昨日盛岡から友人IB君が突然東京出張でやってきた。
実に久しぶりの再開で、彼の東京での仕事も午後2時ころには終了し、銀座で再開、軽くお茶して、帰り時間を聞くと、16時近くの新幹線で帰ると言うそこで八重洲地下街のライオンでビールで乾杯、勿論筆者より少し若いが同じ老人である。
最近再就職して落ち着き始めたようだ、勿論筆者もそうだが、年金生活では暮らして行けない老人は多いようである。
IB君の顔が少し良くなった感じがする。やはり、生活の安定さが顔にでるようだ!彼は以前東芝音響事業部で活躍していた頃の顔付に戻り、若やいだように感じた。
益々年金対象の老人は増え、年々年金も少なく、生活苦の貧困老人が増加していく、その先の社会保障はやがて崩壊するのだろうか?今や75歳までは、働かないと食えない老人が多くなるのだろう。
最近、現在筆者は足の脹脛が痒く、乾燥肌と診断され、全身に油不足のためメンテナンス中、当に老人病である。
共通点は音楽の話、最近の仕事の話などで、ビールを頂きながら、時間は経過する。16時少し前にお店を後にして、次はゆっくり来てくれの言葉を残し盛岡に戻る。
筆者も又今週は後半から仕事の予定はあり、最近購入のCDの内容を確かめた。
先日購入したワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)の中にインヴェンションとシンフォニアがある。
勿論音質は、聴くとやや落ちるが音楽性は素晴らしく、BWV 772-801 BWV787-801の30曲がある。
ピアノを習う人ならば、誰もが一度は弾いたことがあるに違いない、ピアノ学習者の教材に利用されることが多い作品です。
1723年にバッハ自身によって浄書された楽譜の序文は以下のようにあります。
「クラヴィーア愛好家、とりわけ学習希望者が、2声部をきれいに演奏するだけでなく、さらに上達したならば、3声部を正しくそして上手に処理し、それと同時にすぐれた楽想(inventiones)を身につけて、しかもそれを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレの奏法を習得し、それとともに作曲の予備知識を得るための、明瞭な方法を示す正しい手引きである。
勿論この曲は練習曲であることが分かるが、ワンダ・ランドフスカの演奏は感動を覚える。
今まで色々な演奏家で聴いた演奏なのに、完成度という点で勝っている。勿論最近筆者の定番のIIILZ in Cabinetにトーレンスの銀線RCAケーブルと、スピーカーケーブルはWestern Electric15GA(撚り線)single(緑)に繋いで聴きだす。
YouTubeの配信が無いので平均律をお聴きください。
Wanda Landowska plays WTC Bach The Well Tempered Clavier, Book 1 (Harpsichord)
二つの小曲集《インヴェンション》と《シンフォニア》は、共に15曲から構成されているが、その構成内容とバッハの意図するところも探ってみる価値があろう。
まず、どちらもハ長調で始まり、それぞれの調の主音が半音階を上行するかたちでアレンジされており、同じ調の重複が意識的に避けられているところに注目されたい。
同じ主音上に長調と短調が両方存在する場合には、《平均律クラヴィーア曲集》の場合と同様に、長調が先に来るように配置されている。
このように、《インヴェンション》と《シンフォニア》は同時期に書かれた《平均律》とよく似た構造を呈している。
似ていない所はといえば、24全ての調を網羅せず、「15の調」のみを採用していること、それからプレリュードとフーガに見られる「対の概念」がここでは別の次元に据えられていることであろう。
とりわけ重要なのは、バッハはどういう考えをもって「15の調」を選択したのかということである。
これは、フリーデマンの音楽帳に含まれる初期の稿に戻って考察を進める必要がある。
この曲集はすでに見てきたように、バッハが長男の音楽教育をある程度推進してきた段階で、より高度で体系的な曲集を念頭に置つつ構築していった結果の賜物である。その体系化という目標に《平均律》で可能性を探究した「調」がここに対象として含まれることになったと見てよいであろう。
実際、この15の調は、マテゾンが著書「新設のオーケストラ」(1713年)で解説した16の調のはじめの15であることもその大きな根拠である。つまり、当時非常に稀にしか用いられなかった調にあたっては、バッハはここで割愛したのである。
成立過程を共にするこれらの教育的作品には、その元になる神学的概念に繋がりがあってもおかしくない。
かなり大胆な仮説ではあるが、それは曲集に組み込まれた数象徴に潜んでいると考えている。まず、《平均律》の24という数字であるが、ここではヨハネの黙示録に出てくる御座の回りにある24の座と長老たちを示すと解釈されうる。
それに対し、《インヴェンションとシンフォニア》の曲数の示す30は、イエスが福音を広めるために出家するまで人間として基礎を学んだ30年を示していると解釈すると筋が通る。
つまり、バッハは、神学的意義を内包する2つの聖数を通して、教育の過程を一人前の音楽家になるための基礎作りをすることと、一応の基本的な教育を終了した者が学習に喜びを見出し神の栄光のために更なる研鑚を積むための修行することとに分け、それを曲数で象徴的に表したと見ることができる。バッハは研鑚の意義と神の賛美をここに体現化したのである。
インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801(Inventionen und Sinfonien BWV 772-801)
ライプツィヒ時代には教育目的のクラヴィーア曲が多数作曲された。
長男のために編まれたヴェルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集(Klavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach)」(1720年頃)の後半部に初稿がある。
なお、同書の前半部には平均律クラヴィーア曲集第1巻(1722年)の初稿が含まれる。
初稿の曲名は「プレアンブルム」(Praeambulum, 32-46曲, 36-51頁)と「ファンタジア」(Fantasia, 49-62曲, 58-73頁, 72-73頁散逸)だった。
3声のインヴェンション(シンフォニア) 15 Three-Part Inventions (Sinfonia), BWV787-801(1720-1723年)。『2声のインヴェンション』と同様に長男の練習用に書いた3声の作品を集めたもの。
W.F.バッハのためのクラヴィーア小品集』に収められている。バッハの自筆譜では“シンフォニア”と題されている。
今回筆者の大好きな鍵盤楽器をIIILZ in Cabinetで聴いたが、音量は話し声が聴こえる程度のボリュームで聴くには不満は感じなく、むしろ大変いい塩梅に聴ける、ただしグランドピアノの得も知れない低域には不満は感じるが普段聴くには此の程度の音が聴けるのなら満足しなければならないであろう。
エディット・ピヒト=アクセンフェルト(Edith Picht-Axenfeld)の演奏が一番基本的な感じで誰も聴きやすい、アンジェラ・ヒューイット(Angela Hewitt)ズザナ・ルージチコヴァー(Zuzana Růžičková )の演奏は少し早めです。
特にルージチコヴァーを聴くと女性らしさが伝わって来ます。
グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)はやはりこれは外せない演奏ケネス・ギルバート(Kenneth Gilbert)は好きなテンポの演奏を聴かせてくれる。
最新のキアラ・マッシーニ( Chiara Massini)も良いテンポの演奏、今後楽しみな演奏家である。
又彼女の事は別の機会に詳しく述べてみます。
彼女の場合はデーター配信が多く、CD盤が少ないようです。
Chiara Massini - J.S. Bach, Zweistimmige Inventionen (BWV 772-778) -Teil I
誠に残念ながら、ランドフスカの演奏のYouTubeの配信はありませんが、そして今まで聴けなかったワンダ・ランドフスカの演奏を聴くと・・・後何も書けない・・・・衝撃的でした。
少し古さはあるが、実に素晴らしい演奏である。このCD盤は音質も良くなっているようです。
最新の《インヴェンション》と《シンフォニア》と言えば上記紹介のキアラ・マッシーニ( Chiara Massini)も聴きやすいが、やはり筆者は少し前のエディット・ピヒト=アクセンフェルトを聴くことが多い、しかし今回購入のワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)の《インヴェンション》と《シンフォニア》には久しぶりの感動を覚えた・・・・・・・・宝物は一つ増えました。
今回ワンダ・ランドフスカを聴きやはり上には上があると染み染み感ずる!ブラボー!