「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「甘樫の丘」(あまがしのおか)

2012年10月13日 07時33分43秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 明日香村豊浦にある標高148mの丘陵で、東西に数100m、南北に1kmほど広がっている。丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっており、眼下に飛鳥古京(明日香村内)の集落、北側に大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)とその中央に位置する藤原京(橿原市内)さらに遠くの生駒山、二上山、葛城山、金剛山系の山並みを望める展望広場や、万葉集などに歌われた植物を散策しながら楽しめる万葉植物園路なとが設けられている。

 大化の改新以前に、蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。
大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害したといわれ、東麓にあたる場所(甘樫丘東麓遺跡)に遺構が発掘され、焼けた建築部材・土器などが出土した。この位置が大化の改新の際中大兄皇子が陣取ったとされる飛鳥寺と対峙することや、土器の年代観が、この時期に一致することなどから、調査地の上方に蘇我邸が存在していたという。

 古くから誓盟の神(甘樫坐神社)が鎮座した。允恭天皇のとき、盟神探湯(くかたち)が行われた。
 山腹には明日香村の保全に尽力した犬養孝氏揮毫の万葉歌碑がある。
 「采女の 袖ふきかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」(志貴皇子)
 [采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠のいたので、今はただむなしく吹いている]
 志貴皇子は天智天皇の第七皇子。694年12月、持統天皇によって明日香から北の藤原に遷都された。皇子は旧都に佇み、吹く風のなかに美しい采女の幻想を懷いた。

 所在地:奈良県高市郡明日香村
 交通:近鉄橿原神宮前駅より奈良交通バスに乗車、甘樫丘下車徒歩約5分。
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