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長崎原爆投下の墓参り

2021年08月09日 13時26分35秒 | 日常のこと&写真
 台風9号により大阪もひどい風雨となった。
決めたことはする、という自分だがお墓参りはちょっとためらった。
だが先祖は長崎、被爆した身内の霊も弔うため嵐をおしてでかけた。
我が家の先祖は長崎県大村、そう長崎空港のあるところで身内は被弾した浦上天主堂の近くに住んでいた。
先祖代々のお墓はその大村にあったのだが、両親が大阪を終の棲家と選んだことからこの地に墓を建て大村から霊を移した。
なぜ長崎から福岡小倉へ移住したかというと、先祖代々廻船問屋で羽振りが良かったようだが、松浦の捕鯨に手を出し失敗し大損失を被った。
金の切れ目は縁の切れ目というけれど大村を離れなければならない事情になったと聞く。その頃、長女は姫、長男は若様と呼ばれていた。
そして父が医者になっていたことから親たちを連れて小倉に移住し開業した。しかし支那事変が起き軍医として従軍。
隊長の命で農民まで銃殺するという悲惨な光景を見て、命を助ける医者がこんな所に来てはならぬと思い、運よく帰還した後、徴兵を避けるため軍需産業の医師として勤めれば徴兵が免れると判断、三菱鉱山(現三菱マテリアル)の勤務医となり、小倉を離れ鉱山のある田川郡へと。
父の判断は的中し二度と徴兵されなかった。
福岡の炭坑を転々とし佐賀県多久市へ。ここが父の最終勤務地となり定年まで病院長として勤めあげた。私が大学2年の時だ。
そして第二の人生は大阪で保険会社の社医として83歳まで勤め上げた。
 そんな我が家の歴史だが、先祖代々の霊と父と母と義兄とその長男が眠るお墓が、我が家からさほど遠くない霊苑にある。
 突風と横殴りの雨の中、清掃をすませ花を活けて南無阿弥陀仏を唱えた。いつもは般若心経も唱えるのだが今日は省略した。
 スプ濡れになったが気持ちは清々しい。
 次は秋の彼岸だ。



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