伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

齢70歳過ぎて、改めてMiles:Kind of Blueを聴く、これは初心者が聴いてはいけないジャズ名盤の筆頭であろう

2021年10月05日 | JAZZ・ボサノヴァ


足掛け2年間もコロナ禍での生活ですが、老いての生活は変化もさほどなく、外出が少なくなったこと以外は最近の生活は意外と規則正しい生活を送り、早朝6時頃目覚め7時頃ベットから抜け出しシャワーを浴び、取り敢えずシャワー後の冷たい水は実に美味い、冷蔵庫のチルドボックスの珈琲ケースの中より今日の珈琲豆を選ぶ、この瞬間が実珈琲の香りを嗅ぎながらの楽しい時間だ。
珈琲の美味しい淹れ方は詳しく以前のブログに掲載してありますなで、ご参照してください。https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/56b28d7147834f903a415573a939745a

今朝は先日柏高島屋で購入した「炭火焼キリマンジャロ」を曳き抽出する、酸味がかった香りが部屋に流れる。冷蔵庫のチルドボックスの残りの珈琲も5〜6種類の在庫が、ずいぶん減ったきたので、定番は注文しなければならない。

早速朝は定番のように、レオンハルトのチェンバロ演奏を流しながらネットニュースを見ながら、本日の予定を考える。このパターンが定番になっている。



FBチェックしていたら、アナログ(analog)の最新号発売を知り購入を予定する、久々に近くのイオンモールに出かける、今回の二大特集は、別に懐古趣味でもないが、石と比べると火屋に軍配が上がる、そのような秋の夜長にぴったりな「真空管アンプの魅力〜アンプビルダーの“球”へのこだわり」
そして「私の好きなジャズピアノ」真空管の基礎から、各ブランドの思想と代表モデルの音を解説。ジャズピアノの特集では、オーディオ評論家やミュージシャンのフェイバリットアルバムを挙げていただいた。意外と興味ある記事が満載だが、正にこの状態は夢物語の商品紹介であった。

ましてはヴィンテージと言われるエンクロージャーをお使いの庶子は一度真空管はシングルよりプッシュプルで試されることをお勧めします。一般的に火屋は、音が柔らかとか言われるが、プッシュプルならジャズを聴いても、力強く特に奥行きがあり、キレの良い音は間違いなく良い塩梅で鳴ります。



記事の中の「音門」の真空管4212と300Bを組み合わせたTHE EMPIRE MK IIの掲載が魅了的に紹介されていた、貧困の極みの筆者などには絶対に買えないアンプである(笑)貧困とは実に辛いものである。
オーディオ・マニアとしては欲しいオーディオ機材は次々発表され、またヴィンテージと言われる機材も大変豊富にあり、自分の気に行った機材は欲しくなるが、常にその金額が法外で、だいたい諦める、品質を落す等策はあるが、そう方式で求めると後になり、後悔が付きまとう、これが益々泥沼に浸かる羽目になる。次からは失敗しないと思うことだが、同じ事をくり返してしまうのだ・・・結果的には何時も我慢大会をさせられているようである。

勿論高額な物からり10万円以下の真空管アンプまで掲載され真空管アンプの魅力を読みやすく紹介しています。勿論入門者には安価な程度の良い物が良いのですが、火屋(真空管)も同じ種類の物もヴィンテージ管は桁が違う、例えば10万程度のアンプにヴィンテージ管を使えば価格的には本末転倒であり、十分注意が必要である、筆者は日本製の物は海外製より安定しているため、海外の有名メーカーも下請けに使用した製品は安全な球と言えます。



久しぶりのイオンモール千葉ニュータウン店、コロナ禍の為外出は控えていたので、本屋さんの隣のHMVも覗いてしまう。
ジャズコーナーに目を移せば、自宅にある1枚のKind of BlueNO CDは一度新しく買い直したいと思っていたので、この際 Miles Davis(Kind of Blue)2枚組とBill Evans(Sharp Notes)(3枚組)買い替えのつもりで購入に至る。
自宅に戻り本も見たい、CDも聴きたい早速その場を後にする。

自宅に戻り珈琲を淹れ飲みながらanalogの最新号を横目にCDを聴きながらMiles Davis(Kind of Blue)を聴く。



元来筆者のジャズは(jazz)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽形式。西洋楽器を用いた高度な西洋音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と音楽形式とが融合して生まれた。演奏の中にブルー・ノート、シンコペーション、スウィング、コール・アンド・レスポンス(掛け合い演奏)、インプロヴィゼーション、ポリリズム(複合リズム)などの要素を組み込んでいることが、大きな特徴とされている。 その表現形式は自由なものだった。
また、初期からポール・ホワイトマンやビックス・バイダーベックらの白人ミュージシャンも深くかかわり、黒人音楽であると同時に人種混合音楽でもあった。演奏技法なども急速に発展した。

確かに聴いて楽しいジャズは好きではあるが、『カインド・オブ・ブルー』(Kind of Blue)は、ジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィスのスタジオ・アルバム。1959年3月・4月の2度にわたって録音、同年8月にリリースされた。マイルスの代表作であり、モダン・ジャズ屈指の傑作とされているアルバムでもある。



マイルス・デイヴィスは、1926年5月米国イリノイ州アルトン生まれ。モダン・ジャズの歴史を築いた史上最大のイノヴェーター、トランペット奏者。カリスマ性をもち、“ジャズの帝王”と呼ばれた。チャーリー・パーカーのバンドで活躍後、クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、フュージョンなど、モダン・ジャズの大半の音楽スタイルの中心的な創造者となる。自己のバンドから数々の有名ジャズ・ミュージシャンを輩出したことでも有名。1991年9月28日没。

マイルスが完成させた「モード・ジャズ」の最高傑作「カインド・オブ・ブルー」を聴きながら読み解いてみよう。先ずはカインド・オブ・ブルーと言う意味なんですヨ!
Kind of Blueという、このアルバムのタイトルには、英語に親しんだ人でも惑わされるだろう。勿論これは「青の種類」ではない。種類と言いたいのならA Kind of Blueと言わなければならない。
冠詞のないkind ofは、俗語で「ある程度」「いくらか」「どちらかといえば」というような意味だ。つまり本当の意味は「ちょっとブルーな気分」あるいは「なんとなく憂鬱」というような感じ。だからこのアルバムに漂っているのはブルーな気分なのだ。ジャズ初心者にはお勧めはしないアルバムと思う。

「カインド・オブ・ブルー」に関しては、こう言っている。“Kind Of Blue”というタイトル通り、全体を通してブルーな雰囲気に溢れている。そして静寂でクールな印象。曲のメロディはどれもシンプルでハーモニーは美しい。
ジャズに熱いモノを求める人は「そんなに言われるほど名盤?」という印象があるかもしれない。しかし、それは前評判が良すぎてハードルが上がっているから、そう思ってしまうのだろう。



以前から思ってはいたのだが、これは初心者が聴いてはいけないジャズ名盤の筆頭です。不幸にもこのアルバムから入門してしまった人は、きっとジャズが苦手になるに違いない。かつての筆者が若い頃聴いたが良くなかった。むしろコルトレーンのアラバマの方が暗さはあらるが感動したことは事実である。

カインド・オブ・ブルーは、世界で一番売れているジャズアルバムです。大名盤です。だから初心者向けのサイトで「まずはカインド・オブ・ブルーを聴こう」と、よく紹介されます。しかしこんな重厚な音楽をいきなり聴かされたら、だれでも「うわあ」ってなるんじゃないかなあ・・・・・。

「名盤だから、きっと良いに違いない」

「良さが理解できないのは、未熟なぼくのせいだ」

と自分に言い聞かせ、当初がまんして聴き続けたけど、正直「なんて暗くて退屈な音楽なんだ」としか思えませんでした。



今は手入れの行き届いた真空管アンプから古い演奏のJAZZ(Kind of Blue)を英国の音、LS3/5aで聴く、良いですね。いい音を出してると思います。筆者が感じる英国の音の渋さと少し重く暗いマイルスのペットが心地良いのだ。
確かに今までのLS3/5aの音と違って聴こえる、スピーカージャックの亀裂に問題があったようでした、このような英国製のスピーカーで聴く(Kind of Blue)は実に良い雰囲気を醸し出してくれる、70歳を過ぎジャズの良さがわかった今は、このアルバムの凄さが納得できる。
本当に名演だし、録音も良いし、すばらしいジャズアルバムです。夜に聴くのにうってつけの名盤です。でも初心者の方にはお勧めできません。無理して聴き続けるのはやめて、まずはもっと楽しいジャズを聴きましょう。

確かにこのLS3/5aスピーカーは只者ではない良い音が聴けた、オーディオ好きの庶子が、未だLS3/5aを求める事がやっと理解できた。購入後既に2年間を過ぎLS3/5aの良さを新たに見つけたように思い、情けないやら、嬉しいやら、実に複雑な気持ちである、所詮素人の音いじり好きの老人であった。

マイルス・デイヴィスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」を解説する事は、半ばタブー化されているらしい。1959年8月の発売から、世界中で累計1,000万枚を超えるセールスを成した、そして今もなお売れているこのモンスターアルバムには、どのような巧みな解説、コメントも陳腐なもののように感じられてしまうようだ。モダンジャズというカテゴリーが生み出した比類なきアート、その高度な純度ゆえに一切の雑音を寄せ付けないからだと言う。
更にこのアルバムを通して感じなければいけないことは、音楽に選ばれた人、瞬間があるのだということ、単に音を出す技術や才能だけでは、到達しえない境地が存在するということであろう。



1991年9月にこの世を去ったマイルスだが、生前は長きに渡り帝王の座に君臨していた。そんなマイルスも、若き日にチャーリー・パーカーのバンドでプレイしていた頃は、際立った存在ではなかったようだ。ビバップ全盛の中、他のメンバーの超絶技巧により、グングン押し出すアドリブプレイの嵐に、引け目を感じていた。

そんな中で緻密なアレンジと極力音を削ぎ取ったいわゆる「クールジャズ」を、アレンジャーギル・エバンスと共に作り出したのである。つまり、クールジャズはビバップのアンチテーゼとして生まれたわけだ。そしてこのことは、モードジャズ「カインド・オブ・ブルー」を知る前段階として、留意しておく必要があると思うのだが、それとも「カインド・オブ・ブルー」に関してはモードジャズの領域に位置するということ自体、陳腐なことなのだろうか?
とは言え、モードジャズとはどのようなスタイルの音楽なのか知っておくことが必要なのかもしれない。通常のジャズであれポップス、又はロックであれ必ずコード進行が存在する。簡単に説明すればコードとは和音の事で、ド・ミ・ソ ならCメジャーコード、ド・ファ・ラならFメジャーコード、そしてこれらのコードをつなげて曲を作っていくのであると言われている。



20世紀のジャズの発展に最も大きな影響力があったマイルス・デイヴィス。
マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』は数多いジャズの名盤の中でも最高峰です。

ジャズは、20世紀初頭にニューオリンズで誕生した土着的な音楽。それがブルースや西洋音楽のエッセンスを貪欲に吸収し、著しい発展を遂げます。『カインド・オブ・ブルー』は、その到達点を示しています。
しかも、この音盤は、ジャズという範囲を超えて、現代音楽の最高傑作の1つでもあります。硬派な視点で音楽、映画、演劇、文学、ファッションなどの現代カルチャーを批評し牽引して来たアメリカの『ローリングストーン』誌が、歴史上最も偉大な音盤500で第12位に選んでいます。
また、1959年8月の発表から世界中で累計1000万枚を超えるセールスを積み上げてきました。今も売れています。要するに、怪物アルバムです。
一方、この音盤はマイルス・デイヴィスの朝令暮改が生んだ奇跡でもあります。別の言葉で表現すると、前言撤回。あるいは、わがまま。こだわりです。天才は、時に世の常識など無視し、己の心の声、直感を信じて行動します。君子豹変とも言います。が、周りにしてみれば、たまったものではありません。しかし、その非妥協的な姿勢こそが名盤を生んだわけです。

まず、音盤に参加したメンバーです。リーダーのマイルス・デイヴィスがトランペット。以下、テナーサックスがジョン・コルトレーン、アルトサックスがキャノンボール・アダレイ、ベースがポール・チェンバース、ドラムはジミー・コブ。そして、ピアノがウィントン・ケリーとビル・エヴァンス。いずれ劣らぬジャズ史に名を刻む一国一城の主たちです。



注目すべきは、2人のピアニストがクレジットされていることです。なぜ、そうなったのでしょうか?ここに、『カインド・オブ・ブルー』の秘密があります。それに迫るため、時計の針を1958年に戻します。

ビル・エヴァンスは、クラシック音楽の基礎を持つ実力十分のピアニストで、職業としてジャズを弾いていました。が、いまだ無名。休日には、ラフマニノフ、ベートーヴェン、バッハを弾いていたといいます。
記録によると、ビル・エヴァンスは、1958年4月25日、ニューヨークのカフェ・ボヘミアでのマイルス楽団の公演に初めて参加します。以来、マイルス楽団の正ピアニストとして、濃密な時間を過ごします。マイルスとエヴァンスの最良の共演といえる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が『ジャズ・アット・ザ・プラザ第1集』で聴けます。
ジャズの主流が上述のハードバップにあるとき、静謐な中に浮かび上がるマイルスのミュート・トランペットに寄り添うエヴァンスのピアノは、それまでのジャズとはまったく異質です。新しい扉が開く予感です。しかし、エヴァンスは、11月16日のヴィレッジ・ヴァンガード出演を最後にマイルスのもとを離れます。結局、マイルス楽団在籍は7カ月で終わりました。
なぜでしょう?
エヴァンスだけが白人であるがゆえに、ほかの楽団メンバーやクラブ経営者などとの間でいさかいが絶えませんでした。この時期、アメリカ社会には人種差別が公然とありました。それゆえ、ジャズの世界では黒人による白人に対する逆差別が横行していました。黒人街のクラブに出演すると身の危険まで感じたそうです。また、エヴァンスの音楽がクラシックを基礎にしているため、ブルースを土台にしたほかのメンバーとの調和が難しい面もありました。さらに、エヴァンスは貴族的な雰囲気をまとっていましたが、実は麻薬常習者でした。かつて麻薬禍で苦労したマイルスは麻薬には厳しかったのです。結局、マイルスは苦渋の決断でエヴァンスを解雇します。
そして、後釜にはウィントン・ケリーが座ります。彼は、ハード・バップもモードも弾けるオールラウンダーでしたから。
いよいよ、マイルスが『カインド・オブ・ブルー』に取り組みます。



マイルスの頭の中には、いまだジャズが経験したことのない真新しいサウンドが響いています。重要なカギを握るのがピアニストです。楽団で和音を奏でる唯一の楽器だからです。ラヴェル的な音空間を理解する感性とジャズという音楽の中で美しく演奏できる技量を併せ持つピアニストなしには、目指すサウンドは実現しません。

ビル・エヴァンスを切り捨てた今となっては、ウィントン・ケリーに期待を寄せるしかありません。もちろん、ウィントンも世に評価の極めて高いピアニストでありました。
しかし、マイルスは、『カインド・オブ・ブルー』を録音する観点からは、ウィントン・ケリーでは物足りないと感じます。じゃあなぜビル・エヴァンスを切り捨てたんだ? と言いたくなりますよね。組織で人事をやるうえでは決して考えられません。つねに「適材適所」ですから。

此れ以降は掲載記事より引用。(マイルスの世界観では、己が希求する音楽の実現のためには、ただ最良の演奏家が必要だ、ということに尽きるのです。肌の色、知名度、生活態度、事柄の経緯などなどは二の次というわけです。そこで、マイルスは、再びビル・エヴァンスに白羽の矢を当てます。黒人への強いこだわり、楽団内の融和、麻薬への厳しい態度からわずか4カ月前に解雇したばかりなのにです。これが朝令暮改でなくて何だ、とも言えます。が、究極の合理主義ともリーダーシップとも言えます。ビル・エヴァンスは2度マイルス楽団に登場するのです。)と綴られています。

『カインド・オブ・ブルー』の録音セッションは、1959年3月2日と4月22日に行われました。わずか2日間で、世紀の名盤ができたというのは驚嘆です。要するに、インスピレーションの賜物、一期一会のパワーです。何度もリハーサルを重ねればよいというものではありません。
まず3月2日のセッションです。
マイルスから連絡を受けたビル・エヴァンス。コロンビアが誇るニューヨークの30丁目スタジオにやって来ます。
ちょっと変です。スタジオにピアニストが2人参集しているのですから。レギュラーのウィントン・ケリーは当然として、4カ月前に解雇されたビル・エヴァンスまでいる。なぜ? ほかのメンバーはいぶかしく思います。スタジオは非常にぎこちない雰囲気に包まれます。ウィントンの心中はいかばかりだったでしょう。もちろん、マイルスは意に介しません。明確な狙いがあるのですから。



マイルスは、最初に録音する曲として「フレディー・フリーローダー」を指定します。『カインド・オブ・ブルー』の中で最もスウィンギーな曲です。ピアノはウィントンです。レギュラーに敬意を表したともいえます。また、従来のハード・バップ的なサウンドですから、楽団員にとってはお手のもの。難易度の高い曲に取り組む前のウォームアップという意図もあったでしょう。1発でOKです。ウィントンの出番は終了。マイルスの指示でウィントンはスタジオから去ります。いよいよ、

マイルスが思い描いたモード奏法による冒険が始まります。パートナーはビル・エヴァンス。ウィントンに気を使う必要はありません。ほかのメンバーも必死でマイルスが構想する音の宇宙を作り上げます。
この日、2曲を仕上げます。
とこのような紹介記事を見つけました。マイルス・デイヴィス門下生は皆それぞれ一流の演奏者に育って行くのでした。
当時参加ミュージシャンはジョン・コルトレーン(t,sax)、キャノンボール・アダレイ(al,sax)、ポール・チェンバース(bass)、ジミー・コブハム(drums)、そしてウィントン・ケリーとビル・エヴァンスがピアノをプレイしている。
マイルスが完成させた「モード・ジャズ」の最高傑作「カインド・オブ・ブルー」を聴きながら読み解いてみよう。

ジャズのある到達点なのか?「カインド・オブ・ブルー」
  マイルス・デイヴィス – トランペット
  ジョン・コルトレーン – テナー・サックス
  キャノンボール・アダレイ – アルト・サックス
  ビル・エヴァンス – ピアノ
  ウィントン・ケリー – ピアノ
  ポール・チェンバース – ベース
  ジミー・コブ – ドラム

1.[CD]
  1.So What
  2.Freddie Freeloader
  3.Blue In Green
  4.All Blues
  5.Flamenco Sketches
2.[CD]
  1.Generique
  2.L'Assassinat De Carala
  3.Sur L'Autoroute
  4.Julien Dans L'Ascenseur
  5.Florence Sur Les Champs-Elysees
  6.Diner Au Motel
  7.Evasion De Julien
  8.Visite Du Vigile
  9.Au Bar Du Petit Bac
  10.Chez Le Photographe Du Motel
  11.Autumn Leaves
  12.Love For Sale
  13.Somethin' Else
  14.One For Daddy-O
  15.Dancing In The Dark

マイルス教室の卒業生達は、エヴァンスだけでなく、コルトレーンに対しても、このアルバムは大きな影響を与え、彼らが大きく成長を遂げるきっかけとなったことだけは間違いないでしょう。なぜなら、このアルバムを4月に録音し終えた後、すぐに二人は自らの作品群において、非常に重要な作品を発表しています。
エヴァンスは、5月には「Undercurrent」、そして12月には「Portrait In Jazz」を録音。まさに彼の絶頂期が始まろうとしていました。
そして、コルトレーンもまた、5月に「Giant Steps」を発表。マイルスと並ぶ存在への大きな一歩を踏み出しています。

どの音楽ジャンルよりもエネルギーに満ち、成熟期を迎えようとしていたモダン・ジャズ。このアルバムは、そんなジャズの50年代最後を飾るに相応しい傑作と言えるでしょう。
このようにKind of Blueを綴ると、此れは間違った表現では無いように思った。



現在持参する真空管アンプも違った意味でジャズを聴くには、現在松下製6CA7のPPで使うLUXKIT A3500を使っていますが、力強い真空管KT88プッシュプルでのドライブでの音出しを想像する、一般的には「厚みと豊かな響き」を楽しむことが出来ると言われるが、どのような音が出るのかに興味を抱く。

マイルスのJazzとはかくもクールで知的な音楽であることに、このCDを聴いて再度気づきました。以来、私はこのしぶーく美しいトランペットに魂を奪われる思いで聴き入っています。マイ・ファニー・バレンタインまで聴いたがビッチェズ・ブリュー以降は聴かなくなった。ブラボー!
今回購入のビル・エヴァンスの3枚組は別途に紹介していきます。

日本の識字率は低下していると言われる、誠に残念だが短命でつきたディーナ・ウゴルスカヤの基本をJ.S.バッハ・ショパンから紐解く

2021年10月02日 | クラシック音楽・オーディオ

最近耳にする識字率とは?の問題が話題になっていますが、日本では100%の割合で子どもたちが義務教育を受けているため、文字の読み書きについても問題なくできる人がほとんどです。
此れが江戸時代でも文字の読み書きは士分で85%程で一般人でもなんと約50%の江戸庶民は識字率があり、埋め立て地区が多く塩水が多く水も使えず、幕府は上水道を作り周りの川に堀を作り其れを利用して下水完備も行い、糞尿は大切な肥料にし、年間四百円程で上下水道を解放した。当時の江戸は世界的にも清潔で安全な暮らしやすい都市であったと言われているが、基本はこの識字率の高さが物語る、基本は識字率が高い事であるように江戸の庶民の文化は高いと思う。

最近学校の教科書から士農工商と言われた制度のような文字が無くなり、全ては同じ日本人と言った時代で職業別に分けた、天皇の元に幕臣以下士農工商と言う職業分類の文字であった、ご存知渋沢栄一も農家の長男だったのです。勿論社会に役立てば政殿(まつりごと)は相談し国をも動かした。
当時新生明治時代は長州、薩摩で政府を固めた時代にも関わらず、幕臣の渋沢にも政府立ち上げを依頼した。

日本は一丸となったその後、大久保不在の時に西郷は「征韓論」を支持する様になったと語られるが、「征韓論」とは文字通りに読めば「韓国を征伐する」であり、武力で朝鮮を支配しようとする主張のことである。この論を唱えた主役は、西郷隆盛とされている。しかし、このころの文献、史料のどこにも、西郷がこれほどはっきり「征韓」を唱えたという記録はない。一度その辺りの真実を深掘りしてみたいと思う、お隣さんの当時は両班(りょうはん)の時代である。
両班は、高麗が国家を建設する時、唐・宋の官僚制度を参考にしながら、文臣(文班)と武臣(武班)の2つの班からなる官僚制度を採用した国である。



しかし、世界では文字の読み書きができない人が多く、2017年時点で約7億5000万人(世界の15歳以上の6人に1人)いることがわかっています。
この記事では日本や世界の識字率を見ながらいがい識字率が未だ低いことに驚いてしまう。勿論隣国は日本併合以前は識字率も俄然低く基本を教わったことも知らない程度だ。
しかし近代はPC普及等で、漢字変換で漢字を忘れる傾向があり、高齢化が進み記憶が曖昧になり漢字を書かなくその傾向は強くなる一方である、また一番悪い事に、問題は大手新聞社報道陣が間違った報道(新聞社利益中心の記事)が多く、益々新聞離れに拍車がかかる。

筆者が言いたいことは簡単で、昔と比べ手紙、葉書等の便りの文章は少なくなっている。これはメール等に代用され益々簡略化された文章になっていく、このままで良いのだろうか疑問です。文字の読み書きや理解する能力を「識字」と呼び、識字率は文字の読み書きができる人の割合を指します。
日本にいれば字の読み書き、文章の理解をできる人がほとんどですが、これは義務教育により学習することができるからです。



日本では初等教育の純就学率は男女ともに100%、そのため識字率についても世界でも上位の水準ですが、世界では識字率が80%に満たない国や地域も多くあります。
現に2017年時点で文字の読み書きができない人は約7億5000万人(世界の15歳以上の6人に1人)いることがわかっています。この問題に対して世界では大きな課題として認識されており、解決すべき問題として取り上げられています。持続可能な開発目標として定められたSDGsでもこの教育分野について取り上げており、目標4に掲げられています。世界では学校に行けない人、文字が書けない人が今もたくさん存在します。

これは子どもたちを取り巻く環境などが大きく影響しているのですが、就学できない、できても途中でやめざるを得なくなる状況を改善することから始める必要があります。識字率が低い国や貧困が深刻な国では、親が教育の大切さをわかっていないために子どもに労働や家事をさせ、学校へ通わせないケースも多くあります。そうした国では学校で給食を配布したり水汲みの必要がなくなるよう水道を設置するなど、子どもが学校へ来る理由を作り改善に向けた支援活動を行っているそうです。

やはり基本は大切であり、母国語だけでなく、識字率が高くなれば基本が養われ数学、音楽、運動まで良い影響するようである、昔から文武両道と言われた天才的と称されることもあるが、スポーツこの反射対応しなければ上手くはならない、ゲームの組み立ては頭の回転が良い程好結果が出るようである。
筆者も後期高齢者の入り口に突入するが、ある程度の文章を手がける事でボケにならないように努力しようと思う。せいぜいブログアップ回数を増やしボケ防止を行いたいと思う次第である。
年賀はがき程度は唯一肉筆で宛先を書くように心がけていますが、年とともに漢字も下手になり今年からは丁寧にと心がけるように思う。



音楽の基本中の基本のバッハの2声のインヴェンション BWV.772-786を聴きながらピアノ演奏を「ピアノの哲学者」と言われたディナ・ウゴルスカヤから学んでみるが、此の演奏が優しく心に響くようです。

ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)は1973年8月26日-レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、ロシア(旧ソ連)で生まれ2019年9月17日、がんで亡くなった。46歳だった。父親はピアニストのアナトール・ウゴルスキ。母親のマヤ・エリクはシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のソビエト初演で朗読を担当した音楽学者。ウゴルスカヤは1973年、父親が活動していたソビエト時代のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)で生まれた。ウゴルスキは1982年から1990年までレニングラード音楽院の教授を務めた。
父親からピアノの手ほどきを受けた後、1980年からレニングラード音楽院に所属する特別音楽学校で学んだ。7歳でレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団フィルと共演して注目を集める。しかし、1980年後半からの体制改革運動「ペレストロイカ」の流れの中でソビエトでは反ユダヤ主義的な動きが表面化。脅威がウゴルスキと家族に及んできたことから、1990年に一家でドイツ・ベルリンに亡命した。

亡命後、ウゴルスカヤはハンス・アイスラー音楽大学に進み、その後、デトモルト音楽大学へ。そのまま大学に残り、2002年から2007年まで講師を務めた。その後、ソロ活動のかたわら、2016/17シーズンからウィーン国立音楽演劇大学(University of Music and Performing Arts Vienna)に就任、亡くなるまでピアノ科の教授を務めていた。



ディーナ・ウゴルスカヤの名盤復刻! バッハ&ショパン! ロシアの名ピアニスト、アナトール・ウゴルスキの娘であり、自身も国際的なコンサート・ピアニストとして活動したディーナ・ウゴルスカヤ。2016年からはウィーン国立音楽演劇大学のピアノ科教授を務めながらも、癌との闘病の末、2019年9月に46歳の若さでこの世を去りました。

この「バッハ&ショパン」アルバムは、2008年に「Venus Music」からリリースされ、しばらく廃盤となっていた稀少盤。バッハのインヴェンションは、残念ながら未だ単なる練習曲と見なされていますが、特に2声のインヴェンションは信じられないほど洗練された豊富なアイディアのおかげで、ウゴルスカヤのことを子どものころからずっと魅了していたといいます。そして対照的に、音楽性と技術の両面で、ピアノ音楽でもっとも挑戦的な曲集の1つであるショパンのプレリュード。その深い感受性と冷静なパフォーマンスから、「ピアノの哲学者(philosopher at the piano)」と呼ばれたウゴルスカヤが、バッハの率直さとショパンの複雑さを見事に対比させた名盤の1つです。

J.S.バッハ:2声のインヴェンション BWV.772-786 ● ショパン:24の前奏曲 Op.28  



《曲目》
 J.S.バッハ:2声のインヴェンション BWV.772-786
15 Inventiones, BWV 772-786: No. 1 in C Major, BWV 772

 ショパン:24の前奏曲 Op.28
24 Préludes, Op. 28: No. 20 in C Minor. Largo
24 Préludes, Op. 28: No. 24 in D Minor. Allegro appassionata

《演奏》
  ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
  使用楽器:ベヒシュタイン D-280

《録音》
  2004年3月
  デトモルト(ドイツ)
  Bach & Chopin
  Dina Ugorskaja



この「バッハ&ショパン」アルバムは、2008年にVenus Musicからリリースされ、しばらく廃盤となっていた稀少盤。
バッハのインヴェンションは、残念ながら未だ単なる練習曲と見なされていますが、特に2声のインヴェンションは信じられないほど洗練された豊富なアイディアのおかげで、ウゴルスカヤのことを子どものころからずっと魅了していたといいます。そして対照的に、音楽性と技術の両面で、ピアノ音楽でもっとも挑戦的な曲集の1つであるショパンのプレリュード。
その深い感受性と冷静なパフォーマンスから、「ピアノの哲学者(philosopher at the piano)」と呼ばれたウゴルスカヤが、バッハの率直さとショパンの複雑さを見事に対比させた名盤の1つです。



上記の写真はバッハの時代に存在した鍵盤楽器で家庭での練習用の楽器であろう。
バッハは完成した曲集の扉に自らこのようにしたためた。《インヴェンション》と《シンフォニア》は、長男フリーデマンのレッスン用の小品を集めて改訂したものであり、その成り立ちから既に教程としての性質を持っている。しかし、ここに書かれていることの真意はいったいなんだろうか?
 バッハは音楽家を育てるのに、両手を使った鍵盤音楽の演奏技術を身に付けさせることから始めた。
クラヴィーアの愛好者、とくにその学習希望者に、(1)二つの声部をきれいに弾きこなすだけでなく、更に上達したならば、(2)三つのオブリガート声部をも正しく、かつ、手際よく処理し、あわせて同時にインヴェンツィオをたんに得るだけでなく、それをたくみに展開し、そしてとりわけカンタービレの奏法をしっかりと身につけ、しかもそのかたわら作曲への強い関心をも養うための明確な方法を教示するところの、正しい手引き。アンハルト=ケーテン侯宮廷楽長ヨハン・ゼバスティアン・バッハ これを完成す。1723年。」
兎に角基本中の基本の曲集ではあるがじっくり聴くも味わいは豊かである。

そして、ショパンのすべての長短調を網羅した24の前奏曲。1838年にマヨルカ島で完成された。これは、小説家ジョルジュ・サンドとの恋愛関係が始まって間もなくの時期であり、サンド一家の転地保養にショパンが同行した最初の機会である。ショパンはこの旅行を実現するためにパリでのレッスンをいくつも断り、一方で知人たちから少なからぬ借金をした。パリの出版家プレイエルが《前奏曲集》に前金を支払ったのも、旅行費用を援助するためだった。
病気で長く臥せっていたことなども考えると、おそらくショパン自身、マヨルカへ着く頃にはすでに曲集の全体がみえていたのだろう。ショパンにとって、バッハ《平均律クラヴィーア曲集》の伝統に連なる作品を残すことは、かねてからの願いであり、音楽家としての使命でもあったのだ。



《練習曲集》においてショパンは、《平均律》の伝統を音楽内容と機能の面で継承したのだったが、《24の前奏曲集》では、同じ源泉からおもに曲集の外形を受け継いだ。マヨルカでのショパンの様子を伝える書簡からは、彼が四六時中バッハの楽譜を手放さずにいたことが判るが、《平均律》とショパンの《前奏曲集》の共通点はほとんど唯一、24の長短調で書かれていることだけである。
ディーナ・ウゴルスカヤの演奏は優しく響くピアノの音に筆者の10吋タンノイの据え置き型と真空管のアンプ相性は良く、グランドピアノの演奏が良い音色を醸し出す。ブラボー!