昔バロック音楽を聴き初めの頃『和声と創意への試み』12曲のヴァイオリン協奏曲集、
の冒頭の4曲、『四季』筆者も昔は、この曲を良く聴いたが何故か最近は聴かなくなっ
た。特に『四季』と言えばイ・ムジチの演奏するレコードを持っている友人も多くいた。
最近は全く聴いていなかったこの曲を検証してみることにしたが其の前にヴィヴァルデ
ィの事も述べる、
正式にはアントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi)又「赤毛
の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになった。
ヴィヴァルディは彼はまだ統一されていなかった頃のイタリアにあった「ヴェネツィア
共和国」に生まれました。今も「水の都」として有名なあのヴェネツィアです。
当時はイタリアの中でも貿易と海軍によって反映を築いていた都市国家で、9世紀に商
人が作ったのが始まりといわれております。そのためヨーロッパでは珍しく、建前だけ
でなく心の底から「教会より商売が大事!」と言っていたようなところです。
お金があるところには文化も育つわけで、ヴィヴァルディは父が理髪師兼ヴァイオリニ
ストだったため、楽器に触れる機会を得ました。当時の理髪師は外科手術を行うことも
あったそうなので、乱暴な言い方をすれば手先の器用さを受け継いだのかもしれません。
そんなわけであまり身分の高い人ではなかったので、生まれてからしばらくの間の記録
はハッキリしておりません。確実なのは、父からヴァイオリンの手解きと簡単な音楽の
知識を与えられていたこと、10歳で教会付属の学校に入ったことぐらいでしょうか。
当時のヨーロッパでは、音楽をやっていくためにスポンサーが不可欠。
聖職者であればコネを作るのも比較的簡単だったので、そのような道を選んだものと思わ
れます。ヴィヴァルディは頭もそこそこ良く、15歳で剃髪し、20代前半のうちに聖職者と
しての階級も上がっていきました。ただし、イル・プレーテ・ロッソ赤毛だったためにそ
れをからかうようなあだ名もつけられたそうです。
これまた日本人にはピンとこない話ですけれども、欧米圏ではかつて赤毛の人は体が弱い
という理由で差別やからかわれるのが当然という状況だったからです。
現代の有名人では、イギリスのヘンリー王子が「やや赤みがかった髪だから」という理由で、
学生時代におちょくられたといわれていますね。今ですらそんな状況ですから、ましてや何
百年も前の庶民なら尚更でしょう。
聖職者をおちょくるのは罰当たりだと思うんですけれども、あちらにはそういう概念がないの
でしょう。ヴィヴァルディは喘息らしき持病があり、ミサを執り行うのもやっとということが
珍しくなく、それも関係しているかもしれません。ただし、彼には能力的には優れたものがあり、
「病気なんだから無理してミサしなくていいよ」と教会からお達しが出て、教会勤めではなく在
俗の聖職者として生活することになりました。仏教でも在俗のまま出家することができますから、
多分それと似たような感じだったと思われます。そのまま在俗司祭として生きていたら、ヴィヴ
ァルディの名も曲も残ることはなかったでしょう。ここから彼はキリスト教の孤児院で音楽の先
生になり、作曲も行うようになっていきました。ただ、その生活は身体的な負担が大きく、ウィ
ーンの劇場にあった作曲家用の宿舎で突然亡くなってしまっています。どこか内臓を病んでいた
らしいといわれていますが、63歳という年齢のためか、さほど調査もされないまま埋葬されて
しまいました。
これには、当時のウィーン=オーストリア帝国自体が、作曲家に構っていられる状態ではなかった
ことも大きく影響しています。そんなわけで、偉大かつ人気を博した作曲家であったにもかかわら
ず、ヴィヴァルディは単なる一旅行者として、ウィーンの共同墓地に葬られてしまったのです。
しかもその70年ほど後に墓地を取り壊してウィーン工科大学が建てられてしまったため、今では墓
石の一つすらない状態。一応、大学の建物の一角に小さなプレートが取り付けられているそうですが、
いかにも申し訳程度のものです。いくら戦争中だからってあんまりな扱いじゃないですかね。
以前釣り好きの友人が癌で亡くなり、このアントニオ・ヴィヴァルディ作のスターバト・マーテル
(「母は悲しみにありき」)ヘ短調 RV.621を聴き心が浄化された事もある。
ヴィヴァルディ《スターバト・マーテル》アーフェ・ヘイニス
ヴィヴァルディも悩みの中で音楽が生まれた作曲家なんでしょう?やはり良い音楽は必要であるよう
です。
所詮これらの音楽を感じ取れるのはより良い装置があれば、その感性を受けやすい、其のため、より
良い装置に夢中になり、少しでも自分の部屋に合った装置が欲しくなるが法外な金銭が必要になるま
るで卵と鶏の様ですが、完結するには少しでも良い音楽を聴くことのようである。Bachの生まれる約
70年誕生したヴィヴァルディは悲しみの中から美しい曲が出来たのでしょう。
『和声と創意への試み』モルツィン伯爵ヴェンツェスラウに献呈され出版された12曲のヴァイオリン
協奏曲集の冒頭の1~4曲を便宜上与えられたタイトルであって、ヴィヴァルディ自身はこれら4曲に
「四季」という題名を与えていない。
いかにも日本の四季と重なり、特にイ・ムジチ合奏団の演奏が有名です。
筆者もこの演奏は昔から聴いていますが、物足りなさがあり最近は聴かなくなってしまった
MAX RICHTER マックス・リヒター1966年1月21日ドイツ・ハーメルン生まれ。
イングランド・ベッドフォードで育ち、エディンバラ大学と英国王立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、
フィレンツェでルチアーノ・ベリオに作曲を師事した。在学中の1989年、スティーヴ・ライヒ「6台の
ピアノ」を演奏するために6人組ピアノユニット「ピアノ・サーカス」を結成。
翌90年、同曲とテリー・ライリー「In C」をカップリングしたアルバムでアーゴ(現デッカ)レーベル
からデビュー、絶賛を博す。90年代後半から作曲家/アレンジャーとして活動を開始し、2002年にフル
・オーケストラを起用したソロ・デビューアルバム『Memoryhouse』をリリース。
四季にまつわるエレクトロニック・サウンドスケープ(電子的環境音楽)。
誰もが知るクラシック音楽の名曲、ヴィヴァルディの『四季』を再構築した2012年の作品(Deutsche
Grammophon )。以下のメイキングビデオにおいて「四季の楽譜から好きな部分を取り上げ、そこから
新しい要素を作っていくことは、素晴らしい原石から彫刻作品を仕上げるようだった」と振り返るリヒタ
ー氏は、「再構築の過程で、原作の音符(ノート)の4分の3は捨てたけれども、
それらの振舞(ジェスチャー)と形態(シェイプ)と肌理(テクスチャ)と迫力(ダイナミクス)は維持
した」と語っています。つまり「16~17世紀におけるミニマムミュージック的な側面を持つ」ヴィヴ
ァルディの作品のエッセンスを取り出して、実に快楽主義的なアプローチで再構築を行っています。ミニ
ル音楽というか、現代のエレクトロニカやポストロックに近い肌触りがあります。
なお、春、夏、秋、冬の後には、「Shadow 1~5」が収録されています。こちらは(多分)四季の楽譜を
より細かく分解して、並べて反復させたフェーズ・ミュージックで、聴けばわかりますが、とてもライヒ
です。背景に常に聞こえる鳥の鳴き声が、春夏秋冬の異なる光が生み出す、影のイメージを脳裏に浮かび
上がらせてくれます。
と云うコメントにに早速筆者も聴いてみるが、先日のブログでつぶやいたビートルズ発生の根はクラシック
音楽界の行詰りに発しているといか思えない感じに聴けた。
Recomposed by Max Richter: Vivaldi's Four Seasons - TitoMuñoz/DanielHope/EnsembleLPR
『ダニエル・ホープ、21世紀の『四季』を収めた最新アルバムを発表Daniel Hope (ダニエル・ホープ)
1974年、南アフリカ・ダーバン生まれのヴァイオリニスト。イギリスで育ち、10歳のときにゲイリー・
カーとTVで共演。翌年にはユーディ・メニューインに招かれドイツのTVで共演し、以来60回以上の共演
を重ねる。クラシックではとりわけ現代音楽の分野での評価が高いが、
ジャズ、ポピュラー、ワールド・ミュージックのアーティストとの共演も多く、多岐にわたる音楽活動を展
開。ラジオやTVの司会者も務める。2013年4月、ドイツ室内管との小品集『スフィアーズ-天球の音楽』
をリリースした。
このアルバムのメイン・コンセプトは、作曲家にとってのパラとうものですが、そこには、
ダニエル・ホープの一族のためにきた歴史への感覚も込められているのかしれません。
ダニエル・ホープの母方の祖父母は、ポツダムに暮らすユダヤ系ドイツ人だったたった今、
ナチから逃れて南アフリカに移住しますが、彼らの娘の夫となったアイルランドのカトリック教徒
であるダニエルの父が、アプト・ヘットなどに反対する本を出版すると、ダニーエルの一家は国外
退去を命じるられてイエギスに移住することがあります。
それはダニエルが生後に半年の1975年のことでした。その後、4歳以上ヴァイオリンを始める、
英国王立音楽大学と英国王立音楽院でザハール・ブロン他に師事.10歳でイギーリスのテレビに出演し、
コンラートバス奏者ゲーリー・カーとショスタコーヴィッチの作品を共演するなどどんな話題となり、
翌年にはメニュインの招きにより、ドイツのテレビでバルトークのデュオを共演、
これがきっかけとなってメニュインとは60回を越え共演を重ね、最後のコンサートにも出演しました。
ダニエル・ホープはソリストとしての活動のほか、室内楽に熱心で、
2002年からは歴史あるあるボザール・トリオのメンバーとなり、
2008年のグループ解散までプレスラー、メネセスらと共に名門トリオの有終の美を飾っています。
ヴィヴァルディ:「四季」
エイフェックス・ツイン、マックス・リヒター、チリー・ゴンザレス、
他ダニエル・ホープ、チューリッヒ室内管弦楽団才人ホップの「四季」、
クラッシックの新扉を開く12ヵ月!マックス・リヒター版「四季」のリコポーズが全世界で話題のホップが、
オリジナルのヴィヴァルディ「四季」と「季節」をテーマにしたクラッシックと
ポスト・クラッシカル系新作を1月~12月の順に選び出して録音しました。
と現代の革新を兼ね備えて1年を音で綴るアルバムです。
Part 1: Vivaldi 2 0. Daniel Hope spielt die 4 Jahreszeiten | 4 seasons | quattro stagioni | live
今や超売れっ子となったマックス・リヒター、ドイツの至宝と称されるニルス・フラム、グラミー受賞の
エイフェックス・ツイン、様々なジャングルのアーティストから厚い信用を寄せていているチリー・ゴンザレス。
最先端を行く天 アーティストの楽。心地よく洗練された珠玉。
確かに新しい試みの演奏である、かなりアバンギャルドに感じる演奏も聴くのも楽しみである。
新しいバロックファンも出来るような演奏は個人的には好感できる。
Part 2 - Vivaldi 2 0. Daniel Hope spielt die 4 Jahreszeiten | 4 seasons | quattro stagioni | live
久しぶりに最新のVivaldiヴィヴァルディを聴いたが録音状態が優れものです。
先日盛岡より久しぶりに合ったY君がおみやげにと頂いた盛岡の地酒、桜顔酒造の生原酒
先日は洋風のリゾットにワインのように頂きましたが、イマイチでした。
本日、型の良いワタリガニをスーパーで見つけ、生の蟹を自宅で茹で、
蟹を肴に早速頂く、呑口は上手く、やや甘口の感じがして飲みやすい、
少しするとお酒の辛口の旨さが口に広がり、蟹とは実に相性が良いようです。
此れは美味いお酒でした、やはり日本食に合うようです。本日総て飲み終わりました。ブラボー!