「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「廬山寺」(ろざんじ)

2006年10月14日 07時39分53秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京都御所の東側のこの寺は、平安時代、御所づとめをしていた紫式部がここに住まい、「源氏物語」を執筆した所として知られている。夏から秋へかけ細かな白砂の庭、苔に咲く桔梗の楚々とした美に王朝の風雅をかもしだしている。

 当寺の創建は、天慶元年(938)に慈恵大師良源(正月3日に没したため元三大師とも言う)が、船岡山に創建した皇室直属の御黒戸四ヶ院の中で唯一残存する摂家門蹟を念仏道場としたが、応仁の乱による焼失。後の元亀2年(1571)、紫式部の邸跡と伝えられる当地に再興したのが始まりといわれ、皇室との関係も深く、本堂などは仙洞御所から移された。
 本堂前の庭は「源氏の庭」と呼ばれ昭和四○年の作庭、紫式部にちなんで桔梗が植えられ、砂の白と苔の緑の中に桔梗が巧みに配されている昭和の名庭といえよう。

 世界最古の文豪として、日本人でただ1人「世界の5大偉人」に選出され、ユネスコにも登録されている紫式部は、曽祖父の堤中納言が此処で建てた邸宅で育ち、結婚後もここで暮らし1人娘も育てている。長元4年(1031)59歳の生涯を閉じた。
 「紫式部邸宅遺跡」には、「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」と刻まれている。

 また、当寺は、節分の「鬼の法楽」が行なわれることでも知られており、追儺式鬼法楽(ついなしきおにおうらく)通称「鬼おどり」には、大勢の人たちが訪れ、狭い境内はすし詰めとなる。追儺式鬼法楽は、どん欲、怒り、愚痴の象徴の赤、青、黒鬼がほら貝、太鼓に踊り出てくる。そして導師の護摩供並びに福餅、豆に追い祓われ、よろけるように退散する。
 この「鬼おどり」は、開祖元三大師良源が村上天皇の代に300日の護摩供を修し時に出現した悪鬼を、護摩の法力と大師が持っている独鈷、三鈷の法器でもって降伏させられたという故事によるもので、この三鬼は人間の善根を毒する三種の煩悩、即ち貧欲・瞋恚・愚痴の三毒を表現している。三毒を節分の日に追い払い、また、福寿増長を祈念し、一切の悪疫災難をはらうことによって開運をはかり新しい節を迎えるという法会行事として伝承されている。

 所在地:京都市上京区寺町広小路上ル。
 交通:JR京都駅前より205系統17系統バスで府立医大病院前下車、
 徒歩5分。  
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