伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ワーグナー 舞台神聖祝典劇 パルシファルを聴く。

2017年11月04日 | クラシック音楽・オーディオ

リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』は死の前年、1882113日に完成され、

726日にバイロイト音楽祭で初演された作品である。

当初はバイロイト音楽祭のみで上演され、それ以外の場所での上演は禁じられていたが、

19131231日深夜に解禁され、世界各地で上演されるようになった。

 

ワーグナーがバイロイト以外での上演を望まなかったのは、

理想的に構想された作品が不道徳な劇場や聴衆の手に委ねられている現状に不満を抱き、

「せめて最も神聖なこの最後の作品だけでも、世のオペラが辿りがちな運命から守った

方がよいのではないか」

1880928日付 ルートヴィヒ2世宛書簡)と考えたからである。

このように作品の聖性を保つために門外不出とする姿勢は、

かつてグレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』を複写厳禁とした教会の命令を思い起こさせる。

此処で簡単なあらすじを引用します。

第1幕

モンサルヴァート城では、イエスの脇腹を刺した聖槍と、その血を受けた聖杯が騎士団に守ら

れていた。一方、魔術師クリングゾルは魔術で騎士たちを快楽の世界へと陥れていた。アムフ

ォルタスは彼に戦いを挑むが、魔術にかかったクンドリーの誘惑に落ち、聖槍を奪われ脇腹を

刺されてしまう。以来アムフォルタスの傷は治らず、激痛に耐える日々。聖槍も奪われたままだ。

傷を治すには「無垢な愚者」の登場を待つしかない。ある日、白鳥を矢で射った男パルジファル

が現れる。彼こそ「無垢な愚者」かと期待した老騎士グルネマンツは、彼に聖杯の儀式を見せる。

しかしパルジファルは、アムフォルタスの苦痛は感じるものの、それ以上のことは理解できない。

第2幕

クリングゾルはクンドリーに、パルジファルを誘惑するよう命じる。

クンドリーは、魔法の花園にやってきたパルジファルを呼び止め、彼の出生の状況や、

彼の母のことを語り、パルジファルの心をかき乱す。

そしてクンドリーが接吻すると、パルジファルに智が備わり、アムフォルタスの苦痛の意味と自分の

使命を知る。誘惑を拒み、アムフォルタスのもとへ行こうとするパルジファルに向かって、クリング

ゾルは聖槍を放つ。すると聖槍はパルジファルの頭上で止まる。パルジファルは聖槍を手に取り十字

を切ると、魔法は解け、花園は消える。

第3幕 
 
幾年も経った聖金曜日。パルジファルは聖槍を手にモンサルヴァート城に到着する。

感激するグルネマンツは彼の頭に水を注ぎ、クンドリーは彼の足を清め、彼に洗礼を施す。

グルネマンツは2人を聖杯の儀式へ連れていく。パルジファルがアムフォルタスの傷口に聖槍を当てると、

傷はみるみる消えた。パルジファルは聖杯の王となり、聖杯は光り輝く。クンドリーはパルジファルの
 
足元で息絶える。一羽の白い鳩が舞い降りる。

此の第3幕 での事柄から聖金曜日に演奏を行ったようである。

 物語の舞台は中世。聖杯と聖槍を守護するモンサルヴァート城は、今危機にさらされている。

偉大な王ティトゥレルに追放された魔法使いクリングゾールの策略により、

ティトゥレルの息子アンフォルタスが魔性の女の誘惑に陥り、聖槍を奪われた挙げ句、槍で脇腹を刺され

重傷を負ったのである。

 

やはりハンス・クナッパーツブッシュHans Knappertsbuschの48CD1951~1964の購入(48枚)

名実共に『パルジファル』のエキスパートとして名を馳せていたクナッパーツブッシュは、

1951年と1952年、そして1954年から亡くなる前年の1964年まで、バイロイト音楽祭に出演して

『パルジファル』を指揮し続けていました。

1953年に指揮していないのは、ヴィーラント・ヴァーグナーによる新バイロイト様式の簡素な演出

を嫌ったクナッパーツブッシュが抗議してキャンセルしたためで、代わりに呼んだクレメンス・クラ

ウスを気に入ったヴィーラントは、翌年以降も彼をバイロイト音楽祭で重用するつもりでした。

しかし、19545月にクラウスがメキシコで客死してしまったため、ヴィーラントは急遽クナッパー

ツブッシュと和解して音楽祭への復帰を懇願、同年から1964年まで毎年『パルジファル』を指揮し

たほか、『ニーベルングの指環』『さまよえるオランダ人』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

も指揮しています。

 ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch,第二次世界大戦後に再開されたバイロイト

音楽祭を支えた指揮者でもあった。

リヒャルト・ワグナーやアントン・ブルックナーの演奏で有名だった。

193センチの長身でいかつい顔の指揮者で、ドイツや日本では「クナ」(Kna) の愛称で親しまれた。

 

1951年に比較するとCD化されているのが少ないことが不思議に思えるくらいの素晴らしい演奏です。

前奏曲の最初から強烈に音楽の中に引き込まれ、そのままフィナーレまで聴き込んでしまいます。何

度聴いてもまさに圧倒的な演奏です。あくまで個人的な感想ですが、この1952年の聖金曜日の音楽の

例えようもない美しさと、続く場面転換の音楽の荘厳さはクナッパーツブッシュの残した数多くの録音

の中でも一二を争うものではないかと思います。是非一度ご試聴ください。

それだけの価値のある音楽かも知れない。音質は咳払いどか雑音が激しいが、演奏は素晴らしい。

 Silent Tone Record/ワーグナー:パルジファル/ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団、

グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ジェス・トーマス、ハンス・ホッター 

『パルジファル』の台本は、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルツィヴァル』及び

『ティトゥレル』に基づいている。

『パルツィヴァル』は、歌劇『ローエングリン』でも原作として採られており、

『ローエングリン』第3幕で、ローエングリンは、モンサルヴァート城の王パルツィヴァル(Parzival

の息子であると名乗る。

パルジファルが白鳥を射落として引き立てられてくることと、ローエングリンが「白鳥の騎士」であるこ

との関連は明らかであろう。

ほかにも、各幕の構成や、『パルジファル』のクンドリが『ローエングリン』のエルザとオルトルートを合わせたような存在であることなど、

二つの作品は関連が深い。

パルツィヴァルの名前の語源として、アラビア語のパルジ(Parse or Parseh : 清らか)+ファル(Fal : 愚か)

であるとするヨーゼフ・ゲレスの説を取り入れて、ワーグナーは Parsifal に綴りを直したとされる。晩年、

ワーグナーが親密に交際したジュディット・ゴーティエは、この説は誤りだと指摘したが、ワーグナーは

「そうであっても構わない。」として訂正しなかったという。現在では、パルツィヴァルの語源として

perce(貫く)+ val(谷)、すなわち「谷を駆け抜ける者」が有力である。

 

昨日祝日は仕事で、翌日朝7時にやっと終了し少し仮眠を取り、先日注文したクナッパーツブッシュの

『パルジファル』49CDが届いていたので早速1951年、1962年の『パルジファル』を聴く、51年盤は

さすが古いってかんじですが62年盤ほ音質も良く、聴き応えあります。

IIILZ in Cabinetで聴き始めるが最初はスピーカーケーブルをPRM-1.5Sの銀メッキ線で聴くがスピーカ

ーケーブルは、確かに拙宅のTANNOYのTANNOY IIILZ in Cabinetにトーレンスの銀線RCAケーブルと、

スピーカーケーブルはWestern Electric 16GA(撚り線)が相性は良いがでリヒャルト・ワーグナーの

オペラはやはり低域不足が付きまとう。

こうして休日にゆったりオペラを楽しむのには IIILZ in Cabinetでは、物足りなさが付きまとう。

スピーカーは音を出す器材ではなく、音を響かせる器材なんです。この辺りの事が分かると

いい音楽をいい音で聴きたくなる・・・其れが泥沼の始まりなんでしょう・・・・?

 クナッパーツブッシュのバイロイトへの正式な登場は、この1951年が最初である。

なぜワーグナー指揮者といわれたクナッパーツブッシュが戦前にバイロイトに登場しなかったのか? 

ドイツにはワーグナー指揮者は他にも大勢いたことがひとつの理由としてある。

さらにクナッパーツブッシュは、バイエルン州立歌劇音楽総監督として、

バイロイトに対抗して作られたミュンヘンの摂政劇場でワーグナー祭(モーツァルト=ワーグナー祭)

を指揮していた。

摂政劇場で指揮をする指揮者は、時期的にも劇場同士がライヴァル関係にあったということも含めて、

バイロイトには登場できなかった。

さらに1936年以降は、クナッパーツブッシュはドイツ国内、

ドイツ国内で演奏許可が出てもバイエルン州内でまだ演奏禁止処分を食らっていたわけだから、

もちろんバイロイトなどには出演できなかった。何より、バイロイトの最大のパトロンであるヒトラー

からクナッパーツブッシュは嫌われていたようだ。

 

バイロイト音楽祭の復活はレコード会社にとっても大きなイベントだった。

EMIの録音チームとDECCA・テルデックの録音チームもバイロイトに来ていた。 

EMIはフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第九番、カラヤンの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」、

「ニーベルングの指環」、DECCA チームはクナッパーツブッシュの「パルジファル」がその録音の目的である。

それぞれレコード会社専属の指揮者だった。EMIチームをウォルター・レッグが率い、

DECCAチームにまだ新人だったジョン・カルショーが参加していた。

筆者が40年まえ、昔オーディオマニアの頃はTEACA-7400でバイロイト音楽祭を2トラック19

センチでエアーチェックしてた頃が懐かしい。

可成り節約して(当時オープンリールが高額で)せめてバイロイト音楽祭の生放送を聴きたくテー

プを5~6本用意したことを思いだす。

当時はTEACA-7400の留守録して帰ってチェックすると明け方になり、寝不足で会社に出かけ

た思いが懐かしい。

今思えば癌で入院しなくてはならなくなり其れもステージ4で多分もう音楽は聴けないと思い最後

に廃棄処分したA-7400は失敗でした。

当時から1962年のクナッパーツブッシュ指揮パルジファルは音質も良いとの評判でした。

ワーグナー《パルジファル》第1幕(全曲)クナッパーツブッシュ指揮(1962 

ワーグナー 《パルジファル》 第2幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮(1962

ワーグナーはその生涯のうちに、習作を除いて『さまよえるオランダ人』から計10作のオペラを残し

ています。

10作といっても、そのどれもが傑作であり、それがもしそのうちの一つだけしか作曲していなかった

としても、後世に名を残す作曲家となったではないでしょうか。

ワーグナーの最後の作品がこの『パルジファル』です。このオペラは、古今東西、他のオペラに比べて

極めて難解な作品ですが、同時に素晴らしい作品でもあります。

もし、クラシック音楽に興味があって、オペラに魅せられ、ワーグナーにまで辿り着いたのなら、絶対に

この『パルジファル』を聞き逃してはいけません。

 これこそ不滅の名盤という形容がふさわしい、クナッパーツブッシュ指揮による1962年バイロイト音楽

祭での『パルジファル』が、ついにSACD化された。神聖のヴェールで幾重にも覆われたワーグナー最後

の舞台作品。

その神秘性が相対化された現在にあってなお、強力な磁力を保持し続けているのがこの1962年盤だ。

縁のない深淵への旅にいざなう第1幕への前奏曲、グルネマンツが「ここでは時間が空間になるのだ」と

パルジファルに開示し、クナが呪術的な音響空間を屹立させる場面転換の音楽! 

「パルジファル」は仏教観の始まりではなく、集大成だったともいえる。

だがワーグナーはその先、インドを題材とし、ブッダを主人公にした楽劇「勝利者たち」を作曲する

つもりだった。散文草稿や断片がいくつか現存する。1883210日。

死の3日前のワーグナーは「かなうことなら、セイロン(現スリランカ)へ亡命したい」と漏らしたという。

 

ワーグナーと決裂した哲学者フリードリヒ・ニーチェは仏教への傾倒を「虚無主義」と切り捨てたが、

クプファー新演出の「パルジファル」をみる限り、ニーチェの批判は的外れに映る。キリスト教、仏教、

さらにイスラム教と世界には数多くの宗教が必ずしも相いれない状態で併存、時に文明の衝突を超え、

戦争に発展する。

ワーグナーの時代から今日に至るまで、

人類が究極の解決を持ち得ない問題について考えさせられる。ブラボー!