ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「無伴奏ソナタ」

2014-11-11 15:45:49 | 芝居
9月30日サンシャイン劇場で、オースン・スコット・カード原作「無伴奏ソナタ」をみた(キャラメルボックス公演、脚本・演出:成井豊)。

すべての人間の職業が幼児期のテストで決定される時代。クリスチャン・ハロルドセンは生後6ヶ月のテストでリズムと
音感に優れた才能を示し、2歳のテストで音楽の神童と認定された。そして両親と別れて森の中の一軒家に移り住む。
そこで自分の音楽を作り、演奏すること。それが彼に与えられた仕事だった。彼は「メイカー」となったのだ。
メイカーは既成の音楽を聴くことも、他人と接することも禁じられていた。ところが彼が30歳になったある日、
見知らぬ男が森の中から現れた。男はクリスチャンにレコーダーを差し出して言った。「これを聴いてくれ。バッハの
音楽だ…」

キャラメルボックスには、以前「夏への扉」という名作と出会わせてくれたという大恩があるが、今回は、原作の設定
自体に無理があり、ついていけないものがあった。

芸術は模倣から始まる。少なくとも西洋音楽において、過去の作品を聴くことなく作曲を始めた作曲家はいない。
誰にでもまず習作期間があり、その後も決して外界に(他の作品にも)耳を閉ざすことなく、影響を受けつつ制作活動を
続けたのだ。それを「汚染される」と考え、才能ある人間を外界から隔離して、己の内面からのみ生まれる音楽を作らせ
ようとするのは、単に非人道的のみならず、そうやってできた音楽に、一体何が期待できるだろうか。

そもそも2歳で親と引き離されることによる精神的ダメージの影響の方が、はるかに恐ろしい。

国家は作曲を決して強制してはいないと言うが、人間としての自由を奪っていることに変わりはない。これでは
未来社会と言えども古代や近世の専制政治と同じ、ただの悪夢だ。

ことは音楽に限らない。
子供が絵描きになりたいと思うのは、美しい景色を見た時でなく、(誰かが描いた)絵を見た時だという。かつて
この言葉を聞いて深い感銘を受けたことを思い出した。

わがシェイクスピアに至っては、37編の劇作品のほとんどに、元ネタが存在する。だがだからといってそれらの価値が
下がるわけではない。元ネタの作品は面白くないから読まれることもなく、上演されることもないが、それらを素材として
天才はそこに息を吹き込み魂を入れて、奇跡とも呼ばれる不滅の作品群を作り上げたのだ。

チラシの「バッハの音楽だ…」という文章を読んだ時、バッハの音楽をこよなく愛する者として、主人公がバッハから
どんな素晴らしい影響を受けるのか想像をふくらませたが、作中ではただ、禁止されていた他の音楽を聴くという行為を
犯したことを隠そうとしてバレるきっかけになったに過ぎず、結局バッハでなくても他の誰の音楽でもよかったような
扱いで、失望した。

キャラメルボックスは熱烈な固定ファンに支えられているようで、評者はいささか場違いな感じがした。

せめて天才作曲家たる主人公の作った「シュガーの歌」がもう少しましな曲だったらよかったが、70年代のフォークっぽい曲で、
音楽としてあまりにも凡庸なため、落涙に至らず残念。
「感涙まちがいなしの傑作」という成井氏の言葉と、あらすじの「バッハの音楽」という文字に吸い寄せられて行ったが…むしろ
評者にとってしばしば感涙の元であるバッハを聴くことで、主人公がどれほどの喜びを感じたかが全く描かれていないことが
不思議だった。

芸術におけるオリジナリティとは何か、について考えさせられた一夜だった。


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