7月19日紀伊国屋サザンシアターで、ノエル・カワード作「秘密は歌う」を見た(演出:マキノノゾミ)。
『ノエル・カワード最後の戯曲 本邦初演』とのふれ込み。1966年初演(作者自身が主演)の由。
チラシのあらすじを読んでピンと来た。
「舞台はスイスの高級ホテルのスイートルーム。高名な英国人作家ヒューゴ・ラティマーはドイツ人の妻ヒルダと
長期滞在している。彼はその夜、若い頃の恋人で女優のカルロッタと久しぶりに会うことになっている。
長年音信不通だったカルロッタが会いたいと連絡してきた目的は何なのか。
ヒルダは外出し、ヒューゴはカルロッタと食事しつつ訪問の目的を探る。彼女は自叙伝に彼からのラブレターを
載せる許可がほしいと切り出すが、彼は拒絶。
いったんはあきらめた彼女は、かつて彼が或る人宛てに書いたラブレターも持っていると打ち明ける。
文学界の重鎮になろうとしているヒューゴにとって、それはなんとしても隠しておきたい秘密だった・・・。」
これはもうアレしかないでしょう。
最近こういうことにだいぶ勘が働くようになってきました。
昔(三島由紀夫の事件の数年後、川端康成が死んだ頃)、誰か外国人が「日本の作家はみんなきっとしまいには自殺する・・」と呆れつつ言ってたけど、
それに倣って、西洋人の作家はみんなゲイなんじゃないか、と呆れつつ言いたくなります。
三田和代がドイツ人妻ヒルダを演じ、金髪のボブ姿で登場!
秘書でもある彼女はてきぱきと仕事するが、そこに現れた夫ヒューゴとのやりとりから、我々観客はこの夫婦のちょっと変わった関係を感じる。
有能で謹厳そうなヒルダは1944年1月に彼の秘書となり、数か月後に二人は結婚したという。
一方カルロッタは21歳の時、2年間ヒューゴの恋人だった。
現在50代の女優。整形しまくり、元祖アンチエイジングみたいな女。3回結婚し24歳の息子がいる。
カルロッタはヒューゴが出版した自伝の中に「偽装」を嗅ぎ取り、真実を白日の下にさらしたいという抑え難い欲求を覚えたために訪れたのだった。
彼女なりの正義感だろう。
恋人だった自分も妻であるヒルダも、彼の本心を隠し世間体を繕うための存在でしかないということを彼女は最近になって知ったのだ。
ヒルダは最初から知っていた。
男が自分をどういう意味で必要としているかを。彼女の方も彼を必要としていたらしい。
そこのところは筆者にはよく分からない。同じドイツ人の恋人が戦争で死んだからといって、まだ若かった彼女が新しい恋の可能性を信じることなく、
すべてを諦めて互いに愛し合っているわけでもない男と結婚したのはどういうことなのだろう。
女が一人で仕事して一生生きていくわけにはいかなかった、そういう時代だったということか。
1960年当時の英国では同性愛は犯罪だった。今では信じられないが、そのためにヒューゴは自分の本来の性向をひた隠しにしてきた。
ヒルダとはいわゆる「白い結婚」をしたのだろうか。
ラスト、ヒューゴはかつて自分が書いた手紙を読んで泣く。
このシーンがなければこの芝居は底の浅いものになっていただろう。
筆者も思いがけず号泣(もらい泣きで号泣って一体・・?)。
この皮肉屋で頭の切れる辛辣な男も、生涯にただ一人、心から愛した人がいたのだった(ヒルダもそうだが)。
たとえ相手がうぬぼれ屋でうそつきで最低な男であろうとも。
短い時間ではあったが気持ちよく甘美な涙を流せた。
彼は自分の人生で、最も純粋で清らかだったかつての自分の姿を目の当たりにしたのだ。
それはこの男の人間的な姿が初めて露わになった瞬間だった。
ホテルの部屋で、二人は膨大なセリフをやり取りしつつ、本物のキャヴィア、サラダ、ステーキ、チョコレートスフレを食べる。
この趣向も面白い。
役者はみな達者。三田和代はいかにもドイツ人女性らしい。
村井さんに関しては、この役は彼の持ち役になると思う。
これからもいやというほどキャヴィアをつまむことになるに違いない。
『ノエル・カワード最後の戯曲 本邦初演』とのふれ込み。1966年初演(作者自身が主演)の由。
チラシのあらすじを読んでピンと来た。
「舞台はスイスの高級ホテルのスイートルーム。高名な英国人作家ヒューゴ・ラティマーはドイツ人の妻ヒルダと
長期滞在している。彼はその夜、若い頃の恋人で女優のカルロッタと久しぶりに会うことになっている。
長年音信不通だったカルロッタが会いたいと連絡してきた目的は何なのか。
ヒルダは外出し、ヒューゴはカルロッタと食事しつつ訪問の目的を探る。彼女は自叙伝に彼からのラブレターを
載せる許可がほしいと切り出すが、彼は拒絶。
いったんはあきらめた彼女は、かつて彼が或る人宛てに書いたラブレターも持っていると打ち明ける。
文学界の重鎮になろうとしているヒューゴにとって、それはなんとしても隠しておきたい秘密だった・・・。」
これはもうアレしかないでしょう。
最近こういうことにだいぶ勘が働くようになってきました。
昔(三島由紀夫の事件の数年後、川端康成が死んだ頃)、誰か外国人が「日本の作家はみんなきっとしまいには自殺する・・」と呆れつつ言ってたけど、
それに倣って、西洋人の作家はみんなゲイなんじゃないか、と呆れつつ言いたくなります。
三田和代がドイツ人妻ヒルダを演じ、金髪のボブ姿で登場!
秘書でもある彼女はてきぱきと仕事するが、そこに現れた夫ヒューゴとのやりとりから、我々観客はこの夫婦のちょっと変わった関係を感じる。
有能で謹厳そうなヒルダは1944年1月に彼の秘書となり、数か月後に二人は結婚したという。
一方カルロッタは21歳の時、2年間ヒューゴの恋人だった。
現在50代の女優。整形しまくり、元祖アンチエイジングみたいな女。3回結婚し24歳の息子がいる。
カルロッタはヒューゴが出版した自伝の中に「偽装」を嗅ぎ取り、真実を白日の下にさらしたいという抑え難い欲求を覚えたために訪れたのだった。
彼女なりの正義感だろう。
恋人だった自分も妻であるヒルダも、彼の本心を隠し世間体を繕うための存在でしかないということを彼女は最近になって知ったのだ。
ヒルダは最初から知っていた。
男が自分をどういう意味で必要としているかを。彼女の方も彼を必要としていたらしい。
そこのところは筆者にはよく分からない。同じドイツ人の恋人が戦争で死んだからといって、まだ若かった彼女が新しい恋の可能性を信じることなく、
すべてを諦めて互いに愛し合っているわけでもない男と結婚したのはどういうことなのだろう。
女が一人で仕事して一生生きていくわけにはいかなかった、そういう時代だったということか。
1960年当時の英国では同性愛は犯罪だった。今では信じられないが、そのためにヒューゴは自分の本来の性向をひた隠しにしてきた。
ヒルダとはいわゆる「白い結婚」をしたのだろうか。
ラスト、ヒューゴはかつて自分が書いた手紙を読んで泣く。
このシーンがなければこの芝居は底の浅いものになっていただろう。
筆者も思いがけず号泣(もらい泣きで号泣って一体・・?)。
この皮肉屋で頭の切れる辛辣な男も、生涯にただ一人、心から愛した人がいたのだった(ヒルダもそうだが)。
たとえ相手がうぬぼれ屋でうそつきで最低な男であろうとも。
短い時間ではあったが気持ちよく甘美な涙を流せた。
彼は自分の人生で、最も純粋で清らかだったかつての自分の姿を目の当たりにしたのだ。
それはこの男の人間的な姿が初めて露わになった瞬間だった。
ホテルの部屋で、二人は膨大なセリフをやり取りしつつ、本物のキャヴィア、サラダ、ステーキ、チョコレートスフレを食べる。
この趣向も面白い。
役者はみな達者。三田和代はいかにもドイツ人女性らしい。
村井さんに関しては、この役は彼の持ち役になると思う。
これからもいやというほどキャヴィアをつまむことになるに違いない。
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