伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

J.S.バッハ鍵盤楽器、6つのパルティータ(BWV825-830)の考察。

2017年05月03日 | クラシック音楽・オーディオ

今年のGWはやけに交通渋滞が凄い、朝から釣りのオフ会に出かけたが、余りの渋滞にUターンをしました。釣仲間の顔も見たかったが、到着する頃には終わってしまうだろう・・・

庭には菖蒲の花が咲いています。此の色が咲くと家の菖蒲の花は終わります。

家の前のお宅はピアノをお稽古してる先生で何時もピアノの音がするが、バイエルの教材が多いようです。なぜピアノのお稽古にバイエルを教えるのか疑問だ!

昔我が娘が子供の頃は自宅の10畳の居間にヤマハ製の一番小さなグランドピアノあり、僕のステレオ装置も同じ部屋に置いてあり、ピアノの先生が週一度教えに来ていた。その部屋と小さなグランドピアノの相性がよかったのか?ピアノの響きの良い音が鳴る、先生の家のグランドピアノより良かった。

ピアノの先生も僕に娘さんに教える曲を尋ねられた事があり、即答した覚えがある、ゴルトベルク変奏曲のアリアだけでもとお願いして聴いた覚えがあります。なんとかアリアは聴かせて頂いた事が記憶にあります。

でも今でしたら、間違いなくパルティータBWV 830と言うんでしょうね。調べて見ると、6つのパルティータ(BWV825-830)は、《クラヴィーア練習曲》という鍵盤楽曲集シリーズの第一弾として出版された組曲集である。

バッハは1726年から1730年にかけてこのパルティータを1つづつ刊行してきたが、1731年に全曲まとめて再版した際に『作品1』と記した。当時46歳のバッハにとっては、初めての大掛りな出版であったため、彼の人生にとって深い意味があったようだ。

バッハは生前からドイツを代表するオルガン・チェンバロの名手としてその名を広く轟かせていた。

1723年にライプツィヒのトーマス・カントル(聖トーマス教会附属学校の音楽担当教師)および市の音楽監督として就任してからのバッハは、少なくとも最初の3年間はその激務に殆ど埋没していたようだ。

その多忙を極める彼が職務とは直接関係のないクラヴィーア曲の出版を思い立った背景には、ヴィルトオーゾ演奏家としてのプライドと作曲家としての自信があったことが察せられよう。

特に1717年のフランス人・マルシャンとのドレスデン競演はバッハの死後も広く語り継がれるほど有名なエピソードであったし、作曲面でも家族や弟子らのために、《インヴェンションとシンフォニア》や《平均律クラヴィーア曲集》のような対位法を基調とした体系的で優れた教本から、当世風の舞曲を扱った《イギリス組曲》や《フランス組曲》まで幅広く書いていたことは周知の通りである。

それが故、バッハのパルティータ出版には歴史的必然性が漂う。当時の出版事業は現代の私たちの予想をはるかに越える費用と労力が必要であったが、そこへの飛躍への決断の重さがこの曲集の内容と性格にも明確に反映している。

 

バッハはここから《クラヴィーア練習曲》という名称、個々のパルティータという曲名、それに楽曲構成を踏襲した。また、この表題に記された「音楽愛好家の心を楽しませるために」というくだりは、当時の消費者の趣向を念頭において作曲した事を示唆する。この頃のバッハは、宮廷都市ドレスデンの音楽家や音楽事情からの強い刺激もあり、モダンでファッショナブルであったイタリアとフランスの様式を積極的に収したが、このパルティータにそれが顕著に反映している。

この曲集の出版により、クラヴィーア曲の作曲家としてのバッハの名声は定着したようだ。

1802年に出版された初のバッハ伝で、フォルケルは「この作品は当時の音楽界に大きなインパクトを与えた。このようなすばらしいクラヴィーア曲はかつてなかった。この曲集からいくつかを学び、よく演奏できた者は誰でもこの世界で成功することができた」とまで言っている。

しかし、バッハと同時代に生きたマテゾン(1731)、ゴットシェド(1732)

ミツラー(1738)によれば、パルティータはその演奏技巧の難しさで有名であったらしい。

 Silent Tone Record/バッハ:パルティータ3BWV.827

6BWV.830/ロザリン・テューレック/HMVALP 1692/クラシックLP専門店サイレント・トーン・レコード

音楽を趣味とする新しい中流階級が生まれ、それに伴い鍵盤楽器がリュートに代わって家庭の楽器としての地位を確保した18世紀にあって、バッハのパルティータは彼の指を基準に書かれた。

芸術に対しては譲歩したくなかったのであろう。バッハのパルティータには、数曲の初期稿とオリジナル出版譜が現存するが、それらを詳しく比較すると、曲名、配置から細かい音符や演奏記号まで、様々な違いが認められる。

特に重要なのは、バッハの手元に置かれていた1731年の集成版で、バッハの手書きの修正・改訂個所が多くを示唆する。詳しくは、新バッハ全集の批判校訂報告(1978・補遺1997年)を参照して頂きたいが、それらを根気強く体系的に研究して行くと、バッハがある段階から次へと何を考え、曲が更に効果的に演奏されるためには、どうすべきであったのか、などがバッハの視点から見えてくる。

数少ない演奏記号(スラー、スタッカート)の解読を含めて、バッハの記譜をどう読むべきか、といった識見も、そこから生まれてくる。

この曲は前にも掲載していますが世界的鍵盤楽器奏者ピヒト=アクセンフェルトが到達した比類なき高み2001年、87歳で他界した偉大なピアノ、チェンバロ奏者であり、バッハ:パルティータは彼女の奏でる曲が多いと聞いた。素人が聴いてもとても練習曲とは思えない。当時の事情は知らないが、音楽家は楽譜を売って生活していた?

教育者としても20世紀の音楽界に大きな足跡を遺したエディット・ピヒト=アクセンフェルト。バッハの譜面のすみずみまで熟知したエキスパートである彼女が高度な技術でエレガントに奏でる比類のない音色は、どこまでも暖かく聴くものをやさしく包み込みます。

この曲は彼女が亡くなったあとにプレスされたものであるが、実にキレが良く好演奏です。また音質も上質なとことも良い。

今回のお薦めはズザナ・ルージチコヴァーのCD全集の中にこの6つのパルティータを聴く、又これが実にバランスが良く、心温くずっと聴いていたい気持ち人させるのは流石です。勿論FLACFLACにて聴くが本日はタンノイⅢLZとKEFQ300で聴いてみたが、全体のバランスではKEFの音が工合よく聴こえる。特にチェンバロ独特の透き通る高音はぐわいが良く出る。

ピヒト=アクセンフェルトと比べるとルージチコヴァーが音が柔らかでこれはタンノイが優れているのか・・・?演奏自身も、実に優しく包みこくような柔らかさがあり、安心して音楽の中に入ることが出来る。

特に、パルティータBWV830は最高傑作だとも思う。

しかし筆者も浮気性でロザリン・テューレックのピアノ演奏も好きで此の曲はKEFがすこぶる良いチェンバロでは気がつかないピアノのぺたるを踏んだ感じが良くわかる!

安価なKEFQ300でも分かるのが凄い!やはり銘器程鳴らすのは難しいようです。特にアンプ、カートリッジ、MCアンプ等のバランスは大切です、でもタンノイⅢLZは意外と能率が高いため、10Wクラスの音でもよく鳴ると思います。

昔ステレオサウンド誌でタンノイⅢLZ、ラックス38、オルトフォンの組み合わせを黄金の組み合わせと言ったそうだが、現代でもまだ通用するようですが、筆者はこの組み合わせ以外で完成したいですね!特にオーディオ機材は回転を要する起動部分がある、CD、レコードプレイヤー、テープデッキ等は除き、古い機材も現在でも十分通用する機材は多く、特に真空管アンプ等はコンデンサーの交換で蘇ると聞く。

そしてパルティータBWV826の演奏しか無く残念ですが、聴くと理解できる、流石です。

マリア・マルタ・アルゲリッチ(Maria Martha Argerich)はアルゼンチンのブエノスアイレス出身のピアニスト。現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けているピアニストの一人である。

彼女の弾く曲も良い、彼女のパルティータ全集があれば是非聴きたい。

バッハの鍵盤楽器の演奏もピアノで聴くのも良い、ブラボー!