伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

10吋のタンノイ聴くイシュトヴァン・ケルテス(指揮):ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95《新世界より》の検証

2021年11月05日 | クラシック音楽・オーディオ

タンノイIIILZについて詳しく申し述べる事にします
 1.初期のIIILZ(レットモデル)
 2.IIILZ(15Ωタイプ)
 3.IIILZ MK-II(8Ωタイプ)
 4.295モニターH.P.D
の4機種があり古い物ほど貴重価値があると言われています、筆者も当初は295モニターを使用していたが、Y氏の好意にてIIILZ MK-II(8Ωタイプ)をお譲り頂き、早速交換して試聴し、当初若干レンジは狭く感じられたが、馴染むと共に高音の涼やかな音はこれぞタンノイと思わせる独自の音の様に思いはじめる。実に魅力豊かな音に満たされています。話によると初代のレットモニターは其れ以上の音と聞く。一度は耳にしたいと思ってます。

噂に聞くにレッドはプレミアム付きで貧困老人には無理の価格が掲載されている、下記写真はタンノイIIILZ歴史の写真である。


発売当初から基本コンセプトは変わらず第3世代目に工場火災により被害を受け295モニターにと移行した、いわゆるヴィンテージと言われるユニットはこのタイプが最終と言われるようです。

下記の写真は3.IIILZ MK-II(8Ωタイプ)をお譲りして頂いた時の写真です。


特にIIILZ MK-IIの音質は、弦楽器の音質は更に涼やかなリアルな音になり、改めてタンノイの素性の良さを感じる事に成ったようである。特にチェンバロの高音部等の音の再現はトランジェットの良さを体験できる。特にジャズのヴィブラフォンの高域の音はハッと思う音がなるのである。

コーン紙部分に渋柿液を塗布しなるべく元の状態(新品)に復元を試みたエンクロージャー取り付け後の写真である。



そして先日DACも替えこの辺りで、KORG/DS-DACのテストをさらに続けて行ってみました。一応試聴する条件が揃ったとの思いになった。

一般的には大人しいと言う表現が良いと思ったが、最近意外とタイトな良い鳴りっぷりを発揮する、KORG/DS-DACを使い本日は久々に10吋タンノイIIILZ Monitor Goldで試聴する、1892年にドヴォルザークはニューヨークの音楽院に院長として呼ばれ、そこで約3年間を過ごしました。(あの有名なカーネギーホールの内にある音楽院の院長でした)ドヴォルザークがのこのアメリカでの3年間は、彼にとって重要な作品を生み出した時期でもありました。

アメリカ時代の作品としては「新世界より」の他には、「アメリカ」「チェロ協奏曲」などが挙げられます。「新世界」とはドボルザークが見たアメリカのことです。ノリのいい大迫力の音楽というよりは、もっと奥深い何度聞いても飽きない名演が楽しめます。



ドヴォルザークと同じチェコ人であるチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が、ドヴォルザークの人柄までも表現しているように聴こえるのは気のせいではないのかもしれません。1961年録音のドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」イシュトヴァン・ケルテス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、歴史的に見るとサウンドステージの存在が明らかにされ始めた頃の作品です。

五味康祐氏もモニターレッドを搭載されたオートグラフを愛聴していた時代で(オーディオ巡礼)等盛んに投稿されていた時代の音楽を聴いてみようとした。指揮者イシュトヴァン・ケステス(Istvan Kertesz)はブダペストに生まれ、リスト音楽院で大作曲家ゾルタン・コダーイに学んでいます。

1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となりましたが、1956年ハンガリー動乱で西側に亡命。1960年にアウクスブルク国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1963年から亡くなるまでケルン国立歌劇場の音楽総監督を務めました。コンサート指揮者としては1965~68年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、同時に英デッカにドヴォルザークの交響曲全集を始めとして数多くの録音を行いました。

そしてウィーン・フィルへの客演や録音も軌道に乗り、いよいよ巨匠への飛躍の時期だった1973年4月、誠に残念なことにイスラエル・フィルに客演した際、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死しました。まだ43歳でした。
作品も多くはありませんが、密かに筆者の機材がある程度の音を聴けるようになれば、ドヴォルザークを聴いてみようと思っていました。



これは録音史上最もドラマティックといわれる「新世界」と言われうまい具合にならなかった代表のような存在感で、徐々にオーケストラに背を向く事が原因かも知れない。これに起因することは今までずっと据え置き型のエンクロージャーの置き場がなく、ブックシェルフ型のスピーカーで室内楽中心に聴いてきた了見の狭さが渦巻いていたのであろう。

確かに昔アルテッツA7等で聴く原寸大の音は夢であり、自分の物にしようとはしなかった事である、原寸音楽再現は無理な話で、当時テアトル東京等の映画館ではA-5、A-7が使われたと聞く、後はコンサート会場に行く事に出かける事で聴くことが一番の方法であった。

「新世界より」は、ケルテスにとってデッカへのデビューを飾った記念碑的録音です。当時32歳という若きケルテスが、ウィーン・フィルの奥深い響きを生かしつつ、ドラマティックなテンポの変化を加え、ティンパニの壮絶な強打や金管の咆哮によって作品に生気をみなぎらせています。スリリングな熱気あふれる永遠の名演といえるでしょう。ロンドン交響楽団の管楽器のメンバーによる「セレナード」も、ノスタルジックな郷愁あふれる素晴らしい演奏です。


ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》 他



収録内容
【曲目】
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95《新世界より》
 1.第1楽章: Adagio - Allegro molto
 2.第2楽章: Largo
 3.第3楽章: Scherzo(Molto vivace)
 4.第4楽章: Allegro con fuoco

ドヴォルザーク:セレナード 二短調 作品44
 5.第1楽章: Moderato quasi marcia
 6.第2楽章: Minuetto(tempo di minuetto) - Trio(presto)
 7.第3楽章: Andante con moto
 8第4楽章: Finale(Allegro molto)
【演奏】
イシュトヴァン・ケルテス(指揮)
ロンドン交響楽団員((1))
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団((2))
【録音】
ウィーン、ゾフィエンザール1961年(1)
ロンドン、キングズウェイ・ホール 1968年(2)
(ステレオ:セッション)

アメリカに長期滞在中だったドヴォルザークが、新天地で出会った様々な音楽を取り入れながら祖国ボヘミアへの郷愁を綴った《新世界より》は、ノスタルジックな旋律に溢れた人気曲。

友人盛岡のI君が此の記事を見て、今更また何故ドヴォルザークなのかと叱責されるであろう、やっとイシュトヴァン・ケルテス(指揮)の振る「新世界より」が聴けたのである。



10吋IIILZに、これも一重に重量感ある据え置き型エンクロージャーの箱の影響もあるのでしょう。おそらく一般家庭でオケの良さを楽しむには絶好なエンクロージャーと思う兎に角オーケストラの演奏には、GOODMANS箱の影響が強いのであろう(他にステレオサウンド誌で有名な、幻と言われるコーネッタ、バックロードホーン、コーナー型の箱等がある様です)。
筆者が思うはコーナー型は音質的には大変優れると思うが、部屋の広さは必要で最低25畳程の部屋が必要と思われる、特にコーナー型は壁面より適度に距離を置くと一層味わいが深まるそうであると聞いたことがある。実際に25畳以上の部屋をお持ちの方は少ない。

彼の素晴らしい指揮と演奏家達のたぐまれな技巧と演奏技術力がなければ、これ程の素晴らしい演奏を聴くことはできなかっただろう。天才作曲家の思い描いたように演奏を実践するのは、想像を絶する至難の技でしょう。

ケルテス&ウィーン・フィルによる、ドヴォルザークの「新世界より」の音源を聴くことができるようになりました。個人的には「新世界より」の演奏ではこの演奏の右に出るものはないと思っていて、デッカの音源の中でいちばん聴きたいものだっただけに、それがリリースされてとても嬉しいです。チェコの民族的な部分とドイツ的なしっかりとした構造美をしっかりとまとめあげた、とても内容の濃い演奏です。質実剛健な中にも、第4楽章でのウインナ・ホルンの甘美なソロがあったり、引き込まれる部分がたくさんあります。

1968年録音とは思えないリアル感があり、音楽としても素晴らしい曲である、残りの人生で此のような演奏に出会えたことに感謝する。
確かにサウンドコニサー的に対応するアルバムとも言えるでしょう。ブラボー!

ハイレゾ音楽をKORG/DS-DACで聴く、今蘇る「ho'sLS3/5a」が奏でる上質なチェンバロ奏者Pierre Hantaïのバッハで検証する

2021年11月03日 | バロック音楽・オーディオ一般

ここで最近「古楽器演奏」というものの背景には「原典主義」というものがあり文章を引用させていただきます。

バッハ演奏における原典主義は、3つの段階を経て今日に至っています。それは先ず、「楽譜」すなわち作曲者のオリジナル・スコアの復元に始まり、それから、作曲者が直接意図していた楽器の復興、それから作曲当時の演奏習慣の復興という風に進んで行きます。

バッハの音楽というのは、バッハの没後、ほとんど演奏されなくなってしまいますが、1800年頃になると鍵盤の独奏曲を中心に、バッハの作品に対する興味が少しずつ盛り上がってきます。そして、1829年、メンデルスゾーンによって、「マタイ受難曲」が初演後100年という記念すべき年に復活上演されたことで、世の大衆がバッハの偉大さを知り、「バッハ熱」に火がつきます。そして、1985年にバッハ没後101年を記念して、バッハ全集という、バッハの全作品の楽譜を、後世の解釈を全く排除してバッハの書いた通り1音の省略も1音の付け加えもなく、復元した楽譜の刊行という、その後じつに半世紀を要した大事業が始まります。これに触発されて、チェンバロとかヴィオラ・ダ・ガンバといった古楽器に対する興味が次第に高まって、こうした楽器が復興されて行きました。
しかし、それは平坦な道ではなかったことは言うまでもありません。



今世紀のはじめの古楽復興運動は、先ず「音楽学者の実践」という学問的な側面、それからこの映画にも出てきますが、18世紀のドイツの大学における「コレギウム・ムジクム」を復興しようというアマチュア的な側面など、いろいろな要素が混沌としていました。その中から抜け出したのが、舞台裏でも大きな役割を果たした、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバの演奏家アウグスト・ヴェンツィンガーでした。彼は、1933年、指揮者のパウル・ザッヒャーと共に、古楽の研究と専門的な演奏家の養成を目的とするスコラ・カントルムをスイスのバーゼルに設立しました。

そして、バーゼルから汽車で1時間ほど離れた南ドイツのフライブルクのフルート・リコーダー奏者であったグスタフ・シェック、同じくチェンバロやフォルテピアノの演奏家フリッツ・ノイマイヤーらと共に精力的な演奏活動を行って、様式的にも技術的にも完成度の高い演奏によって古楽の復活を広く世の中に印象づけました。やがてケルンにも、こうした古楽演奏家のグループが出来てきます。しかし、こうした動きは、第2次世界大戦の勃発で中断されざるを得ませんでした。

戦後まもなく、1948年に、20歳のレオンハルトが、スコラ・カントルムで学ぶためにバーゼルへやって来ます。バーゼルでチェンバロとオルガンを学んだ彼は、次に、ウィーンに移り、そこでチェンバロを教えながら指揮の勉強をするのですが、そこでアーノンクールと運命的な出会いをするわけです。レオンハルトとアーノンクールは、1歳違いで同じジェネレーションに属し、アーノンクールはチェロ奏者でした。彼らの演奏活動の中で、最も斬新だったのは、彼らが伝統的な音楽観を古楽器に応用しようとしたのではなく、昔の資料などを駆使しながら当時の演奏習慣についての知識を深め、それによって楽器の鳴らし方から演奏解釈に至る音楽演奏の広い領域で、全く新しい感覚を打ち出していったことでした。それは当然、旧い世代に属するヴェンツィンガーたちの演奏に対するスタンスとは違ったものでした。

そうした異なる音楽観をもった新旧のジェネレーションが、新しいジェネレーションの旗頭であるレオンハルトの指揮の下で協力し合っているという点にあります。最近の演奏に比べると、技術的にはまだまだの部分もあって、ときどき管楽器などが調子外れな音を出したりもしますが、こうした時代ならではの非常に気合いの入った活力のある演奏です。



以前にも私のブログで紹介したが、最近聴いていなかったピエール・アンタイの美しく奏でるチェンバロを再生する。

ピエール・アンタイ(Pierre Hantai)は、1964年パリ生まれ。1964年生まれのフランス国籍のチェンバロ奏者、指揮者である。
父親はハンガリー生まれの画家、シモン・アンタイ(Simon Hantaï, 1922 - 2008)で、抽象画、特にカンバスを丸めて、それによって絵の具が広がり、転写される技法で知られている。

10歳のころからバッハの音楽に熱中しはじめ、グスタフ・レオンハルトに触発されチェンバロを学び始める。当初は独学だったが、ほどなくアメリカ人のチェンバロ奏者アーサー・ハースの門下生となり、ごく若いうちからソロ、あるいは兄弟であるマルク・アンタイ(フルート)やジェローム・アンタイ(ヴィオール)とともに演奏活動を開始、数々の賞を受賞する。その後アムステルダムで2年間グスタフ・レオンハルトに師事し、同時に彼のアンサンブルでチェンバロ奏者として迎え入れられる。つづく何年かの間、アンタイは実に様々な音楽家たちや指揮者たちと共演してゆくこととなる。

フィリップ・ヘレヴェッヘ、クイケン兄弟、「ラ・プテット・バンド」、フランソワ・フェルナンデス、マルク・ミンコフスキ等の名があげられる。そして彼自身のアンサンブル「ル・コンセール・フランセ」を結成するに至る。

近年の彼はおもにソリストとしての活動によって世界中に知られている。ジョルディ・サヴァールはしばしば共演者に彼を指名しているが、彼自身も好んでユゴー・レーヌやセバスチャン・マルク(以上リコーダー奏者)、クリストフ・コワン、ジャン=ギエン・ケラス(以上チェロ奏者)といった友人たち、あるいはマルクやジェロームら兄弟たちを交えて室内楽を演奏している。
録音は数多いが、なかでもバッハの「ゴールドベルク変奏曲」「平均律クラヴィーア曲集」やスカルラッテイのソナタ集などMIRAREレーベルからのCDは近年における彼の代表作に数えることができる。
フランスを代表する気鋭のチェンバロ奏者、古楽演奏家として、今もっとも活躍が期待されるひとりである。

現代最高峰のチェンバロ奏者の一人、ピエール・アンタイによるバッハのゴルトベルク変奏曲、発売当時はグラモフォン・アワード、ディアパソン・ドール賞、テレラマ誌の「ffff」、ショック・ドュ・モンド賞を総なめにし、名実ともに高い評価を受けたアンタイの代表盤です!
チェンバロ奏者が必ずと言っていいほど挑むJ.S.バッハの大作をこれまでに二度録音しているアンタイですが、1回録音になります。今やすっかり『ゴルトベルク変奏曲』がレパートリーの十八番となっているアンタイの「原点」 ともいえるアルバムと申せましょう。2012年の来日リサイタルでも本作を演奏し、好評を博したアンタイ。本アルバムではケーテン時代のバッハが実際に弾いたとされるミートケ製チェンバロのコピーを使用し、全体的に溌剌とした明るい演奏を聴かせています。演奏時間は約77分半。



ゴルトベルク変奏曲:アンタイ(1992)
【収録情報】
 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988

 ピエール・アンタイ(チェンバロ)
 使用楽器:1702-4年ベルリン、ミヒャエル・ミートケ製に基づく、1985年アムステルダム、ブルース・ケネディ製)

 録音時期:1992年6月
 録音方式:ステレオ(デジタル)

全体として速いテンポを特徴としているが、演奏様式は、師と仰ぐグスタフ・レオンハルト同様、一音一音を克明に刻んで作品の本質に迫るものである。
こうなると益々もう少し奥行きのある音が欲しくなります。オーディオマニアの苦しみなんでしょう。
使用アンプにより音質は変化する、おすすめは真空管アンプ使用が優れている。


以前聴いた音より兎に角透明度が増した音がする、KORG/DS-DACの織りなす音の再現の素晴らしさであろう、導入当時現在使用するLS3/5aの音質に疑問を持ち続け我が家に納品された物が欠陥品であったのかも知れず、細部に渡り点検しながら調整を行いスピーカージャックの亀裂から溶接部分が破損し原因が判明し全てを直した結果素晴らしいLS3/5aの音質が甦った、これは従来これに近い音だったように思うが今となっては定かでない。
Rogers スピーカー[BBC Monitor Speaker-LS3/5a 70th Anniversary Edition]

上記の写真は15Ωバージョン、WBT社製の入力端子を新たに採用し、技術を継承しながらも時流に合わせて進化した「LS3/5a 70周年記念モデル」
ボルトに「ROGERS 70ANN」の刻印、リアバッフルにはシリアルナンバー入りゴールドプレートが取り付けられています。

上記の写真は70周年記念モデルの裏側の写真です、筆者のLS3/5aの直し下記が修復後の写真です、濁り音も消え透明度が俄然良くなった現在のスピーカーである、当初から此の部分の改修がなされていれば、足掛け2年間、此のような苦労は不必要である、出荷時には点検は大切であることがよく理解できる。

Rogersは接続部分なども、堅牢な部品を吟味して使用している物と思われる。

2年前にデトックス品の「ho'sLS3/5a」を購入したが、筆者の思っていた音が鳴らなく改良を続けやっと最近LS3/5aらしい音が響きだした、正に美音が聴ける音に化けました。アンタイのチェンバロの澄んだ高音が鳴ったタンノイの広域とも競える美音に感激した瞬間でもあった。今後すべてのジャンルでの音楽が楽しめる音が蘇った。確かにこの商品は本来の素性はとても優れた物かも知れない。

今はやっと苦労し、各ユニット構成、ネットワーク構成など音楽を聴きながら調整を図り艶のある高音域、低音のふくよかな広がりを実現しました。



話は本題に、鬼才チェンバロ奏者ピエール・アンタイによる、バッハのイタリア協奏曲、イギリス組曲などライプツィヒ時代の鍵盤作品を中心にしたアルバム。
 
バッハは、ヴァイマール時代にヴィヴァルディを筆頭とするイタリアの協奏曲の形式に魅せられ、以降研究を重ね編曲を含めいくつかの作品を完成させました。特に『イギリス組曲』の第2番からイタリア・バロックのスタイルを模した音楽を書き、『イタリア協奏曲』はそうした研究の成果を存分に有しており、華やかなイタリア風の様式を1台のチェンバロで弾く意欲的な作品で、バッハには批判的であったヨハン・アドルフ・シャイベも、この作品には「単一楽器による協奏曲の模範」という賛辞を与えています。

ピエール・アンタイの演奏は、確かな構成力と絶妙なアーティキュレーションとアゴーギク、そして圧倒的な技巧による闊達とした華やかさが魅力。さらに『イギリス組曲』でもクーラント、ジーグなどでは、軽快で自由開放的、爽快な音運びで聴かせてくれます。

平均律クラヴィーア曲集に-ドイツ語 :ダスWohltemperierteクラヴィエ(オリジナル)またはダスWohltemperierteピアノ(モダン) - BWV 846から893は、2サイクルの指定24のプレリュードとフーガによって構成されるそれぞれ、バッハを。これらの2つのコレクションは、クラシック音楽の歴史の中で最も重要な作品の1つです。

2冊の本のそれぞれは、半音階の12の半音のそれぞれで前奏曲とフーガを提供します ; または、音楽、理論、教訓を同時に目的とする2冊の本のそれぞれに24の前奏曲と24のフーガ。各本は、ハ長調の調で始まり、ハ短調の調に続き、ハ長調 などが続きます。、24のメジャーモードとマイナーモードの色域全体を通過するまで。異名同音の場合は注意してください

 (例:CシャープとDフラット、またはさらにEシャープとF)、およびいくつかの例外を除いて、そのうちの1つだけが保持されます。
最初の本 ( BWV846からBWV869)は、1722年に原稿が完成し、1750年にバッハが亡くなるまでさらにレビューされ、作業される予定で、次のタイトルが付けられています(ドイツ語から翻訳)。

「平均律クラヴィーア曲集、または長三度またはC、D、Eと短三度またはre、mi、faの両方のすべての音と半音の前奏曲とフーガ。学びたがっている若いミュージシャンの練習と利益のために、そしてすでにこの芸術に精通している人々の楽しみのために。」と詳しく表記がある。



1722年、バッハは平均律クラヴィーア曲集の最初の本を発表しました。その目的は、メジャートーンとマイナートーンのそれぞれで前奏曲とフーガを合計24の前奏曲とフーガで提供することにより、気質の可能性を示すことでした。2冊目の本は1738-39年にさまざまな時期に構成された要素から作られました。最初の本のフーガinGマイナーは、対位法によって提供されるすべてのライティングトリックを使用しています。

チェンバロにバッハの平均律クラヴィーア曲集のバージョンが1つしかなかった時代は終わりました。ワンダランドフスカは、前世紀の初めにこの楽器を蘇生させました。彼女はバッハの本物の声を見つけたと思った。彼女はプレイエル社によって作られたチェンバロを持っていました。彼の楽器は、彼のガイドラインに従って設計されており、ピアノとオルガンの製作から受け継いだ歴史的な材料と重い機械を混ぜ合わせました。彼の想像力の純粋な製品、したがってこの「ハードウェアストア」サウンドは、音楽愛好家の世代全体を先延ばしにしました。

今日、チェンバロは人気があります。そして、ピエール・アンタイが平均律クラヴィーア曲集(最初の本)をホットケーキのように販売するのは偶然ではありません。フレンチプレスでの批判を受けたこのセットは、現在サウンドが獲得されている楽器に対する一般の人々の好みを体現しています。それはまた、バッハがどのように彼自身を異なって演じるかを明らかにします。数十年にわたって、写本、論文、時代のスタイルの研究によって養われたチェンバリストは、この音楽の最初の炎を再発見しようと努めてきました。楽器の音を綿密に復元することで修正するのは簡単ですが、18世紀にバッハがどのように演奏されたかを知ることは事実上不可能です。私たちの時代に戻ることは間違いなくより建設的です。

一方では、1972年に平均律クラヴィーア曲集を刻んだチェンバリストの教皇グスタフ・レオンハルトの微妙で力強く直線的な読み方です。それは、その算術数を同化したバッハを理解した男のビジョンです。特定のテンポの遅さにもかかわらず、時には博士号の考えを裏切る硬直にもかかわらず、グスタフ・レオンハルトはこれらの小さな形(前奏曲とフーガ)を完全に捉えた読みを構築します。そしてそれがその録音が参考として続く理由です。
反対に、ピエール・アンタイの翼のあるタッチ、音をむさぼり食うこの燃えるような息。彼の例だけでも、フランスのチェンバリストが今日の美的理想、つまり3千年紀のバロックと呼ばれるものをどれだけ反映しているかを証明しています。このバロックは、「奇妙な」を高揚させるために、単語の出典に戻るのが好きです。彼は、前例のない光の中で建築全体を照らす、思いもよらない細部を指差しながらうがいをします。平均律クラヴィーア曲集の興味を新たにする方法は?その視線を鋭くすることによって現在の考えの鏡にすぎません。



したがって、ピエール・ハンタイは、深淵の深さから揺れる、きらめく、または湧き出るのが好きなこのバロックを栽培しています。天国対地獄。神の声に直面している人間の声。彼は各プレリュードの影響を精査し、マイナーなフーガで超越するという感情的な本質を捉えています。自己の闇を模索しながら、自己を探求する。そして、それぞれのジェスチャーは、素材に命を吹き込み、肉体でそれを明らかにすることを目的としています。その輪郭を彫刻することによって、それは特定のマニエリスム、ここでの加速、そこでの減速などを逃れません:ニ長調のフーガはピッチングのくぼみによって迷惑になります。

レオンハルトのバランスの取れた視線に直面したピエール・アンタイは、音楽愛好家のサポートを求めて、ドアを開け、路地を掘ります。トラブルメーカーは教皇のように演じます-モノリスのようにヒエラティックなヘ短調のフーガを聞いてください。それは心に触れ、楽しませ、動き、瞑想で倒れます。グスタフ・レオンハルトが時間の経過とともに魂の扉をノックし、彼は感情の全範囲を断ります。彼はレコーディングスタジオへの出席について多くを語るタッチで彼のタッチをモデル化します:彼は聴衆のためではなくマイクのために演奏します。スピーカーをパチパチ音をたてるキーの上を指が全速力で走ります。彼は、まるで信仰の行為をしているように、それを共鳴させるために各曲の最後の和音を持っています。

この信仰の行為は、彼の実存的な願望を否定しない、より活気のあるバロック、より人間的なバッハの行為です。ピエール・アンタイがバーを非常に高く設定した場合、それは何よりも自分自身を追求する世代を反映しており、バッハの鏡の中で自分自身をよりよく封印することを考えています。そして、喜びはこの探求の本質的な原動力であり続けます。その読書は時の試練に耐えますか?

高く評価されているピエール・ハンタイは、1964年生まれのハンタイがハープシコードを研究し、平均律クラヴィーア曲集に参加しました。アーサーハースと。彼は最終的にSigiswaldKuijkenのLaPetite Bandの正規メンバーになり、JordiSavallとも頻繁に協力してきました。



ハンタイはバッハの音楽に精通しており、アンサンブルのメンバーおよびソリストとしてかなりの数の録音を行ってきました。おそらく、これまでの彼の最も印象的なバッハの供物は、ゴルトベルク変奏曲のオーパス111演奏であり、これは一様に熱烈なレビューといくつかの賞を受賞しました。

少し逸脱して、地元のレコード店の中古のゴミ箱でこの新しいセットを見つけたとき、私はとても幸運でした。セットがアルバカーキへの道を見つけるとは思ってもみませんでした。また、レコーディングが米国で配布されていない可能性もあるので、私は自分自身を幸運な男だと思っています。

変態公演は頑張っていますか?その質問に答える前に、彼が最初にレコーディングの世界に入って以来、私が持っていたハンタイの音楽制作に対する懐疑的な見方を説明する必要があります。私の見方では、変態は手を汚すのが好きではありません。彼は人間の感情の裏側と彼の快適ゾーンから遠く離れた存在の不安を見つける前向きな男です。

プラス面として、変態は通常、リズミカルな才能の概念を一貫して獲得している非常に流動的なプレーヤーです。したがって、明るい音楽は彼の強みを発揮する傾向がありますが、以下で説明するように、彼はこの分野で驚くほど失望しています。これらは私が熱意を持ってこの新しいバッハのパフォーマンスのセットをお勧めできない理由です:

ハ短調のプレリュードは、上部の声があまりにも凹んでいて、船尾と唸り声の重みで消えてしまうため、まったく集会を通過しません低い声。これは、音声の相互作用が効果的であるためには、各音声を聞く必要があり、ある程度のスペースが必要であることを忘れているように見えるエンジニアのステップに私が置く大きなバランスの問題を表しています。



JSバッハ(1685-1750)
平均律クラヴィーア曲集第1巻
Bach: Le clavier bien tempéré, premier livre
前奏曲とかフーガ第1番BWV846〜第24番ロ短調BWV869


ピエール・アンタイ(チェンバロ)
チェンバロ:ユルゲン・アンマー製作、1999年(1720
年にテューリンゲンで立てされた、無名のチェンバロ製作者、楽器のコピー)

録音:2001、2002年ハーレム



チェンバロの演奏で最高の演奏だと思います。音色、「間」など素晴らしい。第二巻目の発売が楽しみです・・・ブラボー!