やまちゃん奮闘記

1970年代から海外に出かけ、滞在した国が合計26か国、21年の海外生活が終わりました。振り返りつつ、日々の話題も、

南京商工クラブ前会長さんが本「南京と日本」を出版

2015-04-16 | 歴史・文化
我愛南京南京商工クラブ前会長の長田格さんが、南京に長期滞在されておられた折に、いろいろ勉強されておられ、南京の文化・風物に詳しく、南京をめぐる漢詩(詞も含む)を広く収集されました。

長田氏の解説によると、そうした詩や詞は、後の時代の文人たちが、南京に都を置いた南朝の華やかさを懐かしむというものが多いということでした。

武では北朝に劣っていたものの、南朝は、文の上では北朝をはるかに凌ぎ、華やかな文化をこの江南の地に広めました。

後の唐・宋代の文人は、その絢爛たる文化を自分たちの精神的遺産として懐かしんだというわけですね。
そうした中で、日本でも有名な漢詩は、杜牧の「江南春」でしょう。

長田さんの研究によると、杜牧のもう一つの有名な詩「清明」は南京近郊を読んだものとのことです。
漢詩の題のごとく、今頃の時期の詩ですね。

これらを帰国後、本にされ、AMAZONのKindle版で出版されました。←AMAZON

ぜひ、ご一読ください。


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上海日本人学校に銃撃? 窓ガラスに弾丸状のもの?@上海

2015-04-16 | 社会・風俗
Japanese  School上海日本人学校(児童生徒約2600人)で、教室の窓に向けて外から「弾丸状のもの」が撃ち込まれ、ガラスにヒビが入る問題が起きていたことが16日、分かった。


上海の日本総領事館が同日明らかにした。
撃ち込まれた日時は不明だが、春休み明けの今月10日、学校職員が被害を確認し、警察に通報した。二重窓になっているガラスは貫通せず、負傷者などはなかった。

撃ち込まれたものは発見されていない。地元警察では「プラスチックのようなもの」と説明しているという。
窓に直径5ミリほどの衝撃の跡があり、放射状にヒビが入ったため、弾丸状のものとみられる。←4月16日産経ニュース

最近は上海の日本人学校の通学で問題があったばかりであり、父母の方々は気が気でないですね。!?


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抗日戦の主役は「中華民国軍だ」 中国共産党に「歴史に向き合え」 @台湾

2015-04-16 | 歴史・文化
台湾の国防部(国防省)の報道官は3日の定例記者会見で、中国共産党に対し「抗日戦争」の主役は、国民党が主導した「中華民国」軍だったという歴史に向き合うべきだと呼び掛けた。


中国は今年を「反ファシズム戦争と抗日戦争勝利70年」と位置付け、共産党の役割や日本の戦争責任を強調する各種活動を実施予定。

報道官は「中共(中国共産党)のどんな活動にしろ、中華民国軍の犠牲と貢献は抹消できない」と強調した上で、「中共は侵略の歴史の反省を日本に求めるのと同時に、自らも歴史に向き合うべきだ」とした。←2月3産経ニュース

これを受け、4日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は「台湾では共産党の抗日戦争の功績が認められていない」と反発する社説を掲載した。

「(中国)大陸では、国民党の役割を積極的に評価している」と主張。中国が「抗日戦争勝利」に関する記念活動を実施していることに「台湾当局は感謝すべきだ」とした。

また「今の台湾社会は日本にこびる雰囲気が深刻化し、日本の植民地統治を記念する活動の方が多い」と批判した。←2月4日産経ニュース

台湾の国防部(国防省に相当)の羅紹和報道官は3月3の記者会見で、与党の立法委員(国会議員)が提案していた「抗日戦勝利70年」の軍事パレードについて「検討、評価を行ったが今年は実施しない」と述べた。

一方、中国が計画しているパレードについては「中国大陸がどんな活動をしても、抗日戦を戦ったのは(当時の中国正規軍である)国軍だという事実は変えられない」と改めて牽制(けんせい)した。←3月3日産経ニュース


この中国の軍事パレードに関しては、「日本にも招待してやるから、来い」などと、中国は政治的にいろいろと利用している。←3月9日ロイター

村山富市元首相は、中国が9月3日に予定しているこの「抗日戦争と反ファシズム戦争勝利70年」の記念式典に出席するらしい。←4月3日47ニュース

この人の考え方にもついていけないね!!?



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「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関の責任者だったーー。発信の信憑性に??

2015-04-16 | 政治・経済
!937 12 13「南京事件」(1937年)を世界に広め、極東国際軍事裁判(東京裁判)にも影響を与えたとされる『戦争とは何か(WHAT WAR MEANS)』(38年出版)の著者、ハロルド・ティンパリーが日中戦争勃発後の39年、中国国民党宣伝機関の英国支部で責任者を務めていたことを示す史料が、台北市にある国民党の党史館で見つかった。

国民党の宣伝工作に関わったティンパリーの詳しい活動実態が明らかになったのは初めて。

オーストラリア人のティンパリーは「南京事件」の当時、英紙マンチェスター・ガーディアンの上海特派員で、南京にいた欧米人の手記などをもとに、旧日本軍による南京占領を“告発”した。

国際宣伝処の「顧問」を務めていたことがすでに明らかになっている。

国際宣伝処長の曽虚白は『戦争とは何か』に関し、「金を使って、ティンパリーに依頼して書いてもらい、発行した」と自伝で語っていた。

今回明らかになった史料は「南京事件」をめぐる論争にも影響を与えそうだ。←4月16日産経ニュース


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