席に向かって自分の気持ちや意見を述べるのだ。医者が病状について説明している間でさえ、それにおかまいなしに。
つまり独白がやたらと多い。そこが、この芝居のユニークなところ。
医師は彼女に対して、強力な抗がん剤を1ヶ月ごとに投与し、間隔を空けてそれを8回繰り返すという新しい治療法を試したい、と言う。
それが医学の進歩に貢献するから、と言って同意書に署名を求める。
彼女はその時ぼんやりしていたのだろうか、彼女らしくもなく深く考えることなく署名する。後で「もっと質問すればよかった」と後悔する。
彼女はこれまでのことを思い出す。5歳の頃、父と交わした会話。大学院生の時、恩師(新橋耐子)に厳しく指導されたこと。大学で若い学生たちに講義した時のこと・・・。
家族のいない彼女には見舞いに来る人もいなかったが、ある夜、その恩師が訪ねて来る。
恩師は大胆にも彼女のベッドに入って、ひ孫のために持っていた絵本を読んで聞かせる。
「家出したいと思った子ウサギ」の話。これがなかなかいいお話。恩師の言う通り、神の愛を象徴的に表しているようだ。
彼女は最期の時が来ても延命治療をしないことにし、書類に署名していた。
だが、ある時、若い研修医ジェイソンは彼女の容態の悪化に気がつき、あわてて馬乗りになって心臓マッサージを始める。
入ってきた看護師のスージーが「何してるの!?」と言って彼を突き飛ばすと、彼はコードブルーを呼ぶ。たちまちサイレンのような音が鳴り響き、
青い服を着た4人の男たちが入ってきて、てきぱきと延命措置を始める。スージーが「やめて!同意書があるのよ!」と叫ぶが誰もやめない。
すると、少ししてジェイソンが苦しそうに叫ぶのだ、「僕が間違えた!」と。
その途端、4人は動きを止め、1人が同意書を確認し、「日付は昨日だな。(ジェイソンの方を向いて)こいつは・・・研修医か。同意書があるのに
俺たちコードを呼びやがって」と皆でジェイソンをにらみつける。
ジェイソンは膝をついて頭を抱え、「おお、神よ」と煩悶するのだった・・・。
彼はスージーに突き飛ばされてハッと我に返ったらしい。彼が自分の行為を罪と捉えていることが確かに伝わってくる。
この若い研修医の内心の葛藤と良心の勝利が、最も心打たれる場面だ。
自分たちの業績、手柄、「医学の進歩」のために患者の意思を尊重しない強引な手法・・・現代に通じる医療の大きな問題を扱った作品だということが
最後になって分かる。
1995年初演の作品だからそれほど昔の話ではないが、米国ではやはりキリスト教が大きな力を持っていることも分かる。
コミカルなシーンもあるので、最初はどういう芝居なのか観客は戸惑うが、要するに、この芝居には2つの側面がある。
一つは強い個性を持ったビビアンという人の人物像。
そしてもう一つは現代医療の陥る危険性という問題。
作者は、家族、いや遠縁の親戚か知人の体験を元にこの芝居を書いたのだろうか。
独創的で魅力的な芝居を見ることができた。
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