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「紫式部とイワシ」

2022年08月08日 00時05分19秒 | いつも今が始まり(生き方論)

残暑お見舞い申し上げます。
暑い日が続き好きな写真撮影にも気がそがれてしまい、併せて綴り方も無精になって、せっかくお訪ね頂いたのに申し訳ありません。
ブログには上げていない、過去に新聞に綴ったものが続いております。
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ちょっと一服雑学の玉手箱

「紫式部とイワシ」
 平安時代の貴族たちは、強飯(こわいい)、魚介類、野菜などに塩や味噌などの調味料をつけて食べていたという。この当時はまだ調理の中で味付けをするという習慣がなかったようで、塩や味噌が唯一の調味料だったようだ。それと食材を自然発酵させて酸味をつけたものもあったようで、魚などを発酵させた食べ方があった。
 身分制度が厳しかった時代、貴族が容易に口にしなかったものの一つに「イワシ(鰯)」がある。一般的に食べられていたのは、鯉、鮎、鮒などの川魚で、海から捕れるイワシは貴族の口にすることは稀だったようだ。イワシから来る言葉の響きが「いやしい」に通じるというのが下品な魚と言われていたらしい。
 だがこの時代、キャリアレディーとして個性的に生きていた紫式部は、イワシがたまらなく好きだったようで、夫(藤原宣孝)が外出中にこっそり食べていた、ところが夫に見つかり咎められてしまったが、歌に詠んで反論したと伝えられている。
「日の本に はやらせ給ふ 石清水 まゐらぬ人は あらじと思ふ」(日本人なら石清水八幡宮に参らない人がいないように、イワシを食べない人はありますまい)。
 平安貴族は、消化が悪く、栄養の偏った食事をしていた上に室内に閉じ篭った生活が中心であったためか栄養失調や皮膚病、結核などに冒され早死にする人が多かったようで、世界初の長編小説「源氏物語」を書き上げた紫式部は、好んだイワシに含まれるDHA効果があったのかも知れない。
(出典:「信長の朝ごはん 龍馬のお弁当」毎日新聞社刊))

 

いのちの歌 - 竹内まりや

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