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「玉鳳院」(ぎょくほういん)

2007年11月08日 08時11分08秒 | 古都逍遥「京都篇」
 花園上皇がこの地に営んだ花園離宮を改めて禅院とし、関山慧玄(かんざんえげん・無相大師)を開山として妙心寺を創建、その後、上皇は参禅のため伽藍の傍らに一院を建て、これを「玉鳳院」と称した。玉鳳院は妙心寺の塔頭の一つというよりは開祖慧玄の開山堂といえよう。

 後にこの禅宮は慧玄に付与され、正平15年(1360)に慧玄が入寂したとき、禅宮の傍らに桁行三間、梁間四間、一重入母屋造本瓦葺の開山堂(微笑庵=みしょうあん・重要文化財)が建てられた。
 開山堂の東北隅には、武田信玄・勝頼の石塔や織田信長・信忠の石塔などが並んでいる。また、枯山水庭園の奥には、豊臣秀吉の第一子・鶴松の霊屋(祥雲院殿)もある。

 建造物は明暦2年(1656)に改建されたもので、方丈の内部は狩野安信による襖絵、狩野探幽の甥・益信の作の秋草図がある。法堂(はっとう)では狩野探幽による天井画「雲龍図」や国宝「黄鐘調(おうじきちょう)の鐘」などが拝観できる。また「花頭窓」(かとうまど)も時代の変遷を偲ぶことができ、花頭窓の特長的なのが、室町時代のものは、肩が怒り、高さのある形で下部の裾はあまり開いておらず、江戸時代になると、肩は撫で肩になり裾は開きぎみになっている。「繧繝縁」(うんげんぺり)、「大瓶束」(たいへいづか)、「海老虹梁」(えびこうりょう)などと称される建築法の語源をうかがう勉強にもなり、実際にその形容を見ることができる妙心寺最古の塔頭である。

 ちなみに古刹禅寺「雲龍図」画が有名な寺院を紹介しておこう。
◇妙心寺「雲龍図」(狩野探幽筆)(重文)
◇南禅寺「雲龍図」(今尾景年筆)
◇東福寺「雲龍図」(堂本印象筆)
◇天龍寺「雲龍図」(加山又造筆)
◇相国寺「蟠龍図」(狩野光信筆)
◇大徳寺「蟠龍図」(狩野探幽筆)
◇建仁寺「雲龍図」(襖絵、方丈)  

 庭園(史跡名勝)は、渡り廊下をへだて禅宮と開山堂の周囲に趣き深い蓬来式枯山水庭園が配されているが作庭者は不明。作庭時期は建物が改築された頃と推測されている。
 南側の前庭は、白砂と白色切石の延段を基調とした構成で、植栽は黒松と五葉松だけのシンプルな庭園。平面的な白砂敷きに幾何学的な砂紋のデザインで、むしろそれが凛とした緊張感をかもし出している。
 北側は青苔を基調として飛石、石組、刈込みが配され、庭園内の主要な位置に「風水泉」と呼ばれる井戸が配されるという珍しい構成である。渡り廊下を挟んで、趣きを異にする庭園が対峙し、国の史跡・名勝に指定されている。
 後小松天皇が御所より移築したとされる平唐門があり、門には応仁の乱のときに受けた弓矢の跡がくっきり残っている。
 通常は一般公開しておらず、京の冬の旅で特別公開され、拝観料600円。公開時期は概ね1月中旬頃から3月中旬まで。

 所在地:京都市右京区花園妙心寺町60。
 交通:市バス10・26番で妙心寺北門前下車すぐ、市バス51番、京都バスで妙心寺前下車、JR山陰本線花園駅下車、京福電鉄妙心寺駅下車。







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