伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988、ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska) 至芸の演奏を聴く

2017年05月11日 | バロック音楽・オーディオ一般

音質は決して良くないが、演奏は間違いない、昔のブログを見ながら、淹れたての珈琲とワンダ・ランドフスカを聴く・・・

勿論イタリヤ協奏曲BWV971、ゴルトベルク変奏曲 BWV 988、平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV.870~893まるで此れがワンセットあるように楽しみ聴いてみました。

(昔、オーデオに凝ってた頃、一時は音楽そのものより、音にこだわり色々な回り道をしてきました、が現在今は、亡き先輩の名言が今でも頭に残ります。)

金ちゃん、やはりバッハは良いね!最近はこれで聞いてるんだとプレイヤー(蓄音機?)とイヤホンを見せる。音楽愛好家なんですね!

今この溢れるような情報量の多さの中で、どのような曲をどのような音楽家を知るかが大切で自分いとってテンポが合い、快く聞こえる事が大切に思えます。

Wanda Landowska plays Bach (1953)

特に今でもバッハの器楽曲はよく聞きます、当時と全く進歩がない筆者です。

当時知り合った悪友ともまだ色々音楽の話はしていますがね(笑)、最近この手の曲は圧倒的に優しいズザナ・ルージチコヴァーの演奏を耳にするが、ワンダ・ランドフスカの演奏はひと味違う。

何か一音一音大切にキッチリ演奏する様子が伺える、実は此れが大切なことではないだろうか?

特に感じるのは平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV.870~893の演奏です。

少しゆったり聴こえる、鍵盤の音を大事に出すって感じるのは、ワンダ・ランドフスカの演奏です。

五味康祐先生も、やはり如何に良い音楽を、特に若い内に名曲をと言ったが、当時若い頃には、何が良い曲で誰の指揮が良いのかもわからない状態でその頃夢中に、五味康介氏の本を読んだりして過ごした。

まさに青春時代でした、未だに其の頃の音楽を聞いて感激してるのも、何か教えられた事なのかもしれません。

でも演奏者が随分変わってきた事はそれだけ成長したのかも知れない。

只、ワンダ・ランドフスカの演奏は実に良いのだが音質に不満が出る。その中の演奏が良いから聴くのである。

そうです、昔筆者が、代理店時代に当時会社のカメラマンよりアドバイスをいただき、35mmのライカ、6×6のハッセルブラッド等色々試させていただき、ジナーP 4×5インチの大型カメラ等会社の機材等を見たり触ったりして、スタジオ撮影にも見学とテスト撮影にもお付合いしていただき、カメラはやはライカだと思った時代でした。

でも、最初に購入したのがヤシカのコンタックスを購入したが交換レンズが高額すぎた。

一眼レフも少し教わり彼のプライベートな時間に同行し、撮影会等にも出かけたりしていました、が撮影ではほとんどポジフイルム(コダックエクタクローム)とモノクロの撮影です。

モノクロのプリントは会社の暗室を使い自分で手焼きしてましたが、(フイルム費用・現像費用)何しろ懐具合が付いていけず途中から断念したのが事実なんです。

ですから今まで、ずっと胸の中で中途半端にしたことを燻り続けていました。

やはり趣味に妥協は存在しない。・・・・・・・

 憧れの 赤いロゴ (でもパナソニックのLEICAのレンズも相当高額ですが???)

そのような過去があり、もともとドイツのカメラLEICAファンでしたが、しかし実際購入の事を考えますと、現在の筆者にはLEICA購入には高価すぎ諦めていたのですが、色々検索しますとパナライカと言う選択技と自分の年齢での懐具合と相談し、購入に至りました。

今朝撮った庭の薔薇です、昨夜の雨の雫がいい感じに撮れてます。

 

パナライカはそんな名前はなく、パナソニックは、長年ライカとの提携で、ライカ銘のレンズを搭載したコンパクトデジタルカメラを発売してきた。

そして、フォーサーズ規格の最初の一眼レフDMC−L1のキットレンズとして「LEICA D VARIO ELMARIT 14-50mm/F2.8-3.5 ASPH.」をリリース。

筆者が最初に購入した交換レンズです。勿論今でも愛用してますが、欠点はレンズが重いことですかね!これ以降、ライカ銘の交換レンズを発売することとなった。

筆者はこのレンズを最初に購入しやはりパナライカのよさを体験しました。

撮って現像すると、何か違うんですよ写真にコクがあり、なんとなく艶っぽいんです。

五味先生風に言いますと、やはりあきませんね!やはりLEICAです。(笑)

現在撮影はRW2で撮影して保存して、写りの良いデーターはAdobePs6にて現像しJPGに変換してます。

RW2データーの良さは撮影したそのままの状態で保存ができるがデーターが重いのが難点です。

撮った時の状態が残せる事は有利ですが、AdobePsが無いと何も出来ない弱点はある。

JPGデーターは何度もコピーを繰り返すとデーターは劣化しますが、保存は小さなデーターで保存出来ます。

色々記事を読んでみると開発者インタビューで語られていた「LEICA銘で出す以上、一切の手抜きはありません」と言うのが頼もしい限り。やはり意気込みが違うんですね!

このレンズに合うカメラをお持ちの諸兄は、一度是非パナライカを使ってみてください。LEICAのよさがわかりますよ!

でも少し派手目で少し赤みが出るかもしれませんが、LEICAは好きです。

実はこのカメラとオーディオって実に似通った共通点があるようです。

色々な組み合わせで鳴らし方、撮り方があり実に興味不寛容です。

此処でYouTubeでランドフスカの配信があります、相当録音状態は良くはありませんが、音を大切にする演奏には敬意を称します。

バッハ:「ゴールドベルク変奏曲」(ランドフスカ、1945年6月録音)

良く見ると1945年6月録音です、勿論筆者の生まれる3年前です。でも不思議な事に今聴いても其処には素晴らしい演奏があるからです。

現在はCDをFLACファイルに変換して楽しんでますが(高額なCD再生装置不要?)確実に良い音で楽しめます。

当に現在の技術に恩恵を受けています。安価な製品でも良い音は得られます。

ソフト費用込みの約15,000円は安価、パイオニアBDR-XD05のCDライターに乾杯です。


夕暮れの江川海岸、海に続く電柱【木更津江川海岸】を撮ってみた。

2017年05月09日 | 写真撮影

最近カメラ記事が少ない、撮影は時々していますが、

仕上がりの良い物が余り無いようです。

もう一つは最近情報を見ると、交換レンズが欲しくなるのでなるべく見ないようにする・・・

久しぶりにパナソニック社の交換レンズを覗く、知らない間に随分増えています。

その中にLEICAの冠を被ったレンズが有り増えています。

多分此れ1本でなんとか補えそうな、

広角から望遠まで幅広い領域をカバーする標準ズーム

LEICA DG VARIO-ELMARIT 12-60mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S. 

F2.8の明るいレンズは興味あります。

それとレンズも標準で表すと24〜120mmと言った塩梅で使い勝手が良さそうなレンズだ!

後は広角大口径単焦点レンズの開放F値1.4「LEICA DG SUMMILUX」

それとレンズも明るい標準で表すと24mm。

LEICAの冠を被ったレンズは価格が普通のレンズの倍近くするのが大不満なんですが、

筆者はレンズはフォーサーズシステムで3本所有してますが、未だ現役です。

今回の撮影にも

LEICA D VARIO-ELMARIT 14-50mm / F2.8-3.5 ASPH. / MEGA O.I.S.と

LEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm / F3.5-5.6 ASPH. / MEGA O.I.S.の2本を持って行きました。

下の写真が今日の一番のできかな・・・・・・・・・??

最近連続シャターで撮ってますので予備のバッテリーは多めに持参しました。

「日本のウユニ塩湖」と呼ばれる江川海岸です。

江川海岸は千葉県木更津市にある潮干狩りのできる海岸です。

こちらには何と陸上から海へと向かって、ずーっと向こうの方までぽつんぽつんと電柱が建っているのです。

どうして海の中なのに電柱が有るのかというと、ここで採れる貝の密漁を防ぐ目的で監視施設があり、

そこへ送電する為なのだそうです。

そんな日本のウユニ塩湖、江川海岸ではとっても素敵な光景を見る事ができます。

東京湾アクアライン連絡道「木更津金田インターチェンジ」から国道409号経由で、

江川海岸までは約5km(約10分程度)の距離です。

急に思いたち、連休も終わり、渋滞もなく、晴天なのでロケハンと言う名目で、出かけて見ましたが、

中国より黄砂警報は出てる、意外と風も強い、 誠に条件は悪い、黄砂の為か視界も余りすぐれない。

又、夕凪で少しは風はなくなるかなと、思ったが、甘い!風は強かった!

すぐでは無いと思うが、電柱が撤去されるかもしれない!?

参考のために何時撮影に行けば良いのかの偵察です。

場所は2箇所あるようで海の中に続く電柱は異様な雰囲気です。

夕暮れと共に撮影する人は多く、やはり人気スポットなんでしょう。

現在江川海岸の海中電柱は、今では通電していません。

その為に上っても感電してしまう事はないのですが、もう30年以上は昔の電柱な事、

そして潮により劣化が進んでいる事で、倒れる危険性もあります。

危険性を考慮して「もしもゲートの中に侵入した者により何らかの事故が起こらない為に」、

電柱が撤去される可能性もあるのです。

夕暮時に遠くに見える電柱も印象的でした。

実は江川海岸以外にも、他の海岸でも海中電柱があったのですが、

そちらは既に撤去されてしまいました。

江川海岸の海中電柱も近い内に撤去が始まるかもしれません。

往復2時間で来られるところは、次は天気予報を参考に風の少ない晴天の時に再度江川海岸を撮影してみます。


アントニオ・ヤニグロのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲を聴く

2017年05月06日 | クラシック音楽・オーディオ

連休は何もせず終わろうとしている。

ネットサーフンをするとViolincello Solo BWV.1007-BWV.1012のお宝情報を見つける。

拙宅のタンノイⅢLZで鳴らすと意外と美音に聴けるチェロの音ですが、

不満はもう一声低域が出れば最高なんですが、 やはり弦の演奏はタンノイのスピーカーはやはり

別物のようです。

深みがあり黙らせてしまう。でももう少し良質な低域が鳴れば最高なのだが・・・・

筆者の愛用はOrtofon SPU G/GEだがヘッドアンプの良いものに交換するか、

セッチングも難しいと言われる、一度Deccaの音も聴きたい。

むしろ低音不足の解決方法は多分DeccaのMaroon使い聴けば不満は解消出来るのかも知れない。

Presence Audio: Maroon標準販売価格:各¥99,000(税別)高額な品です。

アームとの相性は未だ解決して無いので詳しい事は分かりませんが?是非とも手懐けたいものです。

低域は実に厄介な音でスピーカー以外に振動共鳴させると澄んだ低域は決して出ない事は今までの

経験で承知している。問題は、ビオラ、チェロ、コントラヴァスの違いが曖昧になりせっかくの好

演奏が聴けないこの辺りがオーディオマニアの腕の見せどころであろう。

特に古いスピーカー製品、箱鳴りで音を出す製品には注意したい。

昨日やっとMacProのビデオカードが直りアプリが使えるようになり早速写真の現像をしたが、

思い通りに色等お好み次第に出来自己満足して流石Leicaのレンズと思う、色が一味違うように

思う。

 

筆者が好きなバッハの曲にチェロ組曲がある、当時は単純な練習曲として忘れられていたが、

パブロ・カザルスによって再発掘されて以降、 チェリストの聖典的な作品と見なされるように

なった。今までチェロ組曲といえば、カザルス、フルニエ、シュタルケルなど聴いてきたが

アントニオ・ヤニグロ(Antonio Janigro)[1918-1989]は知らなかった。

アントニオ・ヤニグロはイタリアのミラノ生まれの、チェリスト、

指揮者、教育者。ドイツのエミール・ベルリナー・スタジオで、

ウェストミンスターオリジナルのマスター・テープを使用してアナログ・マスタリング、

ドイツのパラス社でプレスした180グラムの重量盤で発売しているようです。

 其処には、イタリアの名チェリスト、アントニオ・ヤニグロ[1918-1989]は、

ザグレブ合奏団を創設した指揮者としてよく知られており、

教育者としての活躍でも有名ですが、本来の姿はやはりチェリストです。

ヤニグロは1918年1月21日にイタリアのミラノで生まれます。6歳でピアノを学び始めた

彼は、8歳でチェロに転向し、 11歳のときに母の尽力であの有名なチェロの巨匠、

スペイン出身のパブロ・カザルスの個人レッスンを受け始め、

1934年からパリのエコールノルマル音楽院に留学します。

16歳でパリのエコール・ノルマル音楽院でカザルスとアレクサニアンに師事することと

なります。在学中からリパッティやコルトー、バドゥラ=スコダ、ティボーといった面々

と交流し、卒業後は同地でリサイタルなどをおこなっていたヤニグロですが、

21歳のときにザグレブ音楽院のチェロ科の教授に迎えられ、大戦中も含め、35歳までその

地位に留まりました。36歳になると彼はザグレブ合奏団を創設し、

指揮者およびチェリストとしてコンサートやレコーディングで大活躍します。

ザグレブ合奏団とは1967年まで活動を共にしていました。

この無伴奏チェロ組曲は、ヤニグロ36歳の時の力強い演奏を、

ウェストミンスターが生々しい音質でセッション録音したもので、

魅力的な歌いまわしと堅牢なフォルムを併せ持った見事な仕上がりとなっています。

と紹介しています。

幸いiTunesにも此のアルバムがあり早速耳を傾ける。

 J.S. Bach - Suites for cello solo - Antonio Janigro (1954)

 ミラノ音楽院を卒業後パリのエコール・ノルマルで

アレクサニアンとカザルスに師事したアントニオ・ヤニグロの演奏は凄く良い。

モノーラルの演奏ですが、チェロの膨らみにも深みがあり実に快く感じます。

音質は今聴いても実に瑞々しいものです。

筆者のライブラリーには加えたくレコード盤は高価なので、早速CDを注文しました。

1950年代には室内楽ばかりでなく協奏曲でもスケールの大きさと技巧のゆとりを示したヤニグロ

ですが、1960年代に左腕の神経障害を発症してからは、徐々に指揮や教育活動に比重を移してゆ

きました。そのため、ステレオ録音は僅かしか残っておらず、

バッハの無伴奏チェロ組曲もステレオ再録音を果たすことなく亡くなりました。

この米ウエストミンスター盤は彼の全盛期の芸術を捉えたかけがえの無い記録、ということができ

ます。またモノラル録音ですが、音質は今聴いても実に瑞々しいものです。実に堂々として

音域も広く、当にゆったりノビノビ奏でる実にバッハのチェロが満喫出来ます。

お宝発見!バッハ・ファンなら聴いてみたくなる一枚のチェロ組曲です。ブラボー!


J.S.バッハ鍵盤楽器、6つのパルティータ(BWV825-830)の考察。

2017年05月03日 | クラシック音楽・オーディオ

今年のGWはやけに交通渋滞が凄い、朝から釣りのオフ会に出かけたが、余りの渋滞にUターンをしました。釣仲間の顔も見たかったが、到着する頃には終わってしまうだろう・・・

庭には菖蒲の花が咲いています。此の色が咲くと家の菖蒲の花は終わります。

家の前のお宅はピアノをお稽古してる先生で何時もピアノの音がするが、バイエルの教材が多いようです。なぜピアノのお稽古にバイエルを教えるのか疑問だ!

昔我が娘が子供の頃は自宅の10畳の居間にヤマハ製の一番小さなグランドピアノあり、僕のステレオ装置も同じ部屋に置いてあり、ピアノの先生が週一度教えに来ていた。その部屋と小さなグランドピアノの相性がよかったのか?ピアノの響きの良い音が鳴る、先生の家のグランドピアノより良かった。

ピアノの先生も僕に娘さんに教える曲を尋ねられた事があり、即答した覚えがある、ゴルトベルク変奏曲のアリアだけでもとお願いして聴いた覚えがあります。なんとかアリアは聴かせて頂いた事が記憶にあります。

でも今でしたら、間違いなくパルティータBWV 830と言うんでしょうね。調べて見ると、6つのパルティータ(BWV825-830)は、《クラヴィーア練習曲》という鍵盤楽曲集シリーズの第一弾として出版された組曲集である。

バッハは1726年から1730年にかけてこのパルティータを1つづつ刊行してきたが、1731年に全曲まとめて再版した際に『作品1』と記した。当時46歳のバッハにとっては、初めての大掛りな出版であったため、彼の人生にとって深い意味があったようだ。

バッハは生前からドイツを代表するオルガン・チェンバロの名手としてその名を広く轟かせていた。

1723年にライプツィヒのトーマス・カントル(聖トーマス教会附属学校の音楽担当教師)および市の音楽監督として就任してからのバッハは、少なくとも最初の3年間はその激務に殆ど埋没していたようだ。

その多忙を極める彼が職務とは直接関係のないクラヴィーア曲の出版を思い立った背景には、ヴィルトオーゾ演奏家としてのプライドと作曲家としての自信があったことが察せられよう。

特に1717年のフランス人・マルシャンとのドレスデン競演はバッハの死後も広く語り継がれるほど有名なエピソードであったし、作曲面でも家族や弟子らのために、《インヴェンションとシンフォニア》や《平均律クラヴィーア曲集》のような対位法を基調とした体系的で優れた教本から、当世風の舞曲を扱った《イギリス組曲》や《フランス組曲》まで幅広く書いていたことは周知の通りである。

それが故、バッハのパルティータ出版には歴史的必然性が漂う。当時の出版事業は現代の私たちの予想をはるかに越える費用と労力が必要であったが、そこへの飛躍への決断の重さがこの曲集の内容と性格にも明確に反映している。

 

バッハはここから《クラヴィーア練習曲》という名称、個々のパルティータという曲名、それに楽曲構成を踏襲した。また、この表題に記された「音楽愛好家の心を楽しませるために」というくだりは、当時の消費者の趣向を念頭において作曲した事を示唆する。この頃のバッハは、宮廷都市ドレスデンの音楽家や音楽事情からの強い刺激もあり、モダンでファッショナブルであったイタリアとフランスの様式を積極的に収したが、このパルティータにそれが顕著に反映している。

この曲集の出版により、クラヴィーア曲の作曲家としてのバッハの名声は定着したようだ。

1802年に出版された初のバッハ伝で、フォルケルは「この作品は当時の音楽界に大きなインパクトを与えた。このようなすばらしいクラヴィーア曲はかつてなかった。この曲集からいくつかを学び、よく演奏できた者は誰でもこの世界で成功することができた」とまで言っている。

しかし、バッハと同時代に生きたマテゾン(1731)、ゴットシェド(1732)

ミツラー(1738)によれば、パルティータはその演奏技巧の難しさで有名であったらしい。

 Silent Tone Record/バッハ:パルティータ3BWV.827

6BWV.830/ロザリン・テューレック/HMVALP 1692/クラシックLP専門店サイレント・トーン・レコード

音楽を趣味とする新しい中流階級が生まれ、それに伴い鍵盤楽器がリュートに代わって家庭の楽器としての地位を確保した18世紀にあって、バッハのパルティータは彼の指を基準に書かれた。

芸術に対しては譲歩したくなかったのであろう。バッハのパルティータには、数曲の初期稿とオリジナル出版譜が現存するが、それらを詳しく比較すると、曲名、配置から細かい音符や演奏記号まで、様々な違いが認められる。

特に重要なのは、バッハの手元に置かれていた1731年の集成版で、バッハの手書きの修正・改訂個所が多くを示唆する。詳しくは、新バッハ全集の批判校訂報告(1978・補遺1997年)を参照して頂きたいが、それらを根気強く体系的に研究して行くと、バッハがある段階から次へと何を考え、曲が更に効果的に演奏されるためには、どうすべきであったのか、などがバッハの視点から見えてくる。

数少ない演奏記号(スラー、スタッカート)の解読を含めて、バッハの記譜をどう読むべきか、といった識見も、そこから生まれてくる。

この曲は前にも掲載していますが世界的鍵盤楽器奏者ピヒト=アクセンフェルトが到達した比類なき高み2001年、87歳で他界した偉大なピアノ、チェンバロ奏者であり、バッハ:パルティータは彼女の奏でる曲が多いと聞いた。素人が聴いてもとても練習曲とは思えない。当時の事情は知らないが、音楽家は楽譜を売って生活していた?

教育者としても20世紀の音楽界に大きな足跡を遺したエディット・ピヒト=アクセンフェルト。バッハの譜面のすみずみまで熟知したエキスパートである彼女が高度な技術でエレガントに奏でる比類のない音色は、どこまでも暖かく聴くものをやさしく包み込みます。

この曲は彼女が亡くなったあとにプレスされたものであるが、実にキレが良く好演奏です。また音質も上質なとことも良い。

今回のお薦めはズザナ・ルージチコヴァーのCD全集の中にこの6つのパルティータを聴く、又これが実にバランスが良く、心温くずっと聴いていたい気持ち人させるのは流石です。勿論FLACFLACにて聴くが本日はタンノイⅢLZとKEFQ300で聴いてみたが、全体のバランスではKEFの音が工合よく聴こえる。特にチェンバロ独特の透き通る高音はぐわいが良く出る。

ピヒト=アクセンフェルトと比べるとルージチコヴァーが音が柔らかでこれはタンノイが優れているのか・・・?演奏自身も、実に優しく包みこくような柔らかさがあり、安心して音楽の中に入ることが出来る。

特に、パルティータBWV830は最高傑作だとも思う。

しかし筆者も浮気性でロザリン・テューレックのピアノ演奏も好きで此の曲はKEFがすこぶる良いチェンバロでは気がつかないピアノのぺたるを踏んだ感じが良くわかる!

安価なKEFQ300でも分かるのが凄い!やはり銘器程鳴らすのは難しいようです。特にアンプ、カートリッジ、MCアンプ等のバランスは大切です、でもタンノイⅢLZは意外と能率が高いため、10Wクラスの音でもよく鳴ると思います。

昔ステレオサウンド誌でタンノイⅢLZ、ラックス38、オルトフォンの組み合わせを黄金の組み合わせと言ったそうだが、現代でもまだ通用するようですが、筆者はこの組み合わせ以外で完成したいですね!特にオーディオ機材は回転を要する起動部分がある、CD、レコードプレイヤー、テープデッキ等は除き、古い機材も現在でも十分通用する機材は多く、特に真空管アンプ等はコンデンサーの交換で蘇ると聞く。

そしてパルティータBWV826の演奏しか無く残念ですが、聴くと理解できる、流石です。

マリア・マルタ・アルゲリッチ(Maria Martha Argerich)はアルゼンチンのブエノスアイレス出身のピアニスト。現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けているピアニストの一人である。

彼女の弾く曲も良い、彼女のパルティータ全集があれば是非聴きたい。

バッハの鍵盤楽器の演奏もピアノで聴くのも良い、ブラボー!

やはりStan Getz & Charlie Byrdは最高です、今日はヴォサノバを聴く。

2017年05月01日 | JAZZ・ボサノヴァ

もう5月です。やっと仕事も終わり連休の始まりです(笑)

庭のサクランボの実も付け後一ヶ月で今年も折り返し、実に月日の流れに驚く!

中々実がならない佐藤錦です。

夏物を出そうと納戸から荷持を取出すと、昔のレコードが出てくる、殆どclassic特にバロックが多いの中で、

150枚程はjazz、Bossa Novaのレコードは処分したが、処分出来なかった2〜30枚程残っているその中に

ヴォサノバの名盤中の『名盤』Stan Getz & Charlie Byrdがありました。

お気に入りのジャズ・サンバ発見!

此の曲きいて好きになったBossa Novaの曲、なんてお洒落なリズムでしょう。

Jazz Samba1962年に Verve Recordsによってリリースされた

Stan Getz Charlie Byrdのボサノバアルバムです。

Jazz Sambaはアメリカでボサノバ流行の始まりを示しました。

Stan Getzがソリストとして活躍し、1961年にブラジルをツアー中にボサノバを聴いた

Charlie Byrdによってトラックがアレンジされました。

思うと55年前の事ですが、筆者が購入したのは。40年前でした。今まで余り馴染みのないポルトガル語で歌う音楽。

勿論今聴いても、輝きは微塵も薄れなく、再生装置が良くなったせいか、むしろ実に良い演奏です。

それと聴く装置はKEF等のヨーロッパのラッパで聴いたのがよりオシャレ感が引き出されるかも知れません。

 

Desafinado → LP Jazz Samba (Stan Getz & Charlie Byrd)

 

親善大使の一員としてブラジルへ渡ったアメリカ人ギタリスト、チャーリー・バードがボサノヴァという音楽に魅了され、

帰国後テナーサックス奏者のスタン・ゲッツと吹き込んだジャズミュージシャンによるはじめてのボサノヴァアルバム。

アフロキューバン的なノリが混在するなど、リズム面でちぐはぐなところがあるものの、

後のジャズサンバ誕生の契機ともなった大名盤でその歴史的な価値は極めて高い。

なによりDesafinardoO Patoにおける演奏は、ただただ感動的。

ボサノヴァ/ジャズサンバの誕生云々を抜きにして必聴に値する名演である。

そしてヴォサノバの名盤 ゲッツ/ジルベルト(以前紹介済) に繋がっていく。

レコード裏面このほとんど白地のジャケットがオシャレでしょう。

ボッサノバは、1950年代後半にブラジルで登場した新しいタイプのサンバでした。

ギタリストJoãoGilbertoはジャンルのリズミカルな複雑さを取り、それを裸の必需品に託し、

それをギターの伝染性のリズムである別の種類のビートに変えました。

一方、彼の歌は柔らかく、滑らかで、正確でビブラートはありませんでした。

ギターのモチーフに対する歌声をシンコペートしているため、

ボイスとギターの両方が同時に旋律的であり、リズムが強かった。

一方、ボサのコードはジャズやクラシック音楽の影響を受けて複雑であった。

ジャンルの偉大な作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)は、

自身の調和的な独創性を付け加えました。

 

米国の最初のボサ・アルバムは1961年にCapitol RecordsがブラジルのBrilliantJoãoGilbertoとしてリリースした

JoãoGilbertoLP O AmorSorriso ea Flor だった。

アメリカの観衆はまだポルトガルでジルベルトの囁かれた声で歌われている純粋なボサノバの準備ができていませんでした。

しかし、チャールズ・バード・トリオは、米国国務省がスポンサーとなったその年、ブラジルをツアーしていました。

ジルベルトのアルバムを聞いた時、彼らは全く違った反応を示しました。

バード、ドラマー、バディ・デッペンシュミット、ベーシスト、ケーター・ベッツは、新しいスタイルに夢中になった。

 

Deppenschmidtによると、彼はトリオがボサノバのアルバムを録音し、

彼とベッツはバードがそれをやるよう説得しようと数ヶ月を費やしたことを最初に示唆した。

Elana ByrdCharlie Byrdの姉の法律)によると、Charlieの妻Ginnyのアイデアだった。

バードは最終的にスタンダード・ゲッツとボッサ・ソングの共同アルバムを演奏し、ジルベルトのレコードを演奏した。

ゲッツは音楽とコンセプトが好きだった。彼はそれを緑の光を与えた、VerveARエグゼクティブCreed Taylorに行った。

 

バードとゲッツはボサノバの曲のアルバムをリリースした最初のアメリカ人でした。

バードは曲を選んで、ミュージシャンに提供し、準備をし、録音セッションを設定しました。

ゲッツは、アルバムを制作したVerveTaylorと一緒に、ニューヨークからワシントンDCに飛んでいった。

ジャズ・サンバは1962213日、バディ、ケーター、ドラマーBill Reichenbach

ギタリスト/ベーシストJoeGeneByrdと共に、DCAll Souls Unitarian教会で約2時間で録音されました。

歴史的瞬間ジャズ・サンバの誕生です。現在はヴォサノバ。

その後、ゲッツは麻薬に代わってアルコール依存に悩まされつつも演奏活動を精力的に続け、

癌との闘病生活を続けた末に1991年6月6日肝臓癌により亡くなった。

今聴いても新鮮で此れほどバランスの良い演奏は見当たらないようです。

筆者も此のアルバムを聴きだしもう40年も聴き続けていますが、未だ飽きなく、良く聴くアルバムです。

ヴォサノバは好きで良く新譜等は覗くが、未だ此の演奏者を超える物が無いのが残念です。