伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

Wanda LandowskaのBach.Inventionen und Sinfonien BWV 772-801の考察。

2017年11月15日 | バロック音楽・オーディオ一般

昨日盛岡から友人IB君が突然東京出張でやってきた。

実に久しぶりの再開で、彼の東京での仕事も午後2時ころには終了し、銀座で再開、軽くお茶して、帰り時間を聞くと、16時近くの新幹線で帰ると言うそこで八重洲地下街のライオンでビールで乾杯、勿論筆者より少し若いが同じ老人である。

最近再就職して落ち着き始めたようだ、勿論筆者もそうだが、年金生活では暮らして行けない老人は多いようである。

IB君の顔が少し良くなった感じがする。やはり、生活の安定さが顔にでるようだ!彼は以前東芝音響事業部で活躍していた頃の顔付に戻り、若やいだように感じた。

益々年金対象の老人は増え、年々年金も少なく、生活苦の貧困老人が増加していく、その先の社会保障はやがて崩壊するのだろうか?今や75歳までは、働かないと食えない老人が多くなるのだろう。

最近、現在筆者は足の脹脛が痒く、乾燥肌と診断され、全身に油不足のためメンテナンス中、当に老人病である。

共通点は音楽の話、最近の仕事の話などで、ビールを頂きながら、時間は経過する。16時少し前にお店を後にして、次はゆっくり来てくれの言葉を残し盛岡に戻る。

 

筆者も又今週は後半から仕事の予定はあり、最近購入のCDの内容を確かめた。

 

先日購入したワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)の中にインヴェンションとシンフォニアがある。

勿論音質は、聴くとやや落ちるが音楽性は素晴らしく、BWV 772-801 BWV787-80130曲がある。

ピアノを習う人ならば、誰もが一度は弾いたことがあるに違いない、ピアノ学習者の教材に利用されることが多い作品です。

1723年にバッハ自身によって浄書された楽譜の序文は以下のようにあります。
 
「クラヴィーア愛好家、とりわけ学習希望者が、2声部をきれいに演奏するだけでなく、さらに上達したならば、3声部を正しくそして上手に処理し、それと同時にすぐれた楽想(inventiones)を身につけて、しかもそれを巧みに展開すること、そしてとりわけカンタービレの奏法を習得し、それとともに作曲の予備知識を得るための、明瞭な方法を示す正しい手引きである。

勿論この曲は練習曲であることが分かるが、ワンダ・ランドフスカの演奏は感動を覚える。

今まで色々な演奏家で聴いた演奏なのに、完成度という点で勝っている。勿論最近筆者の定番のIIILZ in Cabinetにトーレンスの銀線RCAケーブルと、スピーカーケーブルはWestern Electric15GA(撚り線)single(緑)に繋いで聴きだす。

YouTubeの配信が無いので平均律をお聴きください。

Wanda Landowska plays WTC Bach The Well Tempered Clavier, Book 1 (Harpsichord)

二つの小曲集《インヴェンション》と《シンフォニア》は、共に15曲から構成されているが、その構成内容とバッハの意図するところも探ってみる価値があろう。 

まず、どちらもハ長調で始まり、それぞれの調の主音が半音階を上行するかたちでアレンジされており、同じ調の重複が意識的に避けられているところに注目されたい。

同じ主音上に長調と短調が両方存在する場合には、《平均律クラヴィーア曲集》の場合と同様に、長調が先に来るように配置されている。

このように、《インヴェンション》と《シンフォニア》は同時期に書かれた《平均律》とよく似た構造を呈している。

似ていない所はといえば、24全ての調を網羅せず、「15の調」のみを採用していること、それからプレリュードとフーガに見られる「対の概念」がここでは別の次元に据えられていることであろう。 

とりわけ重要なのは、バッハはどういう考えをもって「15の調」を選択したのかということである。

これは、フリーデマンの音楽帳に含まれる初期の稿に戻って考察を進める必要がある。 

この曲集はすでに見てきたように、バッハが長男の音楽教育をある程度推進してきた段階で、より高度で体系的な曲集を念頭に置つつ構築していった結果の賜物である。その体系化という目標に《平均律》で可能性を探究した「調」がここに対象として含まれることになったと見てよいであろう。

実際、この15の調は、マテゾンが著書「新設のオーケストラ」(1713年)で解説した16の調のはじめの15であることもその大きな根拠である。つまり、当時非常に稀にしか用いられなかった調にあたっては、バッハはここで割愛したのである。 

成立過程を共にするこれらの教育的作品には、その元になる神学的概念に繋がりがあってもおかしくない。

かなり大胆な仮説ではあるが、それは曲集に組み込まれた数象徴に潜んでいると考えている。まず、《平均律》の24という数字であるが、ここではヨハネの黙示録に出てくる御座の回りにある24の座と長老たちを示すと解釈されうる。

それに対し、《インヴェンションとシンフォニア》の曲数の示す30は、イエスが福音を広めるために出家するまで人間として基礎を学んだ30年を示していると解釈すると筋が通る。

つまり、バッハは、神学的意義を内包する2つの聖数を通して、教育の過程を一人前の音楽家になるための基礎作りをすることと、一応の基本的な教育を終了した者が学習に喜びを見出し神の栄光のために更なる研鑚を積むための修行することとに分け、それを曲数で象徴的に表したと見ることができる。バッハは研鑚の意義と神の賛美をここに体現化したのである。 

インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801Inventionen und Sinfonien BWV 772-801

ライプツィヒ時代には教育目的のクラヴィーア曲が多数作曲された。

長男のために編まれたヴェルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集(Klavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach)」(1720年頃)の後半部に初稿がある。

なお、同書の前半部には平均律クラヴィーア曲集第1巻(1722年)の初稿が含まれる。

初稿の曲名は「プレアンブルム」(Praeambulum, 32-46, 36-51頁)と「ファンタジア」Fantasia, 49-62, 58-73, 72-73頁散逸)だった。

3声のインヴェンション(シンフォニア) 15 Three-Part Inventions (Sinfonia), BWV787-801(1720-1723年)。『2声のインヴェンション』と同様に長男の練習用に書いた3声の作品を集めたもの。

W.F.バッハのためのクラヴィーア小品集』に収められている。バッハの自筆譜ではシンフォニアと題されている。

今回筆者の大好きな鍵盤楽器をIIILZ in Cabinetで聴いたが、音量は話し声が聴こえる程度のボリュームで聴くには不満は感じなく、むしろ大変いい塩梅に聴ける、ただしグランドピアノの得も知れない低域には不満は感じるが普段聴くには此の程度の音が聴けるのなら満足しなければならないであろう。

エディット・ピヒト=アクセンフェルト(Edith Picht-Axenfeld)の演奏が一番基本的な感じで誰も聴きやすい、アンジェラ・ヒューイット(Angela Hewitt)ズザナ・ルージチコヴァー(Zuzana Růžičková )の演奏は少し早めです。

特にルージチコヴァーを聴くと女性らしさが伝わって来ます。

グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)はやはりこれは外せない演奏ケネス・ギルバート(Kenneth Gilbert)は好きなテンポの演奏を聴かせてくれる。

最新のキアラ・マッシーニ( Chiara Massini)も良いテンポの演奏、今後楽しみな演奏家である。

又彼女の事は別の機会に詳しく述べてみます。

彼女の場合はデーター配信が多く、CD盤が少ないようです。

 Chiara Massini - J.S. Bach, Zweistimmige Inventionen (BWV 772-778) -Teil I

 誠に残念ながら、ランドフスカの演奏のYouTubeの配信はありませんが、そして今まで聴けなかったワンダ・ランドフスカの演奏を聴くと・・・後何も書けない・・・・衝撃的でした。

少し古さはあるが、実に素晴らしい演奏である。このCD盤は音質も良くなっているようです。

最新の《インヴェンション》と《シンフォニア》と言えば上記紹介のキアラ・マッシーニ( Chiara Massini)も聴きやすいが、やはり筆者は少し前のエディット・ピヒト=アクセンフェルトを聴くことが多い、しかし今回購入のワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)の《インヴェンション》と《シンフォニア》には久しぶりの感動を覚えた・・・・・・・・宝物は一つ増えました。

今回ワンダ・ランドフスカを聴きやはり上には上があると染み染み感ずる!ブラボー!


ワーグナー:ニーベルングの指環 Limited Editionフルトヴェングラー指揮を聴く・・・

2017年11月12日 | クラシック音楽・オーディオ

とんでもない勘違いをしてしまった。ハンス・クナッパーツブッシュ指揮のヴァルキューレを聴き感動し、Amazonでフルトヴェングラーの『指環』の全曲録音は是非聴きたい、探していたら簡単に見つけて価格を1桁間違えて此の程度ならと思い・・早速注文してしまいました。

先週は仕事で「海ほたる」で仕事やっと日曜日品物到着していて、開封して気がつく、絶句・・・・・・・・・価格欄に¥99,000の数字 ? ? ? ?筆者は¥9,900と思い商品まで届いてから、開封してから しまった・・・・・・!

我家の大蔵大臣には報告してない、血の雨が降るかも・・・・・・?恐ろしい事が・・・・・沈黙。

 

説明書も付属して前編に渡る歌詞もあります。

価格はAmazonにて¥99,000也 下のパッケージです。購入後開封してしまったことで後は大蔵大臣閣下より慈悲深いお裁きをいただくほかは無い。当分購入禁止命令がでるに違いない。怖ろしや、怖ろしや、である。

説明は、新たなテープ・セットからのリマスタリングで話題沸騰!!

世紀のカリスマ指揮者による名演が今、オリジナルに忠実に蘇る!

フルトヴェングラー生誕125年企画・名盤リマスターSACD(ハイブリッド)シリーズ最終回!

同じ物でワーナーミュージック・ジャパンで販売は¥19,907で価格が凄く違う?音が余程ちがうのか?想像もつかない?パッケージは粗同じなのに価格が全く違う??

でも購入してしまったので、早速筆者の好きなヴァルキューレを聴いてみます。

フルトヴェングラーの『指環』の全曲録音は1953年のローマ放送局版がす。生命力にあふれた名盤だが、このトリノ放送版はテープ録音で、音質はケタ違いに凄かった。

名だたるスカラ座のオーケストラのさん然たる演奏ぶり、舞台上の歌唱とのバランス、そのいずれをとってもこれは、フルトヴェングラーのおびただしいライヴ録音の中でも、ひときわ凄いもので、同時代のスタジオ録音の最上のものとくらべてもヒケをとらない。

1950年のライヴとしては奇蹟としかいいようのない音質をもっている。やはり価格を考えれば当然か?スカラ座の名演の神髄がここに具現化されたというほかはないほど感動をおぼえてた。

筆者のスピーカーで聴いても十分感動は得られる。歌手の声はさすがTANNOYである。

ワーグナー「ワルキューレの騎行」フルトヴェングラー指揮(1954

 

 「ラインの黄金」195034

2日、11日も上演)F.フランツ(Wotan)E.ヘンゲン(Fricka)A.ペルネルシユトルファー(Alberch)L.ヴェーバー(Fasolt)J.ザトラー(Loge)G.トレプトウ(Froh)

「ヴァルキューレ」195039

13日、16日も上演)F.フランツ(Wotan)G.トレプトウ(Siegmund)L.ヴェーバー(Hunding)H.コネツニ(Sieglinde)K.フラグスタード(Brünnhilde)

「ジークフリート」1950322

24日、26日も上演)S.スヴァンホルム(Siegfried)K.フラグスタード(Brünnhilde)J.ヘルマン(Wotan)L.ヴェーバー(Fafner)E.ヘンゲン(Erda)P.マルクヴォルト(Mime)

「神々の黄昏」195044

2日、6日も上演)M.ロレンツ(Siegfried)K.フラグスタード(Brünnhilde)J.ヘルマン(Gunther)L.ヴェーバー(Hagen)H.コネツニ(Gutrune)

 

  • ディスク枚数: 13
  • フォーマット: Limited Edition
  • レーベル: EMI MUSIC JAPAN
  • 収録時間: 908 

 今日はヴァルキューレを聴くだけで後は後日にします。

約70年前の録音テープから仕上げたCDですが、音質も良くフルトヴェングラー指揮は実に良い。

こうなると、やはりハンス・クナッパーツブッシュ指揮「ヴァルキューレ」も聴いてみるがやはりⅢLZではオーケストラの厚みが不足がちで、重みに欠ける、勿論このブックシェルフ型のスピーカーでは無理のようです。

やはりオーケストラの魅力を堪能できるようなスピーカーは大型の容器が必要不可欠である、勿論、今の装置でも十分、オペラ、交響曲も聴けるが物足りなさは否めないようだ。

TANNOYの15吋が入っているオートグラフで聴くことが良いのでしょうが、さすが筆者の部屋には大きすぎ、又価格もオリジナルを手に入れるにも高額すぎる。又新しいウェストミンスターロイヤル等は手が届かない。

このオートグラフを日本で初めて購入し、至高の音を引き出して、その名を広く知らしめたのは、作家の五味康祐氏である。

また、氏の文章に惹かれてオートグラフを購入した人も多いであろう。

「ステレオサウンド」誌のレギュラー執筆者で、音楽批評の分野でも確かな見識をもっていた岡俊雄氏は、五味邸のオートグラフの音に触れ、「これまでに聴いたどのオートグラフよりもいい音で鳴っていた」と書き残している。

この意味するところは、「部屋全体を響かせる相応の広さがなければならい」ということで、まことに当を得た言葉であった。

*使用ユニット:38cm口径同軸2ウェイ/モニターシルバー、モニターレッド、モニターゴールドの3代に渡る *外形寸法:W1,070×H1,525×D670mm *重量:95kg

 『AXIOM 80 SYSTEM』この様な感じの色にしたい

 

LP初期のモノラルの時代からステレオの時代に入った60年代にかけて、わが国で最も知られた英国のスピーカーブランドといえば、無論「タンノイ」などではなく「グッドマンズ」であり、次いで「ワーフデール」であった。「グッドマン」ではなく「グッドマンズ」だと言われた。

後にタンノイの伝道者となる五味康祐氏も、1953年、時代小説「喪神」で芥川賞を受賞した折りに、その賞金の一部を充て、S(当時の新潮社社長といわれる)所有のグッドマンズ30cmフルレンジのモノラル装置を譲り受けている。正確にはAXIOM 30130cmフルレンジスピーカーユニットこのフルレンジをベースに、下記のツイーターを加えた2ウェイ、さらに、ホーンスコーカーを加えた3ウェイへと、段階的にグレードアップをしてゆくには、まこに好都合で楽しみなことであった。

当時、わが国のユニットも徐々に良くなってきたとはいえ、未だ及ばぬ所もあり、酒好きの通人がスコッチにこだわるのと同様に、英国製品への願望は、今日の比ではなかった。

そのグッドマンズが、半導体アンプの普及とともに、ARタイプの超小型システム「マキシム」と、その同系システムのラインナップを登場させて、話題をさらったが、次第に力を付けてきた日本製品、中でもテクニクスブランドの第1号モデル「Technics1」と、もろに競合し、反対に人気をさらわれてしまった。

以来、数年を経て、伝統のブランド「グッドマンズ」を目にしなくなってしまったのは、それに起因してのことであろうか。

当時筆者も最初に購入したプリアンプがTechnicsのプリアンプに同じくパワーアンプTechnics 40Aを試してみたが当時型番は忘れたがLo-D/HITACHIを名乗る前の日立のスピーカーを使っていた、しかしこのアンプでは余りにも音に力強さが足りずに「Technics 30A」にLUXMAN MQ60を接続して聴いていた。パワーアンプをラックスに変えたら実に良いバランスに聴こえた記憶がある、カートリッジはローコストなADCを使っていたと記憶する。

此のプリアンプは素直な音がして実に良い製品に思えた、LUXMANのパワーにも合い永く使用した記憶が有る。当時給料は殆どオーディオで消えた、他にレコード購入すると、毎月赤字で親からの援助でした(笑)

勿論スピーカーもアップグレートとは思ったが或程度はこのシステムで聴き続け徐々にLPレコードもふえて行った。

 

今当に当時のスピーカーⅢLZのエッジ補修した物に、AXIOM80ARU付きのエンクロージャーで鳴らすとは誰が予測したのか?

今回Y氏の好意でAXIOM80ARU付きのエンクロージャーを頂く事にしましたので、想像の世界を夢見ています。調べて見ますと資料もそこそこありますので紹介します。

1960(昭和35年)『AXIOM 80 SYSTEM』ARU付 国産化した『AXIOM 80』のコーナー型システムオリジナルの完成システムが輸入されていたかは不明。本モデルは輸入元が国産箱に納めて発売したもの。なお、ARUとはバッフルの下部に取り付けられているもので「ACOUSTIC RESISTANCE UNIT」の略。音響的に負荷をかけて、低い音を平坦に伸ばす役目を持つ。ドライブアンプは、やはり球のシングルアンプがベスト。

60年代半ばになると、裸特性に優れたラックスの3極管アンプ「SQ38D」が登場し、以前と比べれば容易に「AXIOM80」の良さを引き出せるようになった。

*外形寸法:W950×497×315mm

「Acoustic Resistance Unit」の頭文字をとったもので、音響的に負荷をかけて低い音を平坦に伸ばす役目を持っている補足すると、要はユニットの背圧の逃がし方を微妙に調整する道具のことで、このおかげで豊かなふくらみのある音が得られるが、こればかりは実際にSP周りの作業をやった事のある人でないと分からないかもしれない。

位相、背圧、吸音材、定在波の処理など(SP周りの作業は)オーディオの宝庫である。

通常のスピーカー・エンクロージャーではスピーカーの前面の下部に大きな開口部があったり(バスレフタイプ)、タンノイの大型スピーカーに見られるように長大な「バックロードホーン」型などがあるが、「80」の製造元であるグッドマンズ社(イギリス)はこの背圧の逃がし方に天才的な着想を発揮したのがこのARUである。ユニットの特性を最大限に発揮させるシステムを完成させたE.J.ジョーダンの功績が伝説伴っているようです。

又アンプは真空管で鳴らすのが良いとされているが、『大昔の発明直後のトランジスターならともかく、技術的にすっかり成熟した現代のトランジスターアンプであれば、多くのマニアが馬鹿にするAVアンプでも過不足なくAXIOM80をドライブし、音楽を美しく奏でてくれる。

真空管の魅力は、本来の素性の良さから、単純な回路で済み、高度な測定器等を持たない素人でも容易にアンプを組み立てられるということ、さらに見た目の存在感がある、の二点に尽きる。音質面でトランジスターに勝るということは決してない。』

この様な記事も公開されている、筆者のTEAC MA-7でも十分鳴らせそうである。 又エーワイ電子から発売されている、静かに美しい音色を楽しむには小出力アンプが最適です。

高級部品使用。パワーアンプ5W ボリューム、入力3系統切替SWEPWS-5商品価格:49,000円(税込価格:52,920円)で十分鳴らせるそうです。

又10Wのパワーアンプにしても税込価格:75,600円だそうです。

此の程度アンプでしたら、一度試したい商品です。後は業務用中古のVictorのデジタルマルチプロセッサPS-D700デジタルパワーアンプ(200W×4PS-A2004Dで鳴らすと良い結果が得られるそうです。

しかし筆者が思うは、今まで散々トランジスターアンプを使い鳴らしてきたが、最良は程度の良いシングルの真空管アンプ使用が一番に思う、ブラボー!


日本のナイヤガラ?吹割の滝(ふきわれのたき)に紅葉をもとめて・・・真田ゆかりの城も見る

2017年11月11日 | 旅行

 

前から予定していた、日帰りの旅です。朝から実に爽快な天気に恵まれ良いドライブ日和になりそうである。少し早めに朝7時に出発、義母を連れての秋めぐりです。

今回は沼田の「吹割の滝と紅葉」を見に行って来ました。

高速に乗るまでは混雑していましたが、高速は順調な感じでした。三郷~東北道経由~関越道の沼田に3時間のドライブです。

山々はすっかり紅葉に時期のようです、遠くから見ても色が違う!群馬は、やはり冬は雪が多く、車から降りると肌寒い・・・・おまけに盆地底冷えするだろうな!

高速を下車して目的地までゆっくり走る、途中の山々は紅葉で実に美しい。昔は真田一家が暮らしていたところでもあり、戦略家にとっては変化する地形、天候等は戦闘が強くなる要素は十分である。

途中りんご畑のりんごが綺麗です。りんごの実る木々は見慣れないの咲いている姿は綺麗だ。すると義母がリンゴ狩りがしたい・・・!

と言うのでりんご園に立ち寄る。早速受付をし、りんご園に入場する。

早速試食してみると、新鮮で美味い!実に瑞々しい。

すると、いろいろなりんごの種類があり、その此処の味が試食でき、自分に合ったりんご狩をすることが出来る、

色々試食結果、紅玉、陽光、星の金貨、シナノスイートをチョイスしてリンゴ狩りを楽しむ。

季節になると親戚の本場青森からりんご(ふじ)が届くのでふじは除外した。

精算時に義母の歳を聴かれ、お土産にと『寿』の文字の入ったりんごを頂く。

すっかり寿りんごにはしゃぐ義母を、パシャリ!

 

そして、群馬県利根沼田産りんご100%使用し、吹割のお母さんたちが毎日お店で手作りしているアップルパイ。を食べに行く、伽羅苑の駐車場に車を止め、早速アップルパイを食べる!残念な事は出来たての?焼き立てではなかった。

此れは皆さんの意見ですが、やはり昨年行った、茨城の袋田の滝で食べたアップルパイのが美味かった!

筆者も此の程度のアップルパイならどこでも食べられると思った、名物に美味いものなしとは良く言ったものです。

 

そして少し散策をしながらのランチタイム、『蕎麦屋、水石』を探す!

まさが坂の下の滝の入口にあるとは、ビックリです。義母を連れてはたいへんですが、滝入口まで到着、老人には苦労である。

吹割渓谷を吹割大橋に近い滝の入口から鱒飛の滝に向かう途中にあるお蕎麦屋さんです。

この辺りはそばの激戦地なので、この辺りで有名な『水石』昔の庄屋さんのようなたたずまいで、おそばにぴったり。

早速、天ぷらそば(十割)を注文、そしてお蕎麦が出来るまで、店内から滝がみられるスポットがありました。

お店庭先からも滝が見える。

天ぷらは、種類豊富な山菜、お蕎麦はコシのある蕎麦で風味、歯ごたえ良く大満足です。

意外と量も多い、後の蕎麦湯が実に美味い!

義母は体力的にこれ以上は難しく、此処のお蕎麦屋さんの庭先から吹割の滝をみて満足し吹割渓谷を見物しました。

 

此の蕎麦はめんつゆなしでお塩で頂いても美味しく、山菜の天ぷらとも合って実に美味い。

でも老人には途中坂が急で車椅子も歩行は難しいので、要注意です。下図の1.鱒飛の滝入口の所が『水石』ですので、上り下りが大変ですので老人は注意です。

「鱒飛の滝」

筆者はジュニアと一緒に「鱒飛の滝」から「吹割の滝」そして「竜宮の椀」の散策に紅葉と滝と秋の澄み切った天気のコントラストがマッチして実に綺麗です。当に、今が見頃です。

これが「吹割の滝」全景です。何となくナイアガラの滝のコンパクトサイズですね!

 

最初はそこに現れるのが「鱒飛の滝(ますとび)」です。産卵に帰ってきた鱒も、ここで止まってしまうほどの激流で、

「マスが止まる→マスドメ→ますとび」と呼ばれるようになったそうです。

「吹割の滝」の前で記念写真を・・・・・

老神温泉「吟松亭あわしま」から車で5分。別名「東洋のナイアガラ」で親しまれている

人気の観光スポット「吹割の滝」「天然記念物」の指定や「日本の滝百選」に選ばれるなど

滝の飛沫が辺り一面に飛び散りマイナスイオン効果かな・・・・

群馬県内でも人気の高い景勝地だそうです、紅葉の季節。日本の秋ですね!

 

散策の最後の「竜宮の椀」

吹割の滝散策も此れで終了。

写真は取りましたが、殆どスナップ写真になってしまう!家族旅行での撮影はやはりスナップ写真です。

時間も有るので、次は今は公園になっている 真田ゆかりの『沼田城址公園』見学に言ってみる。

余り人もまばらで、閑散として、ゆっくり散策は打って付けです。

歴史を感じながらの散策です、此処まで武田軍団の力が及んでい事に驚異を感じます。

此の沼田城公園から見える景色に八方見渡せる当に真田昌幸が欲しがった城とおもいます。

日本人の選ぶ戦国武将の中でも上位、真田幸村にとっても身近な城・・・・・・・信之、兄の納めた城、昨年の大河で有名な真田物語・・・上杉、北条、そして徳川……寝返りを繰り返す昌幸・・・・実践しただけの真田幸村は、散りゆく姿が美しかったために有名になってしまった一発屋ですが、最後に徳川家康がどれだけ真田昌幸を恐れていたかを窺うことのできるエピソードを紹介したいと思います。

昌幸の死後、豊臣家を叩き潰すために大坂の陣が起こります。ここで、昌幸の息子・真田幸村が大坂方として活躍することになるのですが、大坂城に真田の者が登城したという報告が徳川家康の元に寄せられます。

家康は それは父親(昌幸)のほうか?それとも息子(幸村)の方か?」 と聞き、息子の幸村だと分かり胸をなで下ろすという一幕がありました。死してなおも家康を恐れさせた昌幸の知略、おそるべし!まるで三国志の軍師孔明のような言い方ですが、(幸村)は真田丸の構築他(昌幸)の作戦を行った実行者なんです。作戦等は総て昌幸考案した。昌幸が指揮権を取っていれば、徳川の天下は無かったかもしれない・・・・

戦国武将人気ものでも昌幸ではなく幸村が上位です、やはり散り際が日本の武士らしいからなんでしょう、真田昌幸は、北条・上杉・徳川の3氏に囲まれ、武田氏滅亡時に続きまたしても存亡の危機に直面します。

後ろ盾がなければ自立できない立場ですから、誰につくかが運命の分かれ道。

しかし昌幸が選んだのは、服従ではなく信濃一国の独立支配でした。

ゆくゆくは信濃・上野の国衆をひとつにまとめることを狙い、立ち上がったのです。

その才を武器に、ときに彼らを手玉にとりながら3氏間を泳ぎ渡っていきます。

昌幸と信繁(幸村)は家臣16名とともに真田家の菩提寺である高野山蓮華定院に送られたのち、麓の九度山(くどやま)に移り蟄居生活を送ることになります。

此の地で昌幸は亡くなるのですが1600年、関ヶ原の戦いの勲功で、東軍についた真田信之が父・昌幸の旧領である上田領も継承し、

沼田と合わせ95千石の上田藩として立藩。信之の本拠は、引き続き沼田城である。

昌幸もこの景色を我が物にしたかったのでしょう?

山々の紅葉が実に綺麗でした。此の日は未だ霞がかかり此れがスッキリ快晴なら・・・

真田家が苦労して手に入れた沼田城を70年後には、廃藩滅亡。

 1681年、信利の暴政と、10月納期の江戸両国橋架け替えの用材調達の遅延を理由に改易され、沼田藩は廃藩。

以降1703年まで一時期、天領となる。

そして黒田家が相続し、そして小松姫で有名な本多家で維新を迎えている。

当時の建物ごとの資料館だそうです。

唯一残っている当時の石垣です。又上にある巨木は桜の木だそうです。

巨木の桜が有名です。春、桜の時期もいいですね。

 

後半は歴史を感じてのの沼田城址公園見学になった。この地方は朝夕が冷え込むので紅葉が綺麗です。

2メートル近く有る日本一のテングの面が有る。

辺りは夕暮れの雰囲気が漂いますので、此の辺りで帰ります。

途中混雑も無く順調に柏インターまでスムースなドライブでした。

帰り際に柏の『けやき』のラーメンを夕食に頂く。

実りある小旅行でした、ブラボー!

追伸

此れは先日仕事で言った海ほたるの光景です。

ゴジラの足跡の回りには小学生が遊んでいます、原寸台の足跡は2個あります。

此れは海ほたるに有るゴジラの足跡で海ほたるのスポットです、又今週末は最新のゴジラがテレビ放映される、実に面白かった映画でした。

観てない方は是非御覧ください。ブラボー!


オーボエ奏者アレクセイ・オグリンチュクAlexei OgrintchoukのBachを聴く。

2017年11月05日 | クラシック音楽・オーディオ

やっと連休である、昨日は購入した48CDのリヒャルト・ワーグナーを聴いたが、

全体的には我がTANNOY IIILZ in Cabinetで鑑賞するには低域不足で欲求不満気味になる。

どうやら「AXIOM80」のエンクロージャーに期待するしかなさそうである。

今後到着しても配線等しながら調整しなければならないと思うので、美音が得るまで相当の日時が必要に思う。

箱の大きさから想像すれば、上手く行けば好きなオペラ歌手がステージに現れその後ろにオケが居並ぶのが感じられるか?

大変興味あるが、所詮生の音とは違う、家庭で音楽を聴くのですので雰囲気とある程度の低域が感じられれば満足である。

 

此処では余り注意しないが、重低音を家庭音楽での鳴らし楽しむと特に

低域は地を這うので隣近所に迷惑のかからない程度の音量でならないといけない。

筆者の場合はボリュームは絞り気味にして聴くのであまり関係ないのだが・・・・

庭には冬支度のためにお正月の花、センリョウ(赤・黄色)が色づき始める。

此の花は愛知県の実家より持ち帰り植えた花ですが、毎年実を付けている。

 

 正月には欠かせない切り花になる、

昨日の不満解消のために小編成の筆者の好きな音楽を聴き、伝票等の整理をする。

思い出せば、Helmut Winschermann率いるバッハゾリスデンの演奏を教えて頂いたのがBachの最初である。

当時先輩はタンノイ・ヨークでアンプは確かダイナコのモノーラルで聴いたのが最初です。

 

学生時代からJAZZが好きで、その前は良く通ったJAZZ喫茶のJBL LE8Tを聴いていた記憶が有る。

最初はJBLの音が良いと思い最初に欲しくなったのはLE8Tである、その頃偶々JBLのランサー77があり

中古で見つけ其れにはまさしくJBLのオリジナルでラッパの数も多くついていてランサー77が音は良いのだと

思って聴いていく内に 音はサンスイの箱で作ったLE8Tのが良く聴こえて来る、

その辺りがオーディオの深みにはまる処のようだ、色々聴く内に徐々にTANNOYの音質に変化していく

最初自宅のアームに付いていたカートリッジ、グレースを交換してみる。

MM型カートリッジのADCなるカートリッジに替えて音が変わったのが最初の驚きです、

その辺りから、オーディオ熱が高まり、と同時にBachのレコードを集めだした。

今でもバロックオーボエは好きな音で良く聴く、やはりHelmut Winschermannが筆者には合うようだ。

 

最新の演奏と録音で聴く、スウェーデン室内管弦楽団の活気に満ちた演奏と鮮やかな演奏、

ハープシコードの演奏も良く、これらの演奏はすべて巧みに行われ、美しく表現されています。

オーボエは近いようですが、現実的なバランスは良い塩梅に聴ける。

Bach - Oboe Concerto in D Minor (after BWV 35, 156, 1056 and 1059):III. Presto 

筆者がこの曲を聴いたのは20代の最初BachLPを購入したのが最初で、

特にバロックオーボエの音色が好きで特にConcerto for Violin & Oboe in C Minor, BWV 1060R

を何度も聴いた記憶があります。

当時はJAZZを聴くことが多く、余りclassicは聴きませんでしたが、バロック音楽を知りはじめ

Bach中心に音楽を楽しんできましたが、どうも自分の所で所有するスピーカーが良く鳴る音楽が多い。

昨日より、ワグナーを聴いたが、低域不足が気になり、『パルジファル』を聴き終了した。

後少し低域が出れば文句なく良い音がします。

 

やはり最新の演奏でBachを聴く、其れも余り大きくないアンサンブルで・・・・

アレクセイ・オグリンチュク (Ob と指揮)、アリーナ・イブラギモヴァ (Vn)、オーストラリア室内管を楽しむ

やはり最新の録音で音も演奏も楽しめます。現在聴いているTANNOY IIILZ in Cabinet

此の程度の演奏は十八番である、バックの演奏もそれなりにはいい感じで聴ける!

 ロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席奏者も務める彼の新譜は大バッハのオーボエ協奏曲集。

もちろんバッハの作品表にオーボエ協奏曲はありませんが、

カンタータ等で絶美なソロを多用している所からも、好んでいたといわれています。

当アルバムのヘ長調作品はチェンバロ協奏曲第2番、オーボエ・ダモーレのものは同4番、

ヴァイオリンとの二重協奏曲は2台のチェンバロのための協奏曲に基づきますが、

いずれも原曲がオーボエ協奏曲だったという説があり、それを復元。

オグリンチュクの妖艶な美音もさることながら、

アリナ・イブラギモヴァAlina IBRAGIMOVAロシア生まれ。

1996年に家族と共にイギリスに転居、97年からメニューイン音楽学校、

その後、英国王立音楽大学で研鑽を積む。

メニューインの指揮の下、ニコラ・ベネデッティとバッハの《2つのヴァイオリンのための協奏曲》を共演。

Johann Sebastian Bach—Violin Concertos—Alina Ibragimova (violin), Arcangelo and Jonathan Cohen

メニューインの指揮の下、ニコラ・ベネデッティとバッハの《2つのヴァイオリンのための協奏曲》を共演。

安心して聴ける何れの共演も注目です。やはり小編成のBachは胴鳴きのするIIILZに限る、 ブラボー!


ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ワーグナー 舞台神聖祝典劇 パルシファルを聴く。

2017年11月04日 | クラシック音楽・オーディオ

リヒャルト・ワーグナーの『パルジファル』は死の前年、1882113日に完成され、

726日にバイロイト音楽祭で初演された作品である。

当初はバイロイト音楽祭のみで上演され、それ以外の場所での上演は禁じられていたが、

19131231日深夜に解禁され、世界各地で上演されるようになった。

 

ワーグナーがバイロイト以外での上演を望まなかったのは、

理想的に構想された作品が不道徳な劇場や聴衆の手に委ねられている現状に不満を抱き、

「せめて最も神聖なこの最後の作品だけでも、世のオペラが辿りがちな運命から守った

方がよいのではないか」

1880928日付 ルートヴィヒ2世宛書簡)と考えたからである。

このように作品の聖性を保つために門外不出とする姿勢は、

かつてグレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』を複写厳禁とした教会の命令を思い起こさせる。

此処で簡単なあらすじを引用します。

第1幕

モンサルヴァート城では、イエスの脇腹を刺した聖槍と、その血を受けた聖杯が騎士団に守ら

れていた。一方、魔術師クリングゾルは魔術で騎士たちを快楽の世界へと陥れていた。アムフ

ォルタスは彼に戦いを挑むが、魔術にかかったクンドリーの誘惑に落ち、聖槍を奪われ脇腹を

刺されてしまう。以来アムフォルタスの傷は治らず、激痛に耐える日々。聖槍も奪われたままだ。

傷を治すには「無垢な愚者」の登場を待つしかない。ある日、白鳥を矢で射った男パルジファル

が現れる。彼こそ「無垢な愚者」かと期待した老騎士グルネマンツは、彼に聖杯の儀式を見せる。

しかしパルジファルは、アムフォルタスの苦痛は感じるものの、それ以上のことは理解できない。

第2幕

クリングゾルはクンドリーに、パルジファルを誘惑するよう命じる。

クンドリーは、魔法の花園にやってきたパルジファルを呼び止め、彼の出生の状況や、

彼の母のことを語り、パルジファルの心をかき乱す。

そしてクンドリーが接吻すると、パルジファルに智が備わり、アムフォルタスの苦痛の意味と自分の

使命を知る。誘惑を拒み、アムフォルタスのもとへ行こうとするパルジファルに向かって、クリング

ゾルは聖槍を放つ。すると聖槍はパルジファルの頭上で止まる。パルジファルは聖槍を手に取り十字

を切ると、魔法は解け、花園は消える。

第3幕 
 
幾年も経った聖金曜日。パルジファルは聖槍を手にモンサルヴァート城に到着する。

感激するグルネマンツは彼の頭に水を注ぎ、クンドリーは彼の足を清め、彼に洗礼を施す。

グルネマンツは2人を聖杯の儀式へ連れていく。パルジファルがアムフォルタスの傷口に聖槍を当てると、

傷はみるみる消えた。パルジファルは聖杯の王となり、聖杯は光り輝く。クンドリーはパルジファルの
 
足元で息絶える。一羽の白い鳩が舞い降りる。

此の第3幕 での事柄から聖金曜日に演奏を行ったようである。

 物語の舞台は中世。聖杯と聖槍を守護するモンサルヴァート城は、今危機にさらされている。

偉大な王ティトゥレルに追放された魔法使いクリングゾールの策略により、

ティトゥレルの息子アンフォルタスが魔性の女の誘惑に陥り、聖槍を奪われた挙げ句、槍で脇腹を刺され

重傷を負ったのである。

 

やはりハンス・クナッパーツブッシュHans Knappertsbuschの48CD1951~1964の購入(48枚)

名実共に『パルジファル』のエキスパートとして名を馳せていたクナッパーツブッシュは、

1951年と1952年、そして1954年から亡くなる前年の1964年まで、バイロイト音楽祭に出演して

『パルジファル』を指揮し続けていました。

1953年に指揮していないのは、ヴィーラント・ヴァーグナーによる新バイロイト様式の簡素な演出

を嫌ったクナッパーツブッシュが抗議してキャンセルしたためで、代わりに呼んだクレメンス・クラ

ウスを気に入ったヴィーラントは、翌年以降も彼をバイロイト音楽祭で重用するつもりでした。

しかし、19545月にクラウスがメキシコで客死してしまったため、ヴィーラントは急遽クナッパー

ツブッシュと和解して音楽祭への復帰を懇願、同年から1964年まで毎年『パルジファル』を指揮し

たほか、『ニーベルングの指環』『さまよえるオランダ人』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

も指揮しています。

 ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch,第二次世界大戦後に再開されたバイロイト

音楽祭を支えた指揮者でもあった。

リヒャルト・ワグナーやアントン・ブルックナーの演奏で有名だった。

193センチの長身でいかつい顔の指揮者で、ドイツや日本では「クナ」(Kna) の愛称で親しまれた。

 

1951年に比較するとCD化されているのが少ないことが不思議に思えるくらいの素晴らしい演奏です。

前奏曲の最初から強烈に音楽の中に引き込まれ、そのままフィナーレまで聴き込んでしまいます。何

度聴いてもまさに圧倒的な演奏です。あくまで個人的な感想ですが、この1952年の聖金曜日の音楽の

例えようもない美しさと、続く場面転換の音楽の荘厳さはクナッパーツブッシュの残した数多くの録音

の中でも一二を争うものではないかと思います。是非一度ご試聴ください。

それだけの価値のある音楽かも知れない。音質は咳払いどか雑音が激しいが、演奏は素晴らしい。

 Silent Tone Record/ワーグナー:パルジファル/ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団、

グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ジェス・トーマス、ハンス・ホッター 

『パルジファル』の台本は、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルツィヴァル』及び

『ティトゥレル』に基づいている。

『パルツィヴァル』は、歌劇『ローエングリン』でも原作として採られており、

『ローエングリン』第3幕で、ローエングリンは、モンサルヴァート城の王パルツィヴァル(Parzival

の息子であると名乗る。

パルジファルが白鳥を射落として引き立てられてくることと、ローエングリンが「白鳥の騎士」であるこ

との関連は明らかであろう。

ほかにも、各幕の構成や、『パルジファル』のクンドリが『ローエングリン』のエルザとオルトルートを合わせたような存在であることなど、

二つの作品は関連が深い。

パルツィヴァルの名前の語源として、アラビア語のパルジ(Parse or Parseh : 清らか)+ファル(Fal : 愚か)

であるとするヨーゼフ・ゲレスの説を取り入れて、ワーグナーは Parsifal に綴りを直したとされる。晩年、

ワーグナーが親密に交際したジュディット・ゴーティエは、この説は誤りだと指摘したが、ワーグナーは

「そうであっても構わない。」として訂正しなかったという。現在では、パルツィヴァルの語源として

perce(貫く)+ val(谷)、すなわち「谷を駆け抜ける者」が有力である。

 

昨日祝日は仕事で、翌日朝7時にやっと終了し少し仮眠を取り、先日注文したクナッパーツブッシュの

『パルジファル』49CDが届いていたので早速1951年、1962年の『パルジファル』を聴く、51年盤は

さすが古いってかんじですが62年盤ほ音質も良く、聴き応えあります。

IIILZ in Cabinetで聴き始めるが最初はスピーカーケーブルをPRM-1.5Sの銀メッキ線で聴くがスピーカ

ーケーブルは、確かに拙宅のTANNOYのTANNOY IIILZ in Cabinetにトーレンスの銀線RCAケーブルと、

スピーカーケーブルはWestern Electric 16GA(撚り線)が相性は良いがでリヒャルト・ワーグナーの

オペラはやはり低域不足が付きまとう。

こうして休日にゆったりオペラを楽しむのには IIILZ in Cabinetでは、物足りなさが付きまとう。

スピーカーは音を出す器材ではなく、音を響かせる器材なんです。この辺りの事が分かると

いい音楽をいい音で聴きたくなる・・・其れが泥沼の始まりなんでしょう・・・・?

 クナッパーツブッシュのバイロイトへの正式な登場は、この1951年が最初である。

なぜワーグナー指揮者といわれたクナッパーツブッシュが戦前にバイロイトに登場しなかったのか? 

ドイツにはワーグナー指揮者は他にも大勢いたことがひとつの理由としてある。

さらにクナッパーツブッシュは、バイエルン州立歌劇音楽総監督として、

バイロイトに対抗して作られたミュンヘンの摂政劇場でワーグナー祭(モーツァルト=ワーグナー祭)

を指揮していた。

摂政劇場で指揮をする指揮者は、時期的にも劇場同士がライヴァル関係にあったということも含めて、

バイロイトには登場できなかった。

さらに1936年以降は、クナッパーツブッシュはドイツ国内、

ドイツ国内で演奏許可が出てもバイエルン州内でまだ演奏禁止処分を食らっていたわけだから、

もちろんバイロイトなどには出演できなかった。何より、バイロイトの最大のパトロンであるヒトラー

からクナッパーツブッシュは嫌われていたようだ。

 

バイロイト音楽祭の復活はレコード会社にとっても大きなイベントだった。

EMIの録音チームとDECCA・テルデックの録音チームもバイロイトに来ていた。 

EMIはフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第九番、カラヤンの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」、

「ニーベルングの指環」、DECCA チームはクナッパーツブッシュの「パルジファル」がその録音の目的である。

それぞれレコード会社専属の指揮者だった。EMIチームをウォルター・レッグが率い、

DECCAチームにまだ新人だったジョン・カルショーが参加していた。

筆者が40年まえ、昔オーディオマニアの頃はTEACA-7400でバイロイト音楽祭を2トラック19

センチでエアーチェックしてた頃が懐かしい。

可成り節約して(当時オープンリールが高額で)せめてバイロイト音楽祭の生放送を聴きたくテー

プを5~6本用意したことを思いだす。

当時はTEACA-7400の留守録して帰ってチェックすると明け方になり、寝不足で会社に出かけ

た思いが懐かしい。

今思えば癌で入院しなくてはならなくなり其れもステージ4で多分もう音楽は聴けないと思い最後

に廃棄処分したA-7400は失敗でした。

当時から1962年のクナッパーツブッシュ指揮パルジファルは音質も良いとの評判でした。

ワーグナー《パルジファル》第1幕(全曲)クナッパーツブッシュ指揮(1962 

ワーグナー 《パルジファル》 第2幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮(1962

ワーグナーはその生涯のうちに、習作を除いて『さまよえるオランダ人』から計10作のオペラを残し

ています。

10作といっても、そのどれもが傑作であり、それがもしそのうちの一つだけしか作曲していなかった

としても、後世に名を残す作曲家となったではないでしょうか。

ワーグナーの最後の作品がこの『パルジファル』です。このオペラは、古今東西、他のオペラに比べて

極めて難解な作品ですが、同時に素晴らしい作品でもあります。

もし、クラシック音楽に興味があって、オペラに魅せられ、ワーグナーにまで辿り着いたのなら、絶対に

この『パルジファル』を聞き逃してはいけません。

 これこそ不滅の名盤という形容がふさわしい、クナッパーツブッシュ指揮による1962年バイロイト音楽

祭での『パルジファル』が、ついにSACD化された。神聖のヴェールで幾重にも覆われたワーグナー最後

の舞台作品。

その神秘性が相対化された現在にあってなお、強力な磁力を保持し続けているのがこの1962年盤だ。

縁のない深淵への旅にいざなう第1幕への前奏曲、グルネマンツが「ここでは時間が空間になるのだ」と

パルジファルに開示し、クナが呪術的な音響空間を屹立させる場面転換の音楽! 

「パルジファル」は仏教観の始まりではなく、集大成だったともいえる。

だがワーグナーはその先、インドを題材とし、ブッダを主人公にした楽劇「勝利者たち」を作曲する

つもりだった。散文草稿や断片がいくつか現存する。1883210日。

死の3日前のワーグナーは「かなうことなら、セイロン(現スリランカ)へ亡命したい」と漏らしたという。

 

ワーグナーと決裂した哲学者フリードリヒ・ニーチェは仏教への傾倒を「虚無主義」と切り捨てたが、

クプファー新演出の「パルジファル」をみる限り、ニーチェの批判は的外れに映る。キリスト教、仏教、

さらにイスラム教と世界には数多くの宗教が必ずしも相いれない状態で併存、時に文明の衝突を超え、

戦争に発展する。

ワーグナーの時代から今日に至るまで、

人類が究極の解決を持ち得ない問題について考えさせられる。ブラボー!